オリンピックソビエト連邦選手団

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オリンピックソビエト連邦選手団
Flag of the Soviet Union.svg
ソビエト連邦の国旗
IOCコード URS
オリンピック
メダル

473

376

355

1204
夏季オリンピックソビエト連邦選手団
1952195619601964196819721976198019841988
冬季オリンピックソビエト連邦選手団
195619601964196819721976198019841988
関連選手団
EUN EUN (1992)
エストニア エストニア (1992-)
ラトビア ラトビア (1992-)
リトアニア リトアニア (1992-)
アルメニア アルメニア (1994-)
ベラルーシ ベラルーシ (1994-)
グルジア グルジア (1994-)
カザフスタン カザフスタン (1994-)
キルギス キルギス (1994-)
モルドバ モルドバ (1994-)
ロシア ロシア (1994-)
ウクライナ ウクライナ (1994-)
ウズベキスタン ウズベキスタン (1994-)
アゼルバイジャン アゼルバイジャン (1996-)
タジキスタン タジキスタン (1996-)
トルクメニスタン トルクメニスタン (1996-)

オリンピックソビエト連邦選手団は、近代オリンピックソビエト連邦(ソビエト社会主義共和国連邦)が派遣した選手団である。夏季オリンピックは1952年のヘルシンキオリンピックから、冬季オリンピックは1956年のコルティナダンペッツォオリンピックから参加した。1984年のロサンゼルスオリンピックには不参加。1991年12月のソビエト連邦崩壊により事実上消滅したため、1988年のソウルオリンピックが最後の参加となった。

概要[編集]

ソビエト連邦選手団は初参加時より大規模な選手団となり、アメリカ選手団と並び凌ぐほどの強豪国として君臨し、両国がスポーツ界でも世界に先んじる超大国としてしのぎを削った。

夏季大会の金メダル獲得数ではメルボルン・ローマ・ミュンヘン・モスクワ・ソウルの各大会で1位、東京とメキシコシティでは2位となっている。自国開催の上、アメリカが西ドイツや日本と共に参加をボイコットしたモスクワオリンピックでは金メダルラッシュとなり、全204個の約4割にあたる80個を獲得した。メダル獲得総数の195個と共に、これは一つの大会における同選手団の最多獲得メダル数記録である。

冬季大会でもソ連は強く、1956年に初参加したコルティナダンペッツォオリンピック以後、参加した9大会のうち7つでメダル獲得順位のトップとなり、残る2大会でも2位となった[1]。金メダル数の最多はインスブルックオリンピックでの13個、メダル総数ではカルガリーオリンピックの29個が一大会での最多である。なお、夏季大会と異なって冬季大会ではソ連のボイコットは起こらなかった。

好成績の継続と国際情勢の反映により、ソビエト連邦では社会主義体制の下、国家が選手を養成するいわゆるステート・アマ体制で育成されたスポーツ選手が国家の威信やイデオロギーの優越を示すために戦う事になり、東ドイツ選手団キューバ選手団などの他の東側社会主義諸国でもこの体制が導入された。当時のオリンピックではアマチュア選手のみに参加が許されていたが、アメリカなどの西側資本主義諸国からはステートアマが実質的なプロ選手ではないかという批判を浴び、更に極度の勝利至上主義がもたらすドーピングや危険な技の強要なども指摘された[2]。皮肉にもソビエト連邦崩壊後の1990年代以降、オリンピックではプロ解禁に向かうことになり、当時のドーピングについても多くの証言が成されるようになった。

競技別概要[編集]

ソビエト連邦選手団が最も多くのメダルを獲得した夏季オリンピック競技は陸上競技の195個であった。また、体操競技で獲得した金72個・銀67個・銅43個・合計182個のメダル数は、ソ連崩壊後の現在でもいずれも最多であり、かつ金メダル数では2位アメリカの31個や3位日本の29個を大きく引き離している。この他、レスリング・重量挙げ・カヌーの3種目でも、2012年のロンドンオリンピック終了時点で依然としてソ連が最多の金メダル獲得国となっている。これらの種目や陸上の投てき系競技ではソ連選手が強かった。また、バスケットボールでは参加した全ての大会で男女ともメダルを獲得し、特にミュンヘンオリンピックの男子決勝戦では試合終了の判定後に復活した時間で逆転する劇的な勝利により、1936年ベルリンオリンピックでの正式採用以来続いていたアメリカの連覇を7で止めた。バレーボールでもソ連は1964年東京オリンピックでの採用から全ての参加大会で男女ともにメダルを獲得し、特に女子はソ連チームが4大会連続で日本(全日本女子チーム)と金メダルか銀メダルを分けた[3]

一方、ソビエト連邦選手団が参加したオリンピックで実施されながらも同選手団が一つもメダルを獲得できなかった種目は、ソウルオリンピックでのみ開催された卓球・シンクロナイズドスイミング、及びソ連参加前の大会で実施された後にソウルオリンピックで復活したテニスの3種目のみである[4]。また、ホッケーでのメダル獲得はモスクワオリンピックのみである。

冬季大会では当時実施された全種目でソビエト連邦選手団はメダル獲得経験があり、最多の68個を獲得したクロスカントリースキーやバイアスロン、スピードスケートやフィギュアスケートで好成績を残した。更に、当時は男子のみが実施されたアイスホッケーでは9大会中7大会で金メダルを獲得する圧倒的な強さを見せた。金メダルを獲得できなかったのはスコーバレーオリンピックでの銅メダルとレークプラシッドオリンピックでの銀メダルで、いずれも自国開催だったアメリカに金メダルを譲った。特にレークプラシッド大会では4連覇中だったソ連チームが学生中心だったアメリカチームに決勝ラウンドで敗れる大波乱となり、後に「氷上の奇跡」と知られるようになった。ただし、大会の華として注目されるアルペンスキーでは例外的に不振で、コルティナ・ダンペッツォオリンピックの女子回転でエフゲニヤ・シドロバ (en) が獲得した銅メダルが唯一である。

個人成績では、一人の選手が複数のメダルを獲得する事が比較的容易な体操の選手がメダルの獲得記録を持っている。女子のラリサ・ラチニナが3大会で獲得した合計18個(金9個・銀5個・銅4個)は現在でも女子でオリンピック最多であり、男子を含めても、アメリカの競泳選手マイケル・フェルプスに2012年のロンドンオリンピック (2012年)で抜かれものの、現在でも2位となっている。また、男子のニコライ・アンドリアノフは合計15個(金7個・銀5個・銅3個)で3位を維持している他、ソ連選手団の中で10個以上獲得した6選手中5選手が体操選手である[5]

歴史[編集]

1917年ロシア革命を経て成立したソビエト連邦(ソ連)は文化交流を含む国民の出国を強く制限し、ロシア帝国時代の1900年パリオリンピックから1912年のストックホルムオリンピックまで3度の夏季大会へオリンピックロシア選手団として参加していた近代オリンピックにも不参加だった。しかし第二次世界大戦の終結後、ソビエトは国際的なスポーツ大会への参加に積極的となり、ヨシフ・スターリン独裁体制末期の1951年4月にソビエト連邦オリンピック委員会が国内オリンピック委員会(NOC)として承認されて国際オリンピック委員会に加盟し、ソ連のオリンピック参加が可能となった。

ソビエト連邦選手団は初参加時よりアメリカ選手団と並ぶ強豪国として君臨し、両国が超大国としてしのぎを削る東西冷戦という当時の国際情勢を反映した。1956年には冬季のコルティナダンペッツォオリンピックで金メダル獲得数、夏季のメルボルンオリンピックで金メダル・メダル獲得数双方で1位を獲得し、その後もアメリカとの間で激しいメダル獲得競争を続けた。

夏季大会の金メダル獲得数ではメルボルン・ローマ・ミュンヘン・モスクワの各大会で1位、東京とメキシコシティでは2位となっている。自国開催の上、アメリカがソ連軍のアフガニスタン侵攻を理由として西ドイツや日本と共に参加をボイコットしたモスクワオリンピックでは金メダルラッシュとなり、全204個の約4割にあたる80個を獲得した。1984年ロサンゼルスオリンピックは事実上その報復として[6]不参加となったが、次の1988年ソウルオリンピックには復帰し[7]、金メダル・メダル獲得数双方でのトップを奪回した。

冬季大会でもソ連は強く、参加した9大会のうち7つでメダル獲得順位のトップとなり、残る2大会でも2位となった[8]。なお、夏季大会と異なって冬季大会ではソ連のボイコットは起こらなかった。

ソビエト連邦と同選手団の解体[編集]

1990年以降、エストニアラトビアリトアニアバルト三国を皮切りにソビエト連邦加盟国の間で連邦からの離脱を目指す動きが拡大し、1991年12月25日にミハイル・ゴルバチョフがソ連大統領の辞職を宣言して連邦の崩壊が確定すると、スポーツ界もその対応に迫られた。リトアニアとラトビアは1990年に既に独立宣言を行い、エストニアと共に独立したNOCが既にIOCから承認されていたため、1992年に予定されていた冬季のアルベールビルオリンピックと夏季のバルセロナオリンピックには各国独自の選手団を送る事になっていたが[9]独立国家共同体(CIS)を形成したロシア連邦ウクライナなどの旧連邦11ヶ国は国内オリンピック委員会のIOC加盟が間に合わなかった。

そのため、当時はCISに不参加だったグルジアを含む12ヶ国は、アルベールビル大会後の1992年5月12日まで存続したソ連オリンピック委員会、及び独立した各国のオリンピック委員会の協議によって代表選考が行われ、「統一チーム」として両大会限定で参加する事になった。同チームにはCIS不参加のグルジアが含まれていたため、「統一チーム」のフランス語略称でIOCコードでも使用された「EUN」という名称が使われる事になった。続く1994年冬季のリレハンメルオリンピックからは、帝政時代以来の復活で冬季大会は初参加となるロシア選手団をはじめ、カザフスタン選手団ウクライナ選手団ウズベキスタン選手団ベラルーシ選手団など12カ国がそれぞれの選手団を派遣する事になった[10]

脚注[編集]

  1. ^ グルノーブルオリンピックではノルウェーサラエボオリンピックでは東ドイツに次いだ。
  2. ^ ただし、当時の西側諸国でもドーピングによる失格者は頻出していた。
  3. ^ 東京では「東洋の魔女」と呼ばれた日本チームと決勝ラウンドの最終戦で全勝対決となり、敗れた。
  4. ^ これらの3種目はその後も実施され、シンクロとテニスではロシア選手団がメダルを獲得したが、卓球はソ連解体で独立した諸国も全くメダルを獲得していない。
  5. ^ 残る一人は女子クロスカントリースキー選手のライサ・スメタニナ
  6. ^ 名目としてはアメリカによるグレナダ侵攻がボイコットの理由とされた。
  7. ^ この時点では、ソ連は開催国の大韓民国(韓国)との間に外交関係を持っていなかった。
  8. ^ グルノーブルオリンピックではノルウェーサラエボオリンピックでは東ドイツに次いだ。
  9. ^ 三国はいずれも1918年の独立から1940年のソビエト連邦併合までは独自の選手団を送っていた。詳細はエストニア選手団ラトビア選手団リトアニア選手団の各項目を参照。
  10. ^ うち、メダルを獲得したのは本文中の5選手団で、ロシアは同大会で金メダル獲得数の1位となった。一方、アゼルバイジャン選手団タジキスタン選手団トルクメニスタン選手団の3つは1996年夏季のアトランタオリンピックからの参加となった。

メダル獲得数一覧[編集]

夏季オリンピック[編集]

大会名
1952 ヘルシンキ 22 30 19 71
1956 メルボルン 37 29 32 98
1960 ローマ 43 29 31 103
1964 東京 30 31 35 96
1968 メキシコシティ 29 32 30 91
1972 ミュンヘン 50 27 22 99
1976 モントリオール 49 41 35 125
1980 モスクワ(開催国) 80 69 46 195
1984 ロサンゼルス 不参加
1988 ソウル 55 31 46 132
合計 395 319 296 1010

冬季オリンピック[編集]

大会名
1956 コルティナダンペッツォ 7 3 6 16
1960 スコーバレー 7 5 9 21
1964 インスブルック 11 8 6 25
1968 グルノーブル 5 5 3 13
1972 札幌 8 5 3 16
1976 インスブルック 13 6 8 27
1980 レークプラシッド 10 6 6 22
1984 サラエボ 6 10 9 25
1988 カルガリー 11 9 9 29
合計 78 57 59 194

夏季オリンピック競技別[編集]

競技名
体操競技 73 67 44 184
陸上競技 65 55 75 195
レスリング 62 31 23 116
重量挙げ 39 21 2 62
カヌー 29 13 9 51
フェンシング 18 15 16 49
射撃 17 15 17 49
ボクシング 14 19 18 51
競泳 13 21 26 60
ボート 12 20 10 42
自転車 11 4 8 23
バレーボール 7 4 1 12
馬術競技 6 5 4 15
柔道 5 5 13 23
近代五種 4 5 5 14
セーリング 4 5 3 12
バスケットボール 4 4 4 12
ハンドボール 4 1 1 6
飛込 3 4 6 13
水球 2 2 3 7
サッカー 2 0 3 5
アーチェリー 1 3 3 7
ホッケー 0 0 2 2
合計 395 319 296 1010

冬季オリンピック競技別[編集]

競技名
クロスカントリースキー 25 22 21 68
スピードスケート 24 17 19 60
フィギュアスケート 10 9 5 24
バイアスロン 9 5 5 19
アイスホッケー 7 1 1 9
リュージュ 1 2 3 6
ボブスレー 1 0 2 3
スキージャンプ 1 0 0 1
ノルディック複合競技 0 1 2 3
アルペンスキー 0 0 1 1
合計 78 57 59 194

外部リンク[編集]