山内テツ
テツ・ヤマウチ | |
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出生名 | 山内哲夫 |
生誕 | 1946年10月21日(76歳) |
出身地 |
![]() 福岡県福岡市 |
ジャンル | ロック |
職業 | ベーシスト |
担当楽器 | ベースギター |
共同作業者 |
フリー フェイセズ クリエイション ロッド・スチュワート ロン・ウッド ポール・コゾフ サイモン・カーク |
公式サイト | Faces Official Website |
山内 テツ(やまうち てつ、Tetsu Yamauchi、本名:山内 哲夫(やまうち てつお) 1946年10月21日 - )は、福岡県福岡市出身のミュージシャン、ベーシスト。イギリスのロックバンド、フリーおよびフェイセズのメンバーだったことで知られる
来歴[編集]
マイク真木のバンド、ザ・マイクスで音楽活動を開始。ミッキーカーチス&サムライのメンバーとして海外遠征を経験。麻生レミのバック・バンドなどで活動中、来日中だったフリーのメンバー、ポール・コゾフ、サイモン・カークとスタジオで出会い意気投合。渡英し、1972年にコゾフ・カーク・テツ・ラビットとしてアルバム『コゾフ/カーク/テツ/ラビット』を発表した。
1972年、再結成したフリーにアンディ・フレイザーの後任ベーシストとして加入する。翌1973年、作曲に参加したシングル「Wishing Well」[1]は全英チャート7位(Music Week)を記録。その後、ロニー・レーンの後任としてフェイセズに加入。1974年にも作曲に参加したシングル「You Can Make Me Dance, Sing Or Anything 」[2]が全英チャート12位(Music Week)のヒットを記録している。当初はイギリスのミュージシャンらが所属するユニオンに加入できず活動が制限されそうになったが、マスコミとファンによる支援の声が後押しし、問題解決へとつながった。フリーおよびフェイセズのメンバーとして日本での凱旋ライヴも行っている。
フェイセズ解散後に帰国し、山内テツ&グッド・タイムズ・ロール・バンドを結成しライヴ・アルバムを発表。その後ソロ・アルバムのリリース、クリエイションに加入する等日本国内で活動する。1985年にはフリー・ジャズのドラム奏者、羽野昌二と共にOpe Bandを結成し、1990年まで活動した。その後も羽野と共に、アルバム『デア・デヴィル』(1992年)、ヴェルナー・リュディのアルバム『気』(1996年)に参加している。
2011年以降、現在は表立った音楽活動は行なっておらず、フェイセズ再結成への参加やメディアへの取材対応も一切断り、家族と共に静かに幸せな生活を送っている[3]。
ディスコグラフィ[編集]
ソロ・アルバム[編集]
- 『TETSU』 (1972年)
- 『ききょう』 (1976年)
- 『Live』 - Live (1977年) ※Tetsu & The Good Times Roll Band名義
連名アルバム[編集]
- コゾフ・カーク・テツ・ラビット : 『コゾフ/カーク/テツ/ラビット』 - Kossoff/Kirke/Tetsu/Rabbit (1972年)
- ペーター・ブロッツマン、羽野昌二、山内テツ、郷津晴彦 : 『デア・デヴィル』 - Dare Devil (1992年)
- 瀬川洋、山内テツ、成田賢 : 『フレンズ』 - Friends (1998年)
フリー[編集]
- 『ハートブレイカー』 - Heartbreaker (1973年)
フェイセズ[編集]
- 『ロッド・スチュワート&フェイセズ=ライヴ』 - Coast to Coast: Overture and Beginners (1974年)