アンドレ・ビケイ

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アンドレ・ビケイ
バーンリー時代(2009年)
名前
本名 アンドレ・ステファヌ・ビケイ=アムグ
André Stéphane Bikey-Amougou
ラテン文字 André BIKEY
基本情報
国籍 カメルーンの旗 カメルーン
スペインの旗 スペイン
生年月日 (1985-01-08) 1985年1月8日(39歳)
出身地 ドゥアラ
身長 182cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF / MF (CB, DMF)
利き足 右足
ユース
2000-2001 スペインの旗 エスパニョール
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2001-2002 スペインの旗 エスパニョールB 0 (0)
2002-2003 ポルトガルの旗 マルコ英語版 13 (1)
2003-2004 ポルトガルの旗 パソス・デ・フェレイラ 2 (0)
2004 ポルトガルの旗 アヴェス 14 (0)
2004-2005 ポルトガルの旗 レイリア 0 (0)
2005 ロシアの旗 シンニク・ヤロスラヴリ 11 (1)
2005-2007 ロシアの旗 ロコモティフ・モスクワ 14 (0)
2006-2007 イングランドの旗 レディング (loan) 15 (0)
2007-2009 イングランドの旗 レディング 47 (6)
2009-2012 イングランドの旗 バーンリー 70 (3)
2012 イングランドの旗 ブリストル・シティ (loan) 7 (0)
2012-2013 イングランドの旗 ミドルズブラ 37 (1)
2013-2014 ギリシャの旗 パネトリコス 23 (2)
2014–2015 イングランドの旗 チャールトン 34 (1)
2015 インドの旗 ノースイースト 9 (1)
2016 インドの旗 プネー・シティ 0 (0)
2017 イングランドの旗 ポート・ヴェイル 0 (0)
2017-2018 インドの旗 ジャムシェードプル 15 (0)
2018-2019 インドの旗 ATK 14 (1)
2001-2019 通算 322 (17)
代表歴2
2008 カメルーンの旗 カメルーン U-23 4 (0)
2006-2010 カメルーンの旗 カメルーン 25 (1)
監督歴
2020- スペインの旗 アルメリア(アシスタント)
1. 国内リーグ戦に限る。2020年8月22日現在。
2. 2017年4月1日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アンドレ・ステファヌ・ビケイ=アムグAndré Stéphane Bikey-Amougou, 1985年1月8日 - )は、カメルーンドゥアラ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDFMF(センターバック、守備的ミッドフィールダー)。

クラブ歴[編集]

初期[編集]

15歳のときにスペインRCDエスパニョールでプロキャリアをスタートさせたが、トップチームに昇格を果たせず、ポルトガルFCパソス・デ・フェレイラCDアヴェスなど複数のチームを渡り歩くも出番は少なかった。2005年にロシアFCシンニク・ヤロスラヴリに移籍し、そこでの活躍が認められ同年7月1日にFCロコモティフ・モスクワに移籍した。しかし、ライバルチームのファンから人種差別を受けた[1]こともあり、ここでもレギュラーを掴むことは出来なかった。

レディング[編集]

レディング時代(2008年)

2006年にイングランドレディングFCがプレシーズンに合宿をしているスウェーデンへ向かいトライアルに参加。最後のテストマッチ・エルグリーテIS戦で相手選手に頭突きをしたことで退場処分を受ける後味の悪いものとなってしまったが、スティーヴ・コッペル監督の評価は高くロコモティフとの様々な交渉を経て、同年8月26日にシーズン終了までの期限付き移籍(買い取りオプション付き)を締結[2]。2007年4月24日に移籍金100万ポンドの3年契約で完全移籍を果たした[3]

2007年8月15日のチェルシーFC戦 (1-2) で初得点を挙げ[4]、2008年3月22日のバーミンガム・シティFC戦 (2-1) で2得点を挙げ勝利に貢献した[5]。その後、退団する噂が流れるも、契約を2011年まで延長し憶測を一蹴した。レディングでは、マイケル・デュベリーイーヴァル・インギマルソン英語版アレックス・ピアースとCB陣全員が6フィート1インチ以上の大形選手が揃う中で、その一員としてプレーした。

2009年5月9日、バーンリーFCとのプレーオフ第1戦 (0-1) でビケイは、相手選手をペナルティエリア内で倒したとしてPKを取られ、決勝点となる得点をグレアム・アレクサンダーに決められた。さらに、ロビー・ブレイク英語版の足を踏みつけたことで退場処分を受けると、これに激怒しユニフォームを叩きつけピッチを後にした。この行為に5試合出場停止が下されたことで状況がさらに悪化[6]。後日、チームのオフィシャルサイトで謝罪をした[7]。このような騒動があったにもかかわらず、2009年8月18日にレディングはバーンリーFCからのオファーを受け入れ、ビケイは3年契約で移籍した[8]

バーンリー[編集]

バーンリーでは、2009年10月3日のバーミンガム・シティFC戦 (2-1) で初得点を記録。2010年9月のミドルズブラFC戦 (1-2) 、同年のボクシング・デーオークウェル英語版で行われたミドルズブラ戦 (2-1) でそれぞれヘディングで得点を挙げた。それまで登録名をビケイとしていたが、2011-12シーズンにファミリーネームであるアムグに変更した。

ブリストル・シティ[編集]

2012年3月22日、フットボールリーグ・チャンピオンシップのローンでの移籍市場最終日に同リーグのブリストル・シティFCへシーズン終了まで貸し出された[9]。加入後から最終節のバーンリー戦 (1-1) まで8試合中7試合に出場(バーンリー戦はローン元のため出場出来ず)し、チームの無敗に貢献。2012年5月に契約満了に伴い、バーンリーから放出された。

ミドルズブラ[編集]

2012年8月30日、CBの一番手であるリース・ウィリアムズが負傷離脱したことで代役が急務となっていたミドルズブラのトライアルに参加[10]。翌日にスコティッシュ・フットボールリーグ・サード・ディヴィジョン英語版へ降格したレンジャーズFCからのオファーがあったものの拒否[11]し、9月11日に自由移籍でトニー・モーブレイ英語版監督率いるミドルズブラへ加入することが決定。登録名を以前使用していたビケイに戻した。9月15日にホームでのイプスウィッチ・タウンFC戦 (2-0) でデビューし、アウェーのブラックプールFC戦 (1-4) でヘディングで初得点を決めた。

ポート・ヴェイル[編集]

ギリシャインドでのプレーを経て、2017年3月17日にフットボールリーグ1ポート・ヴェイルFCへシーズン終了までの契約で加入した[12]

ATK[編集]

2018年8月18日、ATKに加入することが発表された[13]

代表歴[編集]

2006年にカメルーン代表に初招集され、3度のアフリカネイションズカップ (200620082010) と北京オリンピック (2008)に出場した。

アフリカネイションズカップ2008のメンバーに選出された際にクラブチームと代表チームの両立は難しいとしながらも、自身が生まれた国のためなら何事においても優先することを語った[14]。そのような意気込みで臨むも、2008年2月7日の準決勝ガーナ戦 (1-0) で、試合終了間際に同僚のリゴベール・ソングの治療のためピッチに入ってきた担架係を突き飛ばす奇妙な事件を起こし、1発退場処分を受けた。試合後にCAFから決勝を含む2試合の出場停止と5000ドルの罰金を言い渡され[15]、主力を失ったチームはエジプトに0-1で敗れ、優勝を逃した。

指導歴[編集]

2020年7月27日、UDアルメリアのアシスタントコーチに就任した[16]

脚注[編集]

外部リンク[編集]