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トゥメン (チャハル)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
トゥメン
Түмэн
ᠲᠦᠮᠡᠨ
モンゴル帝国第38代皇帝(ハーン
在位 1558年 - 1592年
別号 ジャサクト・ハーン

全名 トゥメン・ジャサクト・ハーン
出生 1539年
死去 1592年
子女 ブヤン・セチェン・ハーン
家名 ボルジギン氏
父親 ダライスン・ゴデン・ハーン
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トゥメンモンゴル語: Түмэнᠲᠦᠮᠡᠨ 英語:Tümen、1539年 - 1592年)は、モンゴル帝国の皇帝(ハーン)であり、チャハル・トゥメンの当主である。ダライスン・ゴデン・ハーンの長男。尊号はジャサクト・ハーン(засагт хаан、ᠲᠦᠮᠡᠨ
ᠵᠠᠰᠠᠭᠲᠤ
ᠬᠠᠭᠠᠨ
、Zasagt Qaγan)。

生涯

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1539年、ダライスン・ゴデン・ハーンの長男として生まれる[1]

1557年、父のダライスン・ゴデン・ハーンが崩御したため、翌年(1558年)20歳で帝位につく[1]

1576年、38歳の時、腰刀を結ぶカルマ・ラマ[注釈 1]と会って、仏法の門に入って六トゥメンを集め、大政令を伝え示して、左翼のトゥメンからチャハルのナムダイ・ホンタイジ、ハルハのウイジェン・スブハイ、右翼のトゥメンからオルドス部フトゥクタイ・セチェン・ホンタイジアストのノム・ダラ・グラチ・ノヤン、トゥメトのチュルケ・ホンタイジらをして政を執らせたので、ジャサクト・ハーンとしてあらゆる方向に有名になって、ジュルチト(女直)、ネリグト(サハルチャ)、ダグール(ダウール)の3つの言語の種族から、貢税を取り、はなはだしい安楽をもって人衆生を満足させた[1]

また、遼東に対する侵攻を繰り返し、『明史』において「土蛮」として頻出する[1]

1592年、トゥメン・ジャサクト・ハーンは35年間帝位にあって、54歳で崩御した[1]。翌年(1593年)、長男のブヤン太子が帝位についた[1]

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11人とする説[2]、8人とする説[3]、4人とする説[3]などがある。

  • 長子・卜言台周[3](卜彥伯吉)[4]/ ブヤン・セチェン・ハーン[2]
  • 次子・宰賽兀兒[3](栢太)[4]
  • 三子・伯言戶兒[3](卜彥兔)[4]
  • 四子・把哈委正[3]
  • 五子・額參[3]
  • 六子・先銀[3]
  • 七子・燒花[3]

系図

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モンゴル帝国の北元時代の系図

脚注

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注釈

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  1. ^ 腰刀を紐のように結んで見せるカルマ派の妖術使いのラマである[1]

出典

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  1. ^ a b c d e f g 岡田 2004, p. 244-245.
  2. ^ a b 岡田 2004,p245
  3. ^ a b c d e f g h i “東三邊 (土蠻列傳)”. 萬曆武功錄. 10 
  4. ^ a b c 和田, 清 (1958). 五. 察哈爾部の分枝. “〈論説〉察哈爾部の變遷 (上)”. 東洋学報 41 (1): 31-43. 

参考資料

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  • 岡田英弘訳注『蒙古源流刀水書房、2004年10月。ISBN 978-4887082434 
先代
ダライスン・ゴデン・ハーン
チャハル部の部族長
第5代
1558年-1592年
次代
ブヤン・セチェン・ハーン