マルジン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ミルディンから転送)

マルジン・ウィストウェールズ語: Myrddin Wyllt, ウェールズ語: [ˈmərðɪn ˈwɨɬt], 英語風にミルディンとカナ表記されることもある)[1][4]は、中世ウェールズの伝説に登場する予言者とも狂人ともいわれる人物。ラテン語名はメルリーヌスラテン語: Merlinus[5][7]。時期的に、マルジンはアーサー王より後の時代に活躍した人物だが、後世において、アーサー王物語に登場するマーリンのモデルとして重要な人物とされる[8]

マルジンは6世紀のブリテンに存在したらしい。おそらく西暦540年ころに生まれ、双子の姉妹グウェンジーズ英語版(ラテン語名はガニエーダ)[9]がいたと言われている。573年のアルヴデリーズの虐殺を経験したマルジンは発狂し、森を住みかとして動物たちと暮らすようになった。彼はそこで予言の力を得たと言われている。

また、マルジンは自分の死を予言していたと言う。その死に方とは、「墜落死する」、「貫かれて死ぬ」、「溺れ死ぬ」というものであった。この奇怪な予言は、最終的に成就することになる。羊飼い達が崖でマルジンを駆り立てたところ、マルジンは転落し、漁師が放置していた杭に体を貫かれ、そして頭が水中にある状態で命を落としたのである。この予言は、いくつかのバリエーションが見られ、他の魔法使いにも同種のエピソードが残っている。マルジンの墓はツイード川の周囲にあると考えられているが、その辺では何も見つかっていない。

ウェールズ文学[編集]

12世紀以前、初期のウェールズの詩[10]では、マルジンはカレドニアの森で暮らす狂人であるとする伝説が多い。ここで、マルジンは、自身がバード(ケルトの吟遊詩人)として仕えた、グウェンゾライ・アプ・ケイディオ英語版[11]の死などの災害について、思索にふけった。これらの詩はアルヴデリーズの戦い英語版[12]の悲惨さについて記述しているが、これによればマーリンの主君のグウェンゾライは虐殺され、マルジンはこの敗北を見て精神に異常をきたしたと言う。なお、『カンブリア年代記』によれば、アルヴデリーズの戦いは573年であるとされており、グウェンゾレイの助言者の名前はエリヴェル(Eliffer)の息子、とされているのでペレディル(en:Peredur)あたりではないかと考えられている。

この伝説は、「Lailoken and kentigem」と呼ばれており、15世紀後半の写本にも残されている。この伝説で、聖ムンゴ(en:Saint Mungo、聖ケンティゲルン[13] Saint Kentigern とも)は荒野でライロケン英語版[14]と呼ばれる狂人と出会う。この狂人はメルリュヌム(Merlynum)[15]あるいはマーリン(Merlin)などとも呼ばれており、宗教における罪によって獣の社会を放浪させられているというのである。さらに、狂人は王の抗争によって死んだ多くの全ての者の死を引き起こしたことも告げる。聖ムンゴにこれらを語り終えると、狂人は荒野に姿を消すのだった。さらに、狂人は聖ケンティゲルンに秘蹟を求めるまで幾度か登場し、自身が3つの方法で死ぬことを予言する。ややためらったあと、聖ケンティゲルンは狂人の頼みを聞き入れる。やがて、狂人は羊飼いたちの王に捕らえられ、「棍棒で殴られ」、「ツイード川に投げ込まれ」、川では「杭に体を貫かれる」ということによって予言は成就されたのである。

モンマスの著作[編集]

近代において描かれるマーリン像は、ジェフリー・オブ・モンマスにより始まった。モンマスの『マーリンの予言』(Prophetiae Merlini)はウェールズの人物であるマルジンの予言を集めたものであるが、著作中ではこの予言者の名前はマーリンとされている。モンマスは『マーリンの予言』を『ブリタニア列王史』に反映させている。だが、『ブリタニア列王史』では、若干設定が異なっており、マーリンはマルジンが生きていたころより時期的に数十年ほど前、ブリテンの王がアウレリウス・アンブロシウスアーサー王だったころの人間としている。また、モンマスはアンブロシウスに起源をもつ逸話と、モンマス自身が創作したと思われるエピソードを追加している。

後々、モンマスはさらに『マーリンの生涯』を作成した。この書物はマルジンについて初期のウェールズの伝承とアルスレッドの戦いを題材にしており、これら事件はマーリンがアーサー王と関わりを持った以後の出来事だと説明している。しかしながら、『マーリンの生涯』は『ブリタニア列王史』におけるマーリン像を覆すほど知名度を得ることはなく、『ブリタニア列王史』のマーリン像が後世に大きな影響を与えることになった。

脚注[編集]

  1. ^ ウェールズ語名の日本語表記について、「マルジン・ウィスト」が森野 (2017), p. 264に、「マルジン」が木村 (2022), p. 249, 小宮 (2017), p. 294, ヴァルテール & 渡邉・渡邉訳 (2018), p. 369 に、「ミルディン」がコグラン & 山本訳 (1996), p. 244 にみられる。
  2. ^ 森野 2017, p. 264.
  3. ^ The Story of Myrddin Wyllt
  4. ^ Wyllt野人英語版を意味する[2]綽名で、Elis Gruffyddの著作[3]にみられる。
  5. ^ ラテン語名の日本語表記について、「メルリーヌス」が六反田 (1979), p. 1 に、「メルリヌス」が木村 (2022), p. 250, ヴァルテール & 渡邉・渡邉訳 (2018), p. 369, コグラン & 山本訳 (1996), p. 244 にみられる。
  6. ^ 「マルジン・エムリス」の表記は木村 (2022), p. 250 にみられる。
  7. ^ その他、マルジン・エムリスウェールズ語: Myrddin Emrys, Emrys はラテン語名アンブロシウス (Ambrosius) をウェールズ語読みにしたもの)[6]メルリヌス・カレドニスラテン語: Merlinus Caledonensis,「カレドニアのメルリヌス」を意味する)、 Merlin Sylvestris ("of the woods") という表記もみられる。
  8. ^ 木村 2022, p. 249.
  9. ^ グウェンジーズの日本語表記について、ウェールズ語名については、「グウェンジーズ」の表記がヴァルテール & 渡邉・渡邉訳 (2018), p. 111 に、「グウェンディズ」の表記がコグラン & 山本訳 (1996), p. 110 にみられる。ラテン語名については、「ガニエーダ」の表記が六反田 (1979), pp. 13, 63 に、「ガニエダ」の表記がヴァルテール & 渡邉・渡邉訳 (2018), p. 111, コグラン & 山本訳 (1996), pp. 110, 246 にみられる。
  10. ^ 森野 (2017), p. 264 では『カーマーゼンの黒本』所収の「マルジンとタリエシンの対話」「ブナ」「林檎の木」「子豚」の4篇の詩が挙げられている。
  11. ^ 「グウェンゾレイ・アプ・ケイディオ」の表記が木村 (2022), p. 249 に、「グウェンゾライ」の表記が森野 (2017), p. 264 にみられる。
  12. ^ 「アルヴデラズの戦い」の表記が木村 (2022), p. 249 に、「アルヴデリーズの戦い」の表記が森野 (2017), p. 264 にみられる。
  13. ^ 「ケンティゲルン」の表記は森野 (2017), p. 264, ヴァルテール & 渡邉・渡邉訳 (2018), p. 401 にみられる。
  14. ^ 「ライロケン」の表記は森野 (2017), p. 264, ヴァルテール & 渡邉・渡邉訳 (2018), p. 401, コグラン & 山本訳 (1996), p. 275 にみられる。
  15. ^ 「メルリュヌム」の表記はヴァルテール & 渡邉・渡邉訳 (2018), p. 401 にみられる。

参考文献[編集]

  • 木村, 正俊『ケルト神話・伝承事典』論創社、2022年7月15日。ISBN 978-4-8460-2177-1  - 249-251頁に「マルジン」の項目あり。
  • 森野, 聡子 著「マルジン・ウィスト」、木村正俊、松村賢一 編『ケルト文化事典』東京堂出版、2017年5月20日、264頁。ISBN 978-4-490-10890-3 
  • 小宮, 真樹子 著「マーリン」、木村正俊、松村賢一 編『ケルト文化事典』東京堂出版、2017年5月20日、294-295頁。ISBN 978-4-490-10890-3 
  • ヴァルテール, フィリップ『アーサー王神話大事典』渡邉浩司(訳)、渡邉裕美子(訳)、原書房、2018年2月10日。ISBN 978-4-562-05446-6  - 369-371頁に「メルラン」の項目あり。
  • コグラン, ローナン『図説アーサー王伝説事典』山本史郎(訳)、原書房、1996年8月18日。ISBN 978-4-562-04244-9  - 244-250頁に「マーリン」の項目あり。
  • 六反田, 収「ジェフリー・オヴ・マンマス : 『メルリーヌス伝』(訳)(1)」『英文学評論』第41巻、京都大学教養部英語教室、1979年、1-65頁。 
  • 六反田, 収「ジェフリー・オヴ・マンマス : 『メルリーヌス伝』(訳)(2)」『英文学評論』第43巻、京都大学教養部英語教室、1980年、1-72頁。 

関連項目[編集]