内山永久寺

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内山永久寺(うちやまえいきゅうじ)は奈良県天理市杣之内町にかつて存在した寺院である。興福寺との関係が深く、かつては多くの伽藍を備え、大和国でも有数の大寺院であったが、廃仏毀釈の被害により明治時代初期に廃寺となった。寺跡は石上神宮の南方、山の辺の道沿いにあり、かつての浄土式庭園の跡である池が残る。

歴史[編集]

三方を山に囲まれていることから内山といい、院号を金剛乗院といった。本尊は阿弥陀如来[1]

『永久寺置文』(東京国立博物館蔵)、菅家本『諸寺縁起集』によれば、永久年間(1113年-1118年)に鳥羽天皇の勅願により興福寺大乗院第2世院主の頼実が創建し、第3世尋範に引き継がれて堂宇の整備が進められた。『大乗院寺社雑事記』康正3年(1457年)4月29日条では頼実と尋範の2人を本願としており、頼実の営んだ山荘が尋範に引き継がれたものとみられる。尋範は太政大臣藤原師実の子で、大乗院3世、興福寺別当を務めた。このため、当初より興福寺大乗院の末寺としての性格を備え、また本地垂迹説の流行と共に石上神宮神宮寺としての性格を備えるようにもなり、興福寺を支配していた2大院家の一方である大乗院の権威を背景として、室町期には絶大なる勢力を誇った[2]

『永久寺置文』によれば、保延2年(1136年)に真言堂、同3年に八角多宝塔が建立され、その他、吉祥堂、観音堂、常存院、御影堂、経蔵、鐘楼、温室(浴室)、四所明神社、玉賀喜社など多数の堂宇が存在した[3]

太平記』によると延元元年・建武3年(1336年)には後醍醐天皇が一時ここに身を隠したと伝えられ、「萱御所跡」という旧跡が残された[4]

天正13年(1585年)の時点で、56の坊・院が存在した[3]。近世の『大和名所図会』所収の境内図によれば、池を中心とした浄土式回遊庭園の周囲に、本堂、観音堂、八角多宝塔、大日堂、方丈、鎮守社などのほか、多くの院家、子院が建ち並んでいた[5]。文禄4年(1595年)、豊臣秀吉は当寺に971石の寺領を与え、近世を通じてこの寺領が維持された[3]。なお、近世には院家の上乗院が寺主となって興福寺の支配下から離れ、真言宗寺院となっている[4]大和国では東大寺興福寺法隆寺に次ぐ待遇を受ける大寺であり、その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、江戸時代には「西の日光」とも呼び習わされた。

明治に入って廃仏毀釈の嵐の中で寺領を没収され、経営基盤を奪われた当寺は廃寺となって僧侶は還俗し、石上神宮の神官となった。更に、壮麗を極めた堂宇や什宝はことごとく徹底した破壊と略取の対象となった。この際流出した仏像・仏画・経典等はいずれも製作当時の工芸技術の精華と言うべき優品揃いであったことが知られている。海外に流出した宝物の内、ベルリン民俗学博物館が購入した真然筆と伝えられる真言八祖像などは第二次世界大戦末期のベルリン市街戦で烏有に帰した。しかし、日本国内に残存した宝物の大半が、現在重要文化財・国宝指定を受けていることは、当寺の得ていた富がいかに巨大であったかを物語るものである。

現在では当寺の敷地の大半は農地となり、本堂池と萱御所跡の碑と松尾芭蕉の歌碑[6]が往時をしのぶだけである。

内山永久寺から流出した文化財[編集]

出雲建雄神社 割拝殿
  • 出雲建雄神社(いずもたけおじんじゃ)割拝殿(国宝) 奈良県天理市・石上神宮(いそのかみじんぐう)所有
    もと内山永久寺鎮守の住吉神社拝殿。廃仏毀釈の際に難を逃れたものを1914年現在地に移築。現在は石上神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿となっている[7]
  • 両部大経感得図(国宝)[8] 大阪市・藤田美術館
  • 木造持国天・多聞天立像(重要文化財)[8] 奈良市・ 東大寺蔵(奈良国立博物館寄託)
  • 木造四天王眷属立像(重要文化財)[4] 東京国立博物館静嘉堂文庫MOA美術館の3か所に分かれて所蔵。
    仏師康円(運慶の孫)作。四天王の眷属の彫像として稀有のもの。
  • 木造不動明王及び八大童子像(重要文化財) 東京都・世田谷山観音寺蔵[4]
    仏師康円作。新潟県の石油王・中野忠太郎の所蔵を経て現所有者へ移動。
  • 真言八祖行状図(重要文化財) 出光美術館
    内山永久寺真言堂の障子絵であったと考証されている。[9]
  • 愛染明王坐像(重要文化財) 東京国立博物館蔵
    木造彩色でガラス玉などによる装飾が付く本体、諸尊を描いた彩色画を備える厨子、共に鎌倉末期の造像当初のものを良好な状態で残している。[10]

アクセス[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『角川日本地名大辞典 奈良県』、p.207
  2. ^ 『日本歴史地名大系 奈良県の地名』、pp.701 - 702; 『角川日本地名大辞典 奈良県』、pp.207 - 208
  3. ^ a b c 『日本歴史地名大系 奈良県の地名』、pp.701 - 702
  4. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 奈良県』、p.208
  5. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』8号、朝日新聞社、1997、p.4 - 245
  6. ^ 芭蕉が20代の頃詠まれたとされる「内山やとざましらずの花ざかり」が刻まれる。
  7. ^ 『週刊朝日百科 日本の国宝』8号、朝日新聞社、1997、p.4 - 250
  8. ^ a b 『奈良県の歴史散歩 上 奈良北部』、p.217
  9. ^ 「新指定の重要文化財」『月刊文化財』、第一法規、2002、p.12
  10. ^ 愛染明王坐像 e国宝(2012年11月24日閲覧)

参考文献[編集]

  • 『日本歴史地名大系 奈良県の地名』、平凡社、1981
  • 『角川日本地名大辞典 奈良県』、角川書店
  • 奈良県高等学校教科等研究会歴史部会編『奈良県の歴史散歩 上 奈良北部』、山川出版社、2007
  • 藤沢彰「失われた大寺院・内山永久寺」『週刊朝日百科 日本の国宝』8号、朝日新聞社、1997、p.4 - 245

関連項目[編集]

座標: 北緯34度35分31秒 東経135度51分11.2秒