トゥーランガリラ交響曲

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『トゥーランガリラ交響曲』(トゥーランガリラこうきょうきょく、フランス語: Turangalîla - Symphonie)は、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアン(1908年 - 1992年)が、第二次世界大戦後の1946年から1948年にかけて作曲した交響曲であり[2]、メシアンの初期を代表する[3]記念碑的な作品である[4]。ピアノとオンド・マルトノの独奏を伴い、打楽器や鍵盤楽器が拡充された特異な管弦楽編成を特徴とする[5][6]。
全10楽章からなり、演奏時間は約1時間25分に及ぶ[7]。各楽章には以下のようにタイトルがつけられ、全体は「彫像の主題」「花の主題」「愛の主題」「和音の主題」という4つの循環主題によって結びつけられている[8][9]。
- 第1楽章:イントロダクション(Introduction)
- 第2楽章:愛の歌 1(Chant d'Amour 1)
- 第3楽章:トゥーランガリラ 1(Turangalîla 1)
- 第4楽章:愛の歌 2(Chant d'Amour 2)
- 第5楽章:星々の血の喜び(Joie du Sang des Étoiles)
- 第6楽章:愛の眠りの園(Jardin du Sommeil d'Amour)
- 第7楽章:トゥーランガリラ 2(Turangalîla 2)
- 第8楽章:愛の展開(Développement d'Amour)
- 第9楽章:トゥーランガリラ 3(Turangalîla 3)
- 第10楽章:フィナーレ(Final)
アメリカ合衆国のクーセヴィツキー音楽財団の委嘱により作曲され[3]、1949年12月2日にボストンにおいて、レナード・バーンスタイン指揮ボストン交響楽団、ピアノ独奏イヴォンヌ・ロリオ、オンド・マルトノ独奏ジネット・マルトノにより世界初演が行われた[3]。なお、初演に先立ち、ヨーロッパにおいて3つの楽章の抜粋が『3つのターラ』の名称で試演されている[10]。
本作は、死を経て結ばれる男女の愛を主題とする「トリスタン三部作」(『ハラウィ』-『トゥーランガリラ交響曲』-『5つのルシャン』)の中央に位置付けられており[11]、中世の伝説『トリスタンとイゾルデ』をはじめ、エドガー・アラン・ポーの『ライジーア』やシェークスピアの『ロメオとジュリエット』などの愛と死にまつわる文学作品のほか、ヒエロニムス・ボスやマルク・シャガールの絵画、さらにはメキシコの古代遺跡など、多様なイメージがシュルレアリスム的に結びつけられている[12]。
作品中では、メシアンにとって愛を象徴する嬰ヘ長調が重要な調性として扱われている[13]。また、複雑かつ緻密な独自のリズム技法が駆使されており[14]、1950年代の実験的な作風を先取りしている側面もある[15][16]。
世界初演を含む初期の演奏では評論家などによる否定的な評価や観客の困惑した反応も見られたが[17][18]、西ヨーロッパ諸国を中心に再演が重ねられ[19]、1960年代以降には日本を含む世界各地で演奏されるようになった。また、初演後20年以上にわたって再演のなかったアメリカ合衆国でも1970年代にレパートリーとして定着した[19]。曲に対する評価も次第に定着し[20]、メシアンの代表作の一つであると同時に、20世紀管弦楽作品を代表する音楽の一つと見なされている[21][22]。
作品タイトルは古代インドのサンスクリットに由来しており[3]、日本語では『トゥランガリラ交響曲』『トゥーランガリーラ交響曲』『トゥランガリーラ交響曲』『トゥランガリーラー交響曲』といった表記ゆれがある。
作曲の経緯と初演
[編集]『トゥーランガリラ交響曲』は、アメリカ合衆国の「クーセヴィツキー音楽財団」からの委嘱により作曲された[注 1]。委嘱は1945年に行われ、約1年後の1946年7月から作曲が開始された。当初は4楽章の交響曲として構想されたが、最終的には10楽章に拡大し、楽章構成や『トゥーランガリラ交響曲』というタイトルは1948年初めになって確定した。その後、抜粋版である『3つのターラ』の試演を経て1948年11月29日(または12月9日)に完成し、1年後の1949年12月2日にアメリカ合衆国ボストンにおいて、作曲者立ち会いのもと、レナード・バーンスタイン指揮ボストン交響楽団によって初演された。
クーセヴィツキーとメシアン
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現代音楽の擁護者でもあった、ボストン交響楽団の指揮者セルゲイ・クーセヴィツキーは[注 2]、亡くなった妻ナタリーの追憶のため、第二次世界大戦中の1942年に「クーセヴィツキー音楽財団」(Koussevitzky Music Foundation)を設立し、財団を通じて同時代の作曲家に新作を委嘱するようになった[24][25]。財団からの委嘱は年に4、5人のペースで始まったが[注 3][26]、設立4年目にあたる1945年には、メシアンを含む8人の作曲家に対して委嘱が行われた[26][注 4]。
なお、クーセヴィツキーはすでに第二次世界大戦前の段階でメシアンに注目しており、1936年にボストン交響楽団を指揮してメシアンの『忘れられた捧げもの』のアメリカ初演を行っている[27][注 5]。これはメシアンの管弦楽作品がフランス以外で初めて演奏された機会でもあった [30]。
委嘱当時のメシアン
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|---|---|---|
| 1944 | 初頭 | 『トゥーランガリラ交響曲』の構想メモ[31] |
| 3.23 | 『幼子イエスに注ぐ20の眼差し』作曲開始[32] | |
| 8.25 | (連合軍によるパリ解放) | |
| 9.8 | 『幼子イエスに注ぐ20の眼差し』完成[32] | |
| 1945 | 3.26 | 『幼子イエスに注ぐ20の眼差し』初演[32] |
| 「メシアン事件」始まる[33] | ||
| 4.21 | 『神の現存についての3つの小典礼』初演[34] | |
| 6.15 | 『ハラウィ』作曲開始 [35] | |
| 6.25 | クーセヴィツキーがメシアンに作品を委嘱[25] | |
| 9.15 | 『ハラウィ』完成 [35] | |
| 1946 | 7.17 | 『トゥーランガリラ交響曲』作曲開始 [36] |
| 10.13 | メシアンの交響曲の初演が告知される(誤報) | |
| 1947 | 10.7 | メシアンの交響曲の初演が告知される(二度目の誤報) |
| 1948 | 2.15 | 「3つのターラ」初演[10] |
| 11.29 | 『トゥーランガリラ交響曲』完成 [36] | |
| 12月? | 『5つのルシャン』作曲[36] | |
| 1949 | 12.2 | 『トゥーランガリラ交響曲』世界初演 [36] |
| 1950 | 7.25 | 『トゥーランガリラ交響曲』フランス初演 [36] |
第二次世界大戦末期から戦後のフランス楽壇では、アンドレ・ジョリヴェ、ダリウス・ミヨー、アルテュール・オネゲルらが一目置かれた存在であり[37][注 6]、メシアンの名は世間に知られていたとはいえ、作品に対する評価は必ずしも高くなく[37]、1945年の春に相次いで初演された『幼子イエスに注ぐ20の眼差し』(3月26日初演)、『神の現存についての3つの小典礼』(4月21日初演)の2作品は一部の批評家やジャーナリズムの強い反発を招き、2年に及ぶ「メシアン事件」と呼ばれる舌戦を引き起こした[33][38][注 7][注 8]。
一方、私生活では精神を病んだ妻クレールの健康状態が悪化していた[41]。こうした中、1945年6月15日にメシアンは「愛と死の歌」の副題をもつ連作歌曲『ハラウィ』の作曲に着手する [35][注 9]。
委嘱の受諾(1945年8月)
[編集]クーセヴィツキーが新作の委嘱を依頼した1945年6月25日付けの手紙は、8月上旬になってようやくメシアンの手元に届いた[43][注 10]。
作曲に対する報酬は1,000ドルとされ[45]、クーセヴィツキー音楽財団に楽曲と楽譜を寄贈すること及び、クーセヴィツキーの亡き妻ナタリーへの献辞を記載することが条件であり[45]、楽器編成や曲の長さには一切の制限が設けられなかった[46][5]。メシアンは8月20日付けの手紙でクーセヴィツキーに作曲を了承した[44]。
メシアンはすでに前年(1944年)の段階で、後に『トゥーランガリラ交響曲』として結実する大規模な管弦楽作品のアイデアをもっていたが[31][注 11][注 12]、1945年の間には本格的な作曲に取りかかることはなかった[注 13]。
作曲に着手(1946年7月)
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メシアンが『トゥーランガリラ交響曲』の作曲に着手したのは、スコアによれば、委嘱からほぼ1年後の1946年7月17日である[49]。
一方、メシアンから「(曲の完成までには)最短で6か月、最長で1 年[44][45]」と説明を受けていたクーセヴィツキーは[44]作曲の進捗状況を把握できておらず[50]、「ボストン交響楽団が今年のシーズンにおいてメシアンの新作を演奏する」と報道に語り、1946年10月13日付けの「ニューヨーク・タイムズ紙」に誤った告知記事が掲載されることとなった[51]。
作曲中のアメリカの状況(1947年)
[編集]1947年、アメリカでは3月13日に『賛歌』のアメリカ初演[52][注 14]、4月11日に『昇天』のニューヨーク初演が行われるなど[52][注 15]、メシアンの管弦楽作品が演奏会で取り上げられるようになっていた。また、3月24日付け「タイム誌」は、メシアンを特集した記事「音楽の救世主?」(Musical Messiah? )を掲載し[52]、その中で、メシアンがクーセヴィツキーの委嘱による「8楽章」の交響曲を作曲中であると紹介した[53]。
こうして、アメリカでメシアンへの関心が高まる中[52]、クーセヴィツキーは作曲の進捗状況を確認するため9月23日にパリを訪れた[53]。このとき、メシアンは作曲中の作品をピアノで弾いて聴かせ[54]、完成が近いと判断したクーセヴィツキーは帰国後に初演のアナウンスを行い、10月7日付け「ニューヨーク・タイムズ紙」に再び演奏の告知記事が掲載されたが、結果的にはこれも誤報となってしまった[51]。
楽章数の変遷
[編集]メシアンの作曲は進んでいたが、全体の構成や各楽章のタイトル、順序は1947年末の段階においても流動的であった[55]。メシアンは当初、古典的な4楽章からなる交響曲を構想していたが[55][注 16]、作曲を進める過程で楽章の数が次第に増えていったことが分かっている[55][注 17]。1947年末の段階では以下のような10楽章または9楽章のプランがあり、10楽章にする場合は第5楽章「ソナタ」(最終的な第10楽章「フィナーレ」)を再利用するつもりであった[58]。なお、この段階では作品タイトルは「交響曲-ターラ(Symphonie-Tâla)[注 18]」とされていた[59]。
| 楽章 | 10楽章案 | 9楽章案 |
|---|---|---|
| 1 | イントロダクション(Introduction) | イントロダクション |
| 2 | 第一ターラ(1st Tâla) | 夢の歌 |
| 3 | 夢の歌(Chant de rêve) | 第一ターラ |
| 4 | 第二ターラ(2nd Tâla) | 優しさの歌 |
| 5 | ソナタ(Sonata) | ケヤーラ=マールタ |
| 6 | 優しさの歌(Chant de tendresse) | 第二ターラ |
| 7 | 情熱の歌(Chant de passion) | 情熱の歌 |
| 8 | 第三ターラ(3rd Tâla) | 第三ターラ |
| 9 | ケヤーラ=マールタ(Kheyâla-Mâruta)[注 19] | フィナーレ |
| 10 | フィナーレ(Finale) | ー |
1948年の初めになって、メシアンは交響曲の前半を締めくくる楽章(第5楽章「星々の血の喜び」)をあらたに書き加えることで全体を10楽章とした[60]。また、この頃に楽章の順序やタイトルもほぼ固まり、作品名も最終的な『トゥーランガリラ交響曲』に決定した[10]。
『3つのターラ』
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交響曲の骨格がほぼ固まると、メシアンはオーケストレーションの効果を自分の耳で確かめるため[62]、その抜粋を『3つのターラ』(Trois Tâla)というタイトルの楽曲として複数回の実演を行った[62]。抜粋されたのは第3楽章「トゥーランガリラ 1」、第4楽章「愛の歌 2」、第5楽章「星々の血の喜び」であり、それぞれのタイトルは「ターラ 1」「ターラ 2」「ターラ 3」とされた[10][63]。
『3つのターラ』は、1948年2月にアンドレ・クリュイタンス指揮、パリ音楽院管弦楽団 、ピアノ独奏イヴォンヌ・ロリオ、オンド・マルトノ独奏ジネット・マルトノによって初披露された[10]。メシアンはプログラムノートにおいて、『3つのターラ』が愛をテーマとした作品であることなどを説明したが[64]、これがクーセヴィツキー音楽財団の委嘱作品(『トゥーランガリラ交響曲』)の抜粋であることは隠し[65]、あたかも別の作品であるかのように振る舞った[注 20][67][68]。なお、後にメシアンは『3つのターラ』という作品の存在そのものを否定している[68]。
『3つのターラ』の演奏記録は『トゥーランガリラ交響曲』のスコアの演奏記録に記載されているが[19]、演奏年月日や、その演奏が抜粋であったことは記載されていない[19]。
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交響曲の仕上げ(1948年)
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1948年7月26日には曲がひととおり出来上がり[72][73]、楽譜の浄書も7月31日に終わらせたが[72][73]、メシアンはその後も修正を続け、完成は1948年の末となった。完成の日付については、スコアでは「11月29日」となっているが、メシアンの手帳には「12月9日」に完成したと書かれている[72][73][注 22]。
この年の12月10日にメシアンは40歳の誕生日を迎えた[74]。翌12月11日、メシアンはクーセヴィツキーに曲の完成を知らせる手紙を書いた[73]。結果的に、『トゥーランガリラ交響曲』の作曲にメシアンが費やした時間は、彼がそれまでに書いたどの作品よりも長いものとなった[16]。
一方、高齢のクーセヴィツキーは健康状態が優れず、『トゥーランガリラ交響曲』初演の指揮は、弟子であるレナード・バーンスタインに託された[73][注 23]。
初の訪米(1949年夏)
[編集]初演に半年先立ち、メシアンは1949年7月上旬から8月下旬にかけて[76]、アメリカ合衆国タングルウッドで行われるバークシャー音楽祭において講義と演奏を行うため、初めてアメリカを訪れた[77]。タングルウッド滞在中、メシアンはクーセヴィツキーとバーンスタインに『トゥーランガリラ交響曲』をピアノで弾いて聴かせている[78]。また、「ニューヨーク・タイムズ紙」の音楽評論家オーリン・ダウンズはメシアンを取材し、『トゥーランガリラ交響曲』へのメシアン自身の言及を含む長いインタビュー記事を書いた[79][注 24]。なお、クーセヴィツキーはこの音楽祭を最後にボストン交響楽団の音楽監督を退任した[24][注 25]。
ソリストの選定(1949年10月)
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帰国後、10月上旬に[82]メシアンはクーセヴィツキーに対し『トゥーランガリラ交響曲』初演のソリストとして、オンド・マルトノ独奏には、楽器の発明者モーリス・マルトノの妹であるジネット・マルトノ、ピアノ独奏には、メシアンの教え子にしてミューズ [注 26]、そして将来的にメシアンの二番目の妻となるイヴォンヌ・ロリオ[84]を強く推薦した[82]。2人のソリスト候補はいずれも『神の現存についての3つの小典礼』の初演メンバーであり[34]、『3つのターラ』においても独奏を務めていた[19]。
ソリストの渡航費用はフランス芸術活動協会から出ることとなったが[82]、メシアンは自らの渡航費用と、自分とロリオのアメリカでの25日分の滞在費をボストン交響楽団が負担することなどを要求した[82]。
ピアノ独奏については、ボストン交響楽団側が現地のピアニストを起用しようとしたため、メシアンとの意見は平行線をたどったが、最終的にメシアンの要望が通った[85]。
再度の訪米とリハーサル(1949年11月)
[編集]メシアンはロリオとともに11月中旬に再びアメリカ合衆国を訪れた[86]。11月17日にニューヨークに到着した二人は、11月19日にはモーリス・マルトノ、ジネット・マルトノと合流してボストンへ移動し[注 27][88]、『トゥーランガリラ交響曲』の10回のリハーサルに立ち会った[89]。
11月28日には、NBCによる30分間のラジオ番組「ドレス・リハーサル」で、バーンスタインによる『トゥーランガリラ交響曲』のリハーサルの模様が放送された[注 28][90]。番組の冒頭、クーセヴィツキーはリスナーに向けて、この作品は『春の祭典』に次ぐ今世紀の偉大な作品であるという考えを披露した上で[90]、『トゥーランガリラ交響曲』は、旋律、ハーモニー、形式の全てが新しいため、「辛抱強く」(have patience)聴いてほしいと語りかけた[90]。
世界初演(1949年12月)
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『トゥーランガリラ交響曲』の世界初演は、1949年12月2日にボストンのシンフォニーホールにおいて、レナード・バーンスタイン指揮ボストン交響楽団、イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ独奏)、ジネット・マルトノ(オンド・マルトノ独奏)によって行われた[91][85]。
初演への反応
[編集]初演に対する聴衆の反応は賛否が分かれ[24][17]、第5楽章と第6楽章の間に挟まれた休憩時間の間に帰ってしまった観客も少なくなかったとされる[17]。地元紙も作品を酷評した[92](詳細は後述)。
なお、ボストンでは翌12月3日にも演奏が行われ、その一週間後の12月10日にはカーネギーホールにおいてニューヨーク初演も行われたが[17]、聴衆の反応は初日と同様であった[24]。バーンスタインはこれ以降『トゥーランガリラ交響曲』を二度と取り上げなかったため、これが同曲を指揮した最後の機会となった[93]。
一方、アメリカ合衆国の権威ある音楽学術誌である Current Chronicle は、1950年4月号で『トゥーランガリラ交響曲』について12ページにわたる特集記事を掲載した[94][注 29]。これは、この曲を詳しく紹介する最初の学術的な文献である[95]。
初演以降の演奏史
[編集]『トゥーランガリラ交響曲』は、1949年の世界初演後、1950年代にはフランス・ドイツ・ベルギーなど西欧諸国で演奏された。その後、1962年には日本初演が成功をおさめ、演奏地域は欧米以外にも広がった。また、アメリカ合衆国では初演以降20年以上にわたって演奏されなかったが、1972年にマイケル・ティルソン・トーマスが再演し、続いて小澤征爾によって集中的に取り上げられた。その後、南米、オーストラリア、アフリカ、中国でも演奏されるなど、世界的なレパートリーとして定着した[93]。また、受容の広がりとともに、バレエ化も行われている。
なお、スコア[注 30]には、1949年から1993年までの世界各地における演奏記録が9ページにわたって収録されている[96]。
諸都市における『トゥーランガリラ交響曲』の初演(抜粋)[19] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1950年代
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ヨーロッパ初演と受容の広がり
[編集]メシアンの母国フランスでは、1950年7月25日、「第3回エクス=アン=プロヴァンス音楽祭」においてヨーロッパ初演・フランス初演が行われた[98]。この音楽祭ではフランシス・プーランクの『ピアノ協奏曲』(ボストン交響楽団の委嘱作品)の初演も行われたが、メシアンの支持者とプーランクの支持者は互いの作品を非難し合うこととなった[注 33][99](詳細は後述)。
フランス初演に続き、西ドイツ(1951年)、ベルギー、イギリス(以上1953年)、オーストリア、イタリア(以上1955年)、スイス、スウェーデン(以上1957年)と、西ヨーロッパを中心に初演国が拡大した[19]。
パリでの初演と再演
[編集]フランスの首都パリでは、エクス=アン=プロヴァンス音楽祭での初演から4年後にあたる1954年に、シャンゼリゼ劇場においてルドルフ・アルベルト指揮フランス国立放送管弦楽団、イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)、ジャンヌ・ロリオ(オンド・マルトノ)によるパリ初演が行われた[19]。その後、パリでは1959年にマニュエル・ロザンタール指揮フランス国立放送管弦楽団およびシャルル・ブリュック指揮パリ放送交響楽団という2つのオーケストラによって再演され、以後、数年に1度のペースで再演され続けている[19]。
パリでの演奏記録(1992年まで)[19] | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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1960年代
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メシアンの私生活と録音
[編集]1960年代に入ると、メシアンはフランスの名士として扱われるようになり[注 34]、かつてのようなジャーナリズムからの攻撃もほぼ影を潜めた[100]。一方、私生活では1959年に妻クレールを亡くしたが、1961年7月には、メシアンの生徒であり、『トゥーランガリラ交響曲』を初めとするメシアン作品を初演してきたピアニスト、イヴォンヌ・ロリオと再婚した[101]。
同年の秋には、初のメシアン立ち合いでの商業用録音が、モーリス・ルルー指揮フランス国立管弦楽団、イヴォンヌ・ロリオ(ピアノ)、ジャンヌ・ロリオ(オンド・マルトノ)によって行われた[102][93]。
日本初演
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1962年には、欧米以外では初となる日本初演がメシアン・ロリオ夫妻を迎えて行われた[103][注 35]。会場は東京文化会館。演奏は小澤征爾指揮NHK交響楽団で[注 36]、ロリオがピアノ独奏、NHK交響楽団のピアニスト本荘玲子がオンド・マルトノ独奏を担当し[注 37]、メシアンはリハーサルに立ち会った[109][注 38]。この日本初演は大成功をおさめ[注 39]、メシアンの国際的な名声をさらに高めることとなった[103][注 40][注 41]。
この日本初演でメシアンから「完璧な技術と、並外れたリズムと情熱」を高く評価された小澤征爾は[109][注 42]、その後、1967年にはトロント交響楽団でも『トゥーランガリラ交響曲』を取り上げ、翌1968年には同楽団とともにレコーディングも行っている[120][注 43]。
受容の拡大
[編集]1960年代には、西ヨーロッパではオランダ、ポルトガル(以上1967年)、北アメリカ大陸ではカナダ(1964年)、メキシコ(1965年)で初演された[19]。また東ヨーロッパにも広がり、ブルガリア(1963年)、ユーゴスラビア(1965年)で初演された[19]。
パリでのバレエ化
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1968年には、フランスにおいて、ローラン・プティ振付、マックス・エルンスト美術によるバレエ版『トゥーランガリラ交響曲』が作られ[122]、パリ・オペラ座バレエが年間に14回の公演を行った[注 44][注 45]。演奏はマニュエル・ロザンタール指揮、パリ・オベラ座管弦楽団、ピアノ独奏はイヴォンヌ・ロリオ(1回の公演のみジョルジュ・プリュデルマシェ[注 46])、オンド・マルトノ独奏はジャンヌ・ロリオであった[19]。このバレエは大成功をおさめ[注 47][122]、この公演を見てメシアンの音楽と舞台芸術との相性の良さを実感したポンピドゥー大統領は、メシアンにオペラの作曲を依頼することを画策し[126]、そのことが後に『アッシジの聖フランチェスコ』が作られる契機となった[126][注 48]
1970年代
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アメリカ合衆国での再演
[編集]初演国であるアメリカ合衆国では、ボストンおよびニューヨークで初演されて以降、『トゥーランガリラ交響曲』が演奏される機会がないままであった[19]。
アメリカ合衆国で再びこの曲を取り上げたのは指揮者のマイケル・ティルソン・トーマスで、彼は1972年の4月にバッファロー・フィルハーモニー管弦楽団、12月にロサンゼルス・フィルハーモニックを指揮し、23年ぶりとなるアメリカ合衆国での再演を行った[19]。バッファロー、ロサンゼルスともにその都市における初演である。アメリカ合衆国ではこの後、70年代半ばに小澤征爾が積極的に取り上げ(詳細は後述)、70年代の終わりにはアンドレ・プレヴィンが指揮するシカゴ交響楽団がシカゴ初演とピッツバーグ初演を果たしている[19]。
小澤征爾による普及
[編集]1975年には小澤征爾が、サンフランシスコ、バークレー(以上サンフランシスコ交響楽団)、パリ(パリ管弦楽団)、ボストン、ニューヨーク、タングルウッド(以上ボストン交響楽団)と、オーケストラを変えながら『トゥーランガリラ交響曲』を各地で指揮する演奏ツアーを行った[128][19]。
このとき小澤はボストン交響楽団の音楽監督に就任しており[105][注 49]、『トゥーランガリラ交響曲』の初演オーケストラであるボストン交響楽団は小澤のもとで約四半世紀ぶりとなる再演を果たした[24][19]。また、ボストン、ニューヨーク以外のアメリカの都市についてはそれぞれの都市における初演である。小澤のツアーは3ヶ月におよび[129]、その間に『トゥーランガリラ交響曲』は約30回演奏された[130]。ツアーに同行したメシアンはほとんどの演奏を聴き[129]、小澤の音楽表現と指揮を賞賛した[24][130][注 50]。
東側諸国で広がる初演
[編集]ヨーロッパの社会主義諸国においては、1960年代のブルガリア、ユーゴスラビアに続き、1970年代にはポーランド、チェコスロバキア、ソ連で初演が行われた[19]。
1980年代以降
[編集]南米とオーストラリア
[編集]1980年代には演奏地域がさらに広がり、南アメリカ大陸のチリ、オーストラリア大陸で初演された[19]。なお、シドニー、メルボルンの2都市におけるそれぞれの初演は、いずれも岩城宏之が指揮を担当している[19]。
イスラエルと南アフリカ
[編集]1990年にはイスラエル初演があった[19]。同年にはアフリカ大陸で初めて南アフリカ共和国で演奏されているが、オンド・マルトノの調達が困難であったため、EVI(金管楽器タイプのウインドシンセサイザー)でそのパートを代用している[132] 。この「南アフリカ初演」はスコアの演奏記録には記載されていない[19]。
中国
[編集]1991年には、サイモン・ラトル指揮バーミンガム市交響楽団がアジアツアーのプログラムに『トゥーランガリラ交響曲』を組み込んでおり、まだイギリス領であった香港において演奏している[19][注 51]。中華人民共和国における初演は、2024年にリャン・ツァン指揮上海フィルハーモニー管弦楽団、Zou Xiang(ピアノ)、シンシア・ミラー(オンド・マルトノ)によって行われている[133] 。
ジョン・ノイマイヤーによる新たなバレエ
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2016年には、ジョン・ノイマイヤー振り付けによる新たなバレエがつくられ、ハンブルク・バレエで上演された[134]。演奏はケント・ナガノ指揮ハンブルク・フィルハーモニカーが担当したが、オーケストラの編成が大きすぎてピットに入りきらないため、演奏は舞台上で行われた[135]。なお、このバレエは2021年にバーデン=バーデンでも再演された[134]。
楽譜の出版と改訂
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楽譜は初演から数年遅れ、1953年にフランスのデュラン社から出版された[136]。なお、メシアンの自筆譜はアメリカ議会図書館の音楽部門に保管されている[136]。
メシアンは『トゥーランガリラ交響曲』の約200回の実演に接し[137]、指揮者への注意やテンポの変更などを口頭で伝えた[137]。こうした経験を踏まえ、メシアンは最晩年にあたる1990年に楽譜を改訂した[137]。メシアンが自作の改訂を行うのは珍しいことである[137]。
この改訂では、奏者向けには、アーティキュレーションの注意やバランスをとるために注意深く聴かなければならないパートの指示などが、指揮者向けには、循環主題や複雑なリズム構造など、楽曲の仕掛けに関する説明が脚注などとして記載されたほか[138]、一部の強弱記号やテンポ指示が変更された[138]。なお、テンポ指示の変更に伴い、スコアに記載される全曲の演奏時間は1時間15分から1時間25分に変更された[96][7]。
メシアンは改訂の2年後にあたる1992年に他界した[139]。改訂版の楽譜は、改訂作業から4年、メシアンの死から2年が経った1994年にデュラン社から出版された[96]。改訂版のスコアには、出版前年の1993年までに世界各地で行われた演奏記録が一覧で掲載されている[96]。
主な録音
[編集]『トゥーランガリラ交響曲』の録音は数多くなされている。以下の5つの録音はグラミー賞にノミネートされ、このうちネルソンス指揮、ボストン交響楽団による録音は第68回グラミー賞「優秀オーケストラ演奏部門」を受賞した[140][注 52]。
| 指揮 | オーケストラ | ピアノ | オンド・マルトノ | 録音年 | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|
| 小澤征爾 | トロント交響楽団 | イヴォンヌ・ロリオ | ジャンヌ・ロリオ | 1968年 | [121] |
| アンドレ・プレヴィン | ロンドン交響楽団 | ミシェル・ベロフ | ジャンヌ・ロリオ | 1978年 | [142] |
| チョン・ミョンフン | パリ・バスティーユ管弦楽団 | イヴォンヌ・ロリオ | ジャンヌ・ロリオ | 1990年 | [143] |
| ケント・ナガノ | ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 | ピエール=ローラン・エマール | ドミニク・キム | 2000年 | [144] |
| アンドリス・ネルソンス | ボストン交響楽団 | ユジャ・ワン | セシル・ラルティゴ | 2024年 | [140] |
Shentonは、特に高く評価されている録音として次の6種を挙げている[145]。なお、アンドレ・プレヴィン盤とチョン・ミョンフン盤の2つはグラミー賞候補と重複している。
| 指揮 | オーケストラ | ピアノ | オンド・マルトノ | 録音年 |
|---|---|---|---|---|
| アンドレ・プレヴィン | ロンドン交響楽団 | ミシェル・ベロフ | ジャンヌ・ロリオ | 1978年 |
| エサ・ペッカ・サロネン | フィルハーモニア管弦楽団 | ポール・クロスリー | トリスタン・ミュライユ | 1986年 |
| チョン・ミョンフン | パリ・バスティーユ管弦楽団 | イヴォンヌ・ロリオ | ジャンヌ・ロリオ | 1990年 |
| リッカルド・シャイー | ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 | ジャン=イヴ・ティボーデ | 原田節 | 1992年 |
| 佐渡裕 | トーンキュンストラー管弦楽団 | ロジェ・ミュラロ | ヴァレリー・アールマン=クラヴリー | 2017年 |
| アレクサンダー・ソディ | マンハイム国立劇場管弦楽団 | タマラ・ステファノヴィッチ | トマ・ブロシュ | 2020年 |
なお、チョン・ミョンフン指揮、パリ・バスティーユ管弦楽団の演奏については、楽譜の改訂を行った1990年にメシアンがレコーディングに立ち会い監修したもので、改訂版での変更点が反映されており、メシアンはこの録音を正しいスタイルで演奏された決定盤として高く評価した[146]。
楽器編成
[編集]大規模編成の作品
[編集]クーセヴィツキー音楽財団の委嘱にはオーケストラの規模に関する制約がなく、メシアンは『トゥーランガリラ交響曲』を、自身のこれまでの作品に例がない大規模な編成で書いた[147]。なお、メシアンが20歳台前半に作曲した管弦楽曲『忘れられた捧げもの』(1930 年)、『輝ける墓』(1930 年)、『賛歌』(1932 年)、『昇天』(1932 - 1933 年)は[45]、いずれも、メシアンの管弦楽法の師であるポール・デュカスの作品とほぼ同じ規模の三管編成のオーケストラのために書かれている[147]。
ただし、『トゥーランガリラ交響曲』の後、メシアンは数年間にわたって独奏曲などの小規模な作品を中心に作曲するようになる[148]。ヒルとシメオネは、『トゥーランガリラ交響曲』を完成させた直後の1949年に入って妻クレールの病状が急速に悪化し[注 53]、大規模な作品にエネルギーを注ぐことが難しくなったことをその理由の一つに挙げている[149][150]。
編成の特徴
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『トゥーランガリラ交響曲』は、ピアノとオンド・マルトノを独奏楽器とする一種の協奏交響曲であり[5]、実演の際は、客席から見て指揮者の左手前方にピアノ、右手前方にオンド・マルトノが配置される[151][注 54]。
ピアノは1940年代以降のメシアンにとって欠かせない楽器である[152][83]。この曲のピアノパートは、メシアン自身が「ほとんどピアノ協奏曲のようである[153]」と語っているように、カデンツァがあり[153]、高度な技巧が要求される[153]。
オンド・マルトノは1928年にフランスで発明された電波楽器であり[154]、その独特な音はSF映画の効果音[155]やバンシーの叫び声[156]に喩えられることもある。メシアンは1937年の『美しい水の祭典』以降、いくつかの作品でこの楽器を使用していたが[注 55]、『トゥーランガリラ交響曲』での使用は、オンド・マルトノをメシアンの代名詞の一つとした[157][注 56]。
オーケストラは鍵盤楽器や打楽器が拡充されており[注 57]、4種類の鍵盤楽器(鍵盤式グロッケンシュピール、チェレスタ、ヴィブラフォン、チューブラーベル)は、ピアノや音程のない金属製打楽器とともに、インドネシアのガムランのような音響を形成する[6][注 58]。このうちヴィブラフォンについては『神の現存についての3つの小典礼』(1944年)に引き続いての使用であるが、この楽器のオーケストラでの使用についてはメシアンは先駆者の一人とされている[157][注 59]。また、メシアンの作品では初めてチューブラーベルが使われ、以後の管弦楽作品に欠かせない楽器となった[157][注 60]。
音程の定まっていない打楽器は、トライアングル、3テンプルブロック、ウッドブロック、小シンバル、クラッシュシンバル、サスペンデッド・シンバル、チャイニーズ・シンバル、タムタム、タンブリン、マラカス、プロヴァンス太鼓、スネアドラム、バスドラムの13種類が使われ、曲の随所で、拍節や旋律の動きから独立した打楽器のアンサンブルを展開する[153]。
管楽器は三管編成が基本となっているが、トランペットのセクションが拡大されており、トランペット(C管)3本に加えてピッコロトランペットとコルネットが使われている。特に高音を担当するピッコロトランペットの華やかな音色は曲に輝きを与えている[6]。
弦楽器については、打楽器や管楽器とのバランスを考慮して数が指定されている。
なお、他のメシアンの作品同様、ハープとティンパニは用いられていない[163][注 61]。また、ファゴットセクションについては通常のファゴットが3本でコントラファゴットは用いられない[151]。
使用楽器の一覧
[編集]- 鍵盤楽器:鍵盤式グロッケンシュピール、チェレスタ、ヴィブラフォン、チューブラーベル
- 独奏楽器:ピアノ、オンド・マルトノ
- 打楽器:トライアングル、3テンプルブロック、ウッドブロック、小シンバル、クラッシュシンバル、サスペンデッド・シンバル、チャイニーズ・シンバル、タムタム、タンブリン、マラカス、プロヴァンス太鼓、スネアドラム、バスドラム
打楽器の分担
[編集]スコアには、フランスの打楽器奏者[96]ジェラール・ペロタン Gérard Pérotin による打楽器の分担方法と配置図が記されており、この場合は8人の奏者が以下のように13種類の打楽器を分担することになる[164][注 62]。なお、作曲当初は5人の奏者での分担が想定されていた[96]。
- 第1奏者:バスドラム
- 第2奏者:プロヴァンス太鼓、スネアドラム
- 第3奏者:3テンプルブロック、マラカス
- 第4奏者:マラカス、トライアングル、タンブリン
- 第5奏者:タンブリン、ウッドブロック
- 第6奏者:クラッシュシンバル、サスペンデッド・シンバル
- 第7奏者:サスペンデッド・シンバル、小シンバル、チャイニーズ・シンバル
- 第8奏者:小シンバル、チャイニーズ・シンバル、タムタム
作品の主題
[編集]『トゥーランガリラ交響曲』は、1940年代後半に作曲された「トリスタン三部作」に位置づけられる。三部作は、中世の『トリスタンとイゾルデ』に象徴される男女の宿命的な愛を主題としているが、歌詞をもたない『トゥーランガリラ交響曲』の場合、標題は明示されていない。ただし、メシアン自身の解説や著作を通じて、文学や美術など多岐にわたるイメージが愛の歓喜と恐怖という二面性に結び付けられていることが分かっている。また、その表現方法にはシュルレアリスムの影響が指摘されており、アンドレ・ブルトンの思想に通じる要素が見られるとされている。こうしたテーマ性から、音楽に官能的な要素が含まれているとの指摘もされている。
「トリスタン三部作」とメシアンの私生活
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『トゥーランガリラ交響曲』はメシアンの「トリスタン三部作」の中央に位置している。「トリスタン三部作」とは、1940年代後半に書かれた、歌曲集『ハラウィ』(1945年)、『トゥーランガリラ交響曲』、合唱曲集『5つのルシャン』(1948年)の、メシアンによる総称であり[165]、いずれも男女の愛がテーマとなっている[3]。ここでの「愛」とは、死を経て成就する男女の愛[166]、メシアン自身の言葉によれば「宿命的な愛、抗し難く、原則として死に至る愛、肉体を超越し、精神の与件さえも超えて宇宙的な規模に広がってゆくがゆえに或る程度必然的に死を呼ぶところの愛」[165]であり、メシアンは中世の『トリスタンとイゾルデ』をそのような愛を象徴する物語とみなした[165]。
カトリック信仰に基づく宗教的な作品を書いてきたメシアンがこの時期に「人間の愛と死」を創作の焦点にしたのは[注 63]、病気のため心身ともに衰弱していた妻クレールと[41][注 64]、教え子でありピアニスト、そして後年にメシアンの二番目の妻となる[注 65]イヴォンヌ・ロリオ、そして結婚の秘跡を重んずるカトリック信仰のはざまで葛藤していたことが関係していると考えられている[170][169][171][172][166]。
多様なイメージの源泉
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『トゥーランガリラ交響曲』は「トリスタン三部作」の本質的な中心であり[166]、男女が超人的な愛によって一つの存在となる喜びと、そのために避けられない死の恐ろしさという、愛の二面性を表現している[172]。
『ハラウィ』や『5つのルシャン』とは異なり歌詞をもたない『トゥーランガリラ交響曲』の場合、作品そのものに音楽の標題(プログラム)は明示されていないが[173][174]、メシアンが実演や録音の際に記した解説や、著作『リズム論・色彩論・鳥類学論』第2巻の中で行った作品分析が、標題と音楽の関連を知る手がかりとなっており[175][173]、それらにより、メシアンが様々なイメージを「愛の美しさ」あるいは「愛の恐ろしさ」に結びつけていたことが分かっている[172]。
文学作品では『トリスタンとイゾルデ』のみならず、『ロメオとジュリエット』、『ペレアスとメリザンド』などの愛と死にまつわる作品のほか[176]、ギリシャ神話のオルフェウス[177]、アーサー王伝説に登場するマーリンとヴィヴィアンなどの物語が関連しており[178]、これらの作品については『5つのルシャン』の歌詞にも登場する[174]。加えて『トゥーランガリラ交響曲』においては、エドガー・アラン・ポーの『ライジーア』および『落とし穴と振り子』[177]、プロスペル・メリメの『イールのヴィーナス』も重要な作品である[1]。
文学作品以外では、マルク・シャガールの絵画に描かれた空を飛ぶ恋人たち[179]、ヒエロニムス・ボスの『快楽の園』などの絵画[179]、さらにはメキシコの古代遺跡、イースター島のモアイ像など[180]がある。
『トゥーランガリラ交響曲』は、こうした愛や死に結びつけられた多種多様なイメージがシュルレアリスム的に並置されている[181] [174][172]。
シュルレアリスムとの関連
[編集]
メシアンは自らを「シュルレアリスムの音楽家」であると述べており[182][注 66]、『トゥーランガリラ交響曲』を含む「トリスタン三部作」など1940年代後半の作品では、アンドレ・ブルトンやポール・エリュアールのスタイルが意識されていた[182]。シュルレアリスムが目指した姿の一部は、ブルトンの次の言葉に表われている[182]。
生と死、現実的なものと想像上のもの、過去と未来、伝達可能なものと伝達不可能なもの、高い所と低い所が矛盾して感じ取られるのをやめるある精神の一点が存在すると考えざるを得ない。 — アンドレ・ブルトン「第二次シュルレアリスム宣言」(1930年)[183]
こうした「二律背反の解消」は『トゥーランガリラ交響曲』にも伺うことができ[182]、メシアンの伝記を著した音楽学者ロバート・シャーロー・ジョンソンは、次のように語っている。
(『トゥーランガリラ交響曲』は、)広大な音楽的絵画であり、愛と死、苦痛とエクスタシー、あるいは恋人たちによる官能的な世界とエドガー・アラン・ポーの恐怖が鮮烈な対比で交錯するシュルレアリスム的な夢の世界を垣間見せるものである[184]。
官能性の表出
[編集]愛を主題とする『トゥーランガリラ交響曲』について、マリは「『憑かれている』とでも思えそうなエロスに向き合ってそそりたつ祭壇」と形容しており[166]、グリフィスは「インド彫刻に見られるような罪悪感のないエロティックな力が存在しており、それが濃厚ですらある」と評している[185]。
また、作品を論ずる際に、官能的な音楽表現に言及するケースもある。シュトゥッケンシュミットは「喘ぐような(略)愛の場面の手ばなしの官能的な構成」と述べており[186]、小澤征爾は日本初演の後の新聞取材に対し、「天と地と愛と祈りと、そのなかには男女のカットウもあれば情事の極致もあり、そのあとの眠りもあり、それでいて全体としては音楽が深い思想にささえられている」という作品観を披露している[187][注 67]。
作品のタイトル
[編集]タイトルの由来
[編集]前述したように、『トゥーランガリラ交響曲』というタイトルは、作曲が終盤に近づき曲の全体像がほぼ固まった段階で決められた「後付け」のものである[60]。「トゥーランガリラ」とは、メシアンがパリ音楽院在学中から研究していた、120種類からなる古代インドのリズム「デシー=ターラ」(deçî - tâlas)のうち、33番目のリズムの名称である[注 68][注 69][3][189]。そのリズムは、ヨーロッパの記譜法では次のように表される[189]。
このリズムはオルガン曲『主の降誕』(1935年)などの作品で使われているが[190]、『トゥーランガリラ交響曲』には登場しない[191][160]。それにもかかわらずメシアンがこれをタイトルに採用した理由は、この言葉の響きと意味に惹かれたためである[60][192][注 70]。
タイトルの意味
[編集]
メシアンによれば、この言葉は "Turanga" と "Lila" という2つのサンスクリット語からなっており、 "Turanga" は「時の流れ」や「リズム」を意味し[194][192][注 71]、 "Lila" は「宇宙における神の行為としての創造と破壊の遊戯・生と死の遊戯」さらには「愛」を意味する[194][192][195]。それらの複合語である“Turangalîla” は、「愛の歌・歓喜への賛歌・時間・運動・リズム・生と死」[196]を同時に意味するものであるとされる[196]。
ただし、世界初演時のプログラムノートでは、メシアンは「インドの言葉で愛の歌・リズムの意味であり、また少女の名前[注 72]」と述べており[197][195]、説明は必ずしも一貫していない[195]。
なお、BruhnやFischeは、この言葉がヒンドゥー教の神シヴァの踊りを象徴しており[198][199]、シヴァ神を象徴する数字「5」[注 73]が、『トゥーランガリラ交響曲』の楽章の数や楽曲中の声部の数などに関係していると指摘されている[199][注 74]。
日本語タイトルの表記ゆれ
[編集]メシアンは"Turangalîla" の発音について、”tour-ahn-gu-lee-lah”(トゥランガリーラー)と、最後の「リーラー」にアクセントをおき引き延ばすと説明しているが[194][193]、日本語のカナでは正確な音写が難しいため[3]、複数の表記方法が採られている。
日本語による様々なタイトル表記 | ||||||||||||
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楽章構成
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| Di Wu (P)、Thomas Bloch (Odm)、クリストフ・エッシェンバッハ指揮カーティス交響楽団による演奏。カーティス音楽学校(音楽院)公式YouTube |
10楽章の交響曲
[編集]全10楽章からなり、演奏時間は1時間を超える。楽章数が多い交響曲や演奏時間が長い交響曲は他にもあるが両方を兼ね備えた曲はあまり例がなく[注 75]、この点が『トゥーランガリラ交響曲』の特徴の一つとなっている[221]。
各楽章の演奏時間はおよそ4分から12分であり、楽譜の改訂を行った際にテンポが変更されている。Shentonは、1959年のライブ録音(マニュエル・ロザンタール指揮フランス国立放送管弦楽団)と、改訂を行った1990年のスタジオ録音(チョン・ミョンフン指揮パリ・バスティーユ管弦楽団)の演奏時間を楽章ごとに比較している[222]。以下のように、改訂によって特に第6楽章「愛の眠りの園」がより緩やかになっていることが見てとれる[222]。
| 楽章 | タイトル | 1959年(a) | 1990年(b) | (b)-(a) |
|---|---|---|---|---|
| 1 | イントロダクション | 5:59 | 6:25 | +0:26 |
| 2 | 愛の歌 1 | 7:57 | 8:14 | +0:17 |
| 3 | トゥーランガリラ 1 | 4:36 | 5:26 | +0:50 |
| 4 | 愛の歌 2 | 11:46 | 11:03 | -0:43 |
| 5 | 星々の血の喜び | 6:13 | 6:42 | +0:29 |
| 6 | 愛の眠りの園 | 8:51 | 12:39 | +3:48 |
| 7 | トゥーランガリラ 2 | 4:00 | 4:11 | +0:11 |
| 8 | 愛の展開 | 10:58 | 11:41 | +0:43 |
| 9 | トゥーランガリラ 3 | 4:49 | 4:27 | -0:22 |
| 10 | フィナーレ | 6:36 | 7:44 | +1:08 |
| 合計 | 1:11:45 | 1:18:32 | +6:47 |
楽章の系列
[編集]ロバート・シャーロー・ジョンソンは、10の楽章を次のように4つの系列に区分している[223]。
| 系列 | 楽章 |
|---|---|
| 「愛」の系列 | 第2楽章「愛の歌1」 第4楽章「愛の歌2」 第6楽章「愛の眠りの園」 第8楽章「愛の展開」 |
| 「トゥーランガリラ」の系列 | 第3楽章「トゥーランガリラ1」 第7楽章「トゥーランガリラ2」 第9楽章「トゥーランガリラ3」 |
| 序奏 | 第1楽章「イントロダクション」 |
| 前半後半を締めくくる系列 | 第5楽章「星々の血の喜び」 第10楽章「フィナーレ」 |
「愛」の系列は、愛の成長と発展に関連した楽章であり[223]、「トゥーランガリラ」の系列は複雑なリズムの展開に焦点が当たっており[56]、作品の宇宙的な側面を著した楽章である[223]。
抜粋演奏の可否
[編集]楽章の抜粋については、メシアンは当初、以下のような4パターンを認めており、表中における最初の組み合わせは『3つのターラ』と同じものであり、メシアンはこれを最良のパターンとしていた[68]。
| 抜粋のパターン | 含まれる楽章 |
|---|---|
| 3つの楽章の抜粋(1) | 第3楽章「トゥーランガリラ 1」 第4楽章「愛の歌 2」 第5楽章「星々の血の喜び」 |
| 3つの楽章の抜粋(2) | 第7楽章「トゥーランガリラ 2」 第9楽章「トゥーランガリラ 3」 第3楽章「トゥーランガリラ 1」 |
| 5つの楽章の抜粋 | 第1楽章「イントロダクション」 第6楽章「愛の眠りの園」 第2楽章「愛の歌 1」 第4楽章「愛の歌 2」 第10楽章「フィナーレ」 |
| 1つの楽章のみの抜粋 | 第5楽章「星々の血の喜び」のみ |
しかし、1990年に楽譜を改訂した際、メシアンは抜粋での演奏を否定し、全ての楽章が続けて演奏されるべきだとした[96]。ただし、初演時に行われたような、第5楽章と第6楽章の間の休憩については許容した[96]。
作曲技法の特徴
[編集]調性と和音
[編集]メシアンは新古典主義音楽を批判しモダニズムを擁護していたが[224]、『トゥーランガリラ交響曲』においてメシアンは調性や和音を肯定的に使用している[9]。
「トゥーランガリラ」系列の3つの楽章は明確な調性をもたないが[56]、交響曲全体は、メシアンにとって「愛」を象徴する嬰ヘ長調が中心となっている[注 76]。嬰ヘ長調は、第2楽章「愛の歌1」、第6楽章「愛の眠りの園」、第8楽章「愛の展開」、第10楽章「フィナーレ」で中心的であり[225][9]、第4楽章「愛の歌2」はイ長調、第5楽章「星々の血の喜び」は嬰ヘ長調の属調(嬰ハ長調)に相当する変ニ長調が中心的である[9]。
また和音についても、『春の祭典』を凌ぐ不協和音がある一方で[21]、六度を付加した長三和音などの「ポップ」[226]なハーモニーが使われている[155][21]。
Barkerは、『トゥーランガリラ交響曲』のような表向きは現代的な楽曲に、明らかに調性を肯定するような部分が何箇所もあることを「驚くべきこと」と述べている[227]。また、オーストラリアの音楽学者 Rhoderick McNeill は、作曲科の学生であった1970年代にこの曲を初めて聴いて「恥ずかしげもない調性」( unashamed tonality )に感銘を受けたが、作曲のクラスではこの曲を気に入っているとは言えない雰囲気があったと語っている[155]。
循環主題
[編集]『トゥーランガリラ交響曲』には、メシアンが「彫像の主題」「花の主題」「愛の主題」「和音の主題」と名付けた4種類の循環主題があり[228]、複数の楽章にまたがって使用されることで全体を有機的に結びつけている[8]。このうち、前三者は象徴的な意味をもっており[8]特に重要である[199]。改訂版のスコアには循環主題が登場するたびに注釈があり、これを一覧にすると以下の表となる。
| 楽章 | タイトル | 彫像の主題 | 花の主題 | 愛の主題 | 和音の主題 | 出典 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | イントロダクション | ● | ● | [229][230] | ||
| 2 | 愛の歌1 | |||||
| 3 | トゥーランガリラ1 | |||||
| 4 | 愛の歌2 | ● | ● | ● | [231][232] | |
| 5 | 星々の血の喜び | ● | [233] | |||
| 6 | 愛の眠りの園 | ● | [234] | |||
| 7 | トゥーランガリラ2 | ● | [235] | |||
| 8 | 愛の展開 | ● | ● | ● | ● | [236][237][238][239] |
| 9 | トゥーランガリラ3 | |||||
| 10 | フィナーレ | ● | ● | [240][241] |
彫像の主題
[編集]
連続する三度の重音で構成される[200]。第1楽章で提示される際は、さらに1オクターブ下に音が重ねられ、トロンボーン[注 77]とチューバにより fff で奏される。なお、実際の楽譜では各音符は八分音符で書かれており[243]、全ての音にアクセントがついている[243]。
この主題は重々しく壮大であり[244][228]、プロスペル・メリメ[注 78]の怪奇小説『イールのヴィーナス』(1835年)に登場する「新婚初夜のベッドに侵入し新郎を抱きしめて圧殺するブロンズのヴィーナス像」のイメージ[199]、あるいはパレンケやチチェン・イッツァといった[245]メキシコの遺跡の神殿に見られる「重苦しく恐ろしい粗暴さ」と結びついている[228]。この主題について、Shentonは「愛の恐ろしい側面」を[8]、マリは「激しく官能的な愛」を象徴していると解釈されている[246]。
花の主題
[編集]pp によるデリケートな3つのアルペジオからなる短い主題である[247][228][248]。アルペジオの最初2回は2本のクラリネット、3回目はフルートとファゴットにより奏でられる[249]。メシアンによれば「柔らかなラン、装飾的なツリウキソウ、赤いグラジオラス、過度にしなやかなヒルガオ」のイメージである[250]。また、メシアンは「互いに映っているふたつの目[251]」という比喩も使っており[251]、このイメージはポール・エリュアールの詩集 "Médieuses"(1939年)[注 79]の4番目の詩からの引用である[247]。
「彫像の主題」とは対照的な性格であり[246]、マリは「観念的で優しい愛」を表現しているとしている[246]。なお、「彫像の主題」と「花の主題」との対比については、「男性と女性」「魔性の女と献身的な心優しい女性」と解釈されることもある[199]。
- 「花の主題」と関連する花
-
ラン
-
ツリウキソウ
-
赤いグラジオラス
-
ヒルガオ
愛の主題
[編集]ゆったりとしたテンポの嬰ヘ長調のコラールであり[252] 、メシアンは循環主題の中で最も重要な主題と位置づけている[250]。この主題旋律が完全な姿で登場するのは第6楽章「愛の眠りの園」においてであるが、第2楽章「愛の歌1」[184]や第4楽章「愛の歌2」[55]にその萌芽を認める解釈もある。「愛の主題」は第8楽章「愛の展開」で交響曲全体のクライマックスを形成し、第10楽章「フィナーレ」の第二主題として使われるとともに[253]終盤で美しく歌いあげられる[254]。
なお、この主題はピアノ曲『幼子イエスに注ぐ20のまなざし』における「父の主題」「愛の主題」との類似が指摘されている[255][256]。
和音の主題
[編集]連続する和音であり[250]、象徴的な意味はなく[8]、音響的な素材として使われる。メシアンは中世の錬金術に由来する Solve et Coagula(「ソルヴェ・エト・コアギュラ」、「溶かし、固めよ」)というラテン語を使っている[252]。これは物質を基本要素に分解した後、新たな形に再構築することを意味しており[252]、この主題の触媒のような役割を表している[257]。

独自のリズム技法
[編集]自らを「リトミシャン」(リズムを巧みに用いる作曲家)であると称していたメシアンは[258][259][注 80]、『トゥランガリーラ交響曲』において、古代インドのリズム、「逆行不可能なリズム」「音価の半音階」「ペルソナージュ・リトミック」「音価のセリー」といった独自のリズム技法を駆使している[14]。
そうしたリズムの仕掛けを一般的なリスナーが聞き分けることは容易ではなく[263] [264]、日本の作曲家柴田南雄は、この曲のリズム構造について雑誌で解説した際、読者に向けて次のように語っている。
感動ですべてが押し流されるかに思えるこの曲の底に(略)このように複雑精緻な計劃が秘められていることを知って驚かれる人も多いにちがいない。 — 柴田南雄「オリヴィエ・メシアンの人と音楽」(『音楽芸術』、1958年)[14]
ポリリズム、逆行不可能なリズム、音価の半音階
[編集]『トゥーランガリラ交響曲』では、複雑なリズムが同時進行するポリリズムの部分が多く見られる[265]。例えば第1楽章「イントロダクション」の後半では次のような5種類のリズムパターンが同時に進行している[266]。 なお、5つのリズムはそれぞれ拍子や周期が異なるが、楽譜は4分の2拍子で書かれている[267][注 81]。
第1に、ピアノや鍵盤楽器を中心とするガムラン風の音楽。8分の5拍子で動き、クレッシェンドするピアノの反復音、金管楽器の下降音階につながる[268]。この部分で最も聞き取りやすい動きである[191]。
第2に、第2ヴァイオリンとヴィオラによるモチーフで、デシー・ターラの一つ râgavardhana のリズムによるもの[266]。このリズムは十六分音符19個分の周期で、29回繰り返される[266][269]。
第3に、オーボエ、コールアングレ、クラリネット、バスクラリネットによるモチーフで、これもデシー・ターラの一つである laksmîça のリズムによるもの。十六分音符17個分(休符を含む)の周期であり、32回繰り返される[268]。
第4に、スネアドラムによる「逆行不可能なリズム」の展開である[268]。基本となるリズムは以下の通りであり、音符が回文のように左右対称に並んでいる[270]。このリズムは、下の表に示すように太字部分が加えられ、回文のような構造を保ったまま全体が拡大していっている。なお、数字は十六分音符単位の音価を数字で示したものである。
スネアドラムのリズム展開 音価(十六分音符単位) 2 1 1 1 2 3 2 1 1 1 2 4 2 1 1 1 2 3 2 1 1 1 2 4 2 1 2 4 2 1 1 1 2 3 2 1 1 1 2 4 2 1 2 1 1 1 1 2 1 2 4 2 1 1 1 2 3 9 3 2 1 1 1 2 4 2 1 2 1 1 1 1
第5に、チャイニーズ・シンバルによる「音価の半音階」。「音価の半音階」とはメシアンがはじめて用いた言葉であり[271]、次の譜例に模式的に示したように、音価を規則的に拡大・縮小させる技法である[271]。第1楽章のチャイニーズ・シンバルは、十六分音符17個分の音価から7個分の音価まで減少し、その後再び増加する。この縮小・拡大の動きを3回目の途中まで繰り返す[268][270]。
ペルソナージュ・リトミック
[編集]「ペルソナージュ・リトミック」とは、メシアンがストラヴィンスキー作曲『春の祭典』の「生贄の踊り」の分析を通じて確立した手法であり[261]、「音価が拡大していくグループ」「音価が縮小していくグループ」「音価が変化しないグループ」を舞台上の3人の登場人物(ペルソナージュ)に見立てている[261]。『トゥーランガリラ交響曲』の第5楽章「星々の血の喜び」の展開部では複雑な「ペルソナージュ・リトミック」の技法が使われており、ここではトロンボーンとホルンが「彫像の主題」の変形を奏するが、そのリズムを十六分音符単位の数字で示すと次のようになっている[272]。
音価 4-1-4 8-4-8 10 5-2-5 7-3-7 9 6-3-6 6-2-6 10 7-4-7 5-1-5 10-11-11-5 グループ A B C A B C A B C A B C
グループAとグループBはそれぞれ3つの音が「逆行不可能なリズム」を形成しているが、音楽の進行に伴って前者は音価が拡大し[272]、後者は音価が縮小していく[272]。また、グループCは音の持続が不規則に増減している[272]。なお、改訂されたスコアにはこのグループの符号(A、B、C)と16分音符単位の音価の数字が書き込まれており、奏者の理解を助けている[273]。展開部の後半ではこのリズムがトランペット群に移り、トロンボーンとホルンはこのリズムの逆行形をトランペットから12拍遅れて演奏する[272]。
音価のセリー
[編集]「音価のセリー」または「リズムセリー」は、音符の長さを十二音技法のセリーのように扱う技法で[272]、1950年代の「実験期」にメシアンが発展させ[15][16]、後にブーレーズなどが継承・発展させた「ミュジック・セリエル」の源流である[260]。例えば第7楽章「トゥーランガリラ2」では、十六分音符1つから16個までの音価を次のように組織して3つのリズムパターンを得ている[274]。
| パターン | 音価(十六分音符単位) | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| A | 15 | 13 | 3 | 4 | |||
| B | 12 | 14 | 1 | 2 | 7 | 8 | 16 |
| C | 5 | 6 | 9 | 11 | 10 | ||
こうしてできたリズムパターンおよびその逆行形を次のように6種類の打楽器に割り振り、これらを同時に演奏している[274]。
| 楽器 | パターン | 音価 |
|---|---|---|
| トライアングル | A | 15 - 13 - 3 - 4 |
| ウッドブロック | B | 12 - 14 - 1 - 2 - 7 - 8 - 16 |
| 小シンバル | C | 5 - 6 - 9 - 11 - 10 |
| マラカス | Aの逆行 | 4 - 3 - 13 - 15 |
| バスドラム | Bの逆行 | 16 - 8 - 7 - 2 - 1 - 14 - 12 |
| チャイニーズ・シンバル | Cの逆行 | 10 - 11 - 9 - 6 - 5 |
各楽章の概要
[編集]第1楽章:イントロダクション
[編集]第1楽章は恐怖の要素が強く[245]、大部分がフォルテで奏される[248]、メシアンによれば、全体は4つのセクションに区分される[275][注 82]。
最初のセクションでは2つの循環主題が提示される。冒頭のテンポは Modéré, un peu vif(♩=100) 、4分の2拍子 [277]。弦楽器群のユニゾンによる ff の十六分音符で力強く始まり[248][275]、様々な管楽器が応答してオーケストラの音色を絶え間なく変化させる[276]。この動きが休止すると、♪=80のテンポとなり[229]、「彫像の主題」がトロンボーン、テューバなどにより fff で提示される[229]。この後、テンポは♪=116[278]、♩=88[279] 、♪=96[280]、♪=80[230]と変化し、「十六分音符=56」の遅いテンポとなり[230]、フルートによって「花の主題」が pp で提示される[230]。
続く第2のセクションはピアノ独奏による20小節のカデンツァであり[248]、続いて第3のガムラン風[281]のポリリズムのセクションとなる[275]。ここでは69小節間にわたって[266]、周期が異なる5種類のリズムパターンが重ねられている(前述)。その後、最初のセクションが短縮されて再現され「彫像の主題」が現れて終わる[282]。
第2楽章:愛の歌 1
[編集]Modéré , lourd( ♪=92)[283]、ff で奏される短い序奏に始まる。メシアンはこの序奏を「残酷」と表現し[284]、そのイメージを、南京郊外の貔貅、テナユカの蛇、イースター島のモアイ、あるいはカーボベルデの民話に登場する魔女と重ねている[284]。
序奏の後、Vif(♩=138)となり、スネアドラムの連打に導かれ主部となる [285]。この楽章は、様々な音楽の要素が並置される「水平的」な構造となっており[286][注 83][注 84]、繰り返し登場する主要主題(ルフラン)自体が、テンポとキャラクターが異なる二つのモチーフを並置したものである[282][288]。主要主題を構成する要素の一つは、トランペットや木管楽器によって演奏されるテンポの早い情熱的なモチーフ[282]、もう一つは、弦楽器とオンド・マルトノによって演奏されるテンポの遅い[282]瞑想的なモチーフであり[289]、それぞれが「激しい地上の愛」「おだやかな天国的な愛」を表すかのようである[281]。また、後者は愛の調性である嬰ヘ長調であり、Markowは、これが循環主題の「愛の主題」の萌芽であると捉えている[184]。この二つの性格を合わせ持つ主題がロンド風にエピソードを挟みながら繰り返され、最後に大きく展開される[281]。
- 第2楽章冒頭のイメージ
-
テナユカの蛇
第3楽章:トゥーランガリラ 1
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前の2つの楽章は開始と終止がいずれもフォルテであったが、第3楽章は対照的に弱音で始まり弱音で終止する[289]。スコア冒頭には reveur(夢見心地で)という指示がある [290]。
クラリネット独奏とオンド・マルトノの表情豊かな対話で始まるが[281]、突如 ff となり、ガムラン風の鍵盤楽器の動きとオンド・マルトノとチェロによる上下するグリッサンドを伴って、トロンボーンや低音楽器が旋律を奏でる(第2主題)[184][282]。メシアンはこの主題のイメージをチベットの巨大な笛ドゥンチェンと重ね合わせており[291]、このシーンの背景となる景色として、ヒマラヤの雪や太陽などを挙げている[291]。冒頭の主題が ff で再現され静まるとオーボエとフルートの二重奏となる(第3主題)[184]。フルートの旋律のリズムはオーボエの旋律の逆行になっている[281]。その背景には、リズムが拡大するバスドラム、縮小するマラカス、変化しないウッドブロックによる「ペルソナージュ・リトミック」があるが[282]、それらは材質が異なっており、バスドラムは動物(皮)、マラカスは鉱物(石)、ウッドブロックは植物(木)を象徴している[282][289][292]。
主題やリズムの素材が展開され、最後は第3主題から派生した動機で夢見るように終止する[184]。
第4楽章:愛の歌 2
[編集]作曲の初期から構想されていたスケルツォ楽章である[281]。「愛の歌 1」が様々な音楽の要素を並置する「水平的」な構成であったのに対し、「愛の歌 2」は、複数の要素が同時に進行する「垂直的」な構成が特徴となっている[286]。
冒頭はBien modéré(♪=120)[293]、4分の3拍子。ピッコロとファゴットが4オクターブ離れたユニゾンでスケルツォ主題を演奏する。スタッカートで奏される主題の合間に挟み込まれるレガートなモチーフは「彫像の主題」のソプラノラインである[286][9]。そこに、メシアンが「自分が偏愛するリズム方式」[294]と呼んだ、デシー・ターラを組み合わせたリズムパターン(下の譜例)[注 85]がウッドブロックによって重ねられ[296]、さらにピアノが加わってアルペジオ化された「和音の主題」を添える [231]。
経過部を挟んでトリオ(中間部)となる。トリオは、木管楽器による第1トリオと弦楽器のアンサンブルによる第2トリオからなっており、オンド・マルトノと弦楽器によって ff で演奏されるイ長調の美しく感動的なルフランがそれらを挟み込んでいる[297]。このルフランには「愛をもって」( avec amour )という指示があり[298]、ヒルとシメオネはこのルフラン主題を「愛の主題」の萌芽とみなしている[55]。2つのトリオ主題は同時に重ね合わされ、ピアノによる鳥の歌の模倣が対位する[299]。『トゥーランガリラ交響曲』で鳥の歌が登場するのはこの部分が初めてである[300][注 86]。
経過部を挟んでスケルツォが再現されるが[注 87]、ここではトリオの旋律、複数の独立したリズムセクション[注 88]など、9種類のレイヤーが重ねられ[302]、さらにトロンボーンによる「彫像の主題」が加わってレイヤーは10種類となる[302][304]。
この混沌が突然断ち切られるとピアノのカデンツァを挟みコーダとなる[304][302]。コーダでは「花の主題」「彫像の主題」が第1楽章に近い形で再現され[286]、この楽章のトリオを回想してイ長調で静かに終わる[286]。
第5楽章:星々の血の喜び
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前半のフィナーレとなる華麗で情熱的な楽章である[306] 。全10楽章の中で最後に作曲された。調性は変ニ長調で[296]、交響曲全体の主調である嬰ヘ長調の属調に相当する。Vif, passionne, avec joie (生き生きと、情熱的に、喜びをもって)の指定がある[233]、急速なテンポ(♪.=138)の16分の3拍子のスケルツォ楽章で[296]、デュナーミクはほぼ f 、ff に終始する[307]。ほとばしる生命感を表現しており[308]、メシアンによれば「恋人たちの結合による宇宙規模の変容」を象徴する熱狂的な喜びの踊りである[307][304]。Bruhnは『幼子イエスに注ぐ20のまなざし』の第5曲「喜びの精霊のまなざし」との精神的な関連を指摘している[309]。
ただし、外面の華麗さとは裏腹に、複雑で精緻なリズムの展開が秘められており[272]、作曲家の柴田南雄はここでのリズム技法について「驚くべきスコアという他ない」と述べている[274]。
コーダつきの三部形式で、中央に展開部がある[302][309]。楽章全体は「彫像の主題」に基づいている[310][309]。冒頭に登場する主要主題も「彫像の主題」を急速に演奏したものであるが、Shentonによれば、そのことに気づく聴衆は少ないとされる[311]。
展開部では「彫像の主題」に基づく複雑な「ペルソナージュ・リトミック」による展開が行われる(前述)。曲の終盤には「彫像の主題」に基づくピアノのカデンツァがあり[312]、バスドラムのロールが fff の「彫像の主題」を導き出すが、突然 pp の変ニ長調の和音となり、タムタムを伴ってクレッシェンドし盛大に終わる[307][313]。なお、メシアンは終結部のイメージはエジプトのスフィンクスやチチェン・イッツァの神殿、あるいは巨大な孤立した山だと述べている[313]。
スコアには、次の楽章までに長い沈黙を置くよう指示が書かれている[313]。
第6楽章:愛の眠りの園
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第5楽章とは対照的に p 、pp に終始する、平和で美しい楽章[314]。この楽章では金管楽器が全休止する。65小節しかないが[315]、テンポが緩やかなため演奏時間は10分を越え[222]、全楽章の中でも長いものとなる[184]。
ここで描かれるのは、愛の眠りの中に閉じ込められ時間の流れの外側にいる恋人たちであり[316]、メシアンはその視覚的なイメージとしてヒエロニムス・ボスの「快楽の園」に描かれた「水晶の泡」の中の恋人の姿を挙げている [179][313]。
Tre modéré, tres tendre(とても穏やかに、とても優しく、♪=60)[234]の指示がある。愛を象徴する嬰ヘ長調で、オンド・マルトノと弱音器をつけた弦楽器が「愛の主題」の全貌を四声体で演奏し[317]、ピアノが鳥の歌を模倣する[315]。これはサヨナキドリ、クロウタドリ、ニワムシクイの鳴き声を様式化したものである[316]。また、フルートとクラリネットがアラベスク風な対旋律を奏でるが、このモチーフは『5つのルシャン』第3曲のエンディングに転用されている[318]。
これらの動きとは別に、楽章後半からは2つのテンプルブロックによるアンサンブルが始まる[319]。1つは十六分音符7個分の音価から始まって「7、8、9、10、11……38」と音の間隔が広がっていき[注 89]、もう1つは十六分音符48個分から「(48)、47、46、45、44……32」と音の間隔が狭まっていく[注 90][320]。メシアンによれば、前者は「現在から未来へ」、後者は「未来から過去へ」という時間の流れを表している[320][316]。
チェレスタの和音が鳴り、オンド・マルトノと弦楽器がppppまでディミヌエンドして静寂のうちに終わる[321]。
- 「愛の眠りの園」の鳥
-
サヨナキドリ
-
クロウタドリ
-
ニワムシクイ
第7楽章:トゥーランガリラ 2
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この楽章は死や恐怖をテーマとしており、メシアンはその象徴として、エドガー・アラン・ポーの小説『落とし穴と振り子』に言及している[注 91]。異端審問で有罪にされた主人公が味わう「天井から下がってくる刃物のついた振り子、迫り来る焼けた鉄の壁、深い落とし穴」の恐怖のイメージが重なっている[316]。演奏時間は4分程度と全楽章で最も短いが[222][322]、サウンドは豊かで[315]、テンポ、拍子、テクスチュアが異なる8つのセクションで構成される[323][324]。
- 第1セクション
- ピアノソロが ff でクロウタドリの嘲笑的な鳴き声を模倣する[322][注 92]。
- 第2セクション
- 半音階で高音域から下降するオンド・マルトノと低音域から上昇するトロンボーン・テューバが「扇が閉じる」ように互いに近づき[326]、その背景では弦楽器のピツィカート、管楽器、鍵盤楽器が、点描的な[327]音色旋律を奏でている[328]。
- 第3セクション
- 6種類の打楽器が「音価のセリー」を演奏する(前述)[274]。
- 第4セクション
- 複数の旋律線が無秩序に歌われる[326]。ここではフルートとオーボエの旋律が中心であり、独奏チェロが対旋律を奏でている[326]。なお、独奏チェロの旋律は『5つのルシャン』第5曲の旋律の原型である[326]。
- 第5セクション
- 第2セクションを反転させたものであり[295]、オンド・マルトノと低音金管楽器は「扇が開く」ように動き、音色旋律は逆行する[329]。
- 第6セクション
- 『トゥーランガリラ交響曲』で最も複雑な部分の一つであり[295][注 93]、『落とし穴と振り子』のイメージと直接結びついている[332]。メシアンはこの部分を「恐ろしいリズム」と表現している[332]。
- 第7セクション
- 冒頭のピアノソロが短く再現され[324]、「彫像の主題」を挟む展開が行われ、タムタムのロールに導かれて最終セクション(コーダ)となる[324]。
- 第8セクション
- 打楽器による「音価のセリー」と、オンド・マルトノと低音金管楽器による「扇が開く」動き、複数の楽器による音色旋律が同時に演奏されるが、音色旋律については後半が逆行形になっている[333]。これらの動きが止まると、ピアノが冒頭のソロの最終音を奏で、バスドラムの鋭い一撃で終止する[324]。
第8楽章:愛の展開
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メシアンはこの楽章がこの交響曲全体のクライマックスであるとしている[334][335]。この楽章は唯一、4つの循環主題が全て登場し展開される[184][注 94]。「愛の展開」というタイトルは、この楽章が交響曲全体の展開部であるという音楽的な意味とともに[336][335]、「トリスタン」と「イゾルデ」に象徴される男女が死を経て永遠に結びついた一つの存在になるという二重の意味をもっている[336][184]。ただし、メシアンは愛の成就には痛みや死が不可避であることから、このタイトルを「恐ろしい」と表現した[325]。
この楽章は、序奏、大展開部、コーダの3つに大きく区分できるが[324][注 95]、その序奏とコーダにおいては、恐ろしさの要素が強く表れており[325]、メリメの『イールのヴィーナス』のイメージと結びついた「彫像の主題」が登場する[337][注 96]。
楽章の大半を占める大展開部では、トッカータ風の主題が、愛の主題の断片や花の主題とともに転調を繰り返しながら発展し[339]、 fff による「愛の主題」の3回の「爆発」を導く。ここでは愛の主題は途中からのフレーズが使われているが、旋律や和声進行はワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』の「愛の死」(次の譜例)を仄めかすものとなっている[340]。
愛の主題の「爆発」は、1回目はハ長調[341]、2回目はニ長調[340]、最も長く強い3回目は愛の調性である嬰ヘ長調で奏され[334]、永遠の愛の成就を表現する[334][注 97]。このクライマックスが時間をかけて収まっていくが[342]、コーダになり楽章冒頭の恐怖が回帰する[342]。「彫像の主題」に基づく3重のカノンが金管楽器と打楽器に現れ[334]、低音楽器とタムタムの一撃で終結する[343]、最後の一撃は、メシアンによれば「神託の洞窟」に反響するこだまのイメージであり[184][335]、冥界に降りていくオルフェウスや、ポーの『落とし穴と振り子』の拷問の穴など[343]、深淵や奈落のイメージが重ねられている[342]。
第9楽章:トゥーランガリラ 3
[編集]Bien modéré (♪=80)、4分の2拍子 [344]。「インド風」の主題[345]と4つの変奏という形をとっている[346]。比較的短い楽章であるが[347]、リズムやオーケストレーションは極めて複雑である[343]。
主題の提示が終わると打楽器のみのアンサンブルとなる[345]。この部分は以下のような、十六分音符1つ分から17個分までの音価を3つのグループに分けたリズムセリーに基づいている[348]。
| グループ | 音価(十六分音符単位) | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| A | 4 | 5 | 7 | 3 | 2 | 1 | 6 | 17 | 14 |
| B | 8 | 9 | 10 | 16 | 12 | 15 | |||
| C | 11 | 13 | |||||||
グループAを後ろから読んだリズムを「逆A」、グループBを後ろから読んだリズムを「逆B」として、次のように全体が回文になるように並べ、5つの打楽器に割り当てている[346]。5種類の打楽器はこうして得られたリズムを同時に開始するが[335]、繰り返すごとにそれぞれ音符が付加されていき[345][347]、楽章の最後まで展開が続く[349]。
| A | B | C×3 | 逆A | 逆B | 逆B | 逆A | C×3 | B | A |
| ウッドブロック | サスペンデッド シンバル |
マラカス | プロヴァンス太鼓 | タムタム | |||||
ピアノと鍵盤楽器によるガムラン風の第1変奏[343]が終わると弱音器をつけた弦楽器が演奏に加わる。なお、この楽章では弦楽器は13人の独奏者のみである[347]。これらの弦楽器は次のようにパートごとにいずれかの打楽器と同じリズムで動いている。また、それぞれの音高は種類の異なる移調の限られた旋法に基づいており[347]、これらが合わさることで神秘的な響きを作り出している[347]。
| パート | 人数 | 対応する打楽器 | 移調の限られた旋法[349] |
|---|---|---|---|
| 第1ヴァイオリン | 2 | ウッドブロック | 第3番 |
| 第2ヴァイオリン | 4 | サスペンデッドシンバル | 第2番 |
| ヴィオラ | 3 | マラカス | 第7番 |
| チェロ | 2 | プロヴァンス太鼓 | 第4番 |
| コントラバス | 2 | タムタム | 第1番 |
こうした複雑な響きを背景に、引き続き主題の変奏が行われる。第2変奏と第3変奏ではチェレスタ、グロッケンシュピール、ヴィブラフォンが八分音符で規則正しく変奏を行うが、同時にピアノが縮小された音価、オンド・マルトノが自由に拡大された音価で演奏する[350]。さらに木管楽器による第4変奏が重なり、全体がクレッシェンドして突然楽章の幕切れとなる[342][317]。
メシアンは第9楽章の後、フィナーレに入るまでに長い沈黙が必要であるとスコアに記している[347]。
第10楽章:フィナーレ
[編集]ソナタ形式で書かれた[56]、歓喜に満ちた力強いフィナーレである[345]。Modéré, presque vif, avec une grande joie (中庸な速度で、ほとんど活発に。大きな喜びをもって)(♪.=100)、16分の3拍子、嬰ヘ長調[351]。序奏はなく、冒頭からトランペットとホルンがファンファーレのような第1主題を提示する[335][352]。その背景では、ウッドブロックと小シンバルが、第4楽章に登場したデシー・ターラ由来の「偏愛するリズム」のパターンを鳴らしている[353]。第2主題は変ホ長調で提示される[253]。この第2主題は「愛の主題」の音価を縮小したもので[253]、メシアンはシャガールの絵画に描かれた、空へ飛び立つ恋人たちのイメージを重ねている[353]。
展開部は第1主題、第2主題、「和音の主題」に基づいており、様々なリズム手法が展開される[353]。再現部での第2主題は主調の嬰ヘ長調に移され[353][354]、提示部では省略されていた「愛の主題」の後半部分も変奏の対象となる[354]。
テンポが急速に落ち、Très lent(非常に遅く)、16分音符=66のテンポとなり[355]、オンド・マルトノと管楽器、弦楽器が「愛の主題」をfffで歌い上げる[335][注 98]。「愛の主題」がドミナントの和音でクレッシェンドし、コーダに突入する[353]。
コーダでは再び推進力のある急速なテンポとなり[137][356]、チューブラーベルが「愛の主題」から派生した次の音列を9回繰り返す[354][137][注 99]。
ここに第1主題、「愛の主題」、「和音の主題」が変形して組み合わされ[137]、オンド・マルトノのトリルが「歓喜する雲雀が太陽に向かって飛び立つ 」[137]ごとく上昇する。最後は p から fffまで急速にクレッシェンドする嬰へ長調の主和音で作品を力強く締めくくる[137]。
評価
[編集]メシアンの自己評価
[編集]メシアン自身は1976年に『トゥーランガリラ交響曲』について次のように発言している[357]。
私の作品の中では、発見がもっとも豊富にあり、また最も旋律的で、最も熱烈で、最もダイナミックで、そして最も色彩的なものの一つです。[358]
ただし、Burtonは、『トゥーランガリラ交響曲』は、曲の長さ・規模、楽器編成、情熱的な音楽表現のすべてが「過剰」であると指摘している[359]。以下に見るように、こうした要素は批判の対象ともなった。
否定的な評価
[編集]『トゥーランガリラ交響曲』に対する否定的な意見は初演時から今日に至るまで少なくない[21][注 100]。
世界初演・フランス初演時
[編集]1949年の世界初演の翌日に「ボストン・グローブ紙」に掲載された演奏会評では、批評家 Cyrus Durgin が[17]「記憶する限り、最も長く最も無駄な音楽」(the longest and most futile music within memory)と作品を酷評した[92]。
1950年のフランス初演の際は、プーランクに近い立場の音楽家が『トゥーランガリラ交響曲』を酷評した。ヴァイオリニストのエレーヌ・ジュルダン=モランジュは、「いたずらに複雑」な作品と批判し[361]、1950年9月のイギリスの『ミュージカル・タイムズ紙』に掲載されたエクス=アン=プロヴァンス音楽祭の記事は[注 101]、プーランクの協奏曲を讃える一方、『トゥーランガリラ交響曲』については「陳腐な感傷、あからさまな盗作、悪魔的な騒音」「聴くことが拷問」などの言葉を並べ、「フランス音楽がこうした作品を生み出せたのは全く理解しがたい」と締めくくっている[363][362]。プーランク自身も、ミヨーに充てた私的な手紙の中で、『トゥーランガリラ交響曲』は「大衆とエリートの両方に向けて、また、ビデと聖水盤の両方に向けて[364]」書かれた「ひどい」(atrocious)作品だと述べている[365][364]。
その他の批判
[編集]
『トゥーランガリラ交響曲』への否定的な評価は、メシアンに近い立場からも行われている。メシアンの弟子であった作曲家ピエール・ブーレーズは「吐き気を催す」[366]「売春宿の音楽」[367][21]と面と向かって罵倒し[注 102][注 103]、メシアンを擁護していた音楽学者ポール・グリフィスは「驚くほど下品」と評した[359][21][368]。
このほか、アメリカ合衆国の作曲家ヴァージル・トムソンは「ハリウッドのトウモロコシ畑から直行」した音楽に例え[360]、イタリアの批評家マッシモ・ミラは、1955年12月4日の「エスプレッソ誌」において、「極めて単純」「公然と告白された陳腐さ」「ブロードウェイカーニバル」などの言葉で批判した[369]。
ドイツの音楽評論家ハンス・ハインツ・シュトゥッケンシュミットは、リズムや色彩の新しさを長所と認めつつも、「節度を失した長さ」「驚くほど無頓着な旋律的素材の選択ぶり」といった点を短所として挙げている[370]。
大衆的な成功
[編集]否定的な批評にもかかわらず『トゥーランガリラ交響曲』は聴衆や若い音楽家たちを魅了し[20][371]、世界各地で演奏され、メシアンの作曲家としての名声を高めた[20]。メシアンの伝記を著したピエレット・マリは次のように述べている。
それでも、《トゥランガリラ交響曲》が大衆的な大成功を収めたということはやはり真実なのである――現代音楽史上の特例と言わねばならない。(略)多くの音楽マニアの熱狂がいつまでも続いた。 — ピエレット・マリ『メシアン』(1973年)[372]
Burtonは、『トゥーランガリラ交響曲』は聴く人の感覚や感情に「恥ずかしげもなく」(unabashedly)訴えかける作品であり[359]、この点が、聴衆から支持されるようになった原因であると同時に、多くの音楽家や批評家が嫌悪した原因でもあると考察している[359]。また、McNeillはモダンからポストモダンへと芸術の潮流が変化したことに伴い、あからさまな調性を含む『トゥーランガリラ交響曲』への理解が進んだとしている[155]。
日本初演の2日後の朝日新聞夕刊に掲載された評論家増沢健美による演奏会評も、作品の通俗性に言及している。
われわれの前に展開された音の世界はたしかに特異なものであり、いきづまるような興奮をひき起こさせる瞬間があるものであって、それはまさに有頂天の愛の歌である。
この音楽は日本の楽団にとっては、ある意味で幕末の黒船の到来のようなものであろう。しかしこの曲の第五楽章「星の血の喜び」その他に感じられるいくばくかの通俗性は、この曲に関する注解を要せずして多くの人を近づけさせる手がかりになるにちがいない。 — 増沢健美(「朝日新聞」1962年7月6日夕刊「有頂天の”愛の歌”」)[202]
ロリオのコメント
[編集]メシアンの身内であり、初演以来『トゥーランガリラ交響曲』を幾度も演奏したイヴォンヌ・ロリオは、日本初演の後、次のようにコメントしている。
『トゥランガリラ』はあの通りのロマンチックな、そしてまばゆいばかりの色彩感にあふれている曲ですから、ひきながら自分自身も高い空までかけ上がっていったり、また逆に地の底、海の底に引張りこまわるようになつたり、まつたく無限の空間、無限の深さを感じられます。 — イヴォンヌ・ロリオ「メシアンと私」(「藝術新潮」1962年9月号)[373]
『トゥーランガリラ交響曲』の位置づけ
[編集]『トゥーランガリラ交響曲』はメシアンの初期を代表する[3]記念碑的大作[4]であるとともに[358][357][155] 、「20世紀の最も偉大なオーケストラ作品」「20世紀音楽の古典の一つ」とみなされるようになっている[21][22]。 作曲家矢代秋雄は、『トゥーランガリラ交響曲』が戦後の傑作5曲に数えられる作品であるとして、次のように述べている。
この曲に好意を持てない人がいることは私も知っている。(略)が、(略)後世、二十世紀の音楽を論じる時には好むと好まざるとにかかわらずひきあいに出される作品であることは間違いない。実にこの曲は、ヨーロッパのロマン派音楽の総決算であり、終着駅であり、また調性を持った最後の音楽という気がする。要するに、あらゆる意味からして二十世紀後半をしめくくるにふさわしい大曲である。 — 矢代秋雄「メシアンとブーレーズ 戦後の代表的な五曲」(「季刊藝術」1968年6月)[374]
京都賞のファンファーレ
[編集]日本初演から23年後となる1985年、第1回京都賞(思想・芸術部門)を受賞したメシアンは[375]、授賞式に出席するためロリオとともに来日した[376]。11月10日に行われた授賞式において式典音楽を担当した作曲家諸井誠は[377]、メシアンが受賞の瞬間に鳴らすファンファーレの中に、代表作『トゥーランガリラ交響曲』をさりげなく引用した[378]。メシアンはそのことに気づき、晩餐会に移動する途中、諸井の手を握って、「トゥーランガリラが鳴ったね[378]」と言い感謝したとされる[378]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『トゥーランガリラ交響曲』の後、メシアンがアメリカ合衆国の団体から委嘱されて作曲した作品には『峡谷から星たちへ…』(1974年初演)、『聖体秘蹟の書』(1986年初演)『彼方の閃光』(1992年初演)がある[23]。
- ^ クーセヴィツキーの委嘱による作品には、ラヴェル編曲の『展覧会の絵』(1922年)、プロコフィエフの『交響曲第4番』(1930年)などがある。
- ^ クーセヴィツキー音楽財団が1942年から1944年に行った委嘱によって生まれた作品には、ブリテンの歌劇『ピーター・グライムズ』、マルティヌーの『交響曲第1番』(以上、1942年に委嘱)、バルトークの『管弦楽のための協奏曲』、ストラヴィンスキーの『頌歌』、W.シューマンの『弦楽のための交響曲』(以上、1943年に委嘱)、ミヨーの『交響曲第2番』、コープランドの『交響曲第3番』(以上、1944年に委嘱)などがある[26]。
- ^ 1945年にクーセヴィツキー音楽財団が委嘱を行ったのはメシアンの他、デイヴィッド・ダイアモンド、ルーカス・フォス、アレクセイ・ハイエフ、ハワード・ハンソン、ニコラス・ナボコフ、ハロルド・シェイペロウ、エイトル・ヴィラ=ロボスであった[26]。
- ^ クーセヴィツキーがメシアンの作品を知ったのは同年(1936年)にパリを訪れた際のことである[28]。また、その時期にクーセヴィツキーはメシアンと手紙のやり取りも交わしたことがあった[29]。
- ^ ミシェル・ドゥクストの証言による[37]。
- ^ 『幼子イエスに注ぐ20のまなざし』の初演では、メシアンは4ページからなる自作解説の冊子をつくり各曲ごとに読み上げたが、こうしたメシアンの饒舌な自作解説も批判の対象となっていた[39]。
- ^ 同時期にはピエール・ブーレーズを中心とするメシアンの生徒たちがストラヴィンスキーの『協奏的舞曲』、『4つのノルウェー情緒』にブーイングを行ったことをきっかけに、プーランクなどのストラヴィンスキーを擁護する人々との間に論争が起こり、メシアンもこうした騒動にも巻き込まれていた[40]。
- ^ ヒルとシメオネによれば、『ハラウィ』は妻クレールへの「情熱的な哀歌」である[42]。
- ^ クーセヴィツキーの手紙はパリ音楽院あてに送られ1ヶ月後に到着したが、メシアンが不在にしていたため、手元に届くまではさらに約2週間後を要した[44]。
- ^ 1944年のはじめ頃のメシアンの手帳には、”ストラヴィンスキーのバレエ音楽『春の祭典』の「生贄の踊り」に見られるリズム操作を応用した大規模な管弦楽曲”のアイデアが書かれており、これが後の『トゥーランガリラ交響曲』につながった[31]。
- ^ 『トゥーランガリラ交響曲』の楽想の一部は、1944年作曲のピアノ曲『幼子イエスに注ぐ20の眼差し』と、楽想や調性、リズムの書法などの面で類似点のあることが指摘されている[47]。
- ^ 1945年9月17日に歌曲集『ハラウィ』を完成させたメシアンは[11]10月10日の手帳に「クーセヴィツキーのための交響的作品を書く」と書き記している[48]。
- ^ レオポルド・ストコフスキー指揮ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団による[52]。
- ^ ピエール・モントゥー指揮サンフランシスコ交響楽団による[52]。なお、この時の公演はサンフランシスコ交響楽団のニューヨークデビューでもあった[52]。
- ^ 最初に構想された4つの楽章は、第1楽章「イントロダクション」、第4楽章「愛の歌 2」、第6楽章「愛の眠りの園」、第10楽章「フィナーレ」であり[55]、「愛の歌 2」がスケルツォ楽章、「愛の眠りの園」が緩徐楽章[55]、「フィナーレ」がソナタ形式の楽章である[56]。
- ^ 当初の4つの楽章に、第3楽章「トゥーランガリラ 1」、第7楽章「トゥーランガリラ 2」、第9楽章「トゥーランガリラ 3」が追加され[57]。次に、愛に関する2つの楽章、第2楽章「愛の歌 1」、第8楽章「愛の展開」が追加された[57]。
- ^ 「ターラ」は「リズム」を意味するサンスクリット語[57]。
- ^ Kheyâlaは「愛の歌」、Mârutaは「息吹、風」の意 [59]。
- ^ 1949年2月にバーデン・バーデンで『3つのターラ』を演奏した際、メシアンはインタビューに答え、年末にアメリカで初演される交響曲は『3つのターラ』と同様の愛の歌で、その作品にもオンド・マルトノが使われると説明している [66][67]。
- ^ ヒルとシメオネによれば、同楽団は2月28日にマドリードでも『3つのターラ』を演奏している[71]。
- ^ 1949年1月1日の日記[73]。
- ^ クーセヴィツキーは2年後の1951年に他界した[75]。
- ^ タングルウッド滞在中にメシアンはピアノ曲『カンテヨジャーヤー』を作曲した。同曲には『トゥーランガリラ交響曲』や『5つのルシャン』の動機が変形されて利用されている[80]。
- ^ クーセヴィツキーの後任としてシャルル・ミュンシュがボストン交響楽団音楽監督に就任した[81]。
- ^ 1930年代のメシアンはオルガンのための作品を多く書いたが、1940年代になるとピアノが楽曲の中で重要な役割を果たす作品を書くようになった。このことは優れたピアニストであったロリオの存在が関係している[83]。
- ^ ジネット・マルトノは『トゥーランガリラ交響曲』初演の1ヶ月前にあたる11月5日に、シャルル・ミュンシュ指揮ボストン交響楽団による、アンドレ・ジョリヴェ作曲『オンド・マルトノ協奏曲』のアメリカ合衆国初演で独奏を務めている[87]。
- ^ 第1、第5、第6楽章のそれぞれ一部のリハーサルが放送された[90]。
- ^ この記事では第1楽章の1部分の自筆譜も掲載された[95]。
- ^ 1994年に出版された改訂版のスコア。
- ^ 当時はソ連の一部。
- ^ スコアの公演一覧には楽団名は記載されていない。
- ^ メシアンに近いアントワーヌ・ゴレアがプーランクの『ピアノ協奏曲』を「引用だらけの作品」と酷評したことがきっかけとなった[99]。
- ^ メシアンは1959年にレジオンドヌール勲章オフィシエを受章している[100]。
- ^ 1958年3月21日のNHKのラジオ放送で、日本では初めて『トゥーランガリラ交響曲』が紹介された(ルドルフ・アルベルト指揮バイエルン放送交響楽団が1953年6月に行った演奏の録音)[104]。
- ^ 1959年に単身渡欧した小澤征爾は、1961年にニューヨークフィルハーモニックの来日公演(レナード・バーンスタイン指揮)に補助指揮者として同行し凱旋帰国を果たした[105]。NHK交響楽団とは、1962年6月・7月の2ヶ月だけ指揮する契約(後に12月までに延長)を結んでおり[106][107]、メシアンが来日した6月20日がN定期公演への初登場であった[108]。
- ^ 本荘玲子はこのとき初めてオンド・マルトノに触れたが、ロリオの手ほどきも受けながら、この楽器の演奏をマスターした[109]。
- ^ リハーサルは6月23日から7月3日まで、連日10時から15時まで行われた[110]。
- ^ メシアン自身も「一つの導入のまちがいもなかつたし、一つの狂った音も鳴らなかつた。それに全楽員の真剣な態度にも敬意を表する[111]」と褒め、「世界の大オーケストラによる幾度かの演奏のうちでも最もすぐれたものの一つ[111]」と高く評価した。
- ^ メシアン夫妻の日本訪問は、プロモーター山口芙美による企画であった[103]。来日は1962年6月20日であり[103]、滞在はおよそ1ヶ月に及んだ[112]。メシアンがヨーロッパ以外の地を訪れるのは『トゥーランガリラ交響曲』初演の際に訪米したとき以来のことであり[103]、メシアンにとって初の飛行機によるツアーでもあった[113][103]。
- ^ 日本訪問の目玉は『トゥーランガリラ交響曲』の日本初演であったが、その他にロリオによる『幼子イエスにそそぐ20のまなざし』、メシアン夫妻による『アーメンの幻影』の演奏なども行われた。また、軽井沢、鎌倉、大阪、奈良、広島への観光のほか、文楽や歌舞伎などを鑑賞した[114]。なお、このときの日本への旅行がきっかけとなって管弦楽曲『7つの俳諧』が誕生している[115]。
- ^ 同年秋には小澤征爾とNHK交響楽団の関係は破綻する[116]。いわゆる「N響事件[117]」または「小澤事件[118][119]」である。
- ^ 武満徹の『ノヴェンバー・ステップス』とのカップリングで発売されたこの録音は同年のグラミー賞にノミネートされた [121]。
- ^ 6月21日、22日、23日、26日、28日、7月3日、17日、18日、23日、9月18日、20日、10月2日、4日、6日[19]。これらの公演はスコアの演奏記録にも記載されている[19]。
- ^ パリでのバレエより早く、ドイツでは1960年にペーター・ファン・ダイクの振付、ハンブルク・バレエ団により、「孤独」「愛の歌」「喜びの踊り」というタイトルで上演された[123]。これは第3楽章「トゥーランガリラ1」、第4楽章「愛の歌2」、第5楽章「星々の血の喜び」を抜粋したものであった[123]。
- ^ 7月23日の公演
- ^ パリ・オペラ座のバレエをめぐって訴訟が起こり[122]、メシアンは敗訴して20,000フランの支払いを命じられている[124]。提訴したのは、ユベール・ドヴィレズという税務職員で[125]、1950年代にメシアンに『トゥーランガリラ交響曲』のバレエ化を持ちかけ[123]、自ら書いた台本をパリ・オペラ座に持ち込んだが却下されていた人物である[123][125]。
- ^ 『アッシジの聖フランチェスコ』は1975年から1983年にかけて作曲され1983年に初演された[127]。
- ^ 小澤は1973年にボストン交響楽団音楽監督に就任した[105]。
- ^ 小澤の演奏指揮を高く評価したメシアンは、後にオペラ『アッシジの聖フランチェスコ』の初演指揮者に指名した[131]。
- ^ バーミンガム市交響楽団のツアーでは香港のほか、東京でも『トゥーランガリラ交響曲』を演奏している[19]。
- ^ この録音は『トゥーランガリラ交響曲』の世界初演75周年を記念して行われた[141]。
- ^ クレールは記憶障害が進み、奇矯な行動も見られるようになった。このためメシアンは家の中で落ち着いて作曲することが難しくなったばかりか、保管してある自筆譜についても心配しなくてはならなかった[149]。
- ^ ソリストの配置は改訂版の楽譜で明記された[96]。
- ^ 『トゥーランガリラ交響曲』以前の作品では『美しい水の祭典』のほか、『四分音のためのモノディー』(1938年)、『「オイディプス王」のための付随音楽』(1942年)、『神の現存についての3つの小典礼』(1944年)でオンド・マルトノを使用している[127]。
- ^ メシアンが『トゥーランガリラ交響曲』の次にオンド・マルトノを使用するのは、1983年完成のオペラ『アッシジの聖フランチェスコ』である[158]。
- ^ メシアンはパリ音楽院在籍中に Joseph Baggers からティンパニや打楽器について学んでおり[159]、その経験が生かされている[160]。
- ^ メシアンは1931年にパリで開催された国際植民地博覧会でガムランの演奏に接している[161]。
- ^ オーケストラでの使用はアルバン・ベルクの未完のオペラ『ルル』が初めてとされる[162]。
- ^ チューブラーベルの位置づけは、初版では打楽器、改訂版で鍵盤楽器のグループに変更された[96]。
- ^ ハープについてはローマ賞応募作品での使用例がある程度であり、ティンパニについては『昇天』(1933年)を最後に使われなくなった[163]。
- ^ 打楽器の分担と配置図については1990年のスコア改訂時に記載された[96]。
- ^ メシアンは1963年の『天の都市の色彩』で20年ぶりに宗教的な作品に戻る[167][168]。
- ^ クレールは1940年代後半から精神を病み衰弱していった[41]。
- ^ メシアンとロリオは互いに惹かれ合っていたが、信仰を守るが故に結ばれることのない「不可能な愛」の状態にあった[169]。
- ^ 1953年のインタビュー[182]。
- ^ 「読売新聞」1962年7月16日夕刊「今日の顔」[187]。
- ^ 「デシー・ターラ」(「デシー」=「地方の」、「ターラ」=「リズム」[165])は、13世紀インドのサールンガデヴァが著した理論書『サンギータ・ラトゥナーカラ』に掲載されている[165]。メシアンはパリ音楽院在学中に、アルベール・ラヴィニャックの『音楽事典』に、デシー=ターラの表を含む『サンギータ・ラトゥナーカラ』の抜粋が掲載されているのを見つけた[188]。
- ^ 「デシー・ターラ」の120種類のリズムには1つひとつ名称がついている[3][189]。
- ^ メシアンの著作『リズム論・色彩論・鳥類学論』では、純粋に「トゥーランガリラ」という言葉の響きが耳に心地良かったからと説明している[193]。
- ^ メシアンは「ギャロップで駆ける馬のように走る時」「砂時計の中の砂のように流れる時」と説明している[194]。
- ^ アメリカのテレビアニメ『フューチュラマ』の、トゥランガ・リーラという女性キャラクターの名前に使われた[193]。
- ^ 5という数字は、シヴァ神の循環的な活動である「創造」「維持」「破壊」「隠蔽」「恩寵」を示す[200]。
- ^ メシアンはクロード・サミュエルとの対話の中で、「トゥーランガリラ」とは無関係の文脈で「5」がシヴァ神を象徴する数字であることについて言及している[201]。
- ^ 同時代に大規模な交響曲を残したショスタコーヴィチを例に挙げれば『交響曲第14番』は11楽章あるが演奏時間は1時間に満たず、『交響曲第7番』の演奏時間は『トゥーランガリラ交響曲』に匹敵するが楽章数は5である[220]。
- ^ 嬰ヘ長調は交響曲では珍しく、マーラーの交響曲第10番がある程度である[9]。
- ^ メシアンはトロンボーンの音性を「黙示録的」としている[242]。
- ^ 『カルメン』の作者でもある。
- ^ タイトルはエリュアールの造語であり、"mes déesses"(私の女神)を暗示している[247]。
- ^ 古代ギリシャ・古代インドのリズムの研究や、ストラヴィンスキーの『春の祭典』の分析を通じて[260]、西洋音楽の「拍子」や規則的なパルスを無視した音楽を生み出した[261][262]。
- ^ 『トゥーランガリラ交響曲』の楽譜には拍子や小節線が存在するが[261]、これは合奏の都合やフレーズに合わせたものであって、様々な音型が拍子に縛られずに自由に発展している[261]。
- ^ 柴田は全体を2つの部分に[104]、Bruhnは5つの部分に区分している[276]。
- ^ メシアン自身は「ふたつのクープレとひとつの展開部をもつルフラン形式」と説明している[282]。
- ^ 並置はメシアンの作風の特徴であり、ブーレーズは「メシアンは作曲せずに並置する」と批判していた[287]。
- ^ 「ラーガヴァルダーナ」「カンクブラハーラ」「ラクスミーサ」の3種類のデシー・ターラが使われている[294]。このリズムはすでに『地と天の歌』(1938年)の第4曲[294]、『世の終わりのための四重奏曲』(1940年)第1曲冒頭のピアノ[294]、『アーメンの幻影』(1943年)第2曲[294]、『幼子イエスに注ぐ20のまなざし』(1944年)第5曲[294]で用いられていたものであり[294]、『トゥーランガリラ交響曲』では第4楽章「愛の歌2」のほか、第5楽章「星々の血の喜び」の展開部、第7楽章「トゥーランガリラ2」、第10楽章「フィナーレ」で使われている[295]。
- ^ ここでの鳥の歌は様式化されたものであり、鳥の囀りをコピーしたものではない[300]。メシアンの「鳥の10年」は1950年代に入ってからであり、その時期に『異国の鳥たち』(1955−56)、『鳥のカタログ』(1956-58)といった、採譜した鳥の囀りに基づく作品を作曲している[301]。
- ^ 経過部の素材はトリオ前と同じであるが、いくつかの素材は逆行形になっている[302]。
- ^ ここでのリズムセクションの素材については、スネアドラムやシンバルのリズムは第1楽章のポリリズム部分と共通した素材が使われている[303]。
- ^ 小シンバルを伴う[320]。
- ^ トライアングルを伴う[320]。
- ^ メシアンは若いときにボードレールの翻訳でこの小説を読み、怖い思いをしたものと想像されている[287]。
- ^ 第7楽章冒頭のピアノソロは不完全小節を除いて13小節あり、Hulbertは、13という数字が暗く不吉な曲想を暗示しているとしている[325]。
- ^ ピアノは「偏愛するリズム」を右手と左手で四分音符1つ分ずれた二声のカノンを奏し[330][331]、ビヴラフォンとグロッケンシュピールは第4セクションの素材をもとに八分音符1つ分ずれたカノンを奏する[332]。また、トライアングルは十六分音符1個から16個まで拡大する「音価の半音階」を奏する一方、バスドラムは十六分音符16個から1個までの縮小する「音価の半音階」を奏する[332]。さらに、金属打楽器と管楽器群が「ペルソナージュ・リトミック」のグループを作っており[332]、そのうちのタムタムが低音楽器を伴って奏でる sfff の音響は深い落とし穴のイメージとつながっている[295]。
- ^ 「和音のテーマ」はこの楽章の導入とコーダでピアノで演奏され[335]、はっきりと聞き取ることができる[184]。
- ^ メシアン自身は全体を11のセクションに区分している[337]。
- ^ Gkouniは、第7楽章で表現された死の恐怖が第8楽章冒頭につながっていることに着目している[338]。
- ^ このクライマックスについて、メシアンはローランド・ペンローズのシュルレアリスティックな絵画 ”Seeing is Believing (L'Ile Invisible)”のイメージを用いて説明している。なお、この絵は『ハラウィ』の第10曲「愛、星の鳥」のインスピレーションの源泉でもある[334]。
- ^ この「愛の主題」によるクライマックス部分では打楽器とピアノは沈黙している[353]。
- ^ 実際の楽譜では、1小節につき音符1つが鳴らされる。
- ^ アメリカ合衆国の音楽評論家ピーター・デイヴィスは2000年の文章で「ヤク中のラフマニノフのようだ(like Rachmaninoff on acid)」という言葉で『トゥーランガリラ交響曲』への嫌悪感を表している[360]。
- ^ ”M.C.”名義となっており、これはマーティン・クーパーと考えられている[362]。
- ^ ブーレーズの批判は、『トゥーランガリラ交響曲』ではなく、抜粋版の『3つのターラ』に対してである[366]。
- ^ ブーレーズがメシアンを痛罵したことで師弟の間に不和が生じた[10]。
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