ボーイズIIメン

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ボーイズIIメン
Boyz II Men
Boyz II Men - Live at Vega cropped.jpg
基本情報
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 フィラデルフィア
ジャンル R&Bソウル
活動期間 1988年 - 現在
レーベル モータウン,
rhythm zone (日本)
事務所 MSM Music Group
BBMC (日本)
メンバー ウォンヤ・モリス
ショーン・ストックマン
ネイザン・モリス
旧メンバー

マイケル・マッケリー

マーク・ネルソン
ニュー・エディションボビー・ブラウン

ボーイズ・II・メン(Boyz II Men)米国フィラデルフィア出身のヴォーカル・グループ。

90年代に「End Of The Road」を始めとする幾つもの全米ナンバーワンソングを記録し、R&Bの一時代を築いた。

Boys II Men は誤記。

バイオグラフィー[編集]

1988年、フィラデルフィアの地元の高校に通う4人組、ウォンヤ・モリスマイケル・マッケリーショーン・ストックマンネイザン・モリスによって結成される。1989年にベル・ビヴ・デヴォー/B.B.Dのコンサートへ行き、楽屋に潜り込みアカペラを披露しそのまま契約に至る。 2002年にマッケリーが健康上の問題を理由に脱退、以後は新メンバーを迎えることなくトリオ編成のままで活動を続けている。 グループ名はニュー・エディションボビー・ブラウンが在籍していたグループ)の曲名「Boys To Men」から取られている。

メンバー

ネイサン・モリス(Nathan Morris)

ワンイェ・モリス(Wanya Morris)

ショーン・ストックマン(Shawn Stockman)

マイケル・マッカリー(Michael McCary) (2003年に脱退)


元メンバー

マーク・ネルソン(Marc Nelson) (デビュー前までのメンバー)


ボーイズ・トゥ・メンと言えば、心に響くバラードの名曲とアカペラのハーモニーが浮かぶ。当初は4人編成だったが、マイケル・マッカリー(Michael McCary)脱退後はネイサン・モリス(Nathan Morris)が低音とメインを担当、高音部はワンイェ・モリス(Wanya Morris)とショーン・ストックマン(Shawn Stockman)というトリオで活動している。4人編成でモータウンに所属していた1990年代に一時代を築いた。マイケル・マッカリーが2003年に脱退したのは健康上の理由による。 1990年代、彼らは世界的規模で成功を収めた。きっかけは1992年にリリースした"End of the Road" この曲はアメリカ国内にとどまらず世界各国のチャートで1位を記録した。ビルボードヒットチャート13週連続1位という記録はエルヴィス・プレスリーが数十年前に達成した記録を打ち破るものだったが、続いてリリースした"I'll Make Love to You" (同チャート14週連続1位)、 "One Sweet Day" (with Mariah Carey)(同チャート16週連続1位)でさらに記録を伸ばした。"I'll make love to you"はオーストラリアでも4週連続1位を記録、また2015年時点で"One Sweet Day"がうちたてた16週連続1位の記録はいまだに破られていない。 ビルボードチャート1位在位期間では通算50週。これは史上4番目の記録である(2014年時点)。"I'll Make Love to You" が”On Bended Knee”に1位の座を明け渡したことで、彼らはビルボードチャート1位を自らの曲で入れ替えた。これはビートルズ、プレスリーに続く記録である。ビルボードマガジンでは、「1990年代で最も成功したグループ 第4位」に挙げられている。 現在も3人編成で活動し、世界各国でツアーを行っている。最新のスタジオアルバム"Collide"は2014年にリリースされた。

1985–1990 始まりは[編集]

1985年、Philadelphia High School for the Creative and Performing Arts (CAPA)にて、ネイサン・モリスとマーク・ネルソンによって結成された" Unique Attraction"というグループである。当初のメンバーは同級生の ジョージ・バルディ、ジョン・ショーツ、マーガリッテ・ウォーカー。1987年、学校のコーラス部でこのメンバーと知り合いだったワンイェ・モリスが加わる。新入生だった彼がこのグループに最後まで残ることになる。1988年、バルディ、ショーツそしてマーガリッテが卒業と同時にグループを離れた。グループが新たにメンバーに加えたのがショーン・ストックマン。コーラス部で彼のソロを耳にしたことがきっかけだった。

マイケル・マッカリーの参加は偶然の出来事と言っていい。ある日、高校のバスルームでネイサン、マーク、ワンイェそしてショーンが歌の練習をしていると、マイケルがやってきて、彼らに合わせて歌った。やがて彼がこのグループのバスパートを引き受けることになる。こうしてメンバーが固まった。彼らが学校のバスルームで練習を続けたのは、そこで歌うと響きが良かったからだ。やがてそこが彼らの集う場所になった。

彼らが影響を受けたのは、ニュー・エディションの曲やハーモニーだった。やがて彼らはニュー・エディションの曲の一つにちなんでグループ名を変えた。

「ボーイズ・トゥ・メン」

1989年、彼らはチャンスを得る。高校のバレンタインパーティで街を訪れたニュー・エディションの楽屋に飛び込むと、メンバーのマイケル・ビヴンズの前で彼らは歌った。そこにいたのは同じニュー・エディションのメンバー、リッキー・ベルとロニー・デヴォー(グループのスピンオフとしてあのベル・ビヴ・デヴォーの結成を告知したばかりだった)。彼らが歌った"Can You Stand The Rain"(ニュー・エディションの曲)は、メンバーやスタッフその他、その場にいたすべての人々を感動させた。マイケルは彼らに電話番号を伝え、連絡してくれと彼らに話した。

後日ネイサンはマイケル・ビヴンズに電話をし、マイケルはこのグループのマネージメントを、そしてプロデュースを引き受けることを約束した。 しかし、その後のレコーディングは遅々として進まず、また個人的な事情もあって、結成当時からのメンバーだったマーク・ネルソンがグループを離れるに至った(※飛行機に乗るのが嫌で脱退した、と後日本人がインタビューで語っています)。 こうしてボーイズ・トゥ・メンは4人編成としてを世界的名声を得る一歩を踏み出した。


1991: Cooleyhighharmony[編集]

1991年、ファーストアルバム"Cooleyhighharmony"がモータウンからリリースされた。プロデューサーはマイケル・ビヴンズ。アルバムはドラムサウンドに重点を置いたニュー・ジャック・スウィングで、多重録音を背後に重ねるスタイルはベル・ビヴ・デヴォー(BBD)の手法を採り入れているとも言えるが、BBDがラップや退廃的色彩を帯びたヴォーカルを売りにしていたのと対照的に、ボーイズ・トゥ・メンはクラシック・ソウル・スタイルのヴォーカルを全面に出した。このスタイルにメンバーそしてマイケル・ビヴンズのヒップホップ・ドゥーワップが重ねられる。BBDの系譜を引き継ぐグループとして、ボーイズ・トゥ・メンそして弟分のアナザー・バッド・クリエイションに代表されるのがこのスタイルである。

一般的にR&Bグループの多くが1人ないし2人のリードヴォーカルとバックコーラスというアレンジであることが多いが、ボーイズ・トゥ・メンは当初からメンバー全員がリードヴォーカルという形を取っていた。このスタイルは彼らのトレードマークとなる。ワンイェ・モリスのビブラートの効いたテナー、ショーン・ストックマンのテナー、ネイサン・モリスのバリトンとマイケル・マッカリーのバス(彼はいくつかのヒット曲で台詞も担当している)。

アルバムのライナーノートにはそれぞれのメンバーのニックネームが記されているが、これはアルバムのマーケティングのためにマイケル・ビヴンズと共に生み出したものである。ワンイェは「青二才」、ショーンは「やせっぽっち」、マイケルはそのまま「バス」、ネイサンは「アレックス・ヴァンダープール」(ABCのドラマの登場人物にちなんだ名前)。

ファーストシングル"Motownphilly"はダラス・オースティンのプロデュース。マイケル・ビヴンズがラップの部分でカメオ出演し、このグループとの馴れ初めについて語っている。ミュージックビデオはヒップホップスタイルの色彩が強い。カメオ出演で、彼らの出身校の同窓生であるブラック・ソートとクエストラヴが出演している(ザ・ルーツのメンバー)。アルバムからのセカンドシングルは、モータウンの古典的名曲。G.C.キャメロンの"It's so hard to say goodbye to yesterday"、1975年の映画"Cooley High"で使われた曲だった。続いて"Uhh Ahh"がサードシングルとしてリリースされた。

アルバムは900万枚出荷という成功を収め、1992年のグラミー賞を獲得した(R&Bデュオ/グループベストヴォーカル部門)。またイギリス人歌手シール、そして同期のヴォーカルグループであるカラー・ミー・バッド、ダンスグループC+Cミュージックファクトリーと共に最優秀新人賞にもノミネートされた(受賞したのはシンガーソングライターのマーク・コーン)。"Motownphilly"と"It's so hard to say goodbye to yesterday"はR&B部門で1位を獲得、USポップチャートでもトップ5に入った。

1992年、彼らはMCハマーの"2 Legit 2 Quit"ツアーに参加し、オープニングアクトを務める。米国ツアーの最中、ツアーマネージャーのカリル・ラウンドツリーがシカゴで殺害されるという事件が起きた。のちに賞を獲得した"It's so hard to say goodbye to yesterday"は彼に捧げられた曲である。この出来事が、そしてこの歌が彼らの成功を後押しすることとなった。

1992: "End of the Road"[編集]

1992年の全米ツアーのさなかも彼らは”End of the Road"のレコーディングのため頻繁にスタジオ入りした。この曲はケネス「ベイビーフェイス」エドモンズがプロデュース兼共作を担当したエディー・マーフィーの映画「ブーメラン」のサウンドトラックの1曲だった。1992年6月30日にリリースされたこの曲は彼らの最大のヒット曲である(今のところは)。1992年8月15日にビルボードチャート1位に達すると、同年11月7日まで13週連続1位にとどまり、ビルボードヒットチャートの歴史を塗り替えた。この曲の成功によって、彼らは前途有望なR&Bスターからあっという間にスターダムを駆け上がった。

ファーストアルバム"Cooleyhighharmony"は、1993年にこの曲を追加したバージョンで再リリースされた(ボーナス・トラックという位置づけ)。しかしこの曲は本来「ブーメラン」のサウンドトラックとして収録した1曲という扱いだったこともあり、のちにマイケル・ビヴンズがプロデュースした”East Coast Family, Vol. 1”ではシングルコレクションのひとつとしかみなされなかった。このコンピレーション・アルバムをリリースしてほどなく、グループとマイケル・ビヴンズの共作関係は終わりを迎え、彼らはあくまでプロとしての職業的な意味で決別することになった。ボーイズ・トゥ・メンはその後も数年間、ベイビーフェイスをはじめとする著名プロデューサーと曲を作り続けた。

1994: II[編集]

クリスマス向けコンピレーションアルバム”Christmas Interpretations”を1993年にリリースすると、彼らは再びスタジオワークに戻った。前作以上の期待が寄せられたのは言うまでもなく、彼らは見事にそれに答えた。1994年、”Ⅱ”がリリースされる。このアルバムはアメリカ国内だけで1,200万枚を出荷、R&Bグループがこれまでリリースしたアルバムのベストセラーのひとつであり、90年代を代表するアルバムのひとつである。

アルバムに収録されている曲の多くは、Tim&Bob(ティム・ケリーとボブ・ロビンソン)(5曲)、ベイビーフェイス(2曲)そしてあのジャム&ルイス(2曲)によるもの。ジャム&ルイスの"On Bended Knee"、ベイビーフェイスの"I'll Make Love to You"そして"Water Runs Dry"は、このアルバムを代表するシングルとしてヒットした。

"I'll Make Love to You"は"End of the Road"が記録したビルボード13週連続1位の記録を打ち破り、14週間連続でチャート1位に居続けた(同年にホイットニー・ヒューストンがカバーした"I Will Always Love You"も、先んじて14週連続1位という記録を残している。)この曲に入れ替わって1位になったのが"On Bended Knee". ビルボードヒットチャート1位を自らの曲で更新したアーティストとしては、ビートルズ、エルヴィス・プレスリーに次いで3組目となった。

第37回グラミー賞(1995年3月1日)。彼らはR&Bベストアルバム部門("Ⅱ")、そしてR&Bデュオ/グループベストヴォーカル部門(”I 'll Make Love to You”)の2部門で賞を獲得した。

1997–1998: Evolutionのリリース、そしてレコード会社との軋轢[編集]

モータウンは”The Remix Collection”の制作にとりかかる。"Cooleyhighharmony"と"Ⅱ"からの曲をリミックスしたコンピレーションアルバムだったが、これに対しグループは意を唱える。彼らにしてみれば、このアルバムに収められた「編集もの」はボーイズ・トゥ・メンを代表する曲とはとうてい言いがたいものだったからだ。しかしアルバムは彼らの許可なしにリリースさた。これがモータウンと彼らとの間に生まれたわだかまりの発端だった。ほどなくして彼らはレコード会社を立ち上げる(ストーンクリーク社。のちにアンクル・サムの作品をリリースする。)ストーンクリークで制作した作品はモータウンではなくエピックレコード社からリリースされた。

サードアルバム(※脚注)"Evolution"は1997年半ばにリリースされた。この作品は賛否両論を呼ぶ出来で、売り上げは300万枚。1,200万枚という前作"Ⅱ"の桁外れの記録や、"Cooleyhighharmony"の900万枚にはとうてい及なかった。 このアルバムでビルボードチャート1位を記録したのはジャム&ルイスがプロデュースした”Four Seasons of Loneliness”のみ。ベイビーフェイスの”A Song for Mama”(彼がプロデュースした映画、ソウルフードのテーマ曲)はトップ10にランクインしたものの、3枚目のシングル"Can't Let Her Go"は期待にそぐわず振るわなかった。

1997年に始まったワールドツアー”Evolution”は(※脚注)、チケットの売り上げという意味では大きな成功を収めたものの、レコード会社との軋轢やメンバー間のいざこざにグループは悩まされることになる。さらにメンバーの健康問題が追い打ちをかけた。"Evolution"アルバムのツアーの最中、ワンイェ・モリスの声帯ポリープが悪化し、彼の回復までいくつかの公演が延期されることになった。また、マッカリーの脊柱側湾症も悪化し、ダンス曲でのパフォーマンスが困難なほどになった。

1998年のグラミー賞では2部門にノミネートされた。”Evolution”(ベストR&Bアルバム部門)そして"A Song for Mama"( R&Bデュオ/グループベストヴォーカル部門)


※脚注 このアルバムは正式には4番目のアルバムと見なされている。2番目の"Chistmas Interpretations"(邦題 Let It Snow)をオリジナルととらえるかどうかで異なるようだ。

※脚注 1997の"Evolution"ツアー、日本公演はこのアルバムの発売直後に行われたが、このアルバムからの曲はいっさい演奏されなかった。演奏曲も、イベント自体も"Ⅱ"のツアーという扱いだったので、日本公演においてこの表記は誤解を招くと思われる。(武道館公演の際は"Ⅱ"の垂れ幕がステージ後ろにかかっていた)

1999–2001: Nathan Michael Shawn Wanya[編集]

1999年、モータウンの親会社であるポリグラムがユニヴァーサル・ミュージック・グループに買収された。主たる企業再編の過程で、モータウンはユニヴァーサル傘下のユニヴァーサル・レコードに吸収合併され、ボーイズ・トゥ・メンもユニバーサルの所属アーティストになる。

2000年の"Nathan Michael Shawn Wanya"はユニバーサルからリリースした唯一のアルバムである。収録曲はメンバーが中心になって書かれ、プロデュースされた。これは彼らの新たな音楽を模索する試みであったと当時に、彼らの成功はヒットメーカーであるベイビーフェイス頼みだという懐疑的な声に対するメッセージでもあった。アルバムへの批評は前作より好意的なものだったが、売り上げとしてはアメリカ国内で50万枚、世界では100万枚だった。"Pass You By"と"Thank You in Advance"はメディアの注目を浴びたが、どちらもヒットと呼ぶには至らなかった。

2001年、グループはユニバーサルを離れる。1991年に彼らを国際的スターへと導いたモータウンとの関係はこれをもって終わりを迎えた。ユニバーサルは大成功を収めたヒット曲のコンピレーションアルバム"Legacy: The Greatest Hits Collection"をリリースし、グループとの契約は終了した。

2002–2003: Full Circle and "The Color of Love"[編集]

2002年にアリスタ・レコードとの契約を契約を結ぶと、彼らはアルバム"Full Circle"のレコーディングに取りかかった。新曲"The Color of Love"はベイビーフェイスによるプロデュース。90年代に彼らが味わった大成功の再現を図る試みだった。アルバムのプロモーションには十分な予算がつぎ込まれ、"The Color of Love "のミュージックビデオにもアリスタは予算と力を注ぎ込んだ。メンバーそれぞれのパートが4つの異なる国で撮影され、最後にニューヨークで撮影された(マイケルの撮影地はインドで、監督はリトルX、ショーンは東京、監督はハイプ・ウィリアムズ、ネイサンはガーナ、監督はベニー・ブーム、ワンイェはプエルトリコ、監督はクリス・ロビンソン)。このミュージックビデオはBET局でのデビューを飾るに至ったが、プロモーションにもかかわらず十分な成果を得ることはできなかった。前作同様アメリカ国内で50万枚強、世界通算で100万枚の出荷にとどまった。

"Full Circle"は、ボーイズ・トゥ・メンが4人組としてリリースした最後のアルバムである。メジャーレーベルによる手厚いプロモーションもこのアルバムをもって終わった。2003年1月30日、脊柱側湾症の持病をかねてから抱えていたマイケル・マッケリーがグループから脱退した。アリスタは同年4月30日にボーイズ・トゥ・メンとの契約を解除する。残された3人のメンバーは音楽シーンの最先端を追い続ける人々の目から消えてしまった。彼らの音楽が、当時の音楽産業の中で居場所を見つけられなかったためだ。

2004–2006: Throwback, Vol. 1 and The Remedy[編集]

仕切り直しの時

スポットライトから遠ざかっていた数年を経て、ボーイズ・トゥ・メンはコッホ・レコーズの支援を受けたオリジナル・レーベル、MSMミュージック・グループを立ち上げ、2004年に"Throwback, Vol. 1"をリリースした。アルバムはダズ・バンドの”Let It Whip”、マイケル・ジャクソンの"Human Nature"のようなR&Bやソウルの古典、ボビー・コールドウェルの"What You Won't Do for Love"というヒットシングル等のカバー集である。収録にあたっては、ネイサンがバスのパートとバリトンのパートを担当した。アルバムはビルボードチャート200で59位にランクインした。グループはこのアルバムをメインに据えたオリジナルツアーを北アメリカとアジアで行った。ツアー側からのプロモーションはそれほど行わなかったものの、アルバムは20万枚を越える売り上げを達成した。

2005年、ハイチ救済プロジェクト"Apocalypse"でアンダーソン・カミューとCDを作成。 2006年には、根強いファンが多い日本国内限定で、アルバム"The Remedy"をリリース。日本以外の地域については、このアルバムはグループのウェブサイト上でオンライン限定での販売となった(2007年2月14日)。


2007–2008: Hitsville USA [編集]

2007年半ば、彼らはユニヴァーサル・レコードと再び契約を結び、デッカ・レコードのレーベルによるアルバム"Motown: A Journey Through Hitsville USA"をリリースした。アルバムはモータウンがかつて世に送り出した曲の数々をカバーしたもので、アメリカン・アイドルの審査員として名を馳せたランディ・ジャクソンが共同プロデューサーとして参加した。テンプテーションズの"Just My Imagination(Running Away with Me)"、マービン・ゲイの"Ain't Nothing Like the Real Thing"、"Mercy, Mercy, Me"や、スモーキー・ロビンソン&ザ・ミラクルズの"The Tracks of My Tears"が、そして彼ら自身の曲"End of the Road"もアカペラ・バージョンで収録されている。

アルバムは商業的には成功と呼べる結果を収め、アメリカR&Bチャートで6位を記録。イギリスでは10万枚の売り上げを達成した。評論家も好意的で、2009年の第51回グラミー賞で彼らは2部門にノミネートされた("Motown"でベストR&Bアルバム部門、”Ribbon in the Sky”でR&Bデュオ/グループベストヴォーカル部門)。

2008年、彼らはショー番組"Don't Forget the Lyrics"に登場し、そのパフォーマンスで好評を博した。獲得した50万ドルを2つの慈善事業に寄付する。このイベントへの出演を通じて、人々は次のアルバムに興味を抱くようになる。

ディスコグラフィー[編集]

アルバム[編集]

  • 1991 COOLEY HIGH HARMONY (全米3位)
  • 1993 Let It Snow
  • 1994 II (全米1位)
  • 1997 Evolution (全米1位)
  • 2000 Nathan Michael Shawn Wanya (全米4位)
  • 2002 Full Circle
  • 2004 Throwback
  • 2005 Winter / Reflections
  • 2006 The Remedy
  • 2007 MOTOWN : A JOURNY THROUGH HITSVILLE USA
  • 2009 COOLEY HIGH HARMONY [Expanded Edition w/Remaster]
  • 2009 Love
  • 2010 COVERED-Winter-
  • 2011 Twenty
  • 2014 Collide

シングル[編集]

  • End Of The Road (全米13週連続1位)
  • I'll Make Love To You (全米14週連続1位)
  • One Sweet Day (全米16週連続1位) - マライア・キャリーとのデュエット
  • On Bended Knee (全米1位)
  • 4 Seasons Of Loneliness (全米1位)

日本公演[編集]

11月14日 日本武道館、16日 東京厚生年金会館、19日 東京ベイN.Kホール
12月2日,3日,4日 日本武道館、5日 名古屋センチュリーホール、9日 大阪城ホール
11月25日 大阪ドーム、26日 東京ドーム
1月9日,10日,12日,13日 日本武道館、14日 横浜アリーナ、16日,17日 大阪城ホール、18日 愛知県体育館、20日 福岡国際センター
1月31日 マリンメッセ福岡、2月2日 大阪城ホール、3日 名古屋レインボーホール、5日,6日,7日 日本武道館、9日 岩手産業文化センター
1月12日 岩手県民会館、14日 仙台サンプラザ、15日,16日 東京国際フォーラムホールA、18日 大阪厚生年金会館大ホール、19日 神戸国際会館こくさいホール、20日 福岡サンパレス、21日 アルカスSASEBO大ホール
7月28日 梅田芸術劇場メインホール、8月1日 名古屋国際会議場・センチュリーホール、4日 パシフィコ横浜国立大ホール
8月2日 ウェルシティ広島、3日 北陸電力会館本多の森ホール(旧石川厚生年金会館)、4日 梅田芸術劇場メインホール、6日 愛知県芸術劇場大ホール、7日,8日 東京国際フォーラム・ホールA
  • 2011年 20th Anniversary Japan Tour 2011
11月12日 広島市文化交流会館、13日 梅田芸術劇場メインホール、16日 仙台サンプラザホール、18日 ニトリ文化ホール、21日 名古屋センチュリーホール、22日 福岡サンパレスホテル&ホール、24日・25日 東京国際フォーラムホールA
※日本公演に先立ち、スポンサーを務めるアイリオ生命とともに、東日本大震災心理支援センターが行う東日本大震災被災者の心のケアに関わる諸活動を支援する公式コメントをリリースした[1][2]
  • 2012年 BoyzⅡMen Winter JAPAN TOUR 2012~ボーイズⅡメン クリスマスコンサート~
12月22日,23日 パシフィコ横浜国立大ホール、24日 愛知県芸術劇場大ホール
(12月14日 仙台サンプラザ、16日 福岡市民会館大ホール、18日 ニトリ文化ホール、20日 梅田芸術劇場メインホール公演は、主催者側の都合により公演中止)
  • 2014年 ボーイズⅡメン ジャパン・ツアー 2014
9月19日,20日 東京国際フォーラムホールA、22日 愛知県芸術劇場大ホール、23日 オリックス劇場

脚注[編集]

外部リンク[編集]