今澄勇
今澄 勇 いまずみ いさむ | |
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生年月日 | 1913年6月12日 |
没年月日 | 1997年11月17日(84歳没) |
出身校 | 山口高等商業学校(現・山口大学)卒業 |
所属政党 |
(日本社会党→) (右派社会党→) 民社党 |
称号 | 勲二等旭日重光章(1983年) |
選挙区 | 旧山口1区 |
当選回数 | 8回 |
在任期間 |
1947年4月25日 - 1960年6月24日 1963年11月21日- 1966年12月27日 1969年12月27日 - 1972年11月13日 |
今澄 勇(いまずみ いさむ、1913年(大正2年)6月12日[1] - 1997年(平成9年)11月17日)は、昭和期の日本の政治家・経済評論家。衆議院議員。
経歴[編集]
山口県出身。山口高等商業学校(現・山口大学)卒業。1945年11月2日、日本社会党が設立。結党に参加した。
1947年4月の第23回衆議院議員総選挙に山口1区(定数4)から社会党公認で立候補し、トップで初当選した[2]。
1951年の社会党の左右分裂では右派社会党に参加、1955年に両派は統一するも1959年に脱党し、1960年1月の民社党の結成に参加した。西尾末広委員長の下で党政策審議会長に就任。同年11月の衆院選に民社党公認で立候補するも落選。
1963年の衆院選で4番目の得票数で当選し、議席を取り戻す。この選挙で安倍晋太郎が次点で落選した。
1967年の衆院選で落選。同年、党政策審議会長を退任(後任は竹本孫一)。1969年の衆院選で通算8期目の当選を果たす。
1972年の衆院選に落選し、政界を引退。その後は経済評論家として活動し、1983年に勲二等旭日重光章を受章。
1997年11月17日、死去。
脚注[編集]
- ^ 『日本人事録 第6版』全国篇、121頁。
- ^ 今澄勇 衆議院議員 国会議員白書
参考文献[編集]
- 『日本人事録 第6版』全国篇、中央探偵社、1963年。