カミラ (コーンウォール公爵夫人)

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カミラ
Camilla
コーンウォール公爵夫人
Official opening of Senedd Cymru - Welsh Parliament, Wales; 7 June 2011 06.jpg
2017年11月9日
在位 2005年4月9日 - 在位中
続柄 ブルース・シャンド第1女子

全名 カミラ・ローズマリー・シャンド
Camilla Rosemary Shand[1]
称号 ウェールズ公妃
コーンウォール公爵夫人
ロスシー公爵夫人
チェスター伯爵夫人
身位 Princess(王子妃)
敬称 Her Royal Highness(殿下)
出生 (1947-07-17) 1947年7月17日(74歳)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドロンドン
配偶者 アンドリュー・パーカー・ボウルズ
(1973年 - 1995年)
  ウェールズ公チャールズ王太子
(2005年 - 現在)
子女 トム・パーカー・ボウルズ英語版
ローラ・ロープス英語版
父親 ブルース・シャンド
母親 ロザリンド・キュービット
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イギリス王室
Badge of the House of Windsor.svg

エリザベス2世女王


コーンウォール公爵夫人カミラCamilla, Duchess of Cornwall、全名: カミラ・ローズマリー・シャンドCamilla Rosemary Shand)、旧名: カミラ・パーカー・ボウルズCamilla Parker Bowles)、1947年7月17日 - )は、イギリス王族王太子であるウェールズ公チャールズの後妻。2005年4月に再婚した。称号はウェールズ公妃(プリンセス・オブ・ウェールズ)、コーンウォール公爵夫人ロスシー公爵夫人、チェスター伯爵夫人。敬称は殿下(Her Royal Highness)。

家柄・生い立ち[編集]

カミラは、元英国陸軍将校でワイン商に転職したブルース・シャンド陸軍少佐とその妻ロザリンド・モード(第3代アシュコーム男爵ローランド・キュービットの娘)の間の長女として1947年7月17日ロンドンサザーク区にあるキングス・カレッジ・ロンドンの病院[2]で誕生した[3][4]。出生名は、カミラ・ローズマリー・シャンド(Camilla Rosemary Shand)という。

イングランド南東部イースト・サセックス州ブライトンと隣り合うルイスのプランプトン (en) で育ち、次いでロンドン市内ケンジントン区サウス・ケンジントン (en) の3階建ての家に越した。

ダイアナ妃の実母フランセススペンサー伯爵と離婚後、シャンド家のピーター・シャンド・キッド英語版と再婚している。

略歴[編集]

最初の結婚[編集]

1972年、カミラが初恋の相手であった近衛儀仗騎兵隊大尉で社交界の人気者アンドルー・パーカー・ボウルズ(後、英国陸軍准将、獣医学校校長)と交際している時、アンドルーの友人であるチャールズ王太子と出会った。チャールズはポロ狩猟という共通の趣味を持つカミラを深く愛するようになったが、結婚の申込を引き伸ばしたため、カミラはアンドルーと結婚した。しかし、結婚後もチャールズとの関係が続いた。カミラとアンドルーの間には1974年に長男(第1子)トム、1979年に長女(第2子)ローラが誕生したが、1995年に離婚している。

不倫関係[編集]

一方、チャールズは1981年ダイアナ・スペンサーと結婚したが、カミラとの関係は解消されなかった。そして、チャールズとカミラ両者とも互いに既婚で不倫関係を保ち、これが原因でチャールズとダイアナの夫婦関係は極度に悪化した。1990年代初めにはチャールズとカミラの携帯電話での会話を録音した音声テープが暴露され、2人の秘密の関係は公然と知られるようになった。チャールズとダイアナは1982年に長男(第1子)ウィリアム王子1984年に次男(第2子)ヘンリー王子を授かるが、1992年に別居、1996年に正式離婚している。ダイアナが1997年8月31日パリで交通事故死した後、チャールズとカミラは公然と交際するようになり、公式行事にも2人で出席し始めた。しかし、死後も冷めることのないダイアナ人気の根強さと、「カミラ = 愛人」というイメージから、訪問各国の首脳陣はともかく、その国の国民から歓迎されることは少なく、「帰れ!」と罵られるか、無視されるかがほとんどであった。

2度目の結婚[編集]

ヨハネ・パウロ2世の葬儀のために1日遅れとなった2005年4月9日、チャールズ王太子とカミラ夫人は出会いから30数年の時を経て、ついに結婚した。2人はまずウィンザー城下のギルドホールで、宗教色のない形で式を挙げている[5]。参列者はウィリアム王子ヘンリー王子、カミラ夫人の子供たちなど近親者が30数人で、彼らの見守る中、約20分で終了した。ギルドホールの周囲には、二人を祝おうと2万人以上の人々が集まった。その後、彼らはウィンザー城の聖ジョージ・チャペルへと移動し、エリザベス2世女王、エディンバラ公フィリップのほか国内外の要人約800人の参列者が見守る中、前カンタベリー大主教の祝福を受けて、二人は正式に夫婦として認められた[5]。挙式後、ウィンザー城内で女王主催の披露宴が催された。二人は当日スコットランドバルモラル城近郊のバークホールへ向かい、公務とハネムーンを兼ねた旅行を行っている[5]

ダイアナ元妃の追悼式典欠席[編集]

2007年8月31日に行われたダイアナの没後10周年の式典を欠席する事を5日前の同年同月26日に発表した。ウィリアム王子ヘンリー王子からの出席の要請を受け当初は出席への意向を示していたが、「式典の目的から注意をそらす可能性がある」との懸念から出席を取りやめたという[6]

欠席に落胆しつつも、夫人の尊厳に理解を示す報道を行ったメディアもあった[7]。また王室伝記作家のペニー・ジュノーは、「10年の月日の中で国民は夫人の人柄を知り、夫人に対する見方を変えた」と指摘している。一部のコメンテーターは地元紙で、「夫人を追悼式典に招待したのは、夫人を再び好ましくない存在として際立たせようとする意図があった」と述べた[7]

称号[編集]

結婚と同時に、カミラはチャールズが持つ多くの称号に対応する夫人としての称号を自動的に与えられた。すなわち、カミラの結婚後の称号(title)は、


である。

これまでの慣習に従えば、カミラの呼称(style)はHer Royal Highness The Princess of Wales(ウェールズ公妃殿下)となるはずであった。しかし、彼女はPrincess of Walesの称号を呼称として用いることを辞退し、チャールズが保持する称号の1つであるコーンウォール公爵位に基づき、Her Royal Highness The Duchess of Cornwall(コーンウォール公爵夫人殿下)と名乗ることにした。これはPrincess of Walesとして知られていたダイアナに対する英国民の根強い敬愛に配慮したものと考えられている。

なお、チャールズのスコットランドにおける呼称は、His Royal Highness The Prince Charles, Duke of Rothesay(ロスシー公爵チャールズ王子殿下)であることから、カミラもそれに合わせてスコットランドではHer Royal Highness The Duchess of Rothesay(ロスシー公爵夫人殿下)という名で呼ばれる。これは故ダイアナのスコットランドにおける呼称と同じである。

将来としては、王位継承順位第1位のチャールズがイギリス国王に即位した際にも、「王后陛下(Her Majesty, the Queen)の称号を辞退し、王配殿下(Her Royal Highness the Princess Consort)の称号を名乗る」と発表された。しかし、英連邦各国の憲法改正などを伴う問題が指摘されている。男性国王(King)の配偶者である女性が自動的に王妃(Queen)と呼ばれないのはイギリス王室史上前例がない。

義母エリザベス2世女王はカミラの王室内での序列を、女性王族の中で自分を含めて第4位(エリザベス2世女王 - アン第一王女アレクサンドラ王女 - カミラ)にすることを決定した。

2012年4月、ロイヤル・ビクトリア勲章デイム・グランド・クロスを授与された。

脚注・出典[編集]

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  1. ^ 王室の一員として姓は持たないが、必要がある場合はマウントバッテン・ウィンザー(Mountbatten-Windsor)を用いる。
  2. ^ 英:King's College Hospital。病院棟自体はサザーク区西隣ランベス区内にある。
  3. ^ Lundy, Darryl. “Roland Calvert Cubitt, 3rd Baron Ashcombe” (英語). thepeerage.com. 2016年3月11日閲覧。
  4. ^ Heraldic Media Limited. “Ashcombe, Baron (UK, 1892)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2016年3月10日閲覧。
  5. ^ a b c チャールズ皇太子とカミラ夫人の結婚式をプレイバック”. 25ans (2018年3月13日). 2020年7月11日閲覧。
  6. ^ AFPBB News (2007年8月27日). “カミラ夫人、ダイアナ元妃の追悼式典欠席へ”. 2008年10月6日閲覧。
  7. ^ a b ロイター通信 (2007年8月28日). “英メディア、故ダイアナ元妃追悼式典欠席のカミラ夫人に理解”. 2008年10月6日閲覧。

外部リンク[編集]