岩﨑陽平

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岩﨑 陽平 Football pictogram.svg
名前
カタカナ イワサキ ヨウヘイ
ラテン文字 IWASAKI YOHEI
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1987-03-24) 1987年3月24日(35歳)
出身地 三重県
身長 183cm
体重 75kg
選手情報
ポジション DF,MF,WG
背番号 34
利き足 左足
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

岩﨑 陽平(いわさき ようへい、1987年3月24日 - )は、三重県出身のプロサッカー選手[1]ポジションはDF,MF.WG(左サイドバック)(左サイドハーフ)(左ウイング)。

来歴[編集]

高校時代は地元の三重県立津工業高校でプレーし、三重県国体選抜に選出され、チームでは全国高校選手権ベスト16入りに貢献した。高校卒業後は中京大学に進学したが、3年次の2007年に大学を休学し、ブラジルに渡りカンボリウエンセと契約、プロ選手となった。

その後はブラジルのクラブを渡り歩き、マルセロオリヴェイラ監督率いるパラナクラブに入団。当時のチームメイトには後にJリーグでも活躍したマルセロ・アパレシド・トスカーノジョン・パウロ・ダ・シウヴァSLベンフィカに移籍したエルビス・ヴィエイラ・アラウージョFCポルトに移籍したケウヴィン・マテウス・ジ・オリヴェイラアトレチコミネイロで活躍したヴィニシウス・ゴエス・バルボーザ・ジ・ソウザポルトガルリーグでプレーしたイリネウ・カリスト・クートと一緒にプレー経験がある。そこでの活躍が認められ、2010年7月に5月から練習参加していたアルビレックス新潟に入団したが、新潟では怪我などもあり出場機会を得られず、2011年シーズン終了をもって契約満了となった。2012年は当時東北社会人サッカーリーグ2部のFCガンジュ岩手でプレーしていたが、当時監督であった今井敏明監督の契約解除により本人も7月で退団。8月にパラグアイリーグ1部のインデペンディエンテFBCに移籍。シーズン終了後は、ペルー人の代理人からスカウトされ、ペルーリーグ1部パシフィコFCに練習参加する。トレーニング参加中に同国でプレシーズンマッチを行なっていたパラグアイ1部セロ・ポルテーニョ・デ・フランコからプレシーズンマッチに招待され、クルブ・スポルティーボ・シエンシアーノとの試合に出場した。標高3900メートル以上での試合では、試合中に鼻血出て後に高山病にもなったと本人は語っている。そのままセロ・ポルテーニョ・デ・フランコと契約し、再度パラグアイリーグでのプレーをする。同クラブでは給料の未払いもあり退団をし、ブラジルで数ヶ月間テスト生としてサンパイオ・コヘイアFCでトレーニングをしている。その時は、後にCRフラメンゴやクロアチアの名門NKディナモ・ザグレブでプレーしたジョナス・ゴメス・デ・ソウザと一緒に生活をしていた。その後はアルゼンチン、ボリビア、チリのクラブに練習参加していた時に、SNSを通してインドの代理人からコンタクトがあり、インド・Iリーグラングダジエット・ユナイテッドFCに移籍。インドでは文化の違いや食の違いに戸惑いながらもシーズンを通して何回も週間ベストイレブンに選出され、インディアン・スーパーリーグノースイースト・ユナイテッドFCから獲得の意思を伝えてられるが2017年4月、ラモス瑠偉監督率いるFC岐阜へ移籍。当時のチームメイトには、川口 能活選手や三都主アレサンドロ選手がいる。高校の同級生でもある野垣内俊選手とも再度チームメイトとなるが、シーズン終了後契約満了により退団。2015年度はラトビア、リトアニア、キプロス、ポーランドなどヨーロッパの国々を一人で練習参加している。更にはシンガポール、バングラディッシュ、香港、タイ等、数々の国で練習参加を繰り返している。最終的に同年3月、モルディブ共和国のモルディブリーグに属するTCスポーツクラブと契約する。そこでも給料未払いが多く数ヶ月後日本に帰国している。

2016年1月にオーストラリアNPLのグリーンガリーSCの監督に就任したアーサー・パパスからオファーを受け移籍した。アーサーとはインドリーグ時代の対戦相手の監督であり、後に横浜F・マリノスのコーチや鹿児島ユナイテッドFCの監督に就任している。

2016年11月、戸田和幸監督率いる日本選抜とネパール代表とのチャリティーマッチに出場。

その後は、ヨーロッパでのサッカーに触れたいと思うようになり、リトアニアリーグのAリーガに所属する練習参加し、FKスピリス・カウナスに移籍する。加入してすぐレギュラーに定着し、ハーフシーズンで週間ベストイレブンに何回も選出されセルビアのセルビア・スーペルリーガに所属するFKバチュカ・バチュカ・パランカや中東のオマーンリーグアル・シャバブからオファーを受け、日本人初のオマーンリーグに移籍。

オマーンのアル・シャバブではクラブ創立初のオマーン・プロフェッショナル・リーグカップの優勝タイトルをもたらした。その後アル・シャバブはエジプトで開催されたガルフカップにも出場している。契約更新のオファーもクラブ側から伝えられたがここでも給料の遅延があり、更新せずに退団している。

日本に一時帰国中に地元三重県で一般社団法人V.M.E.Cを設立。サッカー、フットサルスクールをメインに個人のキャリア形成にこだ割ったスクールを展開してる。プレーヤーとしては活躍の場所をマレーシアに移し、プレーをしたり同時に引退後のキャリアを考えて現地法人としてサッカースクールとマネージメント会社を設立させる。現地のパートナーは、モルディブリーグ時代の対戦相手でもあった元プロサッカー選手で現駅のマレーシアのインターナショナルスクールのコーチでもある細江敏矢と一緒に行なっている。マレーシアではフットサルの国際大会も積極的に行い、マレーシアのフットサルプロリーグマレーシアプレミアフットサルリーグパハンレンジャーズと一緒にSAS INTERNATIONAL CUPを開催した。第一回目の大会はマレーシアで開催され、現地の最大テレビ媒体でもあるアストロアリーナもスポンサーとして大会をライブ中継した。パハンレンジャーズのオーナーはマレーシアパハン州の王子であり、マレーシアではトップクラスの人気を誇る。日本からは、日本フットサルリーグに所属する東京府中アスレティックフットボールクラブとFC NAKAIが参戦した。AFCフットサルクラブ選手権で優勝経験のあるタイ王国のチョンブリー・ブルーウェーブFCも参加し、FIFA(国際サッカー連盟)に正式に認められた国際大会となった。

その後も継続的に起業家としての活動もおこない、ポルトガル政府公認のはちみつの産地で、現地の雇用を高めるはちみつのプロジェクトをおこなっている。

ポルトガル語、スペイン語や英語を流暢に話せることからコミュニケーションに長け、国際的な活動を行なっている。現在では日本と世界をつなぐ活動や、「国際的に活躍できる人材の育成」をサッカーボールというツールで行なっている。

日本人で唯一、世界で最も優秀なサッカー代理人ジョルジュ・メンデスともサッカービジネスを行なっていると本人のSNSで写真付きで掲載されている。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2010 新潟 34 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
2011 0 0 0 0 0 0 0 0
2012 岩手 4 東北2部 - -
2014 岐阜 37 J2 2 0 - - 2 0
通算 日本 J1 0 0 0 0 0 0 0 0
日本 J2 2 0 - - 2 0
日本 東北2部 - -
総通算 0 0 0 0 0 0 0 0

脚注[編集]

  1. ^ 岩崎陽平”. サッカーキング. 2019年9月28日閲覧。

関連項目[編集]