伊藤組土建

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伊藤組土建株式会社
Itogumi Construction Co., Ltd.
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
060-8554
北海道札幌市中央区北4条西4丁目1番地
設立 1893年明治26年)5月26日
業種 建設業
法人番号 8430001001830 ウィキデータを編集
事業内容 建設業・宅地建物取引業など
代表者 代表取締役社長:玉木勝美
資本金 10億円
売上高 379億3800万円
(2023年3月期)[1]
営業利益 6億9900万円
(2023年3月期)[1]
経常利益 7億2700万円
(2023年3月期)[1]
純利益 4億2100万円
(2023年3月期)[1]
総資産 255億2400万円
(2023年3月期)[1]
従業員数 308名(2012年4月)
関係する人物 伊藤義郎(名誉会長)
鈴木英一(副社長)
外部リンク 伊藤組土建株式会社
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伊藤組土建株式会社(いとうぐみどけん)は、北海道の建設会社である。

歴史[編集]

前身の伊藤組は新潟県から渡道した伊藤亀太郎により1893年(明治26年)に創業した。従業員数名の土工部屋からの出発であったが、1902年(明治35年)に札幌木材商組合の評議員となり、その後、鉄道指名業者となってからは戦前から戦中にかけて道内主要工事の多くを受注し、北海道を代表する企業として地崎工業と並ぶ「道内土建業の首領」とも呼ばれた。1944年(昭和19年)、初代の死去にともない伊藤豊次が社長に就任した。後に貴族院議員にも勅選された。戦後の東京進出に備えて中央政財界に太いパイプを築いた。1956年(昭和31年)3代目伊藤義郎は30歳で社長に就任し、2002年(平成14年)まで在任した。

技術的には北海道特有の厳しい気候に対応できる事が道内同業者と同じくする長所であるが、近年では官公庁関連の完全入札制、同等以上の技術力のあるゼネコン大手の直接進出にともない、受注に関してかつての様に「伊藤組さん」だからという楽観できない環境下にある。

1946年(昭和21年)、伊藤組土建株式会社に商号を変更した。折りしもの好景気にのって全国の大規模建設工事に参加し、海外にも進出を果たした。しかし、バブル景気の崩壊で関連会社など多額の負債を抱えた。伊藤義郎の決断により関連企業を整理統合し、地崎工業のような運命は辿らなかった。スポーツ事業にそれ程手を出さなかったことも幸いした。その後は「本業回帰」を標榜して着実に受注高を回復させている。

伊藤杯 宮の森ナイタージャンプ大会伊藤杯シーズンファイナル大倉山ナイタージャンプ大会などの「伊藤杯」の名称は日本スキー界の発展に貢献した伊藤義郎にちなむ。

北海道ゼロックステレビ北海道といった企業の設立にかかわった。

北海道リート投資法人のスポンサーの一社である[2]

沿革[編集]

歴代社長[編集]

事業所[編集]

  • 本社 〒060-8554札幌市中央区北4条西4丁目1
  • 営業所(北海道)
    • 道東営業所 〒080-0846 帯広市緑ヶ丘8丁目4
    • 苫小牧営業所 〒053-0015苫小牧市本幸町2丁目3-17 SR苫小牧ビル804号室
    • 函館営業所 〒040-0053 函館市末広町5番3号 ベイコート末広203号
    • 道北営業所 〒070-0031 旭川市1条通7丁目202 エンドレス17 B棟 4006
    • 千歳出張所〒066-0051 千歳市泉沢872-6
  • 東京支店 〒103-0006東京都中央区日本橋富沢町10-16 MY ARK日本橋ビル 6F 
  • 営業所(関東)
    • 埼玉営業所 〒364-0023 埼玉県北本市下石戸下497-11 冷泉ビル 2F
  • 東北支店 〒980-0802仙台市青葉区二日町2-15 二日町鹿島ビル

主な施工実績[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  • 『伊藤組百年史』(伊藤組創業100周年記念事業推進委員会編集・発行、1998年)

脚注[編集]

外部リンク[編集]