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二次元コンプレックス

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

源氏物語』の一場面を描いた絵の中の美人に一目惚れする尊良親王後醍醐天皇第一皇子)。軍記物語太平記』(1370年ごろ完成)を元にした絵本『新曲』(江戸時代前期)より。明星大学所蔵。

二次元コンプレックス(にじげんコンプレックス)とは、アニメ漫画ゲーム小説挿絵を含む絵画等に描かれた架空の存在に対してのみ、性的感情・恋愛感情を抱く状態を指す[1][2][3]二次コン(にじコン)と略される[4][5]

概要

「二次元コンプレックス」という術語は、1970年代後半のアニメブームの後に来た1980年代初頭のロリコンブームの際に、アニメ・マンガファンダム内部でアニメの少女に対して偏愛する行為に対して、一種のジャーゴンとして使われ始めた[6]。当初は「二次元ロリコン」「アニメ・ロリコン」とも呼ばれた[6]

オタクに対するネガティブなレッテルとして使われることも多かったが[4][5]、現実の人間に対して性的関心を持たない人が二次元コンプレックスを自称している事例もあった[注釈 1][7]。現在でも、フィクトセクシュアルの人が自分のセクシュアリティを説明するためのラベルとして使っている場合がある[8]

研究

オタクのセクシュアリティ

二次元コンプレックスは「オタクのセクシュアリティ」として扱われている[7]。二次元コンプレックスは主に男性のオタクに関するセクシュアリティとして論じられてきたが、想像上の性生活と日常における性生活の解離という特徴は、女性のオタクにも見られる[9]。二次元の女性キャラクターを現実の女性とは異なる「疑似女性」として捉えて愛好する女性もいる[10]

オルタナティブな性的指向

二次元キャラクターのみに性的魅力を感じることを「第三の性的指向」とみなす研究者もいる[11]。エリザベス・マイルズは日本での調査をもとに、「現在のアセクシュアル理論と同様、(……)二次元キャラクターへの欲望は、セックスとは何か、そして法的および社会的禁止が性的アクセスと完全な性的市民権の権利をどのように否定するのかを再考することを私たちに強いる」と論じている[12]

クィア理論家は、斎藤環の「多重見当識」概念を通して、二次元に対するオルタナティブな性的指向を説明している。斎藤のラカン理論に対しては、性別二元論を前提としているという批判や、生身の人間に性的に惹かれない人の存在を見落としているという批判がある[13]。しかし『戦闘美少女の精神分析』英訳者のキース・ヴィンセントによれば、「日常生活ではまったく「ノーマル」で平凡な性生活を維持しながら、豊かで倒錯的なファンタジー生活を営む」能力としての多重見当識は、イブ・セジウィックジュディス・バトラーの指摘と一致する点がある[14] 。これをもとに松浦優は「性的指向を現実での「指向」と二次元での「指向」に複数化させるものとして多重見当識(multiple orientation)を位置づけることができる」と論じている[15]

二次元コンプレックスの抹消

一方で、二次元コンプレックスの人々は、生身の人間との「正常」な性関係を築く能力が欠如しているとみなされることによって蔑視されることがある[16]。他方で、二次元キャラクターと生身(三次元)の人間との差異が重要でないとみなされることによって、実質的に存在を否定されることもある[17]

二次元コンプレックスを周縁化する規範は、対人性愛中心主義と呼ばれている。これはフィクトセクシュアルの人々の間で草の根的に使われるようになった概念であり、生身の人間に対して性的に惹かれることが規範的なセクシュアリティとされることを表す用語である[17]。対人性愛中心主義はアセクシュアルを周縁化する強制的性愛とも重なるものであり[17]、二次元コンプレックスもアセクシュアルと同じ仕方で周縁化されると指摘されている[3]

フィクトセクシュアルに関する質的調査からは、かれらが強制的性愛や対人性愛中心主義に対抗するオルタナティブな視点を提起していると指摘されている[15][17][18]。対人性愛中心主義は、強制的性愛だけでなく異性愛規範性別二元論とも結びついているため、対人性愛中心主義批判はフェミニストLGBTQとの連帯を志向している[19]

法的・倫理的論争における差別

二次元の未成年キャラクターを性的に描いた作品を「児童ポルノ」とみなす非難や、二次元の女性キャラクターを性的に描いた作品が現実の女性を性的対象化するという非難があるが、そのような非難は対人性愛中心主義を前提にしていると指摘されている[13][20][21]。対人性愛中心主義批判は、二次元の性的創作物を「児童ポルノ」や「女性の性的対象化」とみなす非難に反論しつつ[17][13][20]、同時にレイプカルチャーを批判するものでもある[17]

わいせつ規制の議論においても、「空想的表現物について現実の人の性器・性行為の公然化と同じ論理で「わいせつ」物として規制を行うことは、二次元の性的表現を無条件に現実の生身の身体の表象とみなし、二次元の性的表現が現実の人との性交欲を興奮又は刺激せしめるものと解釈することを意味」するため、二次元コンプレックスの存在を抹消することになると批判されている[22]

二次元コンプレックスの人々にとって、二次元の性的創作物の規制は、単に表現の自由の問題である以上に、性的アクセスやセクシュアル・ライツの問題だと指摘されている[23][20]

二次元コンプレックスを扱った作品

青木鷺水『御伽百物語』より「絵の婦人に契る」[24]

「二次コン」の名を冠する催事・団体

注釈

  1. ^ 『漫画ぶりっこ』1983年8月号に、「ぼくは二次元コンプレックスです。従って巻頭の写真あたりには特に何も感じません。」という読者投稿が掲載されている[7]

文献注

  1. ^ 窪田光純『同人用語辞典』秀和システム、2004年。 
  2. ^ Galbraith 2019, p. 59.
  3. ^ a b 松浦優 (2020). “アセクシュアル研究におけるセクシュアルノーマティヴィティ (Sexualnormativity) 概念の理論的意義と日本社会への適用可能性”. 西日本社会学会年報 18: 96. doi:10.32197/sswj.18.0_89. 
  4. ^ a b 山中智省 (2010). “「おたく」史を開拓する:一九八〇年代の「空白の六年間」をめぐって”. 横浜国大国語研究 28: 17. http://hdl.handle.net/10131/9589. 
  5. ^ a b Galbraith 2019, p. 54.
  6. ^ a b 「アニメ世界のロリータたち・もしくはアニメ少女キャラは如何にして二次元コンプレックスしたか」蛭児神建監修『ロリコン大全集』、群雄社出版発行・都市と生活社発売、1982年5月、PP68-69。ISBN 4-87617-035-5
  7. ^ a b c Galbraith, Patrick W. (2015). “Otaku Sexuality in Japan”. In McLelland, Mark; Mackie, Vera. Routledge Handbook of Sexuality Studies in East Asia. Routledge. p. 208 
  8. ^ 松浦優 2021, p. 125.
  9. ^ 斎藤環『博士の奇妙な思春期』日本評論社、2003年。 
  10. ^ 守如子『女はポルノを読む:女性の性欲とフェミニズム』青弓社、2010年、192頁。 
  11. ^ Miles 2020, pp. 271–273.
  12. ^ Miles 2020, pp. 274.
  13. ^ a b c 松浦優 (2022). “アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察”. ジェンダー研究 (25). doi:10.24567/0002000551. 
  14. ^ Vincent, Keith (2011). “Translatorʼs Introduction, Making It Real: Fiction, Desire, and the Queerness of the Beautiful Fighting Girl”. In Saito, Tamaki. Beautiful fighting girl. University of Minnesota Press. pp. xix-xxi. https://www.academia.edu/3682539 
  15. ^ a b 松浦優 2021, p. 132.
  16. ^ Galbraith 2019, pp. 58–59.
  17. ^ a b c d e f 松浦優 (2021). “日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」”. 現代の社会病理 (36). doi:10.50885/shabyo.36.0_67. 
  18. ^ 廖希文 (2023). “紙性戀處境及其悖論: 情動、想像與賦生關係”. 動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來 (研討會論文). https://vocus.cc/article/644f4f46fd897800017c0c01. 
  19. ^ 松浦優 (2023年). “フィクトセクシュアルから考えるジェンダー/セクシュアリティの政治”. 2023年12月6日閲覧。
  20. ^ a b c 松浦優 (2023). “グローバルなリスク社会における倫理的普遍化による抹消――二次元の創作物を「児童ポルノ」とみなす非難における対人性愛中心主義を事例に”. 社会分析 (50). https://researchmap.jp/mtwrmtwr/published_papers/41326940. 
  21. ^ Liao, SH (2023年). “Fictosexual Manifesto: Their Position, Political Possibility, and Critical Resistance”. Rhizome|球根. NTU-OtaStudy (臺大宅研). 2023年12月6日閲覧。
  22. ^ 上田正基 (2023). “わいせつ規制をめぐる諸課題”. 刑事法ジャーナル 75: 14. 
  23. ^ Miles 2020, pp. 274–175.
  24. ^ 湯本豪一 『図説 江戸東京怪異百物語』 河出書房新社、2007年、76頁。ISBN 978-4-309-76096-4
  25. ^ ルーマニアのオタク現象!?-在ルーマニア日本大使館、2012年6月14日閲覧。
  26. ^ アニメ制作プロジェクト・ブカレスト大学-世界の日本語教育の現場から(国際交流基金),2012年6月14日閲覧。
  27. ^ NIJIKON-facebook(ルーマニア語),2012年6月14日閲覧。

参考文献

  • Galbraith, Patrick W. (2019). Otaku and the Struggle for Imagination in Japan. Durham: Duke University Press. doi:10.2307/j.ctv1220mhm. ISBN 978-1-4780-0509-4. JSTOR j.ctv1220mhm 
  • 松浦優 (2021). “二次元の性的表現による「現実性愛」の相対化の可能性――現実の他者へ性的に惹かれない「オタク」「腐女子」の語りを事例として”. 新社会学研究 (新曜社) (5): 116-136. 
  • Miles, Elizabeth (2020). “Porn as Practice, Porn as Access: Pornography Consumption and a ʻThird Sexual Orientationʼ in Japan”. Porn Studies 7 (3): 269–278. doi:10.1080/23268743.2020.1726205. 

関連項目