則松地区

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則松地区(のりまつちく)は、福岡県北九州市八幡西区の地名および地域名である。則松一丁目から七丁目までが設置されている。また東側には則松東一丁目・二丁目が設置されている。

地理[編集]

八幡西区の西部に位置し、北に折尾地区、東に陣原、穴生地区、南に永犬丸地区、西に水巻町に囲まれた地域である。かつての遠賀郡則松村だった地域の呼称であり、概ね則松小学校の校区といえる。地形としては、地域の東寄りを南東からカーブを描きながら北東に流れる二級河川金山川流域の平地から、東西に向かってに高台を成している。

地域の特徴[編集]

地域内に鉄道は通っていないため、駅を中心とした商店街の発達は見られない。東西に国道3号と、南北に県道281号下上津役折尾線が走っている。国道沿いには自動車販売店やホームセンターが古くから営業している。県道沿いには病院や理美容室、飲食店、コンビニエンスストアなど日常生活に必要な施設が並んでいる。県道281号と金山川の間の市道沿いは、1990年頃までは水田の広がる地域であったが、市道の拡幅に伴って商業施設が立ち並ぶようになった。

歴史[編集]

室町期には筑前国御牧(みまき)郡の名(みょう)として、すでに則松名が存在していた。江戸時代には則松村となっており、枝郷に氏田村があった。明治時代には正願給(現在の則松六丁目)に鉱泉浴場があり、浴客で賑わっていたという。[1]

沿革[編集]

  • 1878年(明治11年)11月1日 - 郡区町村編制法の福岡県での施行により、行政区画としての遠賀郡が発足。遠賀郡則松村となる。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、永犬丸村、則松村、本城村、折尾村、陣原村の5村が合併し、洞南(くきなみ)村が発足。洞南村大字則松となる。
  • 1904年(明治37年)7月1日 - 洞南村が改称し、折尾村が発足。折尾村大字則松となる。
  • 1918年(大正7年)12月15日 - 折尾村が町制施行し、折尾町が発足。折尾町大字則松となる。
  • 1944年(昭和19年)12月8日 - 折尾町が八幡市に編入。八幡市大字則松となる。
  • 1963年(昭和38年)2月1日 - 八幡市、戸畑市小倉市若松市門司市の5市が合併し、北九州市が発足。北九州市八幡区大字則松となる。
  • 1974年(昭和49年)4月1日 - 八幡区が八幡西区八幡東区に分かれ、北九州市八幡西区大字則松となる。

交通[編集]

教育施設[編集]

  • 則松保育園
  • 東筑保育園
  • 北九州市立則松小学校
  • 北九州市立則松中学校

公共施設[編集]

  • 日本郵政八幡則松郵便局
  • 北九州市立則松市民センター
  • 則松東公民館
  • 北九州市立折尾児童館

脚注[編集]

出典

  1. ^ "八幡市史.続編". 八幡市史編纂委員会

注釈