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[[File:Dionne Quintuplets.jpg|400px|right|thumb|ディオンヌ家の五つ子姉妹(1940年前後)]]
[[File:Dionne Quintuplets home.jpg|350px|right|thumb|姉妹が幼少期に暮らした「クイントランド」]]
'''ディオンヌ家の五つ子姉妹''' ('''Dionne quintuplet sisters''') は、全員が幼児期以降まで成長した世界最初の[[五つ子]]として知られる。[[カナダ]]の[[オンタリオ州]]{{仮リンク|カランダー (オンタリオ州)|en|Callander, Ontario|label=カランダー}}近郊において、[[1934年]][[5月28日]]に出生した。「奇跡の赤ちゃん」として出生直後から注目を浴び、[[世界恐慌]]当時の不屈の精神と喜びの世界的なシンボルとなった<ref name="PBS">{{Cite news|author=Dennis Gaffney|url=http://www.pbs.org/wgbh/roadshow/fts/wichita_200803A12.html|title=The Story of the Dionne Quintuplets|publisher=[[公共放送サービス|Public Broadcasting Service]]|language=英語|date=2009-03-23|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

予定日よりも2ヶ月早い[[早産]]だった。{{仮リンク|オンタリオ州政府|en|Government of Ontario}}は翌[[1935年]]に「ディオンヌ家の五つ子後見法」を成立させて両親の親権を剥奪してしまい、彼女たちは産科医の[[アラン・ロイ・ダフォー]]の保護下に置かれ、9歳まで両親と離れて暮らさなければならなかった。関係者はそのうち、彼女たちが暮らす保育所周辺をカナダの代表的な観光地「クイントランド」にすることで利益を得るようになった。
{| class="wikitable" style="font-size: small"
!出生順!!性別!!出生時間<ref>{{Cite web|url=http://www.mycallander.ca/the-dionne-quintuplets/|title=The Dionne Quintuplets|publisher=Municipality of Callander|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>!!名前!!死亡日
|-
| A || 女 || 4時15分 || イヴォンヌ・エドゥイルダ・マリー・ディオンヌ || {{death date and age|2001|6|23|1934|5|28}}<br><small>([[悪性腫瘍|がん]])
|-
| B || 女 || 4時25分 || アネット・リリアンヌ・マリー・ディオンヌ<br><small>(夫姓:アラーヌ) || <br><small>(存命)
|-
| C || 女 || 4時40分 || セシル・マリー・エミルダ・ディオンヌ<br><small>(夫姓:ラングロワ) || <br><small>(存命)
|-
| D || 女 || 4時45分 || エミリー・マリー・ジャンヌ・ディオンヌ || {{death date and age|1954|8|6|1934|5|28}}<br><small>([[てんかん]])
|-
| E || 女 || 4時57分 || マリー・レーヌ・アルマ・ディオンヌ<br><small>(夫姓:ウル) || {{death date and age|1970|2|27|1934|5|28}}<br><small>([[血栓症]])
|}

== 生い立ち ==
=== 出生 ===
[[File:Dionnequints1.jpg|275px|right|thumb|1934年。[[オンタリオ州首相]]{{仮リンク|ミッチェル・ヘプバーン|en|Mitchell Hepburn}}とともに]]
{{External media
|width=250px
|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=uJl5uNPUJjI The Dionne Quins - 1934年から1936年までの姉妹の映像(British Pathéがアップロードした動画)]
}}
[[1934年]][[5月28日]]に[[カナダ]]の[[オンタリオ州]]{{仮リンク|カランダー (オンタリオ州)|en|Callander, Ontario|label=カランダー}}近郊において<ref name="Britannica">{{Cite web|url=http://www.britannica.com/EBchecked/topic/164217/Dionne-quintuplets|title=Dionne quintuplets|publisher=[[ブリタニカ百科事典|Encyclopædia Britannica]]|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>、[[フランス系カナダ人]]女性のエルジール・ディオンヌは予定日より2ヶ月早く5人の一卵性の女の子を出産した。赤ちゃんたちは片手でしっかり持てるほど小さかった<ref name="PBS" />。エルジールは最終的にこの[[五つ子]]の他に単独の9人の子供を出産している<ref name="Britannica" />。[[アラン・ロイ・ダフォー]]は夜中にエルジールの夫オリヴァ・ディオンヌから呼び出され、2人の助産婦の助けを借りて五つ子の出産を担当した医師だった。ダフォーは赤ちゃんたちの様子を見てすぐに死んでしまうだろうと考えていた。母のエルジールも出産後に激しいショックを受けており、ダフォーは子供たちと同様に死ぬだろうと考えたが、彼女は2時間後に回復した<ref name="Canadianhistoryforkids">{{Cite web|author=Mickey Maple|url=http://www.canadianhistoryforkids.com/canadian-history-for-kids-dionne-quintuplets/|title=Canadian History for Kids: Dionne Quintuplets|publisher=Canadian History for Kids|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

五つ子は[[フランス]]の大工{{仮リンク|ザカリー・クルーティエ|en|Zacharie Cloutier}}の子孫にあたり、遠縁ではあるが、[[カミラ (コーンウォール公爵夫人)|カミラ夫人]]、[[マドンナ]]、[[シャナイア・トゥエイン]]、[[セリーヌ・ディオン]]とも血のつながりがあることが判明している<ref>{{Cite web|author=Mary Holmes|url=http://www.cantley1889.ca/english/echo/echocantley_2015-09.html|title=Genealogy and "The French Canadian Disease": OPMD|publisher=Cantley 1889|language=英語|accessdate=2018-04-26}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.afpbb.com/articles/-/2378882?cx_position=13|title=マドンナとC・ディオンとカミラ夫人は遠い親戚、家系研究の記録で|agency=[[フランス通信社|AFP通信]]|date=2008-04-16|accessdate=2018-04-26}}</ref>。

[[トロント大学]]は[[生物学]]・[[歯学]]、そのほか身体的検査の見地からディオンヌ家の五つ子の調査を主導しており、生物学的調査から五つ子は一卵性であることが立証されている。母親は妊娠3ヶ月ごろに痙攣と共に奇妙な物体を排出したと医師に話しており、元は六つの受精胚が存在していた可能性が広く信じられている。一卵性であるため、誕生した5人の新生児は同じ[[形質|遺伝形質]]を有している<ref name="Britannica" />。五つ子以上の多胎児は年間で数十組の出産例があるが<ref>{{Cite journal|url=http://www.cdc.gov/nchs/data/nvsr/nvsr64/nvsr64_01.pdf|title=Births: Final Data for 2013|journal=National Vital Statistics Reports|volume=64|number=1|publisher=[[アメリカ疾病予防管理センター|Centers for Disease Control and Prevention]]|page=11|format=PDF|language=英語|date=2015年1月15日|accessdate=2018-04-16}}</ref>、「一卵性の」周胎児(五つ子)はまれである<ref>{{Cite web|author=Pamela Prindle Fierro|url=https://www.verywellfamily.com/quintuplets-quints-2447327|title=General Information About Quintuplet Multiple Births|publisher=Verywell Family|language=英語|date=2014-04-16|accessdate=2018-04-16}}</ref><ref>{{Cite news|author=Sarah Cooke|url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/08/17/AR2007081700163.html|title=Rare Identical Quadruplets Born|work=[[ワシントン・ポスト|The Washington Post]]|language=英語|date=2007-08-17|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

赤ちゃんたちは加熱された毛布にくるまれ、隣人から借りた枝編みバスケットに入れて育てられた。彼女たちは台所へ連れて行かれ、部屋のドアを開いた状態にしておき、[[ストーブ]]で部屋の中を暖かく保つようにした。一人ずつバスケットから取り出され、[[オリーブ・オイル]]でマッサージされた。最初の24時間は2時間おきに、[[コーンシロップ]]を加えて甘くした水が与えられた。2日目に彼女たちは少し大きめの洗濯バスケットの中に入れられ、[[湯たんぽ]]で保温した。常に監視され、何度も目覚めなければならなかった。そして、[[牛乳|ミルク]]やお湯、スプーン2杯分のコーンシロップ、および覚せい作用のある[[ラム酒]]1滴または2滴が与えられた<ref>{{Cite book|author=Merrill Denison|title=Infant Industry: The Quintuplets|publisher=Harper's Magazine Condensed in Readers Digest 33 (200)|page=104-107|language=英語}}</ref>。

=== ダフォーの保育所 ===
{{External media
|width=275px
|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=yXx26hL58IA The Dionne Quintuplets At Callander, Ontario - 1936年の姉妹の映像(British Pathéがアップロードした動画)]
|video2=[https://www.youtube.com/watch?v=z4FF2gTCzTk Latest Pictures Of The Dionne Quintuplets - 1936年の姉妹の映像(British Pathéがアップロードした動画)]
|video3=[https://www.youtube.com/watch?v=NCSmA_Fjocs The Quins Listen To Princess Elizabeth - 1940年の姉妹の映像(British Pathéがアップロードした動画)]
}}
[[File:Dionne quintuplets1937.jpg|275px|right|thumb|1937年に発行されたポストカード]]
[[File:Dionne quintuplets1939.jpg|300px|right|thumb|1939年のトロントへの旅行]]
五つ子誕生のニュースはたちまち駆け巡り、将来に経済的困難に陥ってしまうことを予期した父親のオリヴァは五つ子が出生したわずか3日後には代表者から説得を受けて子供たちを[[シカゴ万国博覧会 (1933年)|シカゴ万国博覧会]]に出展するための契約を締結し、世界中の人々の見世物にすることを容認した<ref name="uwo">{{Cite web|author=Amy Wallace|url=http://www.uwo.ca/visarts/research/2008-09/bon_a_tirer/Amy%20Wallace.html|title=1.A Prelude to Forgetting Remembering the Dionne Quintuplets|publisher=[[ウェスタンオンタリオ大学|Western University]]|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>。当時は見本市や他の展示会で赤ちゃんが展示されることは珍しくなかった<ref>{{Cite web|author=A. J. Liebling|url=http://www.neonatology.org/classics/liebling.html|title=A Patron of the Preemies|publisher=Karger Publishers|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>。{{仮リンク|オンタリオ州司法長官|en|Attorney General of Ontario}}の{{仮リンク|アーサー・ローバック|en|Arthur Roebuck}}は7月27日にこの契約を失効させることで搾取を阻止するために、五つ子の両親の[[親権]]を剥奪する権限を取得した<ref>{{Cite web|author=Laura Neilson|url=http://www.thecanadianencyclopedia.ca/en/article/dionne-quintuplets-miracle-births-at-the-height-of-the-depression-feature/|title=Dionne Quintuplets: Miracle Births at the Height of the Depression|publisher=The Canadian Encyclopedia|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>。[[カナダ自由党|自由党]]の{{仮リンク|ミッチェル・ヘプバーン|en|Mitchell Hepburn}}を首班とする{{仮リンク|オンタリオ州政府|en|Government of Ontario}}が注目度の高い彼女たちを18歳の誕生日まで保護下に置く名目で{{仮リンク|オンタリオ州立法議会|en|Legislative Assembly of Ontario|label=立法議会}}に提出した「ディオンヌ家の五つ子後見法」は翌[[1935年]]3月にその内容を変更せずに通過した<ref>{{Cite news|url=http://news.google.com/newspapers?nid=950&dat=19350315&id=KvxPAAAAIBAJ&sjid=6FQDAAAAIBAJ&pg=2395,4069135|title=Dionne Quintuplets May Become Special Wards of King as Law Pends in Canadian Legislature|work=The Evening Independent|language=英語|date=1935-03-15|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

彼女たちの生家から道路を挟み、五つ子姉妹とその新たな保護者が生活するためにダフォーを主任とする病院と保育所が建設された。彼女たちは1935年9月下旬に、農家からこの保育所に移住した<ref name="NY">{{Cite news|author=Ian Austen|url=https://www.nytimes.com/2017/04/02/world/canada/ontario-dionne-quintuplets.html?hpw&rref=world&action=click&pgtype=Homepage&module=well-region&region=bottom-well&WT.nav=bottom-well|title=2 Survivors of Canada's First Quintuplet Clan Reluctantly Re-emerge|work=[[ニューヨーク・タイムズ|The New York Times]]|language=英語|date=2017-04-02|accessdate=2018-04-16}}</ref>。道路を挟んだ家に住む両親や兄弟とはたまに交流していた。毎朝姉妹は大きな浴室で一緒に服を着替え、それから自分の髪をカールさせた。[[祈り]]を捧げた後、[[ゴング]]が鳴ってから彼女たちは食事部屋で朝食を食べた<ref>{{Cite news|author=Amanda Killelea|url=https://www.mirror.co.uk/news/uk-news/identical-quintuplets-taken-parents-put-10165992|title=Amanda Killelea|work=[[デイリー・ミラー|The Daily Mirror]]|language=英語|date=2017-04-05|accessdate=2018-04-16}}</ref>。朝食開始から30分後にはテーブルの上を綺麗にしておかなければならなかった。サンルームで30分間楽器を演奏してから15分間の休憩を取り、9時にダフォーが朝の検査を行っていた。月ごとに、日中の活動の様々な[[時間割|タイムテーブル]]が設定された。毎日夕食の前にシャワーを浴びた後にパジャマを着用した。夕食は正確に6時に食べるようにした。その後に彼女たちは夕方の祈りを捧げるためにプレイルームに入室した。それぞれの女の子が自分が誰であるかを示す色とシンボルを手に持った。イヴォンヌの色はピンクで[[ルリツグミ|ブルーバード]]、アネットの色は赤で[[カエデ]]の葉、セシルの色は緑で自分でデザインした[[シチメンチョウ]]、エミリーの色は白で[[チューリップ]]、マリーの色は青で[[テディベア]]だった<ref>Thomas McCavour. {{Google books|q4-7DQAAQBAJ|Me, Myself & I|page=150}}</ref>。

見物者の姿を見えなくするために、姉妹の遊び場を覆う[[ガラス]]の内側は細かい網目の[[スクリーン]]で覆われていたが、彼らの影を見ることは出来た。成人した後に出版された著書''『We Were Five』''の中で、4人の姉妹は「私たちは[[サーカス]]の中心に住んでいました」と述べている<ref name="PBS" />。

一日あたり約6,000人が姉妹の姿を見るために屋外の遊び場を囲む観察ギャラリーを訪問した。十分なスペースの駐車場が提供された。父親のオリヴァも保育所の向かいにお土産物品店や委託販売店を作り、このエリアは「クイントランド」と名付けられた。お土産品には姉妹が描かれたサインや額装写真、スプーン、カップ、皿、書籍、ポストカード、人形などがあった<ref name="Canadianhistoryforkids" />。一時期、ディオンヌ姉妹の人形の売り上げは[[シャーリー・テンプル]]のそれに匹敵した<ref name="Chicagotribune">{{Cite news|author=[[デイリーニューズ (ニューヨーク)|New York Daily News]]|url=http://articles.chicagotribune.com/1994-05-29/news/9405290360_1_elzire-dionne-dionne-quints-quintuplets|title=3 Surviving Dionne Quints Reach Age 60|work=[[シカゴ・トリビューン|The Chicago Tribune]]|language=英語|date=1994-05-29|accessdate=2018-04-16}}</ref>。また、クイントランドは[[ナイアガラの滝]]を上回り、カナダ最大の観光地にまでなった<ref>{{Cite news|author=|url=http://edition.cnn.com/US/9711/19/dionne.quints/|title=The Dionne quintuplets: A Depression-era freak show|publisher=[[CNN]]|language=英語|date=1997-11-19|accessdate=2018-04-16}}</ref>。姉妹の姿を見るためにキャランダーを訪問した人物には[[ハリウッド]]スターの[[クラーク・ゲーブル]]、[[ジェームズ・ステュアート (俳優)|ジェームズ・スチュワート]]、[[ベティ・デイヴィス]]、[[ジェームズ・キャグニー]]、[[メイ・ウエスト]]が含まれる。[[アメリア・イアハート]]も彼女の不幸のフライトのわずか6週間前にキャランダーを訪問している<ref name="Baytoday">{{Cite news|author=Kate Adams|url=http://www.baytoday.ca/content/news/details.asp?c=62480|title=Miracle babies turn 80 today|publisher=Baytoday.ca|language=英語|date=2014-05-28|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

いくつかの推計によると、「クイントランド」は10年足らずの期間で、オンタリオ州に5億[[カナダドル|ドル]]の利益をもたらしたとされる<ref name="PBS" />。アラン・ロイ・ダフォーは典型的な田舎医者として理想化された。その一方で、反抗的なオリヴァ・ディオンヌは新聞紙上で無情な日和見主義者として、子供を育てることにしか欲が無かったエルジール・ディオンヌは無知な農民として扱われた<ref name="Canadianhistoryforkids" />。

ダフォーの保護下に置かれた10年間で、クイントランドの外に出ることを許されたのは[[イギリスの君主|イギリス国王]][[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]]に会うための[[1939年]]の[[トロント]]への旅行のみだった<ref name="LA">{{Cite news|author=Times Staff and Wire Reports|url=http://articles.latimes.com/2001/jun/24/local/me-14233|title=Yvonne Dionne; One of Three Remaining Identical Quintuplets|work=[[ロサンゼルス・タイムズ|Los Angeles Times]]|language=英語|date=2001-06-24|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

=== 映画出演 ===
ハリウッドは1930年代後半にこの名声を利用して五つ子姉妹が「ワイアット姉妹」として主演する以下の3本の長編映画を製作した<ref>{{Cite web|url=http://www.imdb.com/name/nm2887257/?ref_=tt_ov_st|title=The Dionne Quintuplets|publisher=[[インターネット・ムービー・データベース|Internet Movie Database]]|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.tcm.com/tcmdb/title/88116/Reunion/|title=Reunion(1936)|publisher=[[ターナー・クラシック・ムービーズ|Turner Classic Movies]]|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>。
* 『{{仮リンク|五つ児誕生|en|The Country Doctor (1936 film)}}』(1936年)
* 『{{仮リンク|五つ児天国|en|Reunion (1936 film)}}』(1936年) - 上記映画の続編
* 『{{仮リンク|ファイブ・オブ・ア・カインド|en|Five of a Kind}}』(1938年) - 上記映画の続編
姉妹は20分の[[ドキュメンタリー|ドキュメンタリー映画]]『{{仮リンク|ファイブ・タイムズ・ファイブ|en|Five Times Five}}』(1939年)にも出演した<ref>{{Cite web|url=https://www.imdb.com/title/tt0031316/|title=Five Times Five (1939)|publisher=Internet Movie Database|language=英語|accessdate=2018-04-19}}</ref>。この映画は[[第12回アカデミー賞]]の[[アカデミー短編映画賞|アカデミー短編二巻賞]]に[[ノミネート]]されている<ref>{{Cite web|url=http://www.oscars.org/oscars/ceremonies/1940|title=Experience over eight decades of the Oscars from 1927 to 2018.  The 12th Academy Awards (1940) |publisher=[[映画芸術科学アカデミー|Academy of Motion Picture Arts and Sciences]]|language=英語|accessdate=2018-04-19}}</ref>。また、1942年に{{仮リンク|ジェームズ・A・フィッツパトリック|en|James A. FitzPatrick}}が[[映画監督|監督]]と[[脚本]]を担当した9分のドキュメンタリー映画『''Land of the Quintuplets''』にも出演した<ref>{{Cite web|url=https://www.imdb.com/title/tt0346998/|title=Land of the Quintuplets (1942)|publisher=Internet Movie Database|language=英語|accessdate=2018-04-26}}</ref>。

1998年にイヴォンヌとアネットとセシルは[[カナダ放送協会|CBCテレビ]]のドキュメンタリーシリーズ『{{仮リンク|ライフ・アンド・タイムズ (TV シリーズ)|en|Life and Times (TV series)|label=ライフ・アンド・タイムズ}}』で放送され、マヤ・ガルスが監督と脚本を担当した1時間のドキュメンタリー「''Full Circle:The Dionne Quintuplets''」に出演した<ref>{{Cite web|url=https://www.imdb.com/title/tt0632016/|title=Full Circle: The Untold Story of the Dionne Quintuplets|publisher=Internet Movie Database|language=英語|accessdate=2018-04-26}}</ref>。

=== 帰宅 ===
[[File:Dionne quintuplets1947.jpg|325px|right|thumb|1947年。両親や司祭とともに]]
五つ子姉妹が成長していくにつれて人々の関心は薄れていき、[[第二次世界大戦]]に突入するころには新聞で取り上げられることも少なくなっていた<ref name="uwo" />。[[1943年]]11月、両親は彼女たちの親権を獲得する長い闘争でついに勝利を収めた<ref name="Canadianhistoryforkids" />。家族全員がクイントランドの徒歩圏内に新しく建てられた家に引っ越した。黄色い[[煉瓦|レンガ]]造りの、20室の大邸宅を建造するための費用は「五つ子基金」から支払われた<ref name="Canadianhistoryforkids" />。

姉妹は他の家族と一緒の生活を開始したが、幸福は得られなかった。彼女たちはエルジールが愛情を示してくれないと感じたし、オリヴァについては「暴君」とさえ見ていた。他の兄弟よりも多くの家事を押し付けられた<ref name="PBS" />。[[1995年]]には、この時点で存命していた3人の姉妹がその著書『''The Dionne Quintuplets: Family Secrets''』などで、彼女たちが10代の時期に自動車に乗車中に父親から[[児童性的虐待|性的虐待]]を受けた経験があり、母親にも話せなかったと新たに主張した<ref name="NY2">{{Cite news|author=Clyde H. Farnsworth|url=http://www.nytimes.com/1995/09/26/world/three-dionne-quintuplets-say-father-sexually-abused-them.html|title=Three Dionne Quintuplets Say Father Sexually Abused Them|work=The New York Times|language=英語|date=1995-09-26|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

=== 成人 ===
[[File:Dionne Quintuplets1952.jpg|300px|right|thumb|フランスのニュース雑誌『{{仮リンク|パリ・マッチ|en|Paris Match}}』に登場した五つ子(1952年)。左から順にイヴォンヌ、マリー、アネット、エミリー、セシル]]
{{External media
|width=250px
|video1=[https://www.youtube.com/watch?v=3tMhjuCDcVc Dionne Quin Laid To Rest - 1954年のエミリーの葬儀を伝えるニュース(British Pathéがアップロードした動画)]
}}
[[File:Dionne quintuplets1999.jpg|250px|right|thumb|1999年。イヴォンヌ、セシル、アネット]]
[[1952年]]に18歳になった五つ子姉妹は家を出て、他の家族との交流をほぼ全て絶った<ref name="PBS" />。姉妹のおかげで莫大な収入を得られたにも関わらず、彼女たちが21歳になり、資金を受け取る資格を得た時に信託基金に残されていた額は80万ドルに減っていた<ref name="PBS" />。この時にそれ以外の金が[[カナダ政府]]、アラン・ロイ・ダフォー、オリヴァ・ディオンヌによって使い回されたことを知ることになる<ref name="Chicagotribune" />。80万ドルは4人の間で分け合った<ref name="NY3">{{Cite news|author=Anthony DePalma|url=http://www.nytimes.com/1998/03/04/world/st-bruno-journal-the-babies-of-quintland-now-broke-and-bitter.html?scp=1&sq=Quintland&st=nyt|title=St. Bruno Journal: The Babies of Quintland Now: Broke, and Bitter|work=The New York Times|language=英語|date=1998-03-04|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

3人が結婚している。マリーは2人の娘、アネットは3人の息子、セシルは乳児期に死亡した子と双子を含む5人の子をそれぞれもうけた<ref>[[#Soucy(1996年)|Soucy(1996年) ]]</ref>。マリーは死の4年前に夫と別居するようになり<ref>{{Cite news|url=http://news.google.com/newspapers?nid=1982&dat=19700228&id=xZBGAAAAIBAJ&sjid=9isNAAAAIBAJ&pg=6643,4839609|title=Marie, 1 Of 4 Surviving Dionne Quintuplets, Dies at 35|work=The Evening Independent|language=英語|date=1970-02-28|accessdate=2018-04-16}}</ref>、アネットとセシルは離婚している<ref name="NY2" />。

五つ子姉妹のうち2人が中年期を迎える前に亡くなった。[[修道院]]の{{仮リンク|聖職志願者|en|Postulant}}となったエミリーは[[1954年]]に[[てんかん]]の発作が原因で亡くなった。彼女は発作持ちのために、付き添い人の居ない状態にしないように{{仮リンク|ナン (修道女)|en|Nun|label=ナン}}(修道女)に頼んでいた。ところが、見ることになっていた女性は眠っていると思い、[[ミサ]]に向かった。彼女はその間に、枕から顔を上げようとして誤って[[窒息|窒息死]]してしまった<ref name="PBS" /><ref name="Chicagotribune" /><ref name="LA" /><ref>{{Cite news|url=http://news.google.com/newspapers?nid=266&dat=19850523&id=_fsrAAAAIBAJ&sjid=gG0FAAAAIBAJ&pg=3281,3247780|title=Dionne Quintuplets Are Bitter Survivors|work=Kentucky New Era|language=英語|date=1985-05-23|accessdate=2018-04-16}}</ref>。マリーは[[アルコール依存症]]と[[うつ病]]に数年間苦しんだ末、[[1970年]]に[[血栓症]]で亡くなった。彼女は夫と別居中でアパートに一人で住んでおり、3人の姉は何日も連絡が無かったので心配していた。医者が彼女の家に行き、死後数日が経過していることを確認した<ref name="PBS" /><ref name="Chicagotribune" />。

1965年にジェームズ・ブラフは4人の姉妹と協力して五つ子姉妹のこれまでの秘話を綴る『''We Were Five''』を著した<ref>{{Cite web|url=http://www.amazon.com/We-Were-Five-Quintuplets-Womanhood/dp/B0007DV0CM/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1430913235&sr=1-1|title=We Were Five: The Dionne Quintuplets' Story from Birth through Girlhood to Womanhood|publisher=[[Amazon.com]]|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>。{{仮リンク|ピエール・ベルトン|en|Pierre Berton}}が1977年に著した''『The Dionne Years: A Thirties Melodrama』''<ref>{{Cite web|url=http://www.amazon.com/Dionne-Years-Thirties-Melodrama/dp/0771012152/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1430919176&sr=1-1&keywords=The+Dionne+Years%3A+A+Thirties+Melodrama+in+1977|title=The Dionne Years A Thirties Melodrama|publisher=Amazon.com|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>を元に、1978年11月19日にカナダで[[テレビ映画]]『''The Dionne Quintuplets''』が放映された<ref>{{Cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0165712/?ref_=nm_flmg_wr_4|title=The Dionne Quintuplets(1978)|publisher=Internet Movie Database|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>。また、{{仮リンク|ジョン・ナイミー|en|John Nihmey}}とスチュアート・フォックスマンが1986年に著した『''Time of Their Lives: The Dionne Tragedy''』<ref>{{Cite web|url=http://www.amazon.com/Time-Their-Lives-Dionne-Tragedy/dp/0921043007|title=Time of Their Lives: The Dionne Tragedy|publisher=Amazon.com|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>を元に、1994年にアメリカとカナダ合作の{{仮リンク|テレビ・ミニシリーズ|en|Miniseries}}『[[ミリオンダラー・ベイビーズ]]』が放映された。この映画では[[ボー・ブリッジス]]がダフォーを、{{仮リンク|ロイ・デュプイ|en|Roy Dupuis}}が父オリヴァを、{{仮リンク|セリーヌ・ボニエ|en|Céline Bonnier}}が母エルジールをそれぞれ演じている<ref>{{Cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0108859/|title=Million Dollar Babies(1994)|publisher=Internet Movie Database|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

基金から提供される資金も消失した後、60代に達したイヴォンヌとアネットとセシルは合わせて月746ドルの所得で、[[モントリオール]]郊外に一緒に暮らすようになった<ref name="PBS" />。3人の姉妹は搾取された分の報酬の支払いを要求したが、[[1998年]]にオンタリオ州政府と400万ドルで和解した<ref name="PBS" /><ref name="NY3" />。セシルの息子の1人は母の取り分を奪い、カナダから姿を消したが、その後も発見されていない<ref name="NY" />。

1997年に3人の姉妹(イヴォンヌ、アネット、セシル)は{{仮リンク|マッコイ家の七つ子|en|McCaughey septuplets}}の過剰な宣伝を容認する親に向けて警告を発する[[公開状]]を書いた<ref>{{Cite web|author=Annette Dionne、Cecile Dionne、Yvonne Dionne|url=http://content.time.com/time/magazine/article/0,9171,987457,00.html|title=ADVICE FROM THE DIONNE QUINTUPLETS|publisher=[[タイム (雑誌)|TIME]]|language=英語|date=1997-12-01|accessdate=2018-04-16}}</ref>。
{{cquote|''彼らの運命は他の子供たちのそれと全く異ならないはずです。多胎児の出生を[[エンターテインメント]]と一緒にしてはならないし、商売道具にしてはならないのです。私たちの人生は出生した地、オンタリオ州の政府による搾取で台無しにされてしまいました。私たちは数百万人の観光客の好奇心のために一日3回、見物者の前に晒されました。今日に至るまで、私たちの元には世界中から手紙が送られてきます。私たちが受けてきた虐待を踏まえて彼らのサポートを表明してくれている全ての人々に、お礼を言います。そして、増大する子供たちの名声を利用しようとする人々に、気を付けるように言います。私たちの子供時代の経験によって、その後の人生がどのように永久に変わってしまったかを調べてそこから教訓を得ることを心から願っています。この手紙によって新生児たちの事の成り行きが変更されれば、私たちの人生の価値も高められることになるでしょう。''}}

イヴォンヌは[[2001年]]に[[悪性腫瘍|がん]]で亡くなった<ref name="Canadianhistoryforkids" /><ref name="LA" />。アネットとセシルは2014年5月28日に80歳の誕生日を迎えている<ref name="Baytoday" />。

=== ディオンヌ家の五つ子博物館 ===
オンタリオ州[[ノースベイ (オンタリオ州)|ノースベイ]]市は1985年にディオンヌ家の[[オリジナル]]の[[ファームハウス]]を購入し、建物を丸ごと同市に移動させて「ディオンヌ家の五つ子博物館」をオープンさせたが<ref>{{Cite news|author=Paola Loriggio|url=http://www.cbc.ca/news/canada/sudbury/dionne-quintuplets-home-north-bay-council-1.4055410|title=North Bay council expected to decide on fate of home where Dionne quintuplets were born|publisher=[[カナダ放送協会|Canadian Broadcasting Corporation]]|language=英語|date=2017-04-04|accessdate=2018-04-16}}</ref>、年々訪問客は減少し、2015年に一旦閉鎖された<ref>{{Cite news|author=Alison Northcott|url=http://www.cbc.ca/news/canada/montreal/dionne-quintuplets-north-bay-1.4128021|title=Last surviving Dionne quintuplets hope to preserve childhood home|publisher=Canadian Broadcasting Corporation|language=英語|date=2017-05-25|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

2017年初めには、ノースベイ市が建物を売却し、同市から約70㎞南に位置する{{仮リンク|サンドリッジ (オンタリオ州)|en|Sundridge, Ontario|label=サンドリッジ}}村の[[見本市]]広場に移転する計画が浮上した<ref>{{Cite news|author=Erik White|url=http://www.cbc.ca/news/canada/sudbury/dionne-house-stays-north-bay-1.4056057|title=North Bay city council votes to keep Dionne house|publisher=Canadian Broadcasting Corporation|language=英語|date=2017-04-05|accessdate=2018-04-19}}</ref>。アネットとセシル(モントリオール在住)は2月にノースベイ市議会に手紙を出し、地域に対する世界的な関心をもたらしたこのカナダの歴史の一部を、次の世代のために守っていくだけの価値があると訴えた<ref>{{Cite news|author=The Canadian Press|url=http://www.cbc.ca/news/canada/sudbury/surviving-dionne-quintuplets-safeguard-home-1.3974813|title=Preserve home or transfer it to museum — surviving Dionne quintuplets tell North Bay|publisher=Canadian Broadcasting Corporation|language=英語|date=2017-02-09|accessdate=2018-04-19}}</ref>。この移転に反対する草の根グループの1年間にわたる活動が実を結び<ref>{{Cite news|author=Paola Loriggio|url=http://nationalpost.com/pmn/news-pmn/canada-news-pmn/historic-cabin-where-dionne-quintuplets-were-born-to-be-moved-sunday|title=Historic cabin where Dionne quintuplets were born to be moved Sunday|work=[[ナショナル・ポスト|National Post]]|language=英語|date=2017-11-16|accessdate=2018-04-28}}</ref><ref name="CBC">{{Cite news|author=Michelle McQuigge|url=http://www.cbc.ca/news/canada/sudbury/dionne-quintuplets-national-historical-significance-1.4595959|title=Federal government designates birth of Dionne quints historically significant|publisher=Canadian Broadcasting Corporation|language=英語|date=2018-03-27|accessdate=2018-04-26}}</ref>、同年11月19日にノースベイ市内の[[ウォーターフロント]]地区に移転することが決まった<ref>{{Cite news|author=CBC News|url=http://www.cbc.ca/news/canada/sudbury/dionne-quints-home-move-1.4395582|title=Dionne Quints home set to move this month|publisher=Canadian Broadcasting Corporation|language=英語|date=2017-11-09|accessdate=2018-04-16}}</ref>。博物館は2018年7月か8月に再開される見通しである<ref name="CBC" />。

== 大衆文化において ==
[[File:Dionne Quintuplets - School Days.jpg|250px|right|thumb|1938年にアンドリュー・ルーミスが描いた『''Dionne Quintuplets – School Days''』]]
以下のような映画作品の中で五つ子の話題が取り上げられている。
* 『[[オペラは踊る]]』(1935年)
* 『{{仮リンク|フォールス・アラームズ (映画)|en|False Alarms (film)|label=フォールス・アラームズ}}』(1936年)
* 『[[襤褸と宝石]]』(1936年)
* 『{{仮リンク|オー、ミスター・ポーター!|en|Oh, Mr Porter!}}』(1937年)
* 『[[ザ・ウィメン]]』(1939年)
* 『{{仮リンク|オイリー・トゥー・ベッド、オイリー・トゥー・ライズ|en|Oily to Bed, Oily to Rise}}』(1939年)
* 『[[ダンボ]]』(1941年)
* 『{{仮リンク|モーガンズ・クリークの奇跡|en|The Miracle of Morgan's Creek}}』(1944年)

[[マルクス兄弟]]が主演する『オペラは踊る』では、契約書にサインする時にドリフトウッドから複写の意味を知っているのかと聞かれたフィオレロが「もちろん、カナダの五つ子のことだ(Sure, those five kids up in Canada.)」と返答する場面がある<ref>{{Cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0026778/trivia|title=A Night at the Opera (1935) - Trivia|publisher=Internet Movie Database|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>。また、『ダンボ』の挿入歌の一つ「こうのとりにご用心」には、「五つ子と靴の女性を覚えておくんだ(Remember those quintuplets and the woman in the shoe.)」という歌詞が含まれる<ref>{{Cite web|url=http://www.imdb.com/title/tt0033563/trivia|title=Danbo (1941) - Trivia|publisher=Internet Movie Database|language=英語|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

[[スティーヴン・ソンドハイム]]が作詞作曲をした[[ミュージカル]]『{{仮リンク|フォリーズ|en|Follies}}』(1971年)の曲「{{仮リンク|アイム・スティル・ヒア (フォリーズの曲)|en|I'm Still Here (Follies song)|label=アイム・スティル・ヒア}}」には、「私は{{仮リンク|アビーのアイリッシュ・ローズ|en|Abie's Irish Rose}}、5人のディオンヌの赤ちゃん、{{仮リンク|エドワード・ボウズ|en|Edward Bowes|label=メジャー・ボウズ}}を通り抜けた(I got through Abie's Irish Rose, five Dionne babies, Major Bowes.)」という歌詞が含まれる<ref>David Román、Paula Court、Richard Termine. {{Google books|JE4P8JWfCNAC|Performance in America: Contemporary U.S. Culture and the Performing Arts|page=203}}</ref>。

比較的最近では、実在したディオンヌ姉妹から着想を得て、排卵誘発剤がまだ開発されていなかった[[世界恐慌]]期に[[ケベック州]]で奇跡的に出生した五つ子姉妹の最後の生存者の殺人事件を題材とする[[ルイーズ・ペニー]]の小説『''How The Light Gets''』(2013年)が刊行されている<ref>{{Cite news|author=Maureen Corrigan|url=http://www.washingtonpost.com/entertainment/books/book-world-review-how-the-light-gets-in-by-louise-penny/2013/08/25/4bad9070-fdf1-11e2-9711-3708310f6f4d_story.html|title=Book World review: ‘How the Light Gets In’ by Louise Penny|work=The Washington Post|language=英語|date=2013-08-25|accessdate=2018-04-16}}</ref>。また、[[Amazonビデオ]]シリーズ『{{仮リンク|マーベラス・ミセス・メイゼル|en|The Marvelous Mrs. Maisel}}』(2017年)の第4話は「ディオンヌ家の5つ子の失望」と題されている<ref>{{Cite web|url=https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B06VY8VXKG|title=マーベラス・ミセス・メイゼル (字幕版) |publisher=Amazon.com|accessdate=2018-04-16}}</ref>。

2018年3月にディオンヌ家の五つ子の誕生が「{{仮リンク|カナダの歴史上重要な意味を持つ出来事|en|Events of National Historic Significance}}」の一つに認定された<ref name="CBC" />。

== 脚注 ==
{{Reflist|2}}

== 関連項目 ==
* [[スールマン家の八つ子]]

== 書籍 ==
* {{Cite book|author=James Brough, Annette Dionne, Cécile Dionne, Marie Dionne, Yvonne Dionne|year=1965|title=We Were Five: The Dionne Quintuplets' Story from Birth through Girlhood to Womanhood|publisher=Simon and Schuster|language=英語|asin=B0007DV0CM}}
* {{Cite book|author=Jean-Yves Soucy, Annette Dionne, Cécile Dionne, Yvonne Dionne|year=1996|title=Family Secrets: The Dionne Quintuplets' Autobiography|publisher=Stoddart|language=英語|isbn=978-0773758032|ref=Soucy(1996年)}}

== 外部リンク ==
{{commonscat|Dionne Quintuplets}}
; British Pathéよりアップロード
* [https://www.youtube.com/results?search_query=Dionne+Quintuplets+British+Path%C3%A9 British Pathéの姉妹関連の動画集]
; Quintland.comよりアップロード
* [https://www.youtube.com/results?search_query=Dionne+Quintuplets+Quintland Quintland.comの姉妹関連の動画集]
; MEDIARCHIVEよりアップロード
* [https://www.youtube.com/watch?v=eZsfWuF_Of4 Dionne Quintuplet Opens Flower Shop] (姉妹が花屋を開いたことを報じる1956年5月21日の映像)

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[[Category:多胎児]]
[[Category:フランス系カナダ人]]
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[[Category:名数5]]

2018年4月28日 (土) 11:37時点における版

ディオンヌ家の五つ子姉妹(1940年前後)
姉妹が幼少期に暮らした「クイントランド」

ディオンヌ家の五つ子姉妹 (Dionne quintuplet sisters) は、全員が幼児期以降まで成長した世界最初の五つ子として知られる。カナダオンタリオ州カランダー英語版近郊において、1934年5月28日に出生した。「奇跡の赤ちゃん」として出生直後から注目を浴び、世界恐慌当時の不屈の精神と喜びの世界的なシンボルとなった[1]

予定日よりも2ヶ月早い早産だった。オンタリオ州政府英語版は翌1935年に「ディオンヌ家の五つ子後見法」を成立させて両親の親権を剥奪してしまい、彼女たちは産科医のアラン・ロイ・ダフォーの保護下に置かれ、9歳まで両親と離れて暮らさなければならなかった。関係者はそのうち、彼女たちが暮らす保育所周辺をカナダの代表的な観光地「クイントランド」にすることで利益を得るようになった。

出生順 性別 出生時間[2] 名前 死亡日
A 4時15分 イヴォンヌ・エドゥイルダ・マリー・ディオンヌ 2001年6月23日(2001-06-23)(67歳)


(がん)

B 4時25分 アネット・リリアンヌ・マリー・ディオンヌ
(夫姓:アラーヌ)

(存命)
C 4時40分 セシル・マリー・エミルダ・ディオンヌ
(夫姓:ラングロワ)

(存命)
D 4時45分 エミリー・マリー・ジャンヌ・ディオンヌ 1954年8月6日(1954-08-06)(20歳)


(てんかん)

E 4時57分 マリー・レーヌ・アルマ・ディオンヌ
(夫姓:ウル)
1970年2月27日(1970-02-27)(35歳)


(血栓症)

生い立ち

出生

1934年。オンタリオ州首相ミッチェル・ヘプバーン英語版とともに
映像外部リンク
The Dionne Quins - 1934年から1936年までの姉妹の映像(British Pathéがアップロードした動画)

1934年5月28日カナダオンタリオ州カランダー英語版近郊において[3]フランス系カナダ人女性のエルジール・ディオンヌは予定日より2ヶ月早く5人の一卵性の女の子を出産した。赤ちゃんたちは片手でしっかり持てるほど小さかった[1]。エルジールは最終的にこの五つ子の他に単独の9人の子供を出産している[3]アラン・ロイ・ダフォーは夜中にエルジールの夫オリヴァ・ディオンヌから呼び出され、2人の助産婦の助けを借りて五つ子の出産を担当した医師だった。ダフォーは赤ちゃんたちの様子を見てすぐに死んでしまうだろうと考えていた。母のエルジールも出産後に激しいショックを受けており、ダフォーは子供たちと同様に死ぬだろうと考えたが、彼女は2時間後に回復した[4]

五つ子はフランスの大工ザカリー・クルーティエ英語版の子孫にあたり、遠縁ではあるが、カミラ夫人マドンナシャナイア・トゥエインセリーヌ・ディオンとも血のつながりがあることが判明している[5][6]

トロント大学生物学歯学、そのほか身体的検査の見地からディオンヌ家の五つ子の調査を主導しており、生物学的調査から五つ子は一卵性であることが立証されている。母親は妊娠3ヶ月ごろに痙攣と共に奇妙な物体を排出したと医師に話しており、元は六つの受精胚が存在していた可能性が広く信じられている。一卵性であるため、誕生した5人の新生児は同じ遺伝形質を有している[3]。五つ子以上の多胎児は年間で数十組の出産例があるが[7]、「一卵性の」周胎児(五つ子)はまれである[8][9]

赤ちゃんたちは加熱された毛布にくるまれ、隣人から借りた枝編みバスケットに入れて育てられた。彼女たちは台所へ連れて行かれ、部屋のドアを開いた状態にしておき、ストーブで部屋の中を暖かく保つようにした。一人ずつバスケットから取り出され、オリーブ・オイルでマッサージされた。最初の24時間は2時間おきに、コーンシロップを加えて甘くした水が与えられた。2日目に彼女たちは少し大きめの洗濯バスケットの中に入れられ、湯たんぽで保温した。常に監視され、何度も目覚めなければならなかった。そして、ミルクやお湯、スプーン2杯分のコーンシロップ、および覚せい作用のあるラム酒1滴または2滴が与えられた[10]

ダフォーの保育所

映像外部リンク
The Dionne Quintuplets At Callander, Ontario - 1936年の姉妹の映像(British Pathéがアップロードした動画)
Latest Pictures Of The Dionne Quintuplets - 1936年の姉妹の映像(British Pathéがアップロードした動画)
The Quins Listen To Princess Elizabeth - 1940年の姉妹の映像(British Pathéがアップロードした動画)
1937年に発行されたポストカード
1939年のトロントへの旅行

五つ子誕生のニュースはたちまち駆け巡り、将来に経済的困難に陥ってしまうことを予期した父親のオリヴァは五つ子が出生したわずか3日後には代表者から説得を受けて子供たちをシカゴ万国博覧会に出展するための契約を締結し、世界中の人々の見世物にすることを容認した[11]。当時は見本市や他の展示会で赤ちゃんが展示されることは珍しくなかった[12]オンタリオ州司法長官英語版アーサー・ローバック英語版は7月27日にこの契約を失効させることで搾取を阻止するために、五つ子の両親の親権を剥奪する権限を取得した[13]自由党ミッチェル・ヘプバーン英語版を首班とするオンタリオ州政府英語版が注目度の高い彼女たちを18歳の誕生日まで保護下に置く名目で立法議会英語版に提出した「ディオンヌ家の五つ子後見法」は翌1935年3月にその内容を変更せずに通過した[14]

彼女たちの生家から道路を挟み、五つ子姉妹とその新たな保護者が生活するためにダフォーを主任とする病院と保育所が建設された。彼女たちは1935年9月下旬に、農家からこの保育所に移住した[15]。道路を挟んだ家に住む両親や兄弟とはたまに交流していた。毎朝姉妹は大きな浴室で一緒に服を着替え、それから自分の髪をカールさせた。祈りを捧げた後、ゴングが鳴ってから彼女たちは食事部屋で朝食を食べた[16]。朝食開始から30分後にはテーブルの上を綺麗にしておかなければならなかった。サンルームで30分間楽器を演奏してから15分間の休憩を取り、9時にダフォーが朝の検査を行っていた。月ごとに、日中の活動の様々なタイムテーブルが設定された。毎日夕食の前にシャワーを浴びた後にパジャマを着用した。夕食は正確に6時に食べるようにした。その後に彼女たちは夕方の祈りを捧げるためにプレイルームに入室した。それぞれの女の子が自分が誰であるかを示す色とシンボルを手に持った。イヴォンヌの色はピンクでブルーバード、アネットの色は赤でカエデの葉、セシルの色は緑で自分でデザインしたシチメンチョウ、エミリーの色は白でチューリップ、マリーの色は青でテディベアだった[17]

見物者の姿を見えなくするために、姉妹の遊び場を覆うガラスの内側は細かい網目のスクリーンで覆われていたが、彼らの影を見ることは出来た。成人した後に出版された著書『We Were Five』の中で、4人の姉妹は「私たちはサーカスの中心に住んでいました」と述べている[1]

一日あたり約6,000人が姉妹の姿を見るために屋外の遊び場を囲む観察ギャラリーを訪問した。十分なスペースの駐車場が提供された。父親のオリヴァも保育所の向かいにお土産物品店や委託販売店を作り、このエリアは「クイントランド」と名付けられた。お土産品には姉妹が描かれたサインや額装写真、スプーン、カップ、皿、書籍、ポストカード、人形などがあった[4]。一時期、ディオンヌ姉妹の人形の売り上げはシャーリー・テンプルのそれに匹敵した[18]。また、クイントランドはナイアガラの滝を上回り、カナダ最大の観光地にまでなった[19]。姉妹の姿を見るためにキャランダーを訪問した人物にはハリウッドスターのクラーク・ゲーブルジェームズ・スチュワートベティ・デイヴィスジェームズ・キャグニーメイ・ウエストが含まれる。アメリア・イアハートも彼女の不幸のフライトのわずか6週間前にキャランダーを訪問している[20]

いくつかの推計によると、「クイントランド」は10年足らずの期間で、オンタリオ州に5億ドルの利益をもたらしたとされる[1]。アラン・ロイ・ダフォーは典型的な田舎医者として理想化された。その一方で、反抗的なオリヴァ・ディオンヌは新聞紙上で無情な日和見主義者として、子供を育てることにしか欲が無かったエルジール・ディオンヌは無知な農民として扱われた[4]

ダフォーの保護下に置かれた10年間で、クイントランドの外に出ることを許されたのはイギリス国王ジョージ6世に会うための1939年トロントへの旅行のみだった[21]

映画出演

ハリウッドは1930年代後半にこの名声を利用して五つ子姉妹が「ワイアット姉妹」として主演する以下の3本の長編映画を製作した[22][23]

姉妹は20分のドキュメンタリー映画ファイブ・タイムズ・ファイブ英語版』(1939年)にも出演した[24]。この映画は第12回アカデミー賞アカデミー短編二巻賞ノミネートされている[25]。また、1942年にジェームズ・A・フィッツパトリック英語版監督脚本を担当した9分のドキュメンタリー映画『Land of the Quintuplets』にも出演した[26]

1998年にイヴォンヌとアネットとセシルはCBCテレビのドキュメンタリーシリーズ『ライフ・アンド・タイムズ英語版』で放送され、マヤ・ガルスが監督と脚本を担当した1時間のドキュメンタリー「Full Circle:The Dionne Quintuplets」に出演した[27]

帰宅

1947年。両親や司祭とともに

五つ子姉妹が成長していくにつれて人々の関心は薄れていき、第二次世界大戦に突入するころには新聞で取り上げられることも少なくなっていた[11]1943年11月、両親は彼女たちの親権を獲得する長い闘争でついに勝利を収めた[4]。家族全員がクイントランドの徒歩圏内に新しく建てられた家に引っ越した。黄色いレンガ造りの、20室の大邸宅を建造するための費用は「五つ子基金」から支払われた[4]

姉妹は他の家族と一緒の生活を開始したが、幸福は得られなかった。彼女たちはエルジールが愛情を示してくれないと感じたし、オリヴァについては「暴君」とさえ見ていた。他の兄弟よりも多くの家事を押し付けられた[1]1995年には、この時点で存命していた3人の姉妹がその著書『The Dionne Quintuplets: Family Secrets』などで、彼女たちが10代の時期に自動車に乗車中に父親から性的虐待を受けた経験があり、母親にも話せなかったと新たに主張した[28]

成人

フランスのニュース雑誌『パリ・マッチ』に登場した五つ子(1952年)。左から順にイヴォンヌ、マリー、アネット、エミリー、セシル
映像外部リンク
Dionne Quin Laid To Rest - 1954年のエミリーの葬儀を伝えるニュース(British Pathéがアップロードした動画)
1999年。イヴォンヌ、セシル、アネット

1952年に18歳になった五つ子姉妹は家を出て、他の家族との交流をほぼ全て絶った[1]。姉妹のおかげで莫大な収入を得られたにも関わらず、彼女たちが21歳になり、資金を受け取る資格を得た時に信託基金に残されていた額は80万ドルに減っていた[1]。この時にそれ以外の金がカナダ政府、アラン・ロイ・ダフォー、オリヴァ・ディオンヌによって使い回されたことを知ることになる[18]。80万ドルは4人の間で分け合った[29]

3人が結婚している。マリーは2人の娘、アネットは3人の息子、セシルは乳児期に死亡した子と双子を含む5人の子をそれぞれもうけた[30]。マリーは死の4年前に夫と別居するようになり[31]、アネットとセシルは離婚している[28]

五つ子姉妹のうち2人が中年期を迎える前に亡くなった。修道院聖職志願者英語版となったエミリーは1954年てんかんの発作が原因で亡くなった。彼女は発作持ちのために、付き添い人の居ない状態にしないようにナン英語版(修道女)に頼んでいた。ところが、見ることになっていた女性は眠っていると思い、ミサに向かった。彼女はその間に、枕から顔を上げようとして誤って窒息死してしまった[1][18][21][32]。マリーはアルコール依存症うつ病に数年間苦しんだ末、1970年血栓症で亡くなった。彼女は夫と別居中でアパートに一人で住んでおり、3人の姉は何日も連絡が無かったので心配していた。医者が彼女の家に行き、死後数日が経過していることを確認した[1][18]

1965年にジェームズ・ブラフは4人の姉妹と協力して五つ子姉妹のこれまでの秘話を綴る『We Were Five』を著した[33]ピエール・ベルトン英語版が1977年に著した『The Dionne Years: A Thirties Melodrama』[34]を元に、1978年11月19日にカナダでテレビ映画The Dionne Quintuplets』が放映された[35]。また、ジョン・ナイミー英語版とスチュアート・フォックスマンが1986年に著した『Time of Their Lives: The Dionne Tragedy[36]を元に、1994年にアメリカとカナダ合作のテレビ・ミニシリーズ英語版ミリオンダラー・ベイビーズ』が放映された。この映画ではボー・ブリッジスがダフォーを、ロイ・デュプイ英語版が父オリヴァを、セリーヌ・ボニエ英語版が母エルジールをそれぞれ演じている[37]

基金から提供される資金も消失した後、60代に達したイヴォンヌとアネットとセシルは合わせて月746ドルの所得で、モントリオール郊外に一緒に暮らすようになった[1]。3人の姉妹は搾取された分の報酬の支払いを要求したが、1998年にオンタリオ州政府と400万ドルで和解した[1][29]。セシルの息子の1人は母の取り分を奪い、カナダから姿を消したが、その後も発見されていない[15]

1997年に3人の姉妹(イヴォンヌ、アネット、セシル)はマッコイ家の七つ子英語版の過剰な宣伝を容認する親に向けて警告を発する公開状を書いた[38]

彼らの運命は他の子供たちのそれと全く異ならないはずです。多胎児の出生をエンターテインメントと一緒にしてはならないし、商売道具にしてはならないのです。私たちの人生は出生した地、オンタリオ州の政府による搾取で台無しにされてしまいました。私たちは数百万人の観光客の好奇心のために一日3回、見物者の前に晒されました。今日に至るまで、私たちの元には世界中から手紙が送られてきます。私たちが受けてきた虐待を踏まえて彼らのサポートを表明してくれている全ての人々に、お礼を言います。そして、増大する子供たちの名声を利用しようとする人々に、気を付けるように言います。私たちの子供時代の経験によって、その後の人生がどのように永久に変わってしまったかを調べてそこから教訓を得ることを心から願っています。この手紙によって新生児たちの事の成り行きが変更されれば、私たちの人生の価値も高められることになるでしょう。

イヴォンヌは2001年がんで亡くなった[4][21]。アネットとセシルは2014年5月28日に80歳の誕生日を迎えている[20]

ディオンヌ家の五つ子博物館

オンタリオ州ノースベイ市は1985年にディオンヌ家のオリジナルファームハウスを購入し、建物を丸ごと同市に移動させて「ディオンヌ家の五つ子博物館」をオープンさせたが[39]、年々訪問客は減少し、2015年に一旦閉鎖された[40]

2017年初めには、ノースベイ市が建物を売却し、同市から約70㎞南に位置するサンドリッジ英語版村の見本市広場に移転する計画が浮上した[41]。アネットとセシル(モントリオール在住)は2月にノースベイ市議会に手紙を出し、地域に対する世界的な関心をもたらしたこのカナダの歴史の一部を、次の世代のために守っていくだけの価値があると訴えた[42]。この移転に反対する草の根グループの1年間にわたる活動が実を結び[43][44]、同年11月19日にノースベイ市内のウォーターフロント地区に移転することが決まった[45]。博物館は2018年7月か8月に再開される見通しである[44]

大衆文化において

1938年にアンドリュー・ルーミスが描いた『Dionne Quintuplets – School Days

以下のような映画作品の中で五つ子の話題が取り上げられている。

マルクス兄弟が主演する『オペラは踊る』では、契約書にサインする時にドリフトウッドから複写の意味を知っているのかと聞かれたフィオレロが「もちろん、カナダの五つ子のことだ(Sure, those five kids up in Canada.)」と返答する場面がある[46]。また、『ダンボ』の挿入歌の一つ「こうのとりにご用心」には、「五つ子と靴の女性を覚えておくんだ(Remember those quintuplets and the woman in the shoe.)」という歌詞が含まれる[47]

スティーヴン・ソンドハイムが作詞作曲をしたミュージカルフォリーズ英語版』(1971年)の曲「アイム・スティル・ヒア英語版」には、「私はアビーのアイリッシュ・ローズ英語版、5人のディオンヌの赤ちゃん、メジャー・ボウズ英語版を通り抜けた(I got through Abie's Irish Rose, five Dionne babies, Major Bowes.)」という歌詞が含まれる[48]

比較的最近では、実在したディオンヌ姉妹から着想を得て、排卵誘発剤がまだ開発されていなかった世界恐慌期にケベック州で奇跡的に出生した五つ子姉妹の最後の生存者の殺人事件を題材とするルイーズ・ペニーの小説『How The Light Gets』(2013年)が刊行されている[49]。また、Amazonビデオシリーズ『マーベラス・ミセス・メイゼル』(2017年)の第4話は「ディオンヌ家の5つ子の失望」と題されている[50]

2018年3月にディオンヌ家の五つ子の誕生が「カナダの歴史上重要な意味を持つ出来事英語版」の一つに認定された[44]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k Dennis Gaffney (2009年3月23日). “The Story of the Dionne Quintuplets” (英語). Public Broadcasting Service. http://www.pbs.org/wgbh/roadshow/fts/wichita_200803A12.html 2018年4月16日閲覧。 
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関連項目

書籍

  • James Brough, Annette Dionne, Cécile Dionne, Marie Dionne, Yvonne Dionne (1965) (英語). We Were Five: The Dionne Quintuplets' Story from Birth through Girlhood to Womanhood. Simon and Schuster. ASIN B0007DV0CM 
  • Jean-Yves Soucy, Annette Dionne, Cécile Dionne, Yvonne Dionne (1996) (英語). Family Secrets: The Dionne Quintuplets' Autobiography. Stoddart. ISBN 978-0773758032 

外部リンク

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