ベン・ハー

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1880年の初版

ベン・ハー』(Ben-Hur: 副題 A Tale of the Christ、『キリストの物語』)は、議会議員を経験し州知事になり、アメリカの南北戦争の英雄で弁護士でもあったルー・ウォーレスが、1880年に発表した小説である。1880年11月12日、ルー・ウォーレスの発表した小説『ベン・ハー』はたちまちアメリカで大ベストセラーとなった。

概要[編集]

ルー・ウォーレスの動機

当初ルー・ウォーレスはもともとキリスト教の信者ではなく、逆にキリスト教に懐疑的な側面を持ち合わせていた。その非現実的かつ人間の弱さや心のよりどころとするシンボルへの固執を明確にする目的で書き始めたのが小説「ベン・ハー」の創作動機であった。しかし文を構成していく過程での様々なリサーチによって神の存在を認めざるを得ないという結論がルー・ウォーレスの心中に芽生え、最終的に本人自身がキリスト教の信者となるに至った。小説はフィクションだが、モデルはルー・ウォーレス自身の経験も含ませているのは興味深い。イエス・キリストはじめ『新約聖書』ゆかりの人物たちを織り交ぜた構成となっているが、主人公はジュダ・ベン・ハーであり彼の数奇な運命を壮大な古代のロマンと織り交ぜて完成させている。この小説はすぐに舞台劇化され、何度も上演された。やがて映画の時代が訪れると『ベン・ハー』の最初の映画化がおこなわれた。


ユダヤ教の変遷と生身の人間を描く

物語では信仰心厚い主人公とローマ帝国の絶対的権力を崇拝する軍人を中心登場人物にすえ、紀元1世紀の混沌としたユダヤ地域の庶民の苦しみや支配者のローマ人に対する激しい敵対心がぶつかった現実を描いている。この国家間の軋轢を血気盛んな若者としてジュダ・ベン・ハーとメッサーラに投影させ、ときの権力の身勝手で横暴な弱者切り捨ての植民地支配への批判や、暴力に訴える生身の人間の弱さ、理性と感情に戸惑う男と女の関係についても細かく表現されていて物語に引き込まれていく。純粋なキリスト教その他の宗教信者にとって受け入れがたい表現も多数あり、荒れ狂い淫乱さの乱れ合うストーリー展開に幻滅することも個人によって実際にある。物語ではジュダ・ベン・ハーは暴力的にローマ支配を排除する行動に移るが、同じくメッサーラも様々な味方を引き入れて不自由な体を使わずとも命令と自らの手を汚さず殺人教唆的にジュダ・ベン・ハーの殺害を計画する残酷な面を見せる。これは映画化作品の描き方より極悪である。宗教とは程遠い出来事が展開していく中間から後半は読んでいて不快に感じる者もいるだろう。でも悪人たちの思い通りにはならない。機転を利かしてサイモニデスやイルデリム、エスターが救いの手をジュダ・ベン・ハーに差し伸べ助ける。


イエス・キリストの奇跡

後半はキリストの登場が集中的に増えてくる。奇跡の行いであったり、山上の垂訓であったり、ローマ帝国の迫害であったり、ヨハネやマリア、マグダラのマリアの見守りであったり、裏切りのユダペテロヨハネなど聖書の内容をなぞるようにストーリーが展開していく。そこにジュダ・ベン・ハーの家族や家来、メッサーラの奸計のからみなどが織り込まれていき複雑極まりなくなる。ある意味で聖書(新約聖書)の内容を読破して理解しているか神学を学ぶか聖職者でない限り理解をするに労力が必要である。信者でも聖書の学びを深めていれば読み取りは可能で理解も進むが、にわか信者になると学ぶ必要性を更に感じることになる。キリストの救いや奇蹟については聖書に死者を蘇らせたとか、目の見えぬものを癒して見えるようにしたという逸話もある。それが真実かどうかは読み手次第の判断で価値あるものに転換できると思われる。物語にはこのことがふんだんに取り上げられ、その神格性を確信されるような宗教色が濃い。ジュダ・ベン・ハーはそんな中で武力とキリストのローマ抵抗勢力のリーダーとしての擁立をあきらめず、血を流す覚悟を捨てない。


原罪思想と愛の教え

人間は生まれながらにして罪を持ち、その贖いのためにキリストがすべての人々の罪を背負い十字架にかけられたという思想である。大罪を犯した旧約聖書でのイブアダムを誘惑し共に禁じられた目覚めの果実を食したことが発生。カインとアベルによる弟の殺人・その後のアブラハムに関わるソドムとゴモラの荒廃・高慢なバベルの塔の建設。これらが積み重ねられてきたことも広義において罪であった。キリストの生誕後にはついに贖いの声が強く叫ばれる。キリストはその「愛」により罪を全て贖う覚悟でゲッセマネオリーブ山に行き葛藤にあえぎながら意志を固める。物語ではその詳細は断片的に表現される。ユダに命じてユダヤの兵士への密告を促す。これがローマへの密告につながり歴史(新約聖書)にある通りの展開を経ていく。ジュダ・ベン・ハーはそのキリストの奇跡や行いや言葉に感銘を受け暴力の行使はキリストの言う「愛」の行いとのかけ離れが大きいと感じる。十字架の磔刑を目の当たりにして、心が変化していったのである。


民族の未来

ジュダ・ベン・ハーは自分を支えた人々の愛を感じ心がほぐれていく。再会できた母と妹はもちろんであるが、幸せの内に母親は死をもって先に天に召される。財産を譲ってくれたアラブの族長イルデリム、命がけで家を守った家宰サイモニデス、救世主とのつながりを育んだバルサザール、メッサーラの残酷な本性を知り彼の命を奪って決別し、幸せなハー家を訪れエスターに最期の別れの言葉を告げて去ったというイラス、そして自分に最も無償の思いを寄せていてくれた妻エスターにジュダ・ベン・ハーは心から感謝し、新しい何かを作り上げる使命感をふつふつと抱くようになる。死人となったメッサラと、イラスやトルドの怨念からも逃れる事が出来、皇帝ネロの施政下、ついにイルデリムの相続財産の土地を地下教会設立のために使う事にし、キリストの教えを信望する(のちのキリスト教)集会を開くため、全生命をかける覚悟を決めていく。ローマの監視から身を隠し静かな地下教会(カタコンベ)での布教活動(原始キリスト教)に全人生をかける。いうまでもなくこののちローマ国教の布石となる活動があちこちで広がりを見せていく。それは当時のローマ人には想像もできなかっただろう。

ストーリー[編集]

1901年のベン・ハーの舞台のポスター

ローマ帝国支配時代のユダヤ人貴族ユダ・ベン・ハーの数奇な半生にイエス・キリストの生涯を交差させて描く。

紀元26年、ローマ帝国支配時代のユダヤにローマから一人の司令官が派遣される。彼の名前はメッサーラ。メッサーラは任地のエルサレムで幼馴染のベン・ハーとの再会を喜び合う。ベン・ハーは貴族の子でユダヤ人とローマ人ながら2人は強い友情で結ばれていた。

しかし、2人の立場はエルサレムでは支配者と被支配者。そのことが2人の友情に亀裂を生むことになる。その折も折、新総督が赴任してきたときおこなわれたパレードでベンの妹が屋上で見物していたが、寄りかかった石製の手すりが崩れて瓦が落下して危うく総督にぶつかりそうになるという事件が起きたことで、ベン・ハーはメッサーラに総督暗殺未遂の濡れ衣をきせられ、家族離散、自身は当時奴隷以下の扱いの罪人にされるという憂き目にあう。護送中、苦しむ彼に一杯の水をくれた男がいた。その男こそがイエス・キリストであるということをベン・ハーはまだ知らなかった。そのを飲むとなぜかベンは体力を取り戻し、再び生きる気力を取り戻したのであった。罪人であるベンを介抱しようとするキリストをローマ軍兵士は殴ろうとするが不思議な雰囲気に圧倒されてとりやめる。この段階で物語はベンが大きな力によって加護されていることを示唆する。

罪人としてガレー船のこぎ手(番号で呼ばれ、船が沈没すれば捨てられる捨て駒である)とされたベン・ハーは海戦において司令官アリウスの命を救うという大殊勲をあげ、彼を見込こんだアリウスは養子にとりたてる。のちにベンは戦車競走の新鋭としても注目されることになる。ユダヤへ戻って家族を探していたベン・ハーは母と妹が死んだという報に涙し、メッサーラへの復讐の鬼と化した。

やがてエルサレムでの戦車競走で不敗のメッサーラに挑むことになるベン・ハー。激闘の末、ライバルのメッサーラを倒したベン・ハーは、瀕死のメッサーラから母と妹が業病に感染して隔離場所にいることを知らされる。当時はハンセン病の効果的な治療法がなかったので[1]ベンは偉大な霊力を持つと人々の間で信じられていたイエス・キリストのもとに二人を連れて行きその御力に縋った。すると奇跡が起こり二人は完治した。三人はキリストに感謝し物語りは幕を閉じる。


※上記ストーリーは小説ではなく、映画の脚本による内容が混在していませんか?原作小説を「読んで」書いて欲しいです。瓦を落とすのはジュダ・ベン・ハー本人です。妹が落とすのは1959年度MGM映画の「ベン・ハー」のストーリーです。次に井戸で水を恵まれたときの出来事でローマ軍隊長に水を飲むことは禁じられません。イエスの善行を禁じるために罰しようともしません。小説ではヨセフとイエスの父子が近づき、ヨセフが隊長にジュダについて二~三聞くと、彼はハー家の青年だと告げ、慈悲を願います。その後映画と同じくイエスが水を恵みます。省略されているのは隊長の行動が井戸の休憩直後に180度変わる事。倒れた罪人(ジュダ)を馬に乗せてあげる気持ちの変化を遂げるのです。隊長の心情の変化が何を意味しているのかはお分かりだと思います。また、メッサーラは小説では戦車競走後では死にません。メッサーラは体の不自由を抱えつつ生きていて恋人である妖艶な女イラスや悪党トルドと企みジュダ・ベン・ハーの復讐暗殺を謀ります。ジュダ・ベン・ハーは最初エスターにさほど恋心を傾けておらず、普通の男であるだけでイラスの誘惑に負けそうになる弱い面も見せています。奇跡を受けるためキリストに母と妹が会いに行くのは十字架刑の執行される以前の話です。母と妹は、初めはアムラと一緒で、あとからジュダ・ベン・ハーに出会います。映画のように総督ピラトの裁判の日に路上でキリストに会ってしまう等、家族で同伴していません。ジュダ・ベン・ハーは反逆と戦いを企てイエスを王にして国権奪取しようとしている最中だったからです。くどくなりますが、物語はキリストの奇跡で感謝するところでは終わっていません。ジュダ・ベン・ハーがエスターと結婚し、アラブの族長イルデリムの死とその遺言により莫大な財産・土地を受け継いでキリストをあがめるためにカタコンベ(地下教会)を作り、信仰を深めて多くの信者と祈りを共有する決意を示して終章となります。参考までに触れますが、バルサザール(バルタザール、バルサザーは英語の発音解釈や呼び名の違い。同一人物。)はキリストの十字架上の死と同時に絶命します。それだけ心痛極まりなかったという表現です。キリストの磔刑の項はこの物語の最重要エピソードになりますので省かず盛り込んでほしいです。またジュダ・ベン・ハーという呼称については「ジュダ」が名前です。「ベン」は中東アラブ圏では「息子」を意味し姓でも名でもありません。例を挙げれば9.11の主犯として米国に暗殺されたウサーマ・ビン・ラーディンの名を分析すると理解が深まります。これは「ラーディンの息子のウサーマ」の意味。ですからジュダ・ベン・ハーは「ハー家の息子のジュダ」となります。ビンはベンの別発音・同義語です。宜しくお願いします。小説を読んだら修正願います。

登場人物[編集]

  • ジュダ・ベン・ハー - イタマール・ベン・ハーの息子。主人公。母と妹を救うためローマから帰郷、宿敵の復讐とイエスの王位擁立に命を注ぐ。
  • クインタス・アリウス - ローマ帝国の艦隊提督。ティベリウス皇帝の命に従いローマ商船を襲う海賊を撃退する。ジュダの養父。
  • 族長イルデリム - アラブの豪商で莫大な財産を所有。ギャンブル好きで同族の間でも遊興にひたる。ジュダに信頼を持ち支援する。
  • メッサーラ - ローマ帝国の司令官。父親も過去ユダヤ軍司令官でその当時の出会い以後ジュダの親友。ローマの帝国主義に毒され冷酷となりユダヤを蔑視。
  • エスター - サイモニデスの娘としてハー家の奴隷に甘んじるが、ジュダに思いを寄せるにつれ信仰を以て尽くすようになる。
  • ミリアム - ジュダの母。一人息子と娘を大事に育てた。グレイタス暗殺容疑者の血族である理由で拘束され牢に投獄される。業病に罹患。
  • ティルザ - ジュダの妹。心優しく兄思い。母とともに牢に入れられて苦悩する。業病に罹患。
  • サイモニデス - ハー家執事。隊商で世界を巡る豪商。自ら自由を捨て奴隷ラケルを妻とし娘エスターを得る。拷問後身を隠し商売再開でハー家再興に尽力。
  • バルサザール - ベツレヘムで救世主と呼ばれる初子の誕生を見守り祝福。成長した救世主を探し続けるがイエスの最期とともに絶命する。
  • ポンシャス・ピラト - 皇帝から配属されたユダヤ地方総督。聖書ではユダヤ教大祭司祭司らの訴えを受けキリストの裁判を行い、死刑を宣告する執政官。
  • ドルサス - メッサーラの部下。冷酷非道でメッサーラの為に悪業もいとわない。
  • セクスタス - 次期新総督ヴァレリウス・グラトスを迎えるための総督府待機役人の軍総司令官。メッサラと同格の地位で役職を引き継ぐ。
  • イラス - ジュダを誘惑する狡猾なメッサーラの手下の女。恋愛を装いジュダをだます。
  • トルド - イラスに協力するメッサーラの手下の男。暗殺の下手人

映像化[編集]

1907年の映画[編集]

1907年につくられた最初の映画はわずか15分のサイレント映画であった。短編ながら以降の『ベン・ハー』と同じく、戦車競走を中心にしている。監督はカナダ人のシドニー・オルコット英語版であった。制作会社は映画化料をめぐって原作者のウォーレスの遺族から訴えられている。このような事態は以後、小説の映画化において何度となく繰り返されることになる。

1925年の映画[編集]

2度目の映画化は1925年ラモン・ノヴァロがベン・ハーを演じたサイレント映画である。これが大ヒットとなった。サイレント映画ながら前代未聞の390万ドルという未曾有の制作費が投じられた大スペクタクル映画。群集場面では実に12万人ものエキストラが動員されている。戦車競走の場面のフィルムの長さは全長60kmにも及び、編集されて229mとなった。この戦車競走の場面は1959年版『ベン・ハー』の戦車競走シーンのモデルであり、『スター・ウォーズ エピソード1/ファントム・メナス』のポッドレースの場面は、本作とヘストン作品のオマージュである。メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)によって製作されたこの映画は1925年の大ヒットとなり、550万ドルというサイレント映画史上第3位の興行収入を打ち立てた。

1959年の映画[編集]

1959年に公開された今作を監督した名匠ウィリアム・ワイラーは、『ベン・ハー』で興行面のみならず、社会的にも多岐にわたり影響を与えた。カトリック系、プロテスタント系の神父や牧師など指導者達の推薦で広がった口コミの力が広報の一翼を担ったり、説教における物語と信仰の価値についての解説で布教が実現したり、「ローマの休日」の名監督の新作品としてのネームバリューによる高評価で評判が向上したり、予告編によるクライマックスシーンの上映、戦後十数年しかたたない中でナチスドイツの悪政による犠牲者たちへの鎮魂や、正義への強い目覚めと信仰の再確認により観客の魂を揺さぶったりしたのは高く評価できよう。また当時は戦争の傷癒えない時代であり勧善懲悪のストーリーが望まれていたことが大きく影響したともいえる。この名声で得た知名度や、世界的な名作としての評価では、賞などの大量受賞によって他のどの作品にも追従を許さない地位を獲得することとなった。なお1960年代には歴史劇で「バラバ」「スパルタカス」「キング・オブ・キングス」「エル・シド」「ソドムとゴモラ」「天地創造」「偉大な生涯の物語」など同系統の優秀な映画が増産されるようになるが、古典映画でありつつ1980年代~2010年代に入ってもVHSビデオ・レーザーディスク・DVD・Blu-ray、(トリミング版、ノートリミング版)、英語版、吹き替え版、オリジナル音楽トラック再生版、ホームシアター用ドルビー音響効果採用盤など次々映像メディアが【開発され続けている】のはこの1959年版「ベン・ハー」しかない。また音楽ファンにとってはサウンドトラックの再販や、再録、編曲盤、映画フィルムから抽出された原形のままのオリジナルサウンドトラック盤も発売されるなど、新商品発売で途切れる事がない。これもまた1959年版のみである。第32回アカデミー賞では、作品賞監督賞主演男優賞助演男優賞美術賞撮影賞衣装デザイン賞編集賞劇映画音楽賞音響賞視覚効果賞の11部門を受賞した。戦車競走場面がもてはやされることの方が多いが、物語の展開と感動をはじめとして、ワイラー監督の演出力と、同一主題のテーマ曲のアレンジや編曲をつなげるだけの似たり寄ったりのメロディーのサウンドトラックばかりの昨今、映画全体から切り離しての個別シーンに合わせた個性あるテーマ曲を少なくとも23曲以上作曲し、サウンドトラックに飽きさせない音楽を吹き込んだミクロス・ローザの貢献も多大である。またチャールトン・ヘストンとスティーヴン・ボイドの演技力も人気をけん引する主たる要素である。(体形・ルックスが歴史劇にふさわしい。史劇や性格俳優としても経験済みで演技の重みがある。ワイラー監督の演出を再現する技量がある。近影が可能となるため戦車を操る技量を磨く練習熱心な真面目さも功を奏した。)それに言うまでもないが、社運を賭けたMGM社のプロ意識を反映させた予算獲得の熱意と一流スタッフの力が結集したことも大ヒットの成功要因として外せない。

2003年の映画[編集]

2003年版の『ベン・ハー』はチャールトン・ヘストンのプロダクションであるアガメムノン・フィルムズが2003年にビデオ用に製作した80分のアニメ映画である。ベン・ハー役の声をチャールトン・ヘストン自身が演じている。

2010年のTVムービー[編集]

2010年版の『ベン・ハー』は、監督はスティーヴ・シル、脚本はアラン・シャープ、主演はジョセフ・モーガンが務めたイギリス・ドイツ・スペイン・カナダ・アメリカ合作のTVムービー。日本では2013年9月4日に2枚組の完全版DVDが発売された。

2016年の映画[編集]

2016年版の映画『ベン・ハー』は、監督はティムール・ベクマンベトフ、脚本はジョン・リドリーとキース・クラーク(Keith R. Clarke)、主演はジャック・ヒューストンが務めた。2016年8月19日に全米公開され、日本公開予定は2017年[2]だったが最終的には日本での公開は見送られ、2017年2月8日にBlu-ray Disc、DVDが発売された。

2016年のオリジナル続編映画[編集]

2016年の映画『ベン・ハー 終わりなき伝説』(原題:In The Name Of Ben-Hur)は、西暦58年のベン・ハーの新たな戦いを描いたアクション映画。原作とは無関係。監督はマーク・アトキンス、主演はエイドリアン・ブーシェ

出版物[編集]

  • 原書初版: Ben Hur: A Tale of the Christ (New York: Harper & Brothers)、1880年
  • 省略版 : The definitive modern abridgment.(New York: Bantam Books)、1956年
  • 日本語訳:
『ベン・ハー 圧制・闘争・栄光』松本恵子英宝社 1951
『ベン・ハー』新潮文庫白石佑光訳、1960年、(映画公開に合わせた省略版からの自由訳)
『ベン・ハー』角川文庫飯島淳秀訳、1960年、(映画公開に合わせた省略版からの自由訳)
『ベン・ハー(アメリカ古典大衆小説コレクション)』松柏社辻本庸子、武田貴子訳、2003年

漫画[編集]

  • 『ベン・ハー』女子パウロ会、角田 照雄・画 1985年
  • 藤子不二雄がまだ無名の高校生のころに『ベン・ハー』を漫画にしている。彼らは夏休みに宝塚市で暮らしていた手塚治虫を訪問したときにそれを見てもらっている。手塚はそのときの事をNHKの『藤子不二雄ショー』にゲスト出演したときに「そのときは『上手だ』とほめたけれども、彼らが帰ったあと、その日は(驚嘆のあまり安心して)描けやしませんよ。『すごい新人が現われたなあ』と驚きました」と述懐している。ちなみに藤子は1933年と1934年生まれなので1959年版の制作前の話である。

詰将棋[編集]

  • 詰将棋作家としても著名な内藤國雄九段は、プロ入り直後に見た59年版の映画に着想を得て構想を重ねること40余年、ついに2001年に「ベン・ハー」と題する詰将棋を完成・発表した[3]。「盤上、玉が斜めに動くのがゴルゴダの丘に向かうキリスト、槍(香)を斜めに打って、竜で追いかけるというのが戦車競争」[4] 111手詰みの長編の中に数々の趣向を織り込み映画の世界観を表現するという詰将棋の新たな地平を切り拓いた名作として評価も高い。

[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ ハンセン病の効果的な治療薬が発明されるのはその1920年後である。
  2. ^ “『ベン・ハー』2017年日本公開 予告編公開”. ORICON STYLE. (2016年5月19日). http://www.oricon.co.jp/news/2071833/full/ 2016年5月19日閲覧。 
  3. ^ [1] 神戸新聞2005/08/01 将棋九段 内藤國雄さん 40年来の夢実現
  4. ^ 米長邦雄 内藤國雄 『勝負師』 朝日新聞社(朝日選書)、2004年、30頁

外部リンク[編集]