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2015年12月21日午後2時50分ごろ、[[北海道]][[上川郡 (石狩国)|上川郡]][[上川町]]の大雪山系[[黒岳 (北海道・大雪山)|黒岳]](1984メートル)の北壁を男性4人との5人パーティーで登攀中、山頂付近で用を足すためロープを外し仲間から見えない岩陰へ移動した後に滑落<ref name="Asahi1">[http://www.asahi.com/articles/ASHDQ3HH3HDQUTIL00Q.html 登山家・谷口けいさんの死亡確認 北海道・黒岳で発見] [[朝日新聞]] 2015年12月22日</ref><ref>{{Cite news | title = 【黄金のピッケル死去】「登山家の輝く星失った」と登山家の田部井淳子さん 「女性のハンディキャップが影響したのか」 | newspaper = [[産経新聞]] | date = 2015-12-22 | url = http://www.sankei.com/affairs/news/151222/afr1512220016-n1.html }}</ref>。岩陰には両手の手袋が残されていた<ref name="Asahi1" />。悪天候のため捜索が難航し、翌22日午前中に心肺停止の状態で発見され、その後病院で死亡が確認された。[[死因]]は[[脳挫傷]]であった<ref name="47news20151222"/>。登山を始めるきっかけとなった植村直己と同じく43歳で生涯を閉じた<ref>[https://www.sankei.com/premium/news/160117/prm1601170003-n3.html 女性登山家・谷口けいさんの滑落死から何を学ぶのか? 山のトイレ事情と「用足し」論] - 産経新聞、2018年5月22日閲覧</ref> |
2015年12月21日午後2時50分ごろ、[[北海道]][[上川郡 (石狩国)|上川郡]][[上川町]]の大雪山系[[黒岳 (北海道・大雪山)|黒岳]](1984メートル)の北壁を男性4人との5人パーティーで登攀中、山頂付近で用を足すためロープを外し仲間から見えない岩陰へ移動した後に滑落<ref name="Asahi1">[http://www.asahi.com/articles/ASHDQ3HH3HDQUTIL00Q.html 登山家・谷口けいさんの死亡確認 北海道・黒岳で発見] [[朝日新聞]] 2015年12月22日</ref><ref>{{Cite news | title = 【黄金のピッケル死去】「登山家の輝く星失った」と登山家の田部井淳子さん 「女性のハンディキャップが影響したのか」 | newspaper = [[産経新聞]] | date = 2015-12-22 | url = http://www.sankei.com/affairs/news/151222/afr1512220016-n1.html }}</ref>。岩陰には両手の手袋が残されていた<ref name="Asahi1" />。悪天候のため捜索が難航し、翌22日午前中に心肺停止の状態で発見され、その後病院で死亡が確認された。[[死因]]は[[脳挫傷]]であった<ref name="47news20151222"/>。登山を始めるきっかけとなった植村直己と同じく43歳で生涯を閉じた<ref>[https://www.sankei.com/premium/news/160117/prm1601170003-n3.html 女性登山家・谷口けいさんの滑落死から何を学ぶのか? 山のトイレ事情と「用足し」論] - 産経新聞、2018年5月22日閲覧</ref> |
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[[野口健]]は谷口の死に関して、自身の[http://www.noguchi-ken.com/M/2016/03/post-761.html ウェブサイト]上で、先鋭的な登山を続けていれば一部の例外を除いて時間の問題でいつかは死ぬ。谷口のハードな登山スタイルにこの日が訪れるのではと怯えていたと記した<ref name=”noguchi”>{{Cite web|url=http://www.noguchi-ken.com/M/2016/03/post-761.html|title=野口健公式サイト - 2016/03/13 谷口けいさんを偲ぶ|accessdate=2018-5-26}}</ref>。 |
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== 経歴 == |
== 経歴 == |
2018年5月26日 (土) 14:58時点における版
谷口 けい (たにぐち けい) | |
---|---|
生誕 |
谷口 桂 1972年7月14日 和歌山県和歌山市 |
死没 |
2015年12月22日(43歳没)![]() |
国籍 |
![]() |
出身校 | 明治大学文学部 |
著名な実績 | 8000メートル峰2座登頂 |
受賞 |
ピオレドール賞(2009) |
谷口 けい(たにぐち けい、1972年7月14日 - 2015年12月22日[1])は、日本の女性登山家、アルパインクライマー。本名、谷口 桂。
概要
1972年7月14日、和歌山県和歌山市生まれ。千葉県育ち。アルパインクライマー。
小学校時代に冒険家植村直己の著書と出会い、大人になったら植村の消えたデナリに登りに行こうと決めていた。
明治大学文学部史学地理学科入学。大学時代はサイクルツーリングクラブに所属し、自転車で日本と世界を旅していた。大学卒業後に山岳会(京葉山岳会)に入会するとともに、アドベンチャーレースにも参加するようになる。
大学卒業後、マスコミ業界に就職するが、2年半で退職。野口健環境学校プログラムファシリテーター、山岳ツアー会社契約ツアーリーダー、日本山岳協会自然保護指導員、東京都山岳連盟遭難対策委員兼救助隊等、教育、野外活動の分野で幅広い経験と実績を積む。
2002年より、野口健エベレスト清掃隊、マナスル清掃隊に参加、2006年マナスル登頂、2007年エベレスト登頂。それと並行し、ゴールデンピーク(7,200m)、ライラピーク(6,200m)、シブリン(6,543m)、カメット(7,756m)に新ルートからアルパインスタイルで登攀を成功させる。
2008年、登山パートナーの平出和也とともにカメット未踏ルート南東壁初登攀により、2009年に女性では史上初となるピオレドール賞(第17回)を受賞した[2]。平出とは2004年から2013年まで主なもので8回ともにした。
株式会社IWNC研修プログラムファシリテーター、野外研修ファシリテータ―、山岳ツアーリーダー、アドベンチャーレーサー、アルパインクライマー、東京都山岳連盟レスキューリーダー、日本山岳協会自然保護指導員、国立登山研修所講師を務めた。
2015年12月21日午後2時50分ごろ、北海道上川郡上川町の大雪山系黒岳(1984メートル)の北壁を男性4人との5人パーティーで登攀中、山頂付近で用を足すためロープを外し仲間から見えない岩陰へ移動した後に滑落[3][4]。岩陰には両手の手袋が残されていた[3]。悪天候のため捜索が難航し、翌22日午前中に心肺停止の状態で発見され、その後病院で死亡が確認された。死因は脳挫傷であった[1]。登山を始めるきっかけとなった植村直己と同じく43歳で生涯を閉じた[5]
野口健は谷口の死に関して、自身のウェブサイト上で、先鋭的な登山を続けていれば一部の例外を除いて時間の問題でいつかは死ぬ。谷口のハードな登山スタイルにこの日が訪れるのではと怯えていたと記した[6]。
経歴
- 1972年7月14日 - 和歌山県和歌山市に生まれる。
- 1998年3月 - 明治大学卒業。
- 2001年 - マッキンリー(6,193m/アメリカ)登頂。2日連続登頂。
- 2002年- 野口健エベレスト清掃隊2002に参加。
- 2003年 - 野口健エベレスト清掃隊2003に参加。
- 2004年 - ゴールデンピーク[北西稜](未踏ルート/7,027m/パキスタン)初登頂。(平出和也,谷口けい)
- 2004年 - ライラピーク[東壁](未踏ルート/6,200m/パキスタン)初登頂。(平出和也,谷口けい)
- 2005年9月5日 - ムスターグアタ[東稜](7,569m/新疆ウイグル自治区)登頂。(平出和也,谷口けい)
- 2005年10月12日 - シブリン[北壁](未踏ルート/6,543m/インド)初登頂。(平出和也,谷口けい)
- 2006年5月16日 - マナスル(8,163m/ネパール)登頂。(野口健マナスル清掃登山隊:谷口けい)
- 2007年5月17日 - エベレスト[北壁](8,848m/チベット)登頂。(野口健チョモランマ清掃隊:野口健,平賀淳,谷口けい)
- 2008年10月5日 - カメット[南東壁](未踏ルート/7,756m/インド)初登攀。
- 2008年 - カメット峰未踏の南東壁登攀が評価され、パートナー平出和也とともに「第17回ピオレドール賞(金のピッケル賞)」を女性初受賞。
- 2009年 - 読売新聞日本スポーツ賞受賞。
- 2011年5月2日 - フランシス峰[南西稜](3,185m/アメリカカヒルトナ氷河)登頂。(信州大学山岳会隊:花谷泰広,谷口けい)[7]
- 2011年5月7日 - カヒルトナクイーン[西壁](3,773m/アメリカカヒルトナ氷河)登頂。(信州大学山岳会隊:花谷泰広,谷口けい)[7]
- 2011年5月24日 - マッキンリー[ウエストバットレス](6,194m/アメリカ)登頂。(信州大学山岳会隊:花谷泰広,谷口けい,宮西広太郎,大木信介)[7]
- 2011年6月9日-17日 - カヒルトナピーク(西峰4,000m/東峰4,100m/アメリカカヒルトナ氷河)縦走。(信州大学山岳会隊:花谷泰広,谷口けい)[7]
- 2011年10月9日 - ナニムニ[南東壁](7,694m/チベット)登頂。(平出和也,谷口けい)
- 2012年 - アネト山(3,404m/フランス)登頂。この登山はNHK『グレートサミッツ』で放送された。
- 2014年9月29日 - 人類未踏峰のムスタンマンセイル峰(6,242m/ネパール)に日本の女子大生4名と共に初登頂し、世界を舞台に活躍する冒険家たちをたたえる「第6回ファウストA.Gアワード」の挑戦者賞に選ばれた[8][9]
- 2015年12月21日 - 北海道大雪山系の黒岳にて登山中に滑落し、行方不明となる[1]。翌22日心肺停止状態で発見され、病院にて死亡確認。43歳没[1]。
TV出演等
- 2013年1月28日 NHK BSプレミアム『世界の名峰グレートサミッツ』「女子トップクライマー ピレネー縦断の旅」[10]
著書
- 谷口けい出演『アドバンス山岳ガイド 剱岳八ツ峰』DVD (2010/6/18,山と渓谷社) ISBN 978-4635912471
- 谷口けい出演『アドバンス山岳ガイド 前穂北尾根北穂東稜』DVD (2009/5/26,山と渓谷社) ISBN 978-4635912501
関連項目
脚注・出典
- ^ a b c d “登山家の谷口けいさん死亡 北海道・大雪山系黒岳で遭難”. 共同通信社. 47NEWS. (2015年12月22日) 2015年12月22日閲覧。
- ^ 谷口けいさん、北海道で死亡 登山家 43歳 - 日本経済新聞電子版、2018年5月22日閲覧
- ^ a b 登山家・谷口けいさんの死亡確認 北海道・黒岳で発見 朝日新聞 2015年12月22日
- ^ “【黄金のピッケル死去】「登山家の輝く星失った」と登山家の田部井淳子さん 「女性のハンディキャップが影響したのか」”. 産経新聞. (2015年12月22日)
- ^ 女性登山家・谷口けいさんの滑落死から何を学ぶのか? 山のトイレ事情と「用足し」論 - 産経新聞、2018年5月22日閲覧
- ^ “野口健公式サイト - 2016/03/13 谷口けいさんを偲ぶ”. 2018年5月26日閲覧。
- ^ a b c d 信州大学山岳会. “2011年アラスカ遠征報告書”. 2013年11月10日閲覧。
- ^ マンセイル初登頂、女子大生ら4人に挑戦者賞朝日新聞デジタル2014年12月22日10時1分配信(2015年12月22日閲覧)
- ^ 本学・長谷川恵理さんらの登山隊がヒマラヤ未踏峰・マンセイル峰に登頂成功!創価大学2014年9月29日配信(2015年12月22日閲覧)
- ^ 世界の名峰 グレートサミッツ 女子トップクライマー ピレネー縦断の旅:株式会社NHKグローバルメディアサービス(G-Media)