四条大橋

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四条大橋、奥は南座

四条大橋(しじょうおおはし)は、京都市を流れる鴨川に架かる四条通である。

概要[ソースを編集]

出雲阿国の像

製の連続桁橋であり、川の中に2つの橋脚がある。片側2車線(東行きは一部右折レーンにより3車線)の車道と、周囲の道路に比べ幅の広い歩道がある。

橋の西側は四条河原町、東側は祇園と京都を代表する繁華街を結んでいることから、人通りの多い橋である。東端は川端通との交差点になっており、地下に京阪本線祇園四条駅、交差点北西角には出雲阿国の像がある。

京阪祇園四条駅と阪急河原町駅間の乗り換えのための歩行者も多い。

歴史[ソースを編集]

四条大橋 明治大正時代絵葉書
四条大橋(1935年頃)

八坂神社の「社家記録」によると、1142年永治2年)に勧進により架けられたという。以後何度も水害により流失し、そのたびに架け直されている。平安時代末期から鎌倉時代にかけては、六波羅が鴨川の東にあったことから重要性が増し、幅の広い橋が架けられていた。近世には三条大橋五条大橋が街道の起点(終点)であったのに対し、四条大橋は八坂神社への参詣路であり、幕府の管理下になかったことから、これらの橋に比べ小さな橋であった。

幕末の1857年安政4年)にようやく石造の橋に架け換えられ、さらに1874年明治7年)には鉄製に架け換えられた[1]。このときは建設費の償還のため通行料をとっていた。1913年大正2年)には京都市電の開通とそれに伴う道路の拡幅のため、鉄筋コンクリート製のアーチ橋に架け換えられた。しかし1934年昭和9年)の室戸台風・翌1935年(昭和10年)6月の水害でアーチ部分に流木などが引っ掛って水をせき止め、周辺に大きな被害を出した[2]ため鴨川の川底の掘り下げに併せて架け換えられることになり、1942年(昭和17年)に現在の橋が架けられ1965年(昭和40年)には高欄部分が新設された[3]

脚注[ソースを編集]

パノラマ写真。京阪・祇園四条駅側から望む。
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  1. ^ 1890年代の京都・四条大橋 - 『OLD PHOTOS of JAPAN』より
  2. ^ 四条駅周辺の被災写真
  3. ^ 京都市発行 市民しんぶん東山区版「こちら東山」平成21年7月15日号の「東山区【2】~過去から未来へ~」

外部リンク[ソースを編集]

座標: 北緯35度0分13.84秒 東経135度46分17.52秒