アルーシャ

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アルーシャ
Arusha
アルーシャ市街
アルーシャ市街
歴史
1948年
市(昇格) 2010年7月1日
行政
タンザニアの旗 タンザニア
  アルーシャ州
 市 アルーシャ
人口
人口 (2012年現在)
  市域 416,442人
その他
等時帯 東アフリカ時間 (UTC+3)

アルーシャArusha)は、タンザニア都市。タンザニア連合共和国を構成する地域の1つ、タンガニーカの北東部に位置し、グレートリフトバレー内の高原にある。アルーシャ州の州都。約42万人の市内人口を抱えるほか、周辺地域を含めて74万人規模の都市圏を形成している[1]東アフリカ共同体の本部が所在する。

都市・交通[編集]

主要作物であるコーヒーサイザル麻の栽培が盛んだが、輸送の中心地でもあり、インド洋に面した国内最大都市であるダルエスサラーム、同じくインド洋の都市タンガ、そしてケニアの港湾都市モンバサ鉄道でつながっている。

アルーシャ周辺にはセレンゲティ国立公園オルドバイ峡谷キリマンジャロ山ンゴロンゴロ保全地域アルーシャ国立公園メルー山など、世界的に有名な観光スポットが数多く存在するため、それらへ向かう観光客の玄関口の役割も果たしている。これらの各観光地を訪れる観光客のほとんどは、アルーシャ近郊のキリマンジャロ国際空港を利用する。また、より小規模な国内線用空港としてアルーシャ空港がある。

会談・協定の地 アルーシャ[編集]

アルーシャは会談・協定の地として、いくつもの国際会議を開催し、その名は調停役としてのタンザニアの名と共に、広く世界に知られるようになる。

タンガニーカ共和国独立宣言[編集]

アルーシャは1961年、タンザニアの前身となるタンガニーカ共和国の独立宣言を、イギリスが承認した地でもある。

タンガニーカ・ザンジバル連合共和国の樹立宣言[編集]

1964年4月26日、タンガニーカとザンジバルによる国家連合(タンガニーカ・ザンジバル連合共和国、後のタンザニア連合共和国)樹立が宣言されたのも、アルーシャであった。

アルーシャ宣言[編集]

1967年2月、タンザニア連合共和国初代大統領であったジュリウス・ニエレレは『アルーシャ宣言英語版』を発表。タンザニアの社会主義化をすすめ、中華人民共和国との結びつきを強める一方、経済の自立化を図り農業の集団化を導入した。彼の政策は一般にウジャマー村構想として知られ、アフリカ部族社会独自の社会主義的農業経営方法であるウジャマーを重視し、銀行企業の国営化などの統制経済により社会の平等化を図る彼の理想主義の現れであった。結局この計画は農業生産の激減などで失敗に終わるも、アフリカ人による独自路線の追求は、欧米の援助を頼る追従路線をとっていた他の途上国に、少なからず影響を与えたといえる。

また、東アフリカ東アフリカ連邦英語版に統合する構想[2][3][4]を掲げてきたニエレレの後押しで、同年6月に東アフリカ協力条約が締結され、アルーシャに東アフリカ共同体の本部と事務局が設置された[5]

1979年7月、ニエレレが議長を務めるフロントライン諸国英語版はアルーシャで白人国家ローデシアアパルトヘイト体制の南アフリカ共和国から自立した経済圏を目指す南部アフリカ開発調整会議英語版の創設を決定し、翌年1980年4月にザンビアルサカで設立された。これは南部アフリカ開発共同体の前身になったが、1982年から事務局はボツワナハボローネに置かれた[6]

アルーシャ協定[編集]

1993年8月4日、ルワンダ政府とルワンダ愛国戦線 (RPF) との間で戦われたルワンダ紛争の仲介をタンザニアが担当し、アルーシャで和平協定のアルーシャ協定英語版が調印された。これに伴い、ルワンダでは暫定政府が樹立され、戦闘は一応の収束を見た。ただし、この後戦闘は再開され、1994年7月まで続いた。この際に行なわれたジェノサイドの責任追及のための国際裁判所、ルワンダ国際戦犯法廷 (ICTR) がアルーシャに設置されている。

1999年11月に東アフリカ共同体設立条約が締結され、2001年1月に再設置された東アフリカ共同体の本部もアルーシャに設置された。また、2006年7月3日アフリカ連合によりアルーシャにアフリカ人権裁判所が設置された。

姉妹都市[編集]

関連項目[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ Population Distribution by Administrative Areas, 2012 Population and Housing Census, National Bureau of Statistics, United Republic of Tanzania, 2013, page 26, accessed 1 November 2014
  2. ^ Arnold, Guy (1974). Kenyatta and the Politics of Kenya. London: Dent. ISBN 0-460-07878-X. p. 173
  3. ^ Assensoh, A. B. (1998). African Political Leadership: Jomo Kenyatta, Kwame Nkrumah, and Julius K. Nyerere. Malabar, Florida: Krieger Publishing Company. ISBN 9780894649110. p. 55
  4. ^ Kyle, Keith (1997). "The Politics of the Independence of Kenya". Contemporary British History. 11 (4): 42–65. doi:10.1080/13619469708581458. p. 58.
  5. ^ “TIlE TREATY FOR EAST AFRICANCO·OPERATION ACT 1967” (PDF) (プレスリリース), Kenya Law, http://kenyalaw.org/lex/rest//db/kenyalex/Kenya/Legislation/English/Amendment%20Acts/No.%2031%20of%201967.pdf 2018-06-030閲覧。 
  6. ^ HISTORY AND TREATY”. 南部アフリカ開発共同体. 2018年7月14日閲覧。

座標: 南緯03度22分 東経36度41分 / 南緯3.367度 東経36.683度 / -3.367; 36.683