マラヤーラム語映画

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マラヤーラム語映画
Malayalam cinema
Vigathakumaran.jpg
初のマラヤーラム語映画『Vigathakumaran』のワンシーン
スクリーン 1,100(ケーララ州[1]
主な配給業者 アーシルヴァド・シネマズ英語版
マックスラブ・シネマズ&エンターテインメンツ英語版
ムラクッパダム・フィルムズ英語版
LJフィルムズ
フライデー・フィルムハウス英語版
ギャラクシー・フィルムズ英語版
ラヴァティ・カラマンディル英語版
メリーランド・スタジオ英語版
ナヴォダヤ・スタジオ英語版
グラーンド・プロダクション英語版
スリー・ゴークラム・フィルムズ
オーガスト・シネマ英語版
カーラサンガム・フィルムズ英語版
映画撮影数(2016年)
合計 134
興行成績 (2013年)[2]
合計 ₹2,500,000,000 - 2,750,000,000

マラヤーラム語映画(マラヤーラムごえいが、Malayalam cinema)は、インドの映画のうちマラヤーラム語で製作された映画であり、ケーララ州南部に拠点を置く映画産業を指す。「モリウッド(Mollywood)」の通称で知られ、インドにおいて4番目の規模を誇る映画産業である[3]

概要[編集]

コーチの映画館パドマ・シネマズ

1947年以前のマラヤーラム語映画はサイレント映画2本、トーキー映画3本のみしか製作されておらず、本格的な製作活動が行われるようになったのは20世紀後半に入ってからだった[4][5]。これはケーララ州政府英語版の財政支援政策が実施されたことが大きく影響しており、マラヤーラム語映画の年間製作本数は6本(1950年代)、30本(1960年代)、40本(1970年代)と増加し、1980年代には127本の映画が製作された[4]

1920年代初頭のマラヤーラム語映画の産業拠点はティルヴァナンタプラムに置かれており、1940年代後半までに産業は急速な発展を遂げた。その後、産業拠点は南インド映画の中心地だったマドラスに移行し、1980年代後半までに再びケーララ州に戻った[6]。現在のマラヤーラム語映画ではロケーション撮影、スタジオ撮影、プロダクション、ポストプロダクションの大半はティルヴァナンタプラムとコーチで行われており、複数のメディアではコーチをマラヤーラム語映画の産業拠点と報じている[7][8][9][10]

マラヤーラム語映画は撮影技法とストーリーラインが現実主義的なことで知られ、『死の玉座』『Vanaprastham』は第52回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門で上映された[11][12]。また、『死の玉座』はカメラ・ドールを受賞している[13][14][15]。1982年公開の『Elippathayam』はロンドン映画祭サザーランド杯を受賞し、英国映画協会の「最も想像的なオリジナル映画」に選ばれている。ラジーヴ・アンチャル英語版の『Guru』、サリーム・アハメド英語版の『Adaminte Makan Abu』はアカデミー外国語映画賞インド代表作品英語版に選ばれている。アドゥール・ゴーパーラクリシュナン英語版の『Mukhamukham』『Anantaram』『Mathilukal』『Vidheyan』『マン・オブ・ザ・ストーリー』『Nizhalkuthu』はFIPRESCI賞を受賞した[16]。この他に国際的な評価を得た作品はシカゴ国際映画祭で賞状、カンヌ国際映画祭で最優秀撮影賞を受賞した『Chemmeen[17]第31回カンヌ国際映画祭などで31の映画賞を受賞した『Piravi[12][18]イタリアのベルガモ映画会議でブロンズ・ローザ・カムナを受賞した『Swaham[12][13][14][15]、インド初の3D映画『My Dear Kuttichathan[19]、マラヤーラム語映画初のシネマスコープ映画Thacholi Ambu』がある[20]

2010年代に入り、マラヤーラム語映画はスリランカで人気を集めている[21]。これはシンハラ人マラヤーリ英語版の文化的類似性が共感を得ているためと分析されている[21]

歴史[編集]

1950年代以前[編集]

『Balan』のポスター
『Marthanda Varma』のワンシーン

1907年にトリシュール英語版において手動操作の映写機を備えた最初の映画館がカットゥーカラン・ヴァラニー・ジョゼフ英語版によって設立され、これがケーララ州における最初の映画館となった。1913年にはカットゥーカランによって同地に常設劇場「ジョゼ・エレクトリック・バイオスコープ」が設立され、この劇場は現在では「ジョゼ・シアター英語版」と呼ばれている[22][23][24]

1930年に最初のマラヤーラム語映画『Vigathakumaran』が公開された。同作は1928年に製作が始まり、1930年10月23日にティルヴァナンタプラムのキャピタル・シアターで上映された。同作の監督・プロデューサー・脚本を務めたJ・C・ダニエル英語版は実業家で映画業界での経験は皆無だったが、現在では「マラヤーラム語映画の父」と呼ばれている[25]。彼は同作の製作に当たり、ケーララ州初の映画スタジオ「トラヴァンコール・ナショナル・ピクチャーズ」を設立している[25]。1933年にC・V・ラーマン・ピラーイ英語版の小説を原作としたP・V・ラオの『Marthanda Varma』が公開されたが、公開4日後に著作権を巡り訴訟問題に発展し、フィルムは没収された[25]

1938年に最初のマラヤーラム語トーキー映画『Balan』が公開され、S・ノッタニ英語版が監督、ムトゥクラム・ラガヴァン・ピラーイ英語版が脚本を手掛けた[26]。同作は現在のタミル・ナードゥ州セーラムモダン・シアターズ英語版で製作された。ノッタニは1940年に『Gnanambika』を監督し、1941年にはK・スブラーマニアムが『Prahlada』を監督している。

1947年以前のマラヤーラム語映画はタミル人プロデューサーによって製作されていた。最初にマラーティー語映画に参入したマラヤーリはP・J・チェリアンであり[27]、彼の参入後にマラヤーラム語映画は大きな変化を遂げた。彼は1948年にジョゼフ・チェリアン(息子)、ベイビー・ジョゼフ(義理の娘)を主演に迎えて『Nirmala』を製作し、「上流階級の人間は演技をしない」というタブーを破り、家族の多くをプロデュース作品に起用した。また、家族向けの社会テーマを題材にし、映画産業における音楽やプレイバックソングの導入を行ったパイオニアとなった。著名な詩人G・サンカラ・クラップ英語版が作詞したプレイバックソングは大衆の人気を集め、これ以降マラヤーラム語映画においてダンス・ソング・シークエンスは重要な要素として認識されるようになった。

1950年代[編集]

マラヤーラム語映画は常に文学、ドラマ、政治の要素を取り入れた社会問題をテーマに製作しており、1951年に公開された『Jeevitha Nouka』は大家族制を題材にしたミュージカル映画だった。1954年公開の『Neelakuyil』はナショナル・フィルム・アワード 最優秀マラヤーラム語長編映画賞英語版を受賞した最初の作品となった[28]。同作は著名なマラヤーラム語詩人ウルーブ英語版が脚本を手掛け、P・バースカラン英語版ラーム・カリアット英語版が共同監督を務めた。1955年公開の『Newspaper Boy』はネオレアリズモの影響を受けた貧困問題を題材にしたドラマ映画で、監督のP・ラームダスを始め製作スタッフ全員が大学生だったことが注目を集めた[29]

映画音楽は従来の主流だったタミル語・ヒンディー語楽曲の模倣を離れ、P・バースカランやO・N・V・クラップ英語版などの作詞家が登場した。また、ラクシュマナン兄弟、V・ダクシナムールティ英語版G・デーヴァラージャン英語版バーブラージ英語版などの作曲家が独自のマラヤーラム語音楽を手掛けるようになった。

1960年代[編集]

マラヤーラム語映画の撮影風景

『Neelakuyil』の共同監督だったラーム・カリアットとP・バースカランは、1960年代から1970年代にかけて成功を収めた監督となった。この年代の代表作には『Odayil Ninnu』『Bhargavi Nilayam』『Chemmeen』『Murappennu』『Iruttinte Athmavu』がある。1961年には最初のマラヤーラム語カラー映画『Kandam Becha Kottu』が公開された。ラーム・カリアットが監督した『Chemmeen』は大衆の人気を集め、南インド映画で初めてナショナル・フィルム・アワード 最優秀長編映画賞英語版を受賞した。

1960年代のマラヤーラム語映画はナショナリスト社会主義者が製作に関わることが多く、カーストと階級間搾取、反啓蒙主義者との闘い、封建階級の衰退、大家族制の分裂などの社会問題を題材とした映画が主流となった[30]。この年代ではM・クリシュナン・ナーイル英語版クンチャコ英語版P・スブラーマニアム英語版などの映画製作者が活躍し、特にクンチャコはウダイ・ピクチャーズ英語版を設立して映画産業のマドラス依存の脱却を図り、ケーララ州内での映画製作を促進するなどマラヤーラム語映画界に多大な貢献を果たした。また、時世代を牽引するP・N・メノン英語版ゴーヴィンダン・アラヴィンダン英語版アドゥール・ゴーパーラクリシュナン英語版などが登場した。

1970年代[編集]

マラヤーラム語映画の撮影風景

1970年代に入り、マラヤーラム語映画に新しい潮流が生まれた。映画産業の社会運動の発展により、イタリアフランスのニューウェーブ監督の作品が輸入されたためである。そんな中、マラヤーラム語映画にはパラレル映画英語版が登場し、1972年にゴーパーラクリシュナンが監督した『Swayamvaram』は国際市場にマラヤーラム語映画を認知させる契機となった。1973年にM・T・ヴァスデヴァン・ナーイル英語版が監督した『Nirmalyam』はナショナル・フィルム・アワード最優秀長編映画賞を受賞し、1975年にアラヴィンダンが監督した『Uttarayanam』はナショナル・フィルム・アワード最優秀マラーティー語長編映画賞を受賞している。この年代ではマンカダ・ラヴィ・ヴァルマ英語版P・S・ニヴァス英語版シャジ・N・カルン英語版ナショナル・フィルム・アワード 最優秀撮影賞英語版を受賞している。また、P・G・ヴィスワンバーラン英語版が『Ozhukinethire』で監督デビューし、続けて『Sathyavan Savithri』を製作した。この他にM・G・ソマン英語版スクマラン英語版サディール英語版などの俳優が労働者階級の問題を題材にした映画で活躍し、その中でジャヤン英語版は純粋なアクション映画のジャンルを確立し、マラヤーラム語映画における最初の商業映画スターとされている。しかし、彼は『Kolilakkam』の撮影中に事故死し、確立されたアクション映画のジャンルは短命に終わった。

1980年代[編集]

1980年代のマラヤーラム語映画は、ユーモアと憂鬱さが混在した簡潔なストーリーによって描かれる日常を題材とした作品が主流となった。K・G・ジョージ英語版は1982年に『Yavanika』を監督して高い評価を得ており、同時期にはハリハラン英語版が監督、M・T・ヴァスデヴァン・ナーイルが脚本を手掛けた『Panchagni』『Nakhakshathangal』『Aranyakam』『Oru Vadakkan Veeragatha』が製作され、ジョン・エイブラハム英語版は大衆から直接製作費を集めて『Amma Ariyaan』などの作品を製作した。この年代にはプリヤダルシャン英語版サティヤン・アンティカダン英語版カマル英語版シッディーケ=ラーイ英語版などの監督が登場した。1989年にシャジ・N・カルンが監督した『Piravi』はマラヤーラム語映画で初めてカメラ・ドールを獲得した[12]

モハンラル英語版マンムーティ英語版は、この時期にマラヤーラム語映画のスター俳優として登場し、モハンラルはナショナル・フィルム・アワードを5回、マンムーティは3回受賞している[31]

1990年代[編集]

マラヤーラム語映画の撮影風景

1990年代にはゴーパーラクリシュナンの『Mathilukal』、ヴィスワンバーランの『Kattu Kuthira』、バーラサン英語版の『Amaram』、カマルの『Ulladakkam』、プリヤダルシャンの『Kilukkam』、シビ・マライル英語版の『Kamaladalam』、I・V・サシ英語版の『Devasuram』、ファジル英語版の『Manichitrathazhu』、T・V・チャンドラン英語版の『Ponthan Mada』、バードラン英語版の『Spadikam』、シャジ・カイラス英語版の『Commissioner』『The King』、シッディーケ英語版の『Hitler』、ジャヤラージ英語版の『Desadanam』が製作された。

シャジ・N・カルンの『Swaham』はカンヌ国際映画祭コンペティション部門で上映された最初のマラヤーラム語映画であり、パルム・ドールにノミネートされた最初のマラヤーラム語映画でもある。1997年にラジーヴ・アンチャル英語版が監督した『Guru』はアカデミー外国語映画賞のインド代表作品に選ばれた最初のマラヤーラム語映画となった。1999年にムラリ・ナイールが監督した『死の玉座』は第52回カンヌ国際映画祭カメラ・ドールを受賞している[11]

2000年代[編集]

2000年代に入るとマラヤーラム語映画の品質は低下し、黄金期に活躍した監督たちも興行面・批評面で評価を得られずにいた。その結果、パラレル映画と主流映画との間のギャップが拡大した。2001年公開の『The Guard』は、世界で初めて出演者が1人(カラバワン・マニ英語版)のみで製作された映画として注目を集めた。この年代はスラップスティックが主流となり、ジョニー・アンソニー英語版の『C.I.D. Moosa』、ラール・ジョゼ英語版の『Meesa Madhavan』、サシ・シャンカール英語版の『Kunjikoonan』などが製作された。同時に過去のヒット作の続編映画が数多く製作され、代表作として『Meghamalhar』『Madhuranombarakattu』『Nandanam』『Perumazhakkalam』『Kaazhcha』などがある。2008年にはマラヤーラム映画アーティスト協会英語版の活動資金確保の一環として『Twenty:20』が製作された[32]

2010年代[編集]

J・C・ダニエル賞を受賞するスリークマラン・タンピ(2017年)

マラヤーラム語映画は質の劣化により数年間の停滞を生んだ後、2010年代に入り新世代映画英語版の監督たちによって産業が復興された[33][34]。新世代映画の特徴は、新鮮で型破りな題材と技術的に進化した新しい物語にあり[33][35]、これらの映画は過去年間のマラヤーラム語映画とは異なる作品として登場し、映画産業に新しい潮流を作り出した[36]。新世代映画のフォーマットは国際的あるいはインド国内のトレンドに強く影響されているが、それらの題材はいずれもマラヤーリの生活に根差した形式が整えられている[37]。新世代映画は「過去のマラヤーラム語映画の栄光を取り戻した」として高い評価を得ている[38]

2011年にサリーム・アハメド英語版が監督した『Adaminte Makan Abu』はアカデミー外国語映画賞インド代表作品に選ばれた史上2本目のマラヤーラム語映画となり、同年公開の『Christian Brothers』は当時最も広範囲に配給されたマラヤーラム語映画となり、ケーララ州154センター、インド各州90センター、国外80センターで上映された。この記録は2014年に公開されたアルン・ヴァイディヤナサン英語版の『Peruchazhi』によって破られ、同作は国内外500スクリーンで上映された[39]。2013年に公開された『Drishyam』は興行収入が5億ルピーを超えた最初のマラヤーラム語映画となり、4言語映画でリメイクされている[40]。2016年公開の『Pulimurugan』は、興行収入が10億ルピーを超えた最初のマラヤーラム語映画となった。

マラヤーラム語映画の人材[編集]

映画製作者[編集]

J・C・ダニエル
P・バースカラン
アドゥール・ゴーパーラクリシュナン
M・T・ヴァスデヴァン・ナーイル
シャジ・N・カルン
I・V・サシ
K・G・ジョージ
カマル
ラジーヴ・アンチャル
サリーム・アハメド
ヴィナヤン
プリトヴィラージ・スクマラン

最初のマラヤーラム語映画『Vigathakumaran』を製作したJ・C・ダニエル英語版は、同作で監督の他にプロデューサー、脚本、主演を務めている。彼はプラーナ文献を原作とする当時のインド映画と異なり、社会問題を題材に選んでいる[41]。同作は興行的に失敗したものの、その後のマラヤーラム語映画の道を開いた「マラヤーラム語映画の父」と認識されている。1950年代までマラヤーラム語映画にはヒット作を製作できる監督が存在しなかったが、1958年にヒットを記録した『Neelakuyil』が登場し、共同監督を務めたP・バースカラン英語版ラーム・カリアット英語版が脚光を浴びた[42]。この他に1950年代に人気を集めた監督には、『Newspaper Boy』のP・ラームダスがいる。1960年代から1970年代にかけてはラーム・カリアット英語版が人気を集め、『Neelakuyil』で撮影監督を務めたA・ヴィンセント英語版も映画監督として活躍するようになった[43]

1970年代にマラヤーラム語映画は転換期を迎え、パラレル映画英語版が登場した。このジャンルの中心人物として台頭したのがゴーヴィンダン・アラヴィンダン英語版アドゥール・ゴーパーラクリシュナン英語版だった。また、ジョン・エイブラハム英語版P・A・バッカー英語版は政治的題材を取り込み、マラヤーラム語映画に新しいジャンルを確立した。1970年代後半には、パラレル映画の深遠なテーマ性と大衆映画の娯楽性を兼ね合わせた「中流映画(middle-stream cinema)」が登場し、このジャンルを牽引した監督としてP・N・メノン英語版I・V・サシ英語版P・G・ヴィスワンバーラン英語版バーラサン英語版K・G・ジョージ英語版パドマラージャン英語版が挙げられる[44]

1980年代から1990年代にかけて各ジャンル間の境界が狭まり、若手の監督がマラヤーラム語映画に登場した。代表的な監督にはプリヤダルシャン英語版バードラン英語版ファジル英語版ジョーシー英語版ハリハラン英語版K・マドゥ英語版サティヤン・アンティカダン英語版カマル英語版シッディーケ=ラーイ英語版がいる。また、著名な脚本家としてT・ダモダラン英語版アンバザティール・カルナカラン・ロヒザダス英語版スリーニヴァサン英語版が挙げられる。

2000年代は映画の品質が低下したものの、シャジ・N・カルン英語版レニン・ラジェンドラン英語版シャーマプラサード英語版ジャヤラージ英語版はヒット作を監督して高い評価を得ている。この時期にはブレッシー英語版ラール・ジョゼ英語版ランジート英語版ローシャン・アンドリュース英語版アマル・ニーラド英語版アーシク・アブー英語版Dr.ビジュ英語版ヴィニート・スリーニヴァサン英語版ジョー・ジョゼ・パリッセリー英語版が登場した[45][46]

作曲家・歌手[編集]

P・リーラー
G・デーヴァラージャン
V・ダクシナムールティ
スリークマラン・タンピ
O・N・V・クラップ
M・K・アルジュナン
M・S・ヴィスワナサン
K・J・イェスダス
K・S・チスラ
P・ジャヤチャンドラン
ジョンソン
カヴァラム・ナーラーヤナ・パニッカル
ヴィジャイ・イェスダス
シュウェータ・モハン
マンジャーリ
ジョツナ・ラーダクリシュナン

ケーララ州において、マラヤーラム語映画音楽は最も人気のある音楽として定着している[47]。映画産業の発展以前はタミル語映画ヒンディー語映画の音楽が人気を集めていた。1948年公開の『Nirmala』で初めてプレイバックソングが映画に取り入れられ、作曲はP・S・ディヴァカルが手掛け、歌手としてP・リーラー英語版、T・K・ゴーヴィンダ・ラオ、ヴァスデーヴァ・クラップ、C・K・ラガヴァン、サロージニ・メノン、ヴィマラ・V・ヴァルマが参加している。この中でヴィマラ・V・ヴァルマはマラヤーラム語映画における最初のプレイバックシンガーとされている[48]

初期のプレイバックソングは、タミル語映画やヒンディー語映画でヒットした曲を使用する傾向にあったが、1950年代に入ると多くの詩人やミュージシャンが独自の曲を作るようになった。1950年代半ばにはマラヤーラム語映画独自のアイデンティティを確立し、ラクマナン兄弟、G・デーヴァラージャン英語版V・ダクシナムールティ英語版M・S・バーブラージ英語版K・ラガヴァン英語版ヴァヤラール・ラーマヴァルマ英語版P・バースカラン英語版O・N・V・クラップ英語版スリークマラン・タンピ英語版などの音楽監督、作詞家が登場した[49]。この時代のプレイバックシンガーとしてはカムカラ・プルショーサマン英語版K・P・ウダヤバーヌ英語版A・M・ラージャー英語版、P・リーラー、P・スシェーラ英語版P・マドゥリ英語版S・ジャーナキ英語版がいる。これらのプレイバックシンガーはケーララ州で高い人気を集め、マラヤーラム語映画黄金時代(1960年代 - 1970年代)の一翼を担った。

後にマンナ・デイ英語版タラット・マフムード英語版ラタ・マンゲシュカルアシャ・ボスレS・P・バーラースブラマニアム英語版などの非マラヤーリのプレイバックシンガーが人気を集めた。また、ナウシャド英語版ウーシャ・カンナー英語版M・B・スリーニヴァサン英語版ラヴィ英語版シャーム英語版バッピー・ラヒーリ英語版ラクシュミカント=ピヤリラール英語版サリル・チョーダリー英語版イライヤラージャ英語版ヴィシャール・バルドワージ英語版A・R・ラフマーンなど他の言語映画の作曲家も参入するようになった[49]。1950年代後半から1970年代半ばのマラヤーラム語映画音楽の黄金時代に活躍した人物としてM・K・アルジュナン英語版M・S・ヴィスワナサン英語版A・T・ウメル英語版R・K・シェーカル英語版が挙げられる。

1961年にデビューしたK・J・イェスダス英語版はマラヤーラム語映画音楽に革命をもたらし、K・S・チスラ英語版と並ぶ人気プレイバックシンガーとなった。イェスダスは伝統音楽と映画音楽のファン双方から人気を集め[50]P・ジャヤチャンドラン英語版と共に1960年代から1970年代にかけてプレイバックソングを改革した。

1970年代に入ると西洋的でリズミカルな音楽が主流となり、シャームやK・J・ジョイ、ジェリー・アマルデヴ英語版が台頭した。ラヴィーンドラン英語版ジョンソン英語版M・G・ラーダクリシュナン英語版と共にケーララの文化を取り込んだメロディアスでクラシックな音楽を作り出し、マラヤーラム語映画音楽において2度目の革命を主導した。この変革期にはプーヴァチャル・カディル英語版カヴァラム・ナーラーヤナ・パニッカル英語版ビチュ・ティルマラ英語版カイサプラーム・ダモダラン英語版V・マドゥスーダナン・ナーイル英語版ギリーシュ・プテンチェリー英語版カンナル・ラージャン英語版S・P・ヴェンカテーシュ英語版モハン・シサラ英語版オウセッパチャン英語版シャーレス英語版ヴィディヤサーガル英語版が登場した。

現代のマラヤーラム語映画ではラーフル・ラージ英語版プラシャーント・ピラーイ英語版シャーン・ラフマーン英語版ビジバール英語版ゴピ・スンダル英語版アルフォンス・ジョゼフ英語版ラジェシュ・ムルゲサン英語版ラフィーク・アハメド英語版ヴァヤラール・サラース・チャンドラ・ヴァルマ英語版ヴィジャイ・イェスダス英語版シュウェータ・モハン英語版マンジャーリ英語版ジョツナ・ラーダクリシュナン英語版などが活躍している。若手の作曲家の中にはラーフル・ラージやプラシャーント・ピラーイのように電子機器やデジタルサウンドなどを用いて作曲している[51]

ランドマーク映画[編集]

作品 監督 備考 出典
1928 Vigathakumaran J・C・ダニエル マラヤーラム語映画初の長編映画。 [52]
1933 Marthandavarma P・V・ラオ インド映画において初めて著作権侵害訴訟に発展した映画。 [53]
1938 Balan S・ノッタニ マラヤーラム語映画初のトーキー映画。 [54]
1948 Nirmala P・V・クリシュナ・アイヤール マラヤーラム語映画で初めてプレイバックソングを導入した映画。 [55]
1954 Neelakuyil P・バースカラン
ラーム・カリアット
ナショナル・フィルム・アワード最優秀マラヤーラム語長編映画賞を受賞した最初の映画。 [42]
1955 Newspaper Boy P・ラームダス ネオレアリズモに基づき製作された最初のマラヤーラム語映画。製作スタッフのほぼ全員が学生で構成されていた。 [56]
1961 Kandam Becha Kottu T・R・サンダラム マラヤーラム語映画初のカラー映画。 [57]
1964 Bhargavi Nilayam A・ヴィンセント マラヤーラム語映画初のホラー映画。 [58]
1965 Chemmeen ラーム・カリアット ナショナル・フィルム・アワード最優秀長編映画賞を受賞した最初のマラヤーラム語映画。 [59]
1965 Murappennu A・ヴィンセント 初めて屋外撮影されたマラヤーラム語映画。
1966 Iruttinte Athmavu P・バースカラン P・バースカランとプレーム・ナジル英語版の製作作品の中で高い評価を得ている。
1967 Chithramela T・S・ムティアー マラヤーラム語映画初のアンソロジー映画 [60]
1972 Swayamvaram アドゥール・ゴーパーラクリシュナン パラレル映画のパイオニア的作品。ナショナル・フィルム・アワード 最優秀監督賞英語版を受賞した最初の映画。 [61]
1974 Kanchana Sita ゴーヴィンダン・アラヴィンダン 南インド映画における自主映画のパイオニア的作品。 [62]
1978 Thacholi Ambu ナヴォダヤ・アッパチャン英語版 マラヤーラム語映画初のシネマスコープ映画。 [63]
1982 Padayottam ジジョ・パンヌース英語版 南インド映画初の70mmフィルム映画。 [64]
1984 My Dear Kuttichathan インド映画初の3D映画。 [19]
1986 Amma Ariyan ジョン・エイブラハム 市民から製作費を集めて製作された最初のマラヤーラム語映画。英国映画協会の「インド映画トップ10」にランクインしている唯一の南インド映画。 [65][66]
1993 O' Faby K・スリークタン インド映画初の実写・アニメーション混在映画。 [67]
1994 Swaham シャジ・N・カルン パルム・ドール候補に挙がった最初のマラヤーラム語映画。
1997 Guru ラジーヴ・アンチャル アカデミー外国語映画賞インド代表作品に選出された最初のマラヤーラム語映画。 [68]
2005 Athbhutha Dweepu ヴィナヤン英語版 「世界で最も多くのドワーフを登場させた映画」としてギネス世界記録に登録されている。同時に主演俳優アジャイ・クマール英語版も「世界で最も身長の低い俳優」として登録された。 [69]
2006 Moonnamathoral V・K・プラカーシュ英語版 マラヤーラム語映画初のデジタル映画、HD映画、衛星配信映画。 [70]
2009 Kerala Varma Pazhassi Raja ハリハラン Blu-ray Discでソフト販売された最初のマラヤーラム語映画。 [71]
2010 Jalachhayam サティーシュ・カラティル英語版 カメラ付き携帯電話で撮影された最初のインド映画。 [72]
2012 Grandmaster B・ウンニクリシュナン英語版 映画祭を除いてケーララ州外で字幕付き上映が行われた最初のマラヤーラム語映画。 [73]
2013 Drishyam ジートゥ・ジョゼフ英語版 興行収入が5億ルピーを超えた最初のマラヤーラム語映画。 [40]
2016 Pulimurugan ヴァイシャーク英語版 100カロール・クラブ入りを果たした最初のマラヤーラム語映画。 [74]
2017 Villain B・ウンニクリシュナン マラヤーラム語映画初の8K映画英語版 [75]
2019 Lucifer プリトヴィラージ・スクマラン英語版 興行収入が20億ルピーを超えた最初のマラヤーラム語映画。

祭典[編集]

ケーララ州映画賞[編集]

ケーララ州映画賞は、マラヤーラム語映画を表彰する映画賞である[76]。当初はケーララ州文化局英語版が主催していたが、1998年からはケーララ州映画アカデミー英語版が主催している[77]。映画賞は1969年に創設され、文化局と映画アカデミーが任命した選考委員によって審査される。選考委員は通常、マラヤーラム語映画界の人物から任命される。

ケーララ国際映画祭[編集]

ケーララ国際映画祭は、ケーララ州都ティルヴァナンタプラムで開催される。1996年に初めて開催され、ケーララ州映画アカデミーが主催している。毎年11月から12月の間に開催されており、インドにおける主要な映画祭の一つとして認知されている[78]

施設・組織[編集]

映画スタジオ[編集]

チトランジャリ・スタジオ

1926年にJ・C・ダニエルによってトラヴァンコール・ナショナル・ピクチャーズが設立され、これがケーララ州で最初の映画スタジオとなった[79][80]。1947年にクンチャコとK・V・コーシーによってウダヤ・ピクチャーズ英語版が設立され[81]、同スタジオの存在によってマラヤーラム語映画の製作拠点はタミル・ナードゥ州からケーララ州へ段階的に移行された。1951年にP・スブラーマニアムがメリーランド・スタジオ英語版を設立し[82]、この他に主要な映画スタジオとしてスリークリシュナ・スタジオ(1952年)、アジャンサ・スタジオ(1958年)[83]、チスラレーカ・スタジオ(1965年)[84]、ウマ・スタジオ(1975年)[85]ナヴォダヤ・スタジオ英語版(1978年)[86]チトランジャリ・スタジオ英語版(1980年)が設立された[86]。このスタジオの中でアジャンサ・スタジオのみが現存していない。

組織[編集]

マラヤーラム映画アーティスト協会英語版は、マラヤーラム語映画のスタッフによって設立された団体である[87]。同団体は映画動画の違法配信や加入俳優の利益の保護、業界内の問題の提起と解決を主な活動としている。この他にも保険、賃金改定や福利厚生、映画研究、年金、加入者の子供に対する教育ローンの運用も行っている。この他に業界団体としてケーララ映画製作者協会、ケーララ映画配給業者協会、ケーララ映画興行者連盟、ハイパーリンク・フィルムクラブが存在する[88]

出典[編集]

  1. ^ STATEWISE NUMBER OF SINGLE SCREENS”. Film Federation of India. 2014年4月21日閲覧。
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