七条大橋

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七条大橋

七条大橋(しちじょうおおはし[1])は、京都府京都市を流れる鴨川に架設された。5連の鉄筋コンクリートアーチ橋で、現在鴨川に架かる橋では最古の橋である。

概要[編集]

七条通京都府道113号梅津東山七条線)を通る全長82m、幅員18.1mの橋で、スパン15.2m,ライズ1.5mのアーチ構造を基本とする鉄筋コンクリートアーチ橋である[2]。黎明期のRCアーチとしては群を抜いて巨大で、鴨川筋で唯一明治期の意匠を残しており、2008年土木学会より「選奨土木遺産」に認定された[2]

第二次世界大戦中の金属の供出で高欄や街灯が失われていた[2]。そのため長らく木製の欄干だったが、京阪本線の地下化と川端通の開通に併せて金属製の欄干に変えられた。1987年に改修された高欄には三十三間堂の通し矢(10本の矢が円の中心の的に向かっている図)がデザインされている[2]

NPO法人「京都景観フォーラム」や京都女子大学・地元住民が中心となり「鴨川を百年見つめる七条大橋と歩む会」を2013年4月14日に発足させ、登録有形文化財への登録をめざしている[3]

橋の付近の鴨川は下京区東山区境界になっている。橋上からは東山の山々を望むことができるほか、南側に東海道本線東海道新幹線の鉄橋が見える。

歴史[編集]

鴨川下流の塩小路橋上から見た七条大橋全景(2019年1月撮影)

1908年(明治41年)から開始された京都市三大事業の道路拡築および京都市電敷設の一環として四条大橋と共に架け替えが計画され、1911年明治44年)11月に着工、1913年(大正2年)4月14日開通、市電七条線も同月開通した。設計は東京帝国大学教授柴田畦作(しばたけいさく)。意匠設計は、森山松之助、山口孝吉。

1935年昭和10年)6月28日深夜から29日にかけての「鴨川水害」では、上流の団栗橋・松原橋・五条大橋は流されたが、上流の正面橋が橋の残骸を受け止めて七条大橋は無傷だった[4]。水害後の河川改修計画には琵琶湖疏水と京阪電鉄の地下化が含まれた[5]。第二次大戦後に持ち越された計画の実現により、七条大橋は、疏水を跨ぐ鴨川左岸の一径間が短くなり[6]、当初の橋長112mの6連アーチ橋[7] は現在、5連82mになっている。

1978年9月限りで、橋上を通過していた市電七条線が廃止された。

周辺[編集]

橋の西南側には、松明殿稲荷神社がある。

橋の東側には、地下に京阪電気鉄道(京阪本線)の七条駅があるほか、駅からさらに東寄りに三十三間堂京都国立博物館が所在する。

脚注[編集]

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  1. ^ 京都市電の「七条大橋」停留所は、一条や四条との混同を避けるため「ななじょうおおはし」と読ませていた。
  2. ^ a b c d 京(みやこ)の橋しるべ 第7号”. 京都市. 2020年6月8日閲覧。
  3. ^ 京都新聞2013年4月13日朝刊・京都市地域版21面掲載記事による
  4. ^ 出典:植村善博著「京都の治水と昭和大水害」(文理閣)153頁「5 土木・交通の被害」より
  5. ^ 松浦茂樹「戦前の鴨川改修計画における環境面の配慮」『日本土木史研究発表会論文集』1987年、 275-285頁。
  6. ^ “近畿の水 名橋-第二回-”. 水環境研究所広報誌 水が語るもの 12: 12. (2016). http://www.kc-center.co.jp/suishitsu/public/watertalk12_pdf.html 2019年1月14日閲覧。. 
  7. ^ 山根巌「明治末期における京都での鉄筋コンクリート橋」『土木史研究』第20号、2000年、 325-336頁。

外部リンク[編集]