アントニオ・コスタ

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はサントス第二姓(父方の)はダ・コスタです。
アントニオ・コスタ
エンリケ航海王子勲章大十字
ポルトガルの旗 第119代 ポルトガルの首相
就任
2015年11月26日
大統領 アニーバル・カヴァコ・シルヴァ
マルセロ・レベロ・デ・ソウザ
前任者 ペドロ・パッソス・コエーリョ
社会党書記長
就任
2014年11月22日
大統領 カルロス・セザール
前任者 マリア・デ・ベレン・ロゼイラ(代行)
リスボン市長
任期
2007年8月1日 – 2015年4月6日
前任者 マリーナ・フェレイラ(代行)
後任者 フェルナンド・メディーナ
国内行政相
任期
2005年3月12日 – 2007年5月17日
首相 ジョゼ・ソクラテス
前任者 ダニエル・サンチェス
後任者 ルイ・ペレイラ
司法相
任期
1999年10月25日 – 2002年4月6日
首相 アントニオ・グテーレス
前任者 ジョゼ・ヴェラ・ジャルディン
後任者 セレステ・カルドーナ
国会担当相
任期
1997年11月25日 – 1999年10月25日
首相 アントニオ・グテーレス
前任者 マヌエル・ディアス・ルレイロ
後任者 ルイス・マルケス・メンデス
個人情報
生誕 アントニオ・ルイス・サントス・ダ・コスタ
(1961-07-17) 1961年7月17日(56歳)
Flag of Portugal.svg ポルトガル リスボン、サンセバスチャン・ダ・ペドレイラ
政党 社会党
配偶者 フェルナンダ・タデウ(1987年7月31日結婚)
親戚 リカルド・コスタ(異母弟)
子供 ペドロ(1990年生)
カタリーナ(1993年生)
オルランド・ダ・コスタ
マリア・アントニア・パラ
住居 サン・ベント宮殿
出身校 リスボン大学
署名
公式サイト 公式サイト

アントニオ・ルイス・サントス・ダ・コスタポルトガル語: António Luís Santos da Costa1961年7月17日 - )は、ポルトガルの政治家、法律家。2015年11月26日から、同国の首相を務める。かつては1997年から1999年まで国会担当相を、1999年から2002年まで司法相を、2005年から2007年まで国務・国内行政相を、2007年から2015年までリスボン市長をそれぞれ務めた。2014年9月には社会党書記長に選出された[1]

経歴[編集]

生い立ち[編集]

1961年に、作家のオルランド・ダ・コスタの息子としてリスボンで生まれる[2]。父はインドゴア人、ポルトガル人、フランス人の混血であった。母のマリア・アントニア・パラは、フェミニストとして有名なジャーナリストであった。

1980年代にリスボンで法を学んだ後、社会党所属のリスボン市議会議員となって政界入りした。フルタイムで政治に携わるようになるまで、1988年から短い間は弁護士業を営んでいた[3]

政治家として[編集]

社会党のアントニオ・グテーレス首相のもとで、1997年に国会担当相として初入閣し、1999年まで務めた。同年から2002年には司法相を務めた[3]

欧州社会党所属の欧州議会議員でもあり、2004年の欧州議会選挙で第一位候補だったアントニオ・デ・ソウザ・フランコが急死した際には、フランコに代わって自陣営を率いた。同年7月20日には14人の欧州副議長のひとりに選ばれた。欧州議会では市民的自由、司法及び内務委員会に所属した。

2005年3月11日には、同年の総選挙の結果成立したジョゼ・ソクラテス政権の国務および国内行政相に就任するため、欧州議会議員を辞任した。

リスボン市長時代[編集]

2007年5月、コスタは社会党からリスボン市長選挙に立候補するため、すべての政府職を辞した。コスタは同年7月15日に市長に選出され、2009年と2013年にもそれぞれ大差で再選された。2015年4月、すでに社会党書記長で同党の首相候補となっていたコスタは、2015年10月の総選挙の選挙運動を準備するため、市長を辞任した[4]

首相候補時代[編集]

2014年9月、社会党は翌年の総選挙をひかえて、首相候補にコスタを選んだ。党の候補を選出する投票で、コスタは70%近くを得票し、敗れたアントニオ・ジョゼ・セグーロ党首は辞任を表明した[5]。2015年4月、コスタは選挙戦に専念するために市長を退任した[6]

選挙戦でコスタは、財政緊縮政策の緩和や各家庭の可処分所得の増加を誓った[7]。緊縮措置を廃止し減税を実施する一方、財政赤字を削減するために所得や雇用、成長を後押しすると公約し、これによって赤字幅を欧州連合収斂基準まで低下させることができるだろうと主張した[8]。また、非常に評判の悪かった付加価値税の引き上げを撤回し、公務員のいくつかの手当を復活した[6]

首相時代[編集]

2015年10月4日の総選挙では、2011年から与党の座にある中道右派連合が38.6%を得票して第一党となり、社会党は32.3%で第二党につけた。これをうけてペドロ・パッソス・コエーリョが首相に再任されたが、アントニオ・コスタは他の左派政党(左翼ブロックポルトガル共産党、環境保全政党「緑」など)と同盟を形成し、国会で多数派を確保し、11月10日に政権を倒した(「人・動物・自然」党もまた、左派同盟によって提出された動議に賛成した)。保守政権が倒れた後、コスタは11月24日にアニーバル・カヴァコ・シルヴァ大統領から新首相に選任され、11月26日に首相に就任した[4][9]

人物[編集]

アントニオ・コスタの父方の祖父のルイス・アフォンソ・マリア・ダ・コスタはゴア人のカトリック教徒で、父は作家であり詩人でもあるオルランド・ダ・コスタである。父からはまた、フランス系の血も受け継いでいる。母のマリア・アントニア・パラは作家である。異母弟にジャーナリストのリカルド・コスタがいる。

1987年に、コスタは教師のフェルナンダ・マリア・ゴンサルヴェス・タデウと結婚した[3]。二人には息子と娘が一人ずついる。

SLベンフィカの熱心なサポーターで[10][11]、リスボン市長時代にはひんぱんに観戦に訪れた。2013年と2014年のUEFAヨーロッパリーグでは、いずれも決勝までベンフィカに随行した。

栄典[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]

官職
先代:
マヌエル・ディアス・ルレイロ
国会担当相
1997年 – 1999年
次代:
ルイス・マルケス・メンデス
先代:
ジョゼ・ヴェラ・ジャルディン
司法相
1999年 – 2002年
次代:
セレステ・カルドーナ
先代:
ダニエル・サンチェス
国務相
国内行政相

2005年 – 2007年
次代:
ルイ・ペレイラ
公職
先代:
マリーナ・フェレイラ
代行
リスボン市長
2007年 – 2015年
次代:
フェルナンド・メディーナ
先代:
ペドロ・パッソス・コエーリョ
ポルトガルの首相
2015年 -
現職
党職
先代:
マリア・デ・ベレン・ロゼイラ
代行
社会党書記長
2014年 -
現職