国鉄セキ6000形貨車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
国鉄セキ6000形貨車
セキ6000形、ロセキ6657
セキ6000形、セキ6657
基本情報
車種 石炭車
運用者 日本国有鉄道
日本貨物鉄道(JR貨物)
所有者 日本国有鉄道
日本貨物鉄道(JR貨物)
種車 セキ3000形
改造所 若松工場輪西貨車職場、他*
改造年 1968年(昭和43年)**
改造数 1,509両
消滅 1998年(平成10年)
主要諸元
車体色 +黄1号の帯
専用種別 石炭
化成品分類番号 なし
軌間 1,067 mm
全長 8,750 mm
全幅 2,720 mm
全高 3,365 mm
ホッパ材質 普通鋼一般構造用圧延鋼材
荷重 30 t
実容積 36.3 m3
自重 15.0 t
換算両数 積車 4.5
換算両数 空車 1.6
台車 TR41B
車輪径 860 mm
軸距 1,650 mm
台車中心間距離 4,900 mm
最高速度 65 km/h
備考 *改造所、**改造初年
テンプレートを表示

国鉄セキ6000形貨車(こくてつセキ6000がたかしゃ)は、かつて日本国有鉄道(国鉄)及び1987年昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に在籍した石炭車である。

概要[編集]

1968年(昭和43年)に、岡山鉄道管理局に配置されていたセキ3000形65両を改造して本形式が誕生した。改造内容は台車をTR41Bに変更した以外は標記の書き換え程度であった。

本形式が誕生するきっかけは、脱線事故防止のため1969年(昭和44年)12月より石炭車の積車時の最高速度が65 km/hから55 km/hに変更されたためである。ダイヤ上余裕の無い山陽本線では支障が発生するため、それを回避する目的で本形式が誕生した。このため改造の重点は台車のみにとどめ、台車の枕バネを従来より柔らかいものに変更しレールへの追従性を良くした。種車であるセキ3000形の台車形式は2種類(TR41A、TR41C)あり、これをTR41Bに改造した。区別のためTR41Aより改造したものをTR41Bと呼びTR41Cから改造したものをTR41B 'とした。

改造は配置局単位で行われ、岡山鉄道管理局に続いて広島鉄道管理局、門司鉄道管理局と続いた。ダイヤ上では比較的余裕のあった北海道地区でも脱線事故多発により本形式への改造が実施されることになり、1970年(昭和45年)までに合計1,509両(セキ6000 - セキ7508)が国鉄工場にて改造された。予算の都合上セキ3000形の全車を改造することはかなわず、セキ3000形も併用された。北海道地区では、本形式とセキ3000形が入り乱れて運用されたため最高速度65 km/hが発揮できずに列車として55 km/hに制限され、せっかくの本形式の機能が生かされることはなかった(脱線事故防止上の効果はあった)。

積車時の最高速度は65 km/hとなったが(1969年(昭和44年)12月以前と同じ)、他の貨車(大半が75 km/h以上)より低速であったため記号番号標記は特殊標記符号「ロ」(最高速度65 km/h以下の貨車)を前置し「セキ」と標記した。またこれを示す黄色(黄1号)の帯が車体に巻かれ、北海道地区で運用される車両は黄色で「道外禁止」の表記がなされた。

種車の製造ロットによる多少の違いはあるが、全長は8,750 mm、全幅は2,720 mm、全高は3,365 mm、台車中心間距離は4,900 mm、実容積は36.3 m3、自重は15.0 t、換算両数は積車4.5/空車1.6であった。

1987年昭和62年)4月の国鉄分割民営化後は日本貨物鉄道(JR貨物)に536両が車籍を継承された。

1998年平成10年)度に最後まで在籍した車体が廃車になり形式消滅した。解体は浪速貨物駅にて行われた。

保存車[編集]

参考文献[編集]

  • 鉄道公報
  • 『日本の貨車-技術発達史-』(貨車技術発達史編纂委員会編著、社団法人 日本鉄道車輌工業会刊、2008年)
  • 吉岡心平『RM LIBRARY 151 無蓋ホッパ車のすべて(上)』(ネコ・パブリッシング、2012年)ISBN 978-4-7770-5322-3

関連項目[編集]