チャス・チャンドラー
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| チャス・チャンドラー | |
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(1965年) | |
| 基本情報 | |
| 原語名 | Chas Chandler |
| 出生名 | Bryan James Chandler |
| 生誕 | |
| 死没 | |
| ジャンル | |
| 職業 | |
| 担当楽器 | |
| 活動期間 | 1957年 - 1996年 |
| 共同作業者 | |
チャス・チャンドラー(英語: Chas Chandler、本名:ブライアン・ジェイムス・チャンドラー、1938年12月18日 - 1996年7月17日)[2]は、イングランドの音楽プロデューサー、ベーシスト、A&R。アニマルズのメンバーや、ジミ・ヘンドリックスのマネージャーとして知られる。
来歴
[編集]1938年12月18日、ニューカッスル・アポン・タインのヒートンに生まれる[2]。
ミュージシャンとして
[編集]1962年にアラン・プライスのトリオでベースを担当[2]。トリオはエリック・バードン加入後、アニマルズと改名した。チャンドラーのベースの演奏が批判的に評価されることは少なく、1965年に発表された楽曲「朝日のない街」(We Gotta Get Out of This Place) のオープニングのリフを含む幾つかの演奏は後に賞賛された[1]。しかし彼は商業的な成功に対して少ない給与に幻滅した[2]。
アニマルズは1966年に解散した[注釈 1]。
マネージャーとして
[編集]アニマルズ解散後、チャンドラーはジミ・ヘンドリックスのマネージャーに転身、ノエル・レディング、ミッチ・ミッチェルをスカウトしてジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスを結成させ、デビュー・アルバム『アー・ユー・エクスペリエンスト?』と2枚目のアルバム『アクシス:ボールド・アズ・ラヴ』をプロデュースした。またヘンドリックスをエリック・クラプトンに紹介して、彼にクリームと共演する機会をもたらした。
続いて彼はスレイドのマネジメントを12年間担当[3]。この間、1970年代後半にIBCスタジオを買収して4年間経営し、バーン・レコードを設立したほか、1995年に開業した10,000席を有するスポーツ・エンターテインメント施設であるニューカッスル・アリーナの建設にも尽力した。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ↑ バードンはサイケデリック・ロック・バンドのエリック・バードン&ジ・アニマルズを新たに結成して、アメリカ西海岸を拠点に活動した。
出典
[編集]- 1 2 3 4 Unterberger, Richie. “Chas Chandler | Biography & History”. AllMusic. All Media Group. 2021年3月31日閲覧。
- 1 2 3 4 5 Welch, Chris (1996年7月17日). “Obituaries: Chas Chandler”. The Independent (Independent News & Media) 2021年3月31日閲覧。
- ↑ Larkin, Colin (1997). Virgin Encyclopedia of Sixties Music. Muze UK Ltd. p. 104. ISBN 0-7535-0149-X