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ザフォニック

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ザフォニック
ハーリド・ビン・アブドゥッラーの勝負服
欧字表記 Zafonic
品種 サラブレッド
性別
毛色 青毛
生誕 1990年
死没 2002年9月7日
Gone West
Zaizafon
母の父 The Minstrel
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
生産者 Juddmonte Farms
馬主 Khalid Abdullah
調教師 André Fabreフランス
競走成績
生涯成績 7戦5勝
獲得賞金 663,984ドル
(アメリカドル換算)
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ザフォニックZafonic1990年 - 2002年)は、フランスサラブレッド競走馬、および種牡馬である。1993年2000ギニーステークス優勝馬で、種牡馬としても活躍した。

経歴

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アメリカ合衆国ジュドモントファームで生産された馬で、フランスの調教師アンドレ・ファーブルのもとで競走馬となった。

2歳になった1992年、8月13日にドーヴィル競馬場で行われたタンカルヴィユ賞がデビュー戦となり、2馬身半差でこれに勝利した。翌戦はモルニ賞に出走して優勝、ロンシャン競馬場サラマンドル賞も制して3連勝を決めた。10月にはイギリスニューマーケット競馬場へと遠征し、ここでデューハーストステークスに勝利した。G1を含む4戦4勝と大きな結果を残し、この年の末にカルティエ賞最優秀2歳牡馬として選出された。

3歳シーズンに入っての初戦は4月のメゾンラフィット競馬場のジェベル賞(準重賞)で、ザフォニックはキングマンボにアタマ差で敗れて2着となり、初めての敗戦を経験した。5月に入るとふたたびイギリスへ渡り、イギリスクラシック三冠競走のひとつ2000ギニーステークスに出走した。ここでザフォニックは2着バラシアに3馬身半差、さらに45年ぶりのコースレコードで優勝を手にした。

その後はマイル路線に向かうものと思われたが、その翌戦サセックスステークスで競走中に鼻出血が出て7着に敗退、それがもととなって引退に至った。

引退後

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馬主ハーリド・ビン・アブドゥッラーの所有するバンステッドマナースタッドに繋養され、種牡馬となった。初年度からザールを出すなど好調な出だしを切った。

2002年、シャトル種牡馬としてオーストラリアのアロースタッドへと移送された。しかし、検疫から間もなくの9月7日に牧場内で事故に巻き込まれ、11歳で死亡した[1]

おもな産駒

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母父としての主な産駒

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評価

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おもな勝鞍

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1992年(2歳) 4戦4勝
モルニ賞 (G1)、サラマンドル賞 (G1)、デューハーストステークス (G1)
1993年(3歳) 3戦1勝
2000ギニーステークス (G1)

年度代表馬

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血統表

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ザフォニック血統ミスタープロスペクター系 / Native Dancer 4x5=9.38%、 Nasrullah 父内5x5=6.25%) (血統表の出典)

Gone West
1984 鹿毛 アメリカ
父の父
Mr. Prospector
1970 鹿毛 アメリカ
Raise a Native Native Dancer
Raise You
Gold Digger Nashua
Sequence
父の母
Secrettame
1978 栗毛 アメリカ
Secretariat Bold Ruler
Somethingroyal
Tamerett Tim Tam
Mixed Marriage

Zaizafon
1982 栗毛 アメリカ
The Minstrel
1974 栗毛 カナダ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Fleur Victoria Park
Flaming Page
母の母
Mofida
1974 栗毛 イギリス
Right Tack Hard Tack
Polly Macaw
Wold Lass Vilmorin
Cheb F-No.9-e


母ザイザフォンはイギリスの競走馬で、イギリスの重賞競走 (G3) での優勝経験のある馬であった。全弟に種牡馬として成功したザミンダーがいる。

備考

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外部リンク

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