戦闘の死傷者数一覧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

以下は世界史での戦闘の死傷者数一覧である。この一覧には包囲戦 (厳密には戦闘ではないが、大抵は同様に戦闘関連死が発生する)と戦闘中の民間人の死傷者も含んでいる。大規模戦闘での死傷者数を正確に計測することは不可能に近いためこれらの数値の大半は推定であり、可能な場合推定の範囲を提示している。死傷者数は全ての種類(死亡、負傷失踪及び罹患)の数値の合計数であるが、一部は死亡者数のみの数値を掲載している。また、可能な限り数値に捕虜の数を含めているかどうかを明示している。本リストには空爆(真珠湾攻撃や東京大空襲など)または大量の犠牲者が出ている可能性がある南京大虐殺などの虐殺は通常は「戦闘」としては分類されない(大抵は一方的な交戦または正式に交戦状態になっていない存在を国家が攻撃している) ため含まれていない。

包囲戦と市街戦[編集]

このリストには少なくとも5万人の死傷者が出ている包囲戦と市街地が主な戦場となっている現代の戦闘を掲載している。市街戦を含む主要軍事作戦は「主な作戦」項目を参照

この一覧は未完成です。加筆、訂正して下さる協力者を求めています
包囲 紛争 死傷者数
(高い推定)
死傷者数
(低い推定)
エルサレム攻囲戦 (70年) ユダヤ戦争 70,000[1] 60,000 70
コンスタンティノープル包囲戦 アラブ・東ローマ戦争 170,000 130,000[2] 717–18
テノチティトラン包囲戦 スペインのアステカ帝国征服 240,000 100,000[3][4] 1521
ロドス島包囲戦 オスマン帝国のヨーロッパでの戦争 55,200[5] 55,200 1522
オーステンデ包囲戦 八十年戦争 115,000 90,000 1601–04
第二次サラゴサ包囲戦 半島戦争 64,000[6] 64,000 1808–09
天京攻防戦 太平天国の乱 100,000[7] 100,000 1863
ピーターズバーグ包囲戦 南北戦争 70,000[8] 70,000 1864–65
ゲティスバーグの戦い 南北戦争 50,000 50,000 1863
旅順攻囲戦 日露戦争 100,000[9] 100,000 1904–05
アドリアノープル包囲戦 第一次バルカン戦争 93,282[10] 93,282 1912–13
ヴェルダンの戦い 第一次世界大戦 976,000 714,231 1916
第一次ソンムの戦い 第一次世界大戦 1,120,000 1,120,000 1916
太原作戦 日中戦争 130,000[11] 130,000 1937
忻口鎮の戦い 日中戦争 200,000[12] 200,000 1937
上海戦 日中戦争 400,000[13] 400,000 1937
武漢作戦 日中戦争 540,000[14] 540,000 1938
第一次長沙会戦 日中戦争 80,000+ 80,000+[15] 1939
南昌の戦い 日中戦争 75,328[16] 75,328 1939
オデッサの戦い 第二次世界大戦 133,813[17] 133,813 1941
中原会戦 日中戦争 120,000+ 120,000+[18] 1941
第三次長沙会戦 日中戦争 84,862[19] 84,862 1942
スターリングラード攻防戦 第二次世界大戦 1,798,619[20] 1,250,000[21] 1942–43
常徳殲滅作戦 日中戦争 100,000 100,000[22] 1943
江南殲滅作戦 日中戦争 115,830 115,830[23] 1943
レニングラード包囲戦 第二次世界大戦 4,500,000[24] 1,117,000[25][26] 1941–44
ワルシャワ蜂起 第二次世界大戦 200,000+ 200,000+[27] 1944
ブダペスト包囲戦 第二次世界大戦 422,000 422,000[28] 1944–45
ベルリンの戦い 第二次世界大戦 1,298,745[29] 1,298,745[30] 1945
沖縄戦 第二次世界大戦 82,000[31] 82,000[31] 1945
長春包囲戦 国共内戦 425,000 425,000[32] 1948[33]
キエフの戦い 第二次世界大戦 700,544[17] 700,544 1941
マニラの戦い (1945年) 第二次世界大戦 500,000[34][35] 100,000[36][37] 1945
サラエヴォ包囲 ボスニア紛争 62,000 62,000[38][39] 1992–96
ダンケルクの戦い 第二次世界大戦 88,000[40] 88,000 1940

主な作戦[編集]

このリストは主要な作戦と長期化した戦闘または幅広い地域もしくは長期間に渡って戦闘が行われた作戦が掲載されている。モスクワの戦いなど一部の作戦の期間は論争になっており、そのため様々な情報源で数字が異なる可能性がある。

作戦 紛争 死傷者
六日間の戦役 第六次対仏大同盟 0,080,000 80,000[41] #1814
半島方面作戦 南北戦争 0,036,463 36,463[42] #1862
チャンセラーズヴィルの戦い 南北戦争 0,030,000 30,000[43]–30,500[44] #1863
オーバーランド方面作戦 南北戦争 0,087,000 87,000[45]–92,000[6] #1864
アポマトックス方面作戦 南北戦争 0,016,500 16,500[8] #1865
奉天会戦 日露戦争 0,160,000 160,000[46] #1905
Lule Burgasの戦い 第一次バルカン戦争 0,042,162 42,162+[47] #1912
第一次Çatalcaの戦い 第一次バルカン戦争 0,022,000 22,000[48] #1912
Bregalnicaの戦い 第二次バルカン戦争 0,036,620 36,620[10] #1913
ベルギーのレイプ(The Rape of Belgium) 第一次世界大戦 0,032,000 32,000[49] #1914
タンネンベルクの戦い 第一次世界大戦 0,145,000 145,000[50]–160,000[51] #1914
第一次マルヌ会戦 第一次世界大戦 0,513,000 513,000[52] #1914
第一次イーペルの戦い 第一次世界大戦 0,210,000 210,000[53] #1914
ウッチの戦い 第一次世界大戦 0,130,000 130,000[54] #1914
第二次イーペルの戦い 第一次世界大戦 0,104,208 104,208[55]–107,000[56] #1915
ガリポリの戦い 第一次世界大戦 0,503,000 503,000[55]–552,000[57] #1915
第二次アルトワの戦い 第一次世界大戦 0,186,000 186,000[55] #1915
第二次シャンパーニュの戦い–第三次アルトワの戦い 第一次世界大戦 0,075,000 75,000[56]–440,000[55] #1915
ゴルリッツ=タルヌフ攻勢 第一次世界大戦 0,300,000 300,000[55] #1915
セルビア戦線 (1915) 第一次世界大戦 0,331,000 331,000(捕虜を含む)[58] #1915
ヴェルダンの戦い 第一次世界大戦 0,755,000 755,000[59]–976,000[55] #1916
アジアーゴの戦い 第一次世界大戦 0,250,000 250,000[55] #1916
ブルシーロフ攻勢 第一次世界大戦 1,600,000 1,600,000[55] #1916
ソンムの戦い 第一次世界大戦 1,120,000 1,120,000[60]–1,215,000[55] #1916
マナストゥル(Monastir)攻勢 第一次世界大戦 0,111,000 111,000[61] #1916
ルーマニア戦線 第一次世界大戦 0,240,000 240,000[55][疑問点 ] #1916–1917
ニヴェル攻勢 第一次世界大戦 0,354,000 354,000[62] #1917
Messinesの戦い 第一次世界大戦 0,042,000 42,000[63][64] #1917
第十次イゾンツォの戦い 第一次世界大戦 0,200,000 200,000[65] #1917
パッシェンデールの戦い (第三次イーペル会戦) 第一次世界大戦 585,000以上[66] #1917
カポレットの戦い 第一次世界大戦 0,060,000 60,000[67] #1917
カンブレーの戦い 第一次世界大戦 0,095,000 95,000[67] #1917
1918年春季攻勢 第一次世界大戦 0,900,000 900,000[68] #1918
第二次マルヌ会戦 第一次世界大戦 0,288,000 288,000[68] #1918
ワルシャワの戦い ポーランド・ソビエト戦争 約130,000(捕虜は含まれない)[69] #1920
満州侵攻 日中戦争 0,035,000 35,000[70] #1931
グアダラハラの戦い スペイン内戦 0,012,000 12,000[71] #1937
テルエルの戦い スペイン内戦 0,110,000 110,000(捕虜を含む)[72] #1937–38
エブロ川の戦い スペイン内戦 0,106,500 106,500[72] #1938
徐州会戦 日中戦争 0,130,000 130,000[73] #1938
黄河決壊事件 日中戦争 0,800,000 800,000[74] #1938
ノモンハン事件 (カルキンゴルの戦い) ノモンハン事件 0,042,000 42,000[75] #1939
ポーランド侵攻 第二次世界大戦 0,310,000 310,000[76] #1939
襄東会戦 日中戦争 0,049,000 49,000[77] #1939
冬戦争 第二次世界大戦 0,152,000 152,000[76]–225,000[78] #1939–40
冬季攻勢 (1939-1940年) 日中戦争 0,100,000 100,000+[79] #1939–1940
ヴェーザー演習作戦 第二次世界大戦 0,012,800 12,800[76] #1940
フランスの戦い 第二次世界大戦 0,469,000 469,000[80] #1940
百団大戦 日中戦争 0,062,900 62,900[81] #1940
ギリシャ・イタリア戦争 第二次世界大戦 0,100,000 100,000死亡[82] #1940–41
ケレンの戦い 第二次世界大戦 0,100,000 34,000(12,600人以上の死亡者を含む) #1941
ギリシャの戦い 第二次世界大戦 0,046,295 46,295人死亡[83] #1941
錦江作戦 日中戦争 0,042,000 42,000[84] #1941
クレタ島の戦い 第二次世界大戦 0,016,007 16,007人死亡[85] #1941
バルバロッサ作戦 第二次世界大戦 1,800,000 1,400,000[86]–5,000,000[87] #1941
モスクワの戦い 第二次世界大戦 1,000,000 1,000,000[86] #1941
香港の戦い 第二次世界大戦 0,018,000 18,000(捕虜を含む)[88] #1941
マレー作戦/シンガポールの戦い 第二次世界大戦 0,143,800 143,800と捕虜60,000[89] #1941–42
バターン半島の戦い/コレヒドール島の戦い 第二次世界大戦 0,030,000 30,000人死亡[90] #1942
Kerch半島の戦い 第二次世界大戦 176,000以上[91] #1942
第二次ハリコフ攻防戦 第二次世界大戦 0,300,000 300,000[91] #1942
浙贛作戦 日中戦争 0,356,000 356,000[92] #1942
ガザラの戦い 第二次世界大戦 0,148,000 148,000[93] #1942
ガダルカナル島の戦い 第二次世界大戦 0,031,100 29,100[94]–31,100[95] #1942–43
第二次エル・アラメイン会戦 第二次世界大戦 0,039,400 39,400[93]–82,500[96] #1942
イスクラ作戦 第二次世界大戦 0,129,332 129,332[97] #1943
クルスクの戦い 第二次世界大戦 0,257,125 257,125[98]–388,000[99] #1943
ドニエプル川の戦い 第二次世界大戦 1,582,000 1,582,000 (最も低い推定) – 2,480,000 (最も高い推定) #1943
ハスキー作戦 第二次世界大戦 0,036,000 少なくとも36,000人が死亡、イタリアの捕虜10万人以上[100] #1943
連合軍のイタリア侵攻 (アヴァランチ作戦) 第二次世界大戦 0,017,092 17,092人死亡[101] #1943
ブーゲンビル島の戦い 第二次世界大戦 0,021,929 21,929人死亡、日本人捕虜23,571人[102] #1943–45
モンテ・カッシーノの戦い 第二次世界大戦 0,185,000 185,000[103] #1944
ナルヴァの戦い (1944年) 第二次世界大戦 0,550,000 550,000人(あらゆる原因)[104] #1944
シングル作戦 (屋根裏作戦) 第二次世界大戦 0,052,200 52,200人死亡[105] #1944
大陸打通作戦 (一号作戦) 日中戦争 1,300,000 1,300,000+[106] #1944
ノルマンディー上陸 (D-デイ) 第二次世界大戦 0,014,000 14,000–19,000[107] #1944
第一次ヤッシー=キシニョフ攻防戦 第二次世界大戦 0,195,000 195,000[108] #1944
サイパンの戦い 第二次世界大戦 0,043,500 43,500人死亡(集団自殺も含む)[109] #1944
バグラチオン作戦 第二次世界大戦 0,528,000 528,000[28]–1,430,000[110] #1944
ファレーズ・ポケット 第二次世界大戦 0,140,000 140,000[111] #1944
第二次ヤッシー=キシニョフ攻勢 第二次世界大戦 0,485,424 485,424(捕虜も含む)[112][113] #1944
マーケット・ガーデン作戦 第二次世界大戦 0,027,200 27,200[114] #1944
ヒュルトゲンの森の戦い 第二次世界大戦 0,063,000 63,000[115] #1944–45
レイテ沖海戦 第二次世界大戦 0,012,000 12,000人死亡[116] #1944
バルジの戦い 第二次世界大戦 0,186,369 186,369[117] #1944–45
ルソン島の戦い 第二次世界大戦 0,340,330 332,330–345,330(罹患者も含む)[118] #1945
ラインラントの戦い 第二次世界大戦 0,082,000 82,000人と捕虜250,000人[119] #1945
硫黄島の戦い 第二次世界大戦 0,044,821 44,821[120]–48,700[121] #1945
沖縄戦 第二次世界大戦 0,113,920 113,920[122]–158,400[123] #1945
ビルマの戦い 第二次世界大戦 0,700,000 700,000[124] #1942–45
芷江作戦 日中戦争 0,050,000 50,000[125] #1945
第二次Guangxi戦役 日中戦争 1,000,000 1,000,000[126] #1945
第一次中東戦争 中東戦争 0,012,000 12,000–19,000[127] #1948–49
遼瀋戦役 国共内戦 0,542,000 542,000(捕虜を含む)[128] #1948
淮海戦役 国共内戦 0,689,000 689,000(捕虜を含む)[129] #1948
平津戦役 国共内戦 0,560,000 560,000(捕虜を含む)[130] #1948–49
上海戦役 国共内戦 0,213,073 213,073[131] #1949
仁川上陸作戦 朝鮮戦争 0,017,429 17,429[132] #1950
北朝鮮侵攻 (1950年国連軍攻勢) 朝鮮戦争 0,051,700 51,700[133] #1950
ディエンビエンフーの戦い 第一次インドシナ戦争 0,031,500 31,500 (捕虜は含まれない)[134] #1954
テト攻勢 ベトナム戦争 0,065,000 65,000[135] #1968
OAU作戦 ビアフラ戦争 0,030,000 30,000[135] #1968
イースター攻勢 ベトナム戦争 0,150,000 150,000[135] #1972
第四次中東戦争 中東戦争 0,021,688 21,688 (捕虜は含まれない)[136] #1973
フォークランド紛争 フォークランド紛争 0,001,000 1000未満 (捕虜は含まれない) #1982
1982年レバノン戦争 (ガリラヤの平和作戦) イスラエル・レバノン紛争 0,018,500 18,500[136] #1982–85
湾岸戦争 湾岸戦争 0,025,678 25,678[137] #1991
2003年イラク侵攻 イラク戦争 0,034,543 34,543[138] #2003
アレッポの戦い (2012-2016) シリア内戦 0,031,053 31,053[139] #2012-2016

古代の隊形戦闘[編集]

これらは、軍隊が1つの戦場で出会い1日から数日の間戦った戦闘を指す。 武器の進化に伴い、軍隊の隊形は効果がなくなり、この種の戦闘はより壮大な軍事作戦が優先されていったことで廃れていった。これらの戦闘の多くは古代であり、幾つかの例では死傷者数についての現存する歴史的記録が大きく異なっていることがある。利用可能な場合、本リストの数値は近代的な数字を使用している。

このリストはソートが可能である。表題の「戦闘」「紛争」「死傷者」「年」のいずれかの欄をクリックすることで並び替えることができる

戦闘 紛争 死傷者
アッシリアのシリア征服 アッシリアのアラム征服 約14,000[140] !9146 853 BC
Thymbraの戦い リュディア・ペルシア戦争 0,100,001 約100,000[140] !9452 547 BC
テルモピュライの戦い ペルシア戦争 0,022,300 22,300[141]–22,500[142] !9519 480 BC
プラタイアの戦い ペルシア戦争 0,051,500 51,500[142]–257,000[141] !9520 479 BC
カイロネイアの戦い マケドニア王国の台頭 0,020,000 20,000人以上[143] !9661 338 BC
グラニコス川の戦い アレクサンドロス大王の戦争 0,015,000 15,000人以上[143] !9665 334 BC
イッソスの戦い アレクサンドロス大王の戦争 0,050,450 50,450[144] !9666 333 BC
ガウガメラの戦い アレクサンドロス大王の戦争 0,053,500 53,500[145] !9668 331 BC
ヒュダスペス河畔の戦い アレクサンドロス大王の戦争 0,023,310 23,310[145] !9673 326 BC
センティヌムの戦い 第三次サムニウム戦争 0,033,500 33,500[146] !9704 295 BC
ヘラクレアの戦い ピュロス戦争 0,011,001 11,000–26,000[146] !9719 280 BC
カリンガの戦い カリンガ戦争 0,150,001 150,000[147]–200,000[148][149] (民間人を含む) !9737 262 BC
長平の戦い 秦の統一戦争 0,700,000 700,000 (古代の情報源に基づく) !9739 260 BC
野狐嶺の戦い モンゴル帝国の金朝征服 450,000人の軍隊が殲滅 #1212
トレビアの戦い 第二次ポエニ戦争 0,035,000 35,000[150] !9781 218 BC
トラシメヌス湖畔の戦い 第二次ポエニ戦争 0,030,001 約30,000[150] !9782 217 BC
カンナエの戦い 第二次ポエニ戦争 0,056,001 56,000[151]–92,000以上[152] !9783 216 BC
メタウルス川の戦い 第二次ポエニ戦争 0,012,000 12,000[153] !9792 207 BC
ザマの戦い 第二次ポエニ戦争 0,021,500 21,500[153] !9797 202 BC
マグネシアの戦い ローマ・シリア戦争 0,053,350 53,350[154] !9809 190 BC
ピュドナの戦い (紀元前168年) 第三次マケドニア戦争 0,021,000 21,000[154] !9831 168 BC
アラウシオの戦い ゲルマン戦争 (キンブリ戦争) 0,084,000 84,000[155][156][157] !9894 105 BC
カルラエの戦い ローマ・ペルシア戦争 0,024,000 24,000[158] !9946 53 BC
ファルサルスの戦い カエサルの内乱 0,017,000 17,000[159] !9951 48 BC
トイトブルク森の戦い ローマ・ゲルマン戦争 0,020,000 20,000[160] !構文エラー: 認識できない区切り文字「#」です。 #0009 AD
ワトリング街道の戦い イケニ族の反乱 0,080,400 80,400[161] !構文エラー: 認識できない区切り文字「#」です。 #0061 AD
グラウピウス山の戦い ローマのイギリス征服 0,010,360 10,360[162] !構文エラー: 認識できない区切り文字「#」です。 #0084 AD
赤壁の戦い 三国志 0,100,001 約100,000[163] #0208
ハドリアノポリスの戦い ゴート戦争 (376年–382年) 0,040,000 40,000以上[164] #0378
淝水の戦い 五胡十六国時代 0,150,001 150,000以上 [165] #0383
カタラウヌムの戦い フン族の侵攻 0,165,000 165,000 (1つの古代の情報源によると疑わしい)[166] #0451
薩水大捷 隋の高句麗遠征 0,302,300 302,300[167] #0612
カーディシーヤの戦い イスラーム教徒のペルシア征服 0,031,000 31,000[168] #0636
Muzayyahの戦い イスラーム教徒のペルシア征服 0,010,000 10,000 #0633
Ullaisの戦い イスラーム教徒のペルシア征服 0,035,000 35,000[169] #0633
Riverの戦い イスラーム教徒のペルシア征服 0,015,001 15,000以上[170] #0633
ワラジャ(Walaja)の戦い イスラーム教徒のペルシア征服 0,022,000 22,000[171] #0636
Saniyyの戦い イスラーム教徒のペルシア征服 0,005,000 5,000 #0633
ニハーヴァンドの戦い イスラーム教徒のペルシア征服 0,028,500 28,500[172] #0642
ヤルムークの戦い アラブ・東ローマ戦争 0,070,001 約70,000[2] #0636
ディドゴリ(Didgori)の戦い グルジア・セルジューク戦争 0,210,001 約210,000 [173][出典無効] #1121
ヒッティーンの戦い アイユーブ・十字軍戦争 0,017,001 17,000–20,000[174] #1187
ナバス・デ・トロサの戦い レコンキスタ 0,060,001 約60,000[175] #1212
カルカ河畔の戦い モンゴルのルーシ侵攻 0,050,001 Around 50,000 [176] #1223
ワールシュタットの戦い モンゴルのポーランド侵攻 0,030,001 約30,000[177] #1241
モヒの戦い モンゴルのヨーロッパ侵攻 0,015,001 約15,000[178] #1241
崖山の戦い モンゴル・南宋戦争 0,100,001 約100,000 #1279
バノックバーンの戦い 第一次スコットランド独立戦争 0,019,001 約約約19,000[179] #1314
クリコヴォの戦い モンゴルとタタールのルーシ襲撃一覧 約136,000 #1380
テレク河畔(Terek River)の戦い トクタミシュ・ティムール戦争 0,100,001 約約約約100,000[180] #1395
デリー征服 ティムールインド戦役 0,100,001 約100,000[181][182] #1398
アンカラの戦い オスマン・ティムール戦争 0,015,000 15,000以上[183] #1402
タンネンベルクの戦い (1410年) ポーランド・リトアニア・ドイツ騎士団戦争 0,013,001 約13,000[184] #1410
土木の変 明・モンゴル戦争 0,200,001 200,000以上[要出典] #1449
タウトンの戦い 薔薇戦争 0,028,000 28,000[185] #1461
カーブル(Kabul)の戦い バーブルの戦役 0,020,001 20,000以上[186] #1504
ラヴェンナの戦い カンブレー同盟戦争 0,013,500 13,500[187] #1512
マリニャーノの戦い カンブレー同盟戦争 0,011,000 11,000–15,000[188] #1515
リダニヤの戦い 近東でのオスマン帝国の戦争 0,013,000 13,000[5] #1517
第一次パーニーパットの戦い ムガル帝国の征服 0,020,001 20,000–50,000[189] #1526
モハーチの戦い オスマン・ハンガリー戦争 0,030,000 推定30,000[190] #1526
ガーグラー川の戦い ムガル帝国の征服 0,013,001 約13,000[191] #1529
レパントの海戦 オスマン・ヴェネツィア戦争 0,022,566 22,566–27,566[192] #1571
忠州の戦い 文禄・慶長の役 0,008,000 8,000–16,000[193] 100,000[194][195] #1592
碧蹄館の戦い 文禄・慶長の役 0,006,000 6,000[196] #1593
泗川の戦い 文禄・慶長の役 0,030,000 30,000[197] #1598
関ヶ原の戦い 戦国時代 0,060,000 60,000以下[198] #1600
ブライテンフェルトの戦い (1631年) 三十年戦争 0,020,000 20,000以上[199] #1631
リュッツェンの戦い (1632年) 三十年戦争 0,011,000 11,000–14,000[199] #1632
ネルトリンゲンの戦い (1634年) 三十年戦争 0,017,000 17,000[200] #1634
ダウンズの海戦 八十年戦争 0,015,000 15,000以上[201] #1639
ベレステーチコ(Berestechko)の戦い フメリニツキーの乱 0,030,200 30,000–40,000[202] #1651
Samugarhの戦い ムガル帝国の征服 0,032,000 32,000[201] #1658
Khajwaの戦い ムガル帝国の征服 0,020,000 20,000[201] #1659
第二次ウィーン包囲 オスマン・ハプスブルク戦争 0,019,500 19,500[203] #1683
ビジャープル包囲戦 ムガル帝国の征服 0,017,000 17,000[204] #1686
ネールウィンデンの戦い (1693年) 大同盟戦争 0,028,000 28,000[204] #1693
ゼンタの戦い オスマン・ハプスブルク戦争 0,030,300 30,300[205] #1697
Jinjiの戦い ムガル帝国の征服 0,016,000 16,000[204] #1698
ブレンハイムの戦い スペイン継承戦争 0,032,000 32,000[204] #1704
ラミリーの戦い スペイン継承戦争 0,015,600 15,600[206] #1706
マルプラケの戦い スペイン継承戦争 0,095,000 95,000[206] #1709
フォントノワの戦い (1745年) オーストリア継承戦争 0,014,000 14,000[207] #1745
ロイテンの戦い 七年戦争 0,011,800 11,800[208] #1757
ツォルンドルフの戦い 七年戦争 0,030,000 30,000[要出典] #1758
第三次パーニーパットの戦い アフガン・マラーター戦争 0,100,001 約100,000~200,000 (民間人のキャンプフォロワーも含む)[209][210] #1761
アルコレの戦い 第一次対仏大同盟の戦争 0,011,000 11,000[211] #1796
マレンゴの戦い 第二次対仏大同盟の戦争 0,016,400 16,400[212] #1800
ウルム戦役 (ウルムの戦い) 第三次対仏大同盟の戦争 0,011,500 11,500[212] #1805
アウステルリッツの戦い 第三次対仏大同盟の戦争 0,024,300 24,300[213] #1805
イエナ・アウエルシュタットの戦い 第四次対仏大同盟の戦争 0,052,000 52,000(後に殺害される捕虜が含まれる)[214] #1806
アイラウの戦い 第四次対仏大同盟の戦争 0,040,000 40,000[214] #1807
ヴァグラムの戦い 第五次対仏大同盟の戦争 0,077,000 77,000[214]–79,000[215] #1809
タラベラ(Talavera)の戦い 半島戦争 0,013,900 13,900[216] #1809
サラマンカの戦い 半島戦争 0,018,800 18,800[217] #1812
ボロジノの戦い 1812年ロシア戦役 0,074,000 74,000[218] #1812
ベレジナの戦い 1812年ロシア戦役 0,060,000 60,000[218] #1812
ビトリアの戦い 半島戦争 0,013,000 13,000[217] #1813
ライプツィヒの戦い 第六次対仏大同盟の戦争 0,124,000 124,000[41] #1813
リニーの戦い 百日天下 0,028,000 28,000[219] #1815
ワーテルローの戦い 百日天下 0,047,000 47,000以上 (捕虜と失踪者は含まず)[220][221] #1815
ブラッド・リバーの戦い フォルトレッカーズのズールー族追放 0,003,000 ズールー側のみ3,000以上 (負傷者は含まず)[222] #1838
インケルマンの戦い クリミア戦争 0,015,857 15,857[223] #1854
シャイローの戦い 南北戦争 0,024,000 24,000[224] #1862
アンティータムの戦い 南北戦争 0,023,000 23,000[44]–26,193[225] #1862
フレデリックスバーグの戦い 南北戦争 0,017,300 17,300[44]–17,962[226] #1862
ゲティスバーグの戦い 南北戦争 0,051,000 51,000[227][228] #1863
チカマウガの戦い 南北戦争 0,034,001 約34,000[229] #1863
スポットシルバニア・コートハウスの戦い 南北戦争 0,030,001 約30,000[230] #1864
ストーンズリバーの戦い 南北戦争 0,024,001 約24,000[231] #1862 – 1863
ケーニヒグレーツの戦い 普墺戦争 0,047,500 47,500[232] #1866
Tuyutíの戦い 三国同盟戦争 0,007,001 7,000–16,000[233] #1866
マルス・ラ・トゥールの戦い/グラヴロットの戦い 普仏戦争 0,034,000 34,000[232] #1870
セダンの戦い 普仏戦争 0,026,000 26,000[234] #1870
アドワの戦い 第一次エチオピア戦争 0,017,300 17,300[235] #1896
Binakayan・Dalahicanの戦い フィリピン独立革命戦争 0,002,001 2,000–15,000[236] #1896
オムダーマンの戦い マフディー戦争 0,020,430 20,430[237] #1898
モンスの戦い/ル・カトーの戦い 第一次世界大戦 0,018,000 18,000[49] #1914
サカリヤ川の戦い 希土戦争 (1919年-1922年) 0,061,000 61,000[238][239] #1921

関連リンク[編集]

注記[編集]

  1. ^ Josephus, The Wars of the Jews VI.9.3
  2. ^ a b Grant, p. 74
  3. ^ Mann, p. 143
  4. ^ Hassig
  5. ^ a b Grant, p. 129
  6. ^ a b Grant, p. 230
  7. ^ Third Battle of Nanking, p. 678
  8. ^ a b Grant, p. 231
  9. ^ Grant, p. 252
  10. ^ a b Hall, p. 112
  11. ^ 太原大会战. ISBN 978-7221096166. 
  12. ^ 忻口会战_互动百科”. 2015年11月2日閲覧。
  13. ^ Second Battle of Shanghai”. 2015年10月24日閲覧。
  14. ^ Battle of Wuhan”. 2015年10月24日閲覧。
  15. ^ First Battle of Changsha”. 2015年11月2日閲覧。
  16. ^ Battle of Nanchang”. 2015年11月2日閲覧。
  17. ^ a b Glantz (1995), p. 293
  18. ^ Battle of South Shanxi”. 2015年11月9日閲覧。
  19. ^ Hsiung, James. China's Bitter Victory: The War with Japan, 1937–1945. pp. 158. 
  20. ^ Wagner, p. 528
  21. ^ Grant, p. 308
  22. ^ China's Bitter Victory: The War with Japan 1937-1945. pp. 161. 
  23. ^ Tuchman, Barbara. Stilwell and the American Experience in China. 
  24. ^ Glantz, David (2001), The Siege of Leningrad 1941–44: 900 Days of Terror, Zenith Press, Osceola, WI, 0-7603-0941-8. p. 220
  25. ^ Сведения городской комиссии по установлению и расследованию злодеяний немецко-фашистских захватчиков и их сообщников о числе погибшего в Ленинграде населения ЦГА СПб, Ф.8357. Оп.6. Д. 1108 Л. 46–47
  26. ^ Harrison Evans Salisbury (1969). The 900 Days: The Siege of Leningrad. Da Capo Press. pp. 590. 
  27. ^ World War 2: Warsaw Uprising :: FAQ
  28. ^ a b Grant, p. 318
  29. ^ Glantz, p. 271
  30. ^ Krivosheev, pp. 219–220
  31. ^ a b The Cornerstone of Peace: Number of Names Inscribed”. Okinawa Prefecture. 2017年9月9日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2017年5月22日閲覧。
  32. ^ Chang, Jung; Halliday, Jon. 2006. Mao: The Unknown Story. London: Vintage Books. p383.
  33. ^ ANDREW JACOBS (2009年10月2日). “China Is Wordless on Traumas of Communists' Rise”. New York Times. https://www.nytimes.com/2009/10/02/world/asia/02anniversary.html?pagewanted=all 2012年7月10日閲覧。 
  34. ^ Connaughton, R., Pimlott, J., and Anderson, D., 1995, The Battle for Manila, London: Bloomsbury Publishing, 0891415785
  35. ^ Khalifa, Hodieb. Nein. https://books.google.com/books?id=jKsbAgAAQBAJ&pg=PA288&dq=Manila+Massacre#v=onepage&q=Manila%20Massacre&f=false. 
  36. ^ Dauria, Tom. Within a Presumption of Godlessness. https://books.google.com/books?id=G5WHAgAAQBAJ&pg=PA35&dq=Manila+Massacre&hl=en&sa=X&ei=00-UVNawC5WJuATKoYLYCQ&ved=0CCEQ6AEwATgK#v=onepage&q=Manila%20Massacre&f=false. 
  37. ^ http://battleofmanila.org/Huber/htm/huber_06.htm
  38. ^ History and chronology of Siege of Sarajevo in Serbia”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  39. ^ “From Sarajevo to Hollywood: Life under siege”. The Independent (London). (2008年9月1日). http://www.independent.co.uk/news/world/europe/from-sarajevo-to-hollywood-life-under-siege-914554.html 2010年3月27日閲覧。 
  40. ^ Sebag-Montefiore, Hugh (2007-05-31) (英語). Dunkirk: Fight to the Last Man. Penguin UK. ISBN 9780141906164. https://books.google.com/books?id=V7r-F7FxtrYC&pg=PA214-IA24&lpg=PA214-IA24&dq=battle+of+dunkirk+%2288,000%22&source=bl&ots=_3dxlaFw7p&sig=VflyhpO96A3eceKiultLhaMA_hA&hl=en&sa=X&ved=0ahUKEwjkyuf84rDVAhUpxoMKHZJXBK4Q6AEILjAB#v=onepage&q=%2288,000%22&f=false. 
  41. ^ a b Grant, p. 213
  42. ^ Brewer, p. 33
  43. ^ Brewer, p. 42
  44. ^ a b c Grant, p. 227
  45. ^ Brewer, p. 53
  46. ^ Grant, p. 253
  47. ^ Hall, p. 31
  48. ^ Hall, p. 36
  49. ^ a b Grant, p. 270
  50. ^ Brewer, p. 99
  51. ^ Grant, p. 271
  52. ^ Brewer, p. 100
  53. ^ Grant, p. 272
  54. ^ Brewer, p. 110
  55. ^ a b c d e f g h i j Brewer, p. 142
  56. ^ a b Grant, p. 273
  57. ^ Grant, p. 282
  58. ^ Spencer Tucker, "Encyclopedia of World War I"(2005) pg 1077, 1851094202
  59. ^ Grant, p. 276
  60. ^ Grant, p. 279
  61. ^ Tucker, 810
  62. ^ Grant, p. 277
  63. ^ Brewer, p. 150
  64. ^ Grant, p. 280
  65. ^ Brewer, p. 151
  66. ^ Brewer, p. 152
  67. ^ a b Grant, p. 281
  68. ^ a b Grant, p. 286
  69. ^ Grant, p. 292
  70. ^ RESISTANCE WARS -- Political, Social, Cultural, Historical Analysis Of China”. 2015年12月4日閲覧。
  71. ^ Grant, p. 294
  72. ^ a b Grant, p. 295
  73. ^ Victory at Tai’erzhuang in the Battle of Xuzhou (12) – Xinhua | English.news.cn”. 2015年11月9日閲覧。
  74. ^ Lary, Diana (2001-04-01). “Drowned Earth: The Strategic Breaching of the Yellow River Dyke, 1938” (英語). War in History 8 (2): 191–207. doi:10.1177/096834450100800204. ISSN 0968-3445. http://wih.sagepub.com/content/8/2/191. 
  75. ^ Grant, p. 293
  76. ^ a b c Grant, p. 298
  77. ^ , https://www.youtube.com/watch?v=tlbcZcB2H-g&feature=related+2015年11月9日閲覧。 
  78. ^ Wagner, p. 437
  79. ^ (抗日战争)冬季攻势述评”. 2011年7月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  80. ^ Grant, p. 299
  81. ^ Garber, John. Chinese-Soviet Relations, 1937–1945. pp. 120. 
  82. ^ Wagner, p. 462
  83. ^ Wagner, p. 474
  84. ^ 上高会战——痛歼日寇彪炳史册”. 2015年12月4日閲覧。
  85. ^ Wagner, p. 479
  86. ^ a b Grant, p. 306
  87. ^ Wagner, p. 480
  88. ^ Grant, p. 323
  89. ^ Wagner, p. 502
  90. ^ Wagner, p. 499
  91. ^ a b Erickson, p. 90
  92. ^ Zhejiang-Jiangxi Campaign”. 2015年11月2日閲覧。
  93. ^ a b Grant, p. 302
  94. ^ Wagner, p. 522
  95. ^ Grant, p. 326
  96. ^ Wagner, p. 531
  97. ^ Erickson, p. 138
  98. ^ Wagner, p. 547
  99. ^ Grant, p. 307
  100. ^ Wagner, p. 550
  101. ^ Wagner, p. 555
  102. ^ Wagner, p. 560
  103. ^ Grant, p. 303
  104. ^ Mart Laar (2006) (Estonian). Sinimäed 1944: II maailmasõja lahingud Kirde-Eestis (Sinimäed Hills 1944: Battles of World War II in Northeast Estonia). Tallinn: Varrak. 
  105. ^ Wagner, p. 567
  106. ^ Pike, Francis (2015-06-18) (英語). Hirohito's War: The Pacific War, 1941–1945. Bloomsbury Publishing. ISBN 9781472596727. https://books.google.com/books?id=2IYQCAAAQBAJ. 
  107. ^ Wagner, p. 580
  108. ^ Glantz, p. 381
  109. ^ Wagner, p. 587
  110. ^ Brewer, p. 306
  111. ^ Grant, p. 316
  112. ^ Pat McTaggart: Red Storm in Romania
  113. ^ Krivosheev, Soviet Casualties and Combat Losses in the Twentieth Century, 1-85367-280-7, Greenhill Books, 1997; (chapter on the Jassy-Kishinev operation in Russian)
  114. ^ Wagner, p. 592
  115. ^ Wagner, p. 594
  116. ^ Wagner, p. 596
  117. ^ Wagner, p. 600
  118. ^ Wagner, p. 606
  119. ^ Grant, p. 317
  120. ^ Wagner, p. 608
  121. ^ Grant, p. 328
  122. ^ Wagner, p. 612
  123. ^ Grant, p. 329
  124. ^ McLynn. The Burma Campaign: Disaster into Triumph, 1942–1945. pp. 1. 
  125. ^ 湘西会战:历时两月 最终以日军彻底溃败而告终”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  126. ^ Articles on 1945 in China, Including: Battle of West Hunan, Battle of West Henan North Hubei, Second Guangxi Campaign, Shangdang Campaign, Handan Cam (English) – Buy Articles on 1945 in China, Including: Battle of West Hunan, Battle of West Henan North Hubei, Second Guangxi Campaign, Shangdang Campaign, Handan Cam (English) by Books, Hephaestus|author; Online at Best Prices in India - Flipkart.com”. 2015年11月10日閲覧。
  127. ^ Grant, p. 344
  128. ^ Liaoning-Shenyang Campaign
  129. ^ Yu and Huaihai Campaign, p.5
  130. ^ Pingjin rewrite history? ? Tianjin Campaign
  131. ^ Chinese Civil War, 1945–1949 – Military History – Oxford Bibliographies – obo”. 2015年11月3日閲覧。
  132. ^ Grant, p. 334
  133. ^ Grant, p. 335
  134. ^ Grant, p. 338
  135. ^ a b c Grant, p. 341
  136. ^ a b Grant, p. 345
  137. ^ Grant, p. 351
  138. ^ Grant, p. 353
  139. ^ Violations Documention Center in Syria: Aleppo (2012–16)”. Violations Documenting Center. 2016年12月18日閲覧。
  140. ^ a b Grant, p. 17
  141. ^ a b Herodotus (440 BC). Histories.
  142. ^ a b Grant, p. 23
  143. ^ a b Grant, p. 26
  144. ^ Grant, p. 28
  145. ^ a b Grant, p. 27
  146. ^ a b Grant, p. 37
  147. ^ Grant, p. 56
  148. ^ Ashoka the Great (r. 272–231 BC), Edicts of Ashoka, Major Rock Edict 13.
  149. ^ Radhakumud Mookerji (1988). Chandragupta Maurya and His Times. Motilal Banarsidass Publ. 81-208-0405-8.
  150. ^ a b Grant, p. 39
  151. ^ Grant, p. 40
  152. ^ Leonard Cottrell (1965). Enemy of Rome. Evans Bros. 0-237-44320-1.
  153. ^ a b Grant, p. 41
  154. ^ a b Grant, p. 31
  155. ^ Valerius Antias (1st century BC). Manubiae.
  156. ^ Albert A. Howard (1906). "Valerius Antias and Livy", Harvard Studies in Classical Philology 17, p. 161–182.
  157. ^ Canon Rawlinson (1877). "On the Ethnography of the Cimbri", The Journal of the Anthropological Institute of Great Britain and Ireland 6, p. 150–158.
  158. ^ Grant, p. 43
  159. ^ Grant, p. 47
  160. ^ Wells, Peter S. The Battle that stopped Rome. New York: W.W. Norton & Company. 2003, p. 187. 0-393-32643-8.
  161. ^ http://www.search.com/reference/Battle_of_Watling_Street
  162. ^ Grant, p. 49
  163. ^ Records of Three Kingdoms,
  164. ^ Grant, p. 51
  165. ^ Book of Jin,
  166. ^ Jordanes (1997年4月22日). “The Origin and Deeds of the Goths, chapter XLI”. Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  167. ^ Book of Sui, Vol. 60.
  168. ^ The Muqaddimah: An Introduction to History By Ibn Khaldūn, Franz Rosenthal, N. J.. Dawood pg, 12.
  169. ^ "The Sword of Allah", Chapter 22, by Lieutenant-General Agha Ibrahim Akram, Nat. Publishing. House, Rawalpindi (1970) 978-0-7101-0104-4.
  170. ^ A.I.Akram, Sword of Allah, Khalid ibn Walid, ch.13th, pg.137
  171. ^ A. I. Akram (1970). The Sword of Allah: Khalid bin al-Waleed, His Life and Campaigns. National Publishing House, Rawalpindi. 0-7101-0104-X.
  172. ^ http://www.iranicaonline.org/articles/arab-ii
  173. ^ [1]
  174. ^ Jonathan Riley-Smith, the Crusades, 2005, p. 109
  175. ^ Grant, p. 89
  176. ^ Richard Gabriel, Subotai the Valiant.
  177. ^ Grant, p. 92
  178. ^ Carey, Brian Todd, p. 124
  179. ^ Grant, p. 118
  180. ^ Grant, p. 94
  181. ^ B.F. Manz, "Tīmūr Lang", in Encyclopaedia of Islam.
  182. ^ Volume III: To the Year A.D. 1398, Chapter: XVIII. Malfúzát-i Tímúrí, or Túzak-i Tímúrí: The Autobiography or Memoirs of Emperor Tímúr (Taimur the lame). Page 389. 1. Online copy, 2. Online copy from: Elliot, Sir H. M., Edited by Dowson, John. The History of India, as Told by Its Own Historians. The Muhammadan Period; published by London Trubner Company 1867–1877.
  183. ^ Grant, p. 95
  184. ^ Grant, p. 121
  185. ^ The Military Campaigns of the Wars of the Roses Philip A. Haigh (Chap. 8)
  186. ^ David, Saul: War, 2009
  187. ^ Grant, p. 144
  188. ^ Grant, p. 145
  189. ^ Grant, p. 136
  190. ^ Grant, p. 132
  191. ^ A History of India Under the Two First Sovereigns of the House of Taimur, Báber and Humáyun By William Erskine Published by Longman, Brown, Green, and Longmans, 1854
  192. ^ Grant, p. 134
  193. ^ 류성룡 (Ryu Seong-ryong) <징비록 (Jingbirok: Book of Corrections)>, 선조수정실록 26권, 25(1592 임진 / 명 만력 20년)4월 14일(계묘) 6번째 기사, 연려실기술 인용 <조야기문>
  194. ^ "十萬精兵, 一敗塗地" Annals of the Joseon Dynasty http://sillok.history.go.kr/inspection/insp_king.jsp?id=wna_12901024_003&tabid=w
  195. ^ sillok.history.go.kr
  196. ^ Turnbull, Stephen; Samurai Invasion: Japan's Korean War 1592–98. London: Cassell & Co, 2002, p.148.
  197. ^ Turnbull, Stephen; Samurai Invasion: Japan's Korean War 1592–98. London: Cassell & Co, 2002, p.222
  198. ^ Grant, p. 175
  199. ^ a b Grant, p. 151
  200. ^ Grant, p. 152
  201. ^ a b c Grant, p. 149.
  202. ^ Romuald Romański. Książę Jeremi Wiśniowiecki. Warszawa: Bellona. 2009, p. 338. 978-83-11-11524-8
  203. ^ Tucker, Spencer (2010). Battles That Changed History: An Encyclopedia of World Conflict. ABC-CLIO. p. 216. ISBN 978-1-59884-429-0. https://books.google.com/books?id=SWBkx0UlgMAC&pg=PA216&dq=battles+that+changed+history+sobieski+starhemberg&hl=no&ei=WMnOTprOKMjg8AOp_JzQDw&sa=X&oi=book_result&ct=result&resnum=1&ved=0CC4Q6AEwAA#v=onepage&q&f=false. 
  204. ^ a b c d Grant 1911 Archived 23 January 2013 at the Wayback Machine. p. 159.
  205. ^ Grant, p. 133
  206. ^ a b Grant, p. 160
  207. ^ Grant, p. 161
  208. ^ Grant, p. 186
  209. ^ Duff, ch. V, p. 110
  210. ^ Rawlinson, p. 40
  211. ^ Grant, p. 199
  212. ^ a b Grant, p. 201
  213. ^ Grant, p. 202
  214. ^ a b c Grant, p. 205
  215. ^ Castle, I. Aspern/Wagram (1809), Osprey (1990)
  216. ^ Grant, p. 208
  217. ^ a b Grant, p. 209
  218. ^ a b Grant, p. 212
  219. ^ Grant, p. 214
  220. ^ Barbero, pp 419–420 Barbero, Alessandro (2005). The Battle: A New History of Waterloo. Atlantic Books. 1-84354-310-9
  221. ^ Grant, p. 215
  222. ^ NOD, pp 1–5 Prof AWG Raath (2013).
  223. ^ Grant, p. 260
  224. ^ Grant, p. 226
  225. ^ Brewer, p. 36
  226. ^ Brewer, p. 38
  227. ^ Brewer, p. 46
  228. ^ Grant, p. 228
  229. ^ Brewer, p. 48
  230. ^ Brewer, p. 52
  231. ^ http://www.nps.gov/stri/faqs.htm%7C#1838
  232. ^ a b Grant, p. 258
  233. ^ The Paraguayan War by William Henry Koebel
  234. ^ Grant, p. 259
  235. ^ Grant, p. 240
  236. ^ Davis, George W. (1903), Annual report of Major General George W. Davis, United States Army commanding Division of the Philippines from October 1, 1902 to July 26, 1903, Manila, P.I., https://archive.org/details/annualreportofma03unit . インターネットアーカイブannualreportofma03unit
  237. ^ Grant, p. 241
  238. ^ Zeki Sarıhan: Kurtuluş Savaşı günlüğü: açıklamalı kronoloji. Sakarya savaşı'ndan Lozan'ın açılışına (23 Ağustos 1921-20 Kasım 1922) (engl.:Diary of the independence war: commented chronology. From battle of Sakarya to the opening of Lausanne (23 August 1921–20 November 1922)), Türk Tarih Kurumu yayınları (publishing house), 1996, 975-16-0517-2, page 62. (トルコ語)
  239. ^ Σαγγάριος 1921, Η επική μάχη που σφράγησε την τύχη του Μικρασιατικού Ελληνισμού, Εκδόσεις Περισκόπιο, Ιούλιος 2008, 978-960-6740-45-9, page 32 (in Greek)

参考文献[編集]