四条大橋

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四条大橋、奥は南座

四条大橋(しじょうおおはし)は、京都市を流れる鴨川に架かる四条通である。製の連続桁橋で川の中に2つの橋脚を持つ。東行きは右折レーンを含む3車線、西行きは2車線の車道、歩道は周囲の道路に比べ幅が広い。四条通の東の先は祇園八坂神社、鴨川西岸には四条河原町がある。京都を代表する繁華街を結ぶ橋であることから、人通りが多い。

歴史[編集]

八坂神社「社家記録」によれば、四条大橋は1142年永治2年)、勧進により架けられたという。平安時代末期は行政の機能が低下し、朝廷が造橋所を設けて賦課により架設することが少なくなっていたためである[1]。以後、この橋は度々流失して架け直された。発見されている最古の記録は1228年(安貞2年)で、このとき五条大橋も流されている。1577年(天正5年)の架け替え以降、橋が流されたのは、1676年(延宝4年)、1728年(享保13年)、1778年(安永7年)、1786年(天明6年)、1802年(享和2年)、1846年(弘化3年)、1850年(嘉永3年)、1852年(嘉永5年)である[2]。また、洪水だけでなく延元の乱(建武の乱)でも破壊された。平安時代末期から鎌倉時代にかけては、鴨川の東にある六波羅の交通のため幅の広い橋が架けられていた。近世には三条大橋五条大橋が街道の起点(終点)である官橋であったのに対し、四条大橋は八坂神社への参道の民橋で幕府の管理下になかったことから、これらに比べると小さな橋だった。

ラチスガーダー橋(1874 - 1911)

幕末の1856年(安政3年)につくられた42本の石柱を立て板を敷渡した幅3間、長さ50間の橋は1873年(明治6年)の洪水で破壊された。翌年1874年(明治7年)に架け替えられた輸入錬鉄のラチスガーダー橋は明治末期まで使用された[3][4]。このときは建設費の償還のため通行料をとっていた。

鉄筋コンクリートアーチ橋(1913 - 1941)

1908年(明治41年)から開始された京都市三大事業の道路拡築および京都市電敷設の一環として七条大橋と共に架け替えが計画され、構造設計を柴田畦作、橋梁意匠を森山松之助山口孝吉に依頼した鉄筋コンクリートアーチ橋が1911年(明治44年)10月起工、1913年(大正2年)3月に竣工した。

鋼板桁橋(1942 - )

1935年(昭和10年)6月28日夜から29日午前までに降った四波の豪雨[2]により鴨川計画高水量の2倍近い推定600立米毎秒の土砂混じりの洪水[5]が発生した。上流の構造物が破損・流出し、前年1934年昭和9年)9月の室戸台風の処理されていなかった倒木も加わって、四条大橋は流木・流材により閉塞、市街地への氾濫を拡大させた[6][7]。水害後、京都府は計画高水量を650立米毎秒[5]に増加させる計画を立て、河川改修に併せて四条大橋は架け換えられることになった。1941年(昭和16年)に旧橋を撤去、1942年(昭和17年)に現在の鋼板桁橋に架け替えられた。1965年(昭和40年)には高欄部分が新設された[8]

周辺[編集]

出雲阿国の像

東に京阪本線祇園四条駅、西には阪急河原町駅がある。橋の東端は川端通との交差点であり、交差点北西角には出雲阿国の像、南東に南座がある。

四条大橋が登場する作品[編集]

ギャラリー[編集]

パノラマ写真。京阪・祇園四条駅側から望む。

脚注[編集]

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  1. ^ 中村作太郎「橋梁の歴史的変遷とその発達動向について(3):東洋における古代,中世,現代の橋梁」、『室蘭工業大学研究報告理工編』第9巻第2号、1977年、 433-463頁。
  2. ^ a b 中島暢太郎「鴨川水害史(1)」、『京大防災研究所年報』第26巻B-2、1983年、 75-92頁。
  3. ^ 山根巌「明治末期における京都での鉄筋コンクリート橋」、『土木史研究』第20号、2000年、 325-336頁。
  4. ^ 1890年代の京都・四条大橋 - 『OLD PHOTOS of JAPAN』より
  5. ^ a b 松浦茂樹「戦前の鴨川改修計画における環境面の配慮」、『日本土木史研究発表会論文集』1987年、 275-285頁。
  6. ^ 四条駅周辺の被災写真
  7. ^ 水原邦夫「土石流に伴う流木による災害とその防止軽減対策に関する考察」、『水利科学』第352号、2016年、 5頁。
  8. ^ 京都市発行 市民しんぶん東山区版「こちら東山」平成21年7月15日号の「東山区【2】~過去から未来へ~」

外部リンク[編集]

座標: 北緯35度0分13.84秒 東経135度46分17.52秒