別れの一本杉
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「別れの一本杉」 | ||||
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春日八郎 の シングル | ||||
リリース | ||||
規格 | SPレコード | |||
ジャンル | 演歌 | |||
レーベル | キングレコード | |||
春日八郎 シングル 年表 | ||||
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「別れの一本杉」(わかれのいっぽんすぎ)は、1955年12月にリリースされた春日八郎のシングル。春日の代表曲のひとつである。
概要[編集]
作詞は高野公男、作曲は船村徹による。二人は大学在学中に知り合い、コンビを組んで活動していた。当時二人は新人でこれといったヒットに恵まれず苦しい時代を過ごしていた。そのような中でいくつかの曲をキングレコードの春日八郎のもとに売り込みにいき、その中で目に留められた曲がこの「別れの一本杉」であった。曲は、ビゼーの歌劇「カルメン」のハバネラのリズムをヒントに書かれたものである[1]。
この曲は当時50万枚のセールスを記録し、当時としては爆発的な人気となった。これにより、春日八郎の演歌歌手としての地位は確固たるものになり、また船村徹と高野公男の活動も本格化したが、この曲がヒットした矢先、作詞家の高野公男は結核に罹り、「別れの一本杉」が発表された翌1956年に26歳にて死去した。この高野の若すぎる死を悼み、彼の生涯とこの曲の情景をモチーフに同名のタイトルで翌1956年に松竹から映画化された。主演(高野公男役)は川喜多雄二が務めた。また春日八郎も劇中に歌手として出演している。春日はこの曲で1956年の第7回NHK紅白歌合戦、1969年の第20回NHK紅白歌合戦の紅白歌合戦に出場した。
収録曲[編集]
歌詞[編集]
一、
泣けた 泣けた
こらえきれずに 泣けたっけ
あの
山のかけすも 鳴いていた
一本杉の 石の地蔵さんのよ
村はずれ
二、
遠い 遠い
想い出しても 遠い空
必ず東京へ ついたなら
便りおくれと 云った
りんごのような 赤いほっぺたのよ
あの
三、
呼んで 呼んで
そっと月夜にゃ 呼んでみた
嫁にもゆかずに この俺の
帰りひたすら 待っている
あの
過ぎたろに
カバー[編集]
- 1971年8月25日、北島三郎がシングル発売(レコード番号:CW-1187)
- 1972年12月10日、ちあきなおみがアルバム『もうひとりの私』でカバーした。1982年のシングル『矢切の渡し』B面にも収録。
- 1999年12月8日、香西かおりがアルバム『綴織百景7 望郷』でカバーした。
- 2006年11月22日にキングレコードから、春日八郎、三橋美智也、大川栄策、北島三郎、藤圭子、美空ひばり、村田英雄、鳥羽一郎、船村徹、中村美津子、天童よしみ、原田悠里、大月みやこ、細川たかし、五木ひろし、西方裕之が歌った「別れの一本杉」を収録したアルバム『別れの一本杉は枯れず』が発売された(ギター演奏のみの斉藤功と木村好夫を含めて計18トラック)。また、2016年4月27日に再発売され、ボーナストラックとして福田こうへいによるライブ音源が追加された。これらの「別れの一本杉」のうち、シングルレコードとして発売されたのは春日と北島が歌唱したもののみである。
関連項目[編集]
- 高野公男…本項目にもこの作品への言及あり。
脚注[編集]
- ^ 公園通りで会いましょう (NHK総合テレビ2003年10月16日放送分)にて本人が語る。