中東の現代の紛争一覧
中東 | |
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国々 (2013) | バーレーン、キプロス、エジプト、イラン、イラク (イラク領クルディスタン)、 イスラエル、ヨルダン、クウェート、レバノン、北キプロス*、オマーン、パレスチナ*、カタール、サウジアラビア、シリア (ロジャヴァ)、トルコ、アラブ首長国連邦、イエメン |
これは中東の現代の紛争一覧 であり、中東として知られている地理的および政治的地域の国で起きた紛争を掲載している。「中東」は伝統的に肥沃な三日月地帯(メソポタミア)、レバント、ナイル川デルタ、アラビア半島、アナトリア半島、イランの近隣地域と定義されている。現在中東地域は西はエジプト、トルコ、キプロス、東はイランとペルシャ湾[1]、北はトルコとイラン、南はイエメン、オマーンに至る。
- 紛争は、少なくとも100人の死者を出した別個の事件であり、副次的紛争を含む総死亡者数が記載されている
- 「現代」という用語はオスマン帝国時代以降(1918年以降)を示している。
紛争一覧
[編集]年 | 紛争 | 場所 | 犠牲者 |
---|---|---|---|
1902–1932 | サウジアラビアの統一[a] | ナジュド及びハッサ王国 ヒジャーズ王国 |
8,000–9,000 |
1914–1918 | 中東戦域 (第一次世界大戦) |
ガージャール朝 Sultanate of Egypt |
2,825,000[2][3][4]–5,000,000[5] (民間人を含むオスマン帝国の死亡者数)
1,000,000–1,500,000 [要出典] (連合軍の死亡、負傷、捕虜または失踪) |
1918–1922 | シムコ・シカクの反乱[6] | ガージャール朝 | 1,000–5,500 |
1919 | エジプト革命 (1919年)[7] |
エジプト王国 | 3,000 |
1919–1923 | トルコ革命 [b] | オスマン帝国 |
170,500–873,000 |
1919–2003 | イラク・クルド紛争 [c] |
|
139,000–320,000人死亡 |
1920 | フランス・シリア戦争 | シリア・アラブ王国 |
5,000 |
1920 | イギリスに対するイラクの反乱[8][9] | イギリス委任統治領メソポタミア | 2,050–9,000 |
1921–1948[l] | 委任統治領パレスチナでの宗派紛争 | イギリス委任統治領パレスチナ | 7,813 |
1923 | Adwanの反乱 | トランスヨルダン | 100 |
1924–1927 | シリア大反乱 (ドゥルーズ戦争)[10] | 大レバノン |
8,000–12,000 |
1925 | シェイフ・サイードの反乱 | トルコ | 15,000–250,500 |
1930 | アララトの反乱[11][12][13][14][15] | トルコ |
4,500–47,000 |
1933 | Simele虐殺[16] | イラク王国 | 3,000 |
1934 | サウジ・イエメン戦争[17] | サウジアラビア |
2,100 |
1935 | イマーム・レザー廟の反乱[18] | イラン | 151 |
1935–1936 | 1935–36年イラクシーア派の反乱 | イラク王国 | 500 |
1935 | 1935年ヤジディの反乱 | イラク王国 | 200 |
1937 | デルスィム反乱[19][20] | トルコ | 40,000–70,000 |
1939–1945 | 第二次世界大戦 (アングロ・イラク戦争、シリア・レバノン戦役及びイギリスとソビエト連邦によるイラン侵攻(イラン進駐)を含む) | イラク王国 イラン |
≈16,000 |
1946 | エジプトの学生暴動[21][22] | エジプト | 100–300 |
1946 | 1946年イラン危機[e][23][e] | イラン |
2,000 |
1948– | 中東戦争[f] | エジプト 全パレスチナ政府 |
73,000–84,000 |
1948 | Alwaziriのクーデター事件 (イマーム・ヤフヤー王の暗殺) | イエメン王国 | 4,000–5,000 |
1948 | Al-Wathbahの蜂起 | イラク王国 | 300–400 |
1952 | 1952年エジプト革命 | エジプト | 1,000 |
1953 | 1953年イラン・クーデター[24] | イラン | 300–800 |
1954–1960 | ジェベル ・アフダル戦争 | マスカット・オマーン・スルタン | 100–523 |
1955–1963 | キプロスの共同体間の暴力[25] | キプロス | 400–600 |
1956–1960 | イエメンとアデンでの宗派間暴力 | アデン | 1,000 |
1958 | 1958年レバノン危機 | レバノン | 1,300–4,000 |
1958 | 7月14日革命 | アラブ連邦 | 100 |
1959 | 1959年モスルでの反乱 | イラク共和国 | 2,000–4,000 |
1962–1970 | 北イエメン内戦[26][g] | 北イエメン |
100,000–200,000 |
1962–1975 | ドファール反乱 | オマーン | 10,000 |
1963 | 1963年イラン暴動 | イラン | 100 |
1963 | ラマダーン革命[27] | イラク | 1,000 |
1963 | 3月8日革命[28] | アラブ連合共和国 |
820 |
1963–1967 | アデン危機[29] | 南アラビア連邦 |
2,096 |
1963 | 1963年11月イラククーデター | イラク | 250 |
1964 | 1964ハマー暴動[30][31] | シリア | 70–100 |
1966 | 1966年シリアクーデター | シリア | 400 |
1969 | Al-Wadiah戦争 | サウジアラビア |
35 |
1970–1971 | ヨルダン内戦 | ヨルダン | 2,000–25,000 |
1974 | トルコのキプロス侵攻[32] | キプロス | 1,500–5,000 |
1975–1990 | レバノン内戦[33][h] | レバノン | 150,000 |
1976–1979 | 1970年代のトルコでの政治的暴力[34][35][36] | トルコ | 5,000–5,388 |
1978- | クルド・トルコ紛争(1978-現在)[37] | トルコ イラク領クルディスタン |
30,000–100,000 |
1979 | イラン革命[38][39] | イラン | 3,164–60,000 |
1979–1980 | イラン革命後の国の安定化 [i] | イラン | 10,171 |
1979–1983 | サウジアラビア東部の蜂起[40] | サウジアラビア | 182–219 |
1979 | アル=ハラム・モスク占拠事件[41] | サウジアラビア | 307 |
1979-1982 | シリアでのイスラム主義者の反乱 | シリア | 40,000+ |
1980 | 9月12日クーデター[42][43] | トルコ | 127–550 |
1980 | サドルの蜂起 | イラク | 1,000–30,000 |
1980–1988 | イラン・イラク戦争[44][j] | イラン |
1,000,000–1,250,000 |
1986 | 南イエメン内戦[45] | 南イエメン | 5,000–12,000 |
1986 | 1986年エジプト中央治安部隊暴動[46] | エジプト | 107 |
1986 | 1986年ダマスカス爆破テロ[47] | シリア | 204 |
1987 | イラン巡礼者暴動 (メッカ虐殺)[48] | サウジアラビア | 402 |
1987–1988 | アブ・ニダル機関の処刑 | レバノン |
170 |
1989–1996 | イラン・クルド民主党の反乱 (1989–96) | イラン | 168-503 |
1990–1991 | 湾岸戦争 | イラク |
40,000–57,000 |
1991 | 1991年イラクでの反乱 [49][50] | イラク | 50,000–100,000 |
1994 | イエメン内戦 |
イエメン | 7,000–10,000 |
1995– | サウジアラビアでのイスラム反乱 | サウジアラビア | 300 |
1998 | 砂漠の狐作戦 (イラク飛行禁止地帯) | イラク | 2,000 |
1999 | 1999年イラクでのシーア派反乱[51] | イラク | 100–200 |
2003–2011 | イラク戦争[52][53][54][55][56][57][k] | バアス党政権 |
109,032–650,726 See also: Casualties of the Iraq War |
2004 | カーミシュリー虐殺 (2004)[58][59] | シリア | 30–100 |
2004–2014 | イエメンでのシーア派反乱[60][61][62] | サウジアラビア | 8,500–25,000 |
2004–2015 | イラン・PJAK紛争[63] | イラン イラク領クルディスタン |
588–747 |
2006– | ファタハ・ハマス紛争[64][65] | パレスチナ自治政府 |
600+ |
2006– | イラン・イスラエル代理戦争 | レバノン | ~2000 |
2007 | ナハル・アル=バーリド戦闘 | レバノン | 480 |
2008 | 2008年レバノン紛争 | レバノン | 105 |
2009–2015 | 南イエメン暴動[66] | イエメン | 2,100+ |
2009–2010 | イラン選挙抗議[67] | イラン | 72–150 |
2010–2015 | イエメンのアルカイダ取り締まり[68][69] | イエメン | 3,000+ |
2011 | 2011年バーレーン騒乱 | バーレーン |
100+ |
2011-2014 | エジプト危機 (2011–2014年)[m] | エジプト | 5,540+ |
2011– | イエメン危機 (2011–現在) | イエメン | 9,000+ |
2011– | シリア内戦[n] | シリア | 250,000-470,000+ |
2011– | レバノンに波及したシリア内戦 | レバノン | ~800 |
2011– | イラン・サウジアラビア代理紛争 | サウジアラビア | |
2014- | イラク内戦[n] | イラク | 73,361+ |
2015- | イエメン内戦 |
イエメン |
10,000+ |
2016– | 2016年西イラン衝突 | イラン イラク領クルディスタン |
74-156 |
15–16 July 2016 | 2016年トルコクーデター未遂事件 |
トルコ | 270-350 |
2023– | 2023年パレスチナ・イスラエル戦争 | イスラエル | 25,000+ |
死者数の内訳
[編集][a].^サウジアラビアの統一 (合計死者数 7,989–8,989+)
- リヤドの戦い (1902) – 37人死亡
- ディラムの戦い (1903) – 410人死亡
- Saudi–Rashidi War (1903–1907) – 2,300+人死亡
- アハサーとカティーフの合併 (1913) – 不明
- Jarrabの戦い (1915) – 不明
- Kanzaanの戦い (1915) – 不明
- 第一次ナジュド・ヒジャーズ戦争 1918–1919 – 1,392人死亡
- クウェート・ナジュド国境戦争 (1921) – 200[70]–800人死亡
- 1921 イフワーンのイラク襲撃 – 700人死亡
- ハーイル征服 – 不明
- イフワーンのトランスヨルダン襲撃 1922–1924 – 500[71]-1,500人死亡
- 第二次ナジュド・ヒジャーズ戦争 (1924–1925) – 450人死亡
- イフワーンの反乱 (1927–1930) – 2,000人死亡
[b].^トルコ革命 (合計死者数 170,500–873,000+):
- 希土戦争 – 70,000[要出典]–400,000 casualties[要検証 ]
- トルコ・フランス戦争 – 40,000 casualties.[要出典]
- トルコ・アルメニア戦争 – 60,000–432,500 casualties.[72]
- Koçkiri反乱 – 500人死亡[要出典]
- Ahmet Anzavurの反乱 – 不明
- Kuva-i Inzibatiye反乱– 不明
[c].^イラク・クルド紛争 (合計死者数 138,800-320,100) :
- Mahmud Barzanjiの反乱 – 不明
- Ahmad Barzanjiの反乱 (1931) – 不明
- 1943 イラク・クルドの反乱 (1943) – 不明
- 第一次クルド・イラク戦争 (1961–1970) – 75,000–105,000人死亡[73]
- 第二次クルド・イラク戦争 (1974–1975) – 9,000人死亡[74]
- PUK反乱 (1976–1978) – 800人死亡
- イラン・クルド反乱 (1982–1988) – 50,000–198,000人死亡
- 1991 スレイマニヤ県での蜂起 – 700–2,000人死亡
- イラク・クルド内戦 (1994–1997) – 3,000[75]–5,000人死亡
- 2003年イラク侵攻 – クルド戦線で数百人(~300人)が死亡、 少なくとも24人のペシュメルガが死亡
[d].^第二次世界大戦 (合計死者数 12,338-14,898+) :
- アングロ・イラク戦争 – 少なくとも560人が死亡[76][77]
- Farhud(ポグロム) 175–780人死亡
- シリア・レバノン戦役 10,404–12,964人死亡
- イラン進駐 (1941年) 100 – 1,062人死亡
- 第二次世界大戦でのパレスチナ爆撃 137人死亡[78]
- 第二次世界大戦でのバーレーン爆撃 – 不明
- アゼルバイジャン民主共和国危機 – 421人死亡[79]
- マハバード共和国危機 – ~1,000人死亡[要出典]
- Civil interregnum – 500人死亡[80]
[f].^中東戦争 (合計死者数 76,338–87,338+):
- イスラエル・パレスチナ紛争 (1948–現在) – 23,000人死亡
- フェダイーン反乱と報復作戦 (1950年代) – 3,456 casualties
- 南レバノンでのパレスチナ人の反乱 - 2,600-20,000人死亡
- 第1次インティファーダ – 2,000人死亡
- 第2次インティファーダ – 7,000人死亡
- ガザ・イスラエル紛争 – 3,500+ 死亡
- 第一次中東戦争 (1948–1949) – 14,400 casualties.
- 第二次中東戦争 (1956) – 3,203人死亡
- 第三次中東戦争 (1967) – 13,976人死亡
- 消耗戦争 (1967–1970) – 6,403人死亡
- 第四次中東戦争 (1973) 10,000–21,000人死亡[81]
- 第二次レバノン戦争 – 1,900人死亡
[g].^北イエメン内戦 (合計死者数 100,000–200,000):
[h].^レバノン内戦 (合計死者数 39,132–43,970+):
- アイン・ルンマーネ事件 – 27人死亡
- 百日戦争 – 160人死亡
- Karantinaの虐殺 – 1,000–1,500人死亡
- Damourの虐殺 – 684人死亡
- ホテル戦争 – 700人死亡
- ブラック・サタデー (レバノン) – 200–600人死亡
- タル・ザータルの虐殺 – 1,778–3,278人死亡
- 1982年レバノン戦争 – 28,280人死亡
- サブラー・シャティーラ事件 – 762–3,500人死亡
- キャンプ戦争 (1986–1987) – 3,781人死亡
- 山岳戦争 – 1,600人死亡
- 解放戦争 (1989–1990) – 不明
- 10月13日の虐殺 – 500–700人死亡、民間人260人が虐殺
[i].^イラン革命後の国の安定化 (合計死者数 12,000):
- 1979 イランでのクルドの反乱 – 10,171+人死亡・処刑[82][83]
- 1979 フーゼスターンの反乱 – 112+人死亡
- 1979 ホラーサーンの反乱 – 不明
- 1979 Azeri反乱 – 不明
- 1979 バローチスターンの反乱 – 50人死亡
- イランアメリカ大使館人質事件 – 9人死亡
- 1979–1980 テヘラン衝突 – 不明
[j].^イラン・イラク戦争(合計死者数 645,000–823,000+):
- イラク侵攻 1980
- モジャーヘディーネ・ハルグの反乱 1981–1982
- ホッラムシャフル解放戦 1982 – 17,000人死亡
- ファトホル=モビーン作戦 1982 – 50,000人死亡
- ラマダン作戦 1982 – 80,000人死亡
- クルド反乱 1983–1988 (アンファール作戦を含む) 50,000–198,000人死亡
- ヴァル・ファジュル作戦 1983 – 6,000+人死亡
- 第3次ヴァル・ファジュル作戦 – 162,000人死亡
- 第5次ヴァル・ファジュル作戦 1984 – 50,000人死亡
- 第6次ヴァル・ファジュル作戦 1984 – 不明
- ヘイバル作戦 1984 – 49,000人死亡
- タンカー戦争 1984
- バドル作戦 – 30,000–32,000人死亡
- War of the Cities 1985–1987
- 第8次ヴァル・ファジュル作戦 1986 – 不明
- カルバラ第4号作戦 1986 – 15,000人死亡
- カルバラ第5号作戦 – 85,000人死亡
- ナスル第4号作戦 – 不明
- カルバラ第10号作戦 – 不明
- メルサド作戦 (1987年) – 4,900人死亡
- 1988 イランの政治犯2000人の処刑[84]– 30,000人が処刑
- 2003年イラク戦争 – 35,000人死亡
- イラク反乱 (2003–06) – 15,000人死亡
- イラク内戦 2006–2008 – 30,000–40,000人死亡
- イラク反乱 (2008–2011) – 5,000–10,000人死亡
- アメリカ軍イラク撤退 – ≈1,000人死亡
- イラク反乱 (アメリカ軍撤退後) - 54,000+人死亡
- イラク内戦 (2014–現在) - 53,361-72,056人死亡
[l].^委任統治領パレスチナでの宗派紛争 (合計死者数 7,813)
- 1921 ヤッファ暴動 - 95人死亡
- 嘆きの壁事件 – 251人死亡[85][86]
- 1933 パレスチナ暴動 – 20人死亡[87]
- パレスチナ独立戦争 – 5,000人死亡[88]
- パレスチナでのユダヤ人反乱 (1944–47) – イギリス人338人[89]と約100人のパレスチナのユダヤ人が死亡
- 1947–48 委任統治領パレスチナでの内戦 – 1948年4月1日までに2,009人が死亡[90]
[m].^エジプト危機 (合計死者数 5,000+)
- エジプト革命 (2011年) - 846人死亡
- シナイ暴動 - 2,800+人死亡
[n].^シリア内戦 (合計死者数 270-450,000)
- シリア内戦の市民暴動段階 -
- シリア内戦の初期の反乱段階 -
- シリア内戦中の反政府間の紛争 - 5,641-6,991人死亡
[o].^イラン・イスラエル代理紛争 (合計死者数 ~2,000)
- レバノン侵攻 (2006年) - 1641人死亡
関連リンク
[編集]注釈
[編集]- ^ Albert Hourani et al., The Modern Middle East: A Reader. 1993: p. 2.
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- ^ "The purpose of this chapter is not to debate the extent of Assyrian civilian deaths at Summayl; the Assyrians claim 3000, while the British cite the figure as no greater than 300." [2]
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