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| 名称=特三式内火艇 |
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| 説明=上陸する特三式内火艇。本車は潜水機能を持ち、走行装置を強化、車体前後に浮航用の浮舟を装着している。砲塔の上部に搭載されているのは投棄可能な展望塔である。砲塔後方の筒は空気吸入筒。 |
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| 主砲=一式四十七粍戦車砲 |
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| 装甲=10~50[[ミリメートル|mm]] |
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| エンジン名=統制一〇〇型<br/>空冷V型12気筒ディーゼル |
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| 出力=240 |
| 出力=240馬力/2000rpm |
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| 乗員= |
| 乗員=5~7名 |
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'''特三式内火艇 |
'''特三式内火艇'''とは[[第二次世界大戦]]中に[[日本海軍]]が開発した[[水陸両用戦車]]である。[[1943年]](昭和18年/[[神武天皇即位紀元|皇紀]]2603年)に制式採用された(年式は皇紀による)。[[九五式軽戦車]]の部品を流用して作られた[[特二式内火艇]]に対し、特三式内火艇は[[日本陸軍]]の[[一式中戦車]]を広範囲に改修している。また、より早期に出現した特二式内火艇よりも大型かつ能力を増強した車輌となっている<ref>Zaolga, Japanese Tanks 1939-45</ref>。 |
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== 経緯および開発 == |
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[[九五式軽戦車]]の部品を流用して作られた[[特二式内火艇]]に対し、[[一式中戦車]]の部品を流用して作られたのが特三式内火艇である。 |
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日本海軍では、艦隊決戦に際して太平洋の島々を奇襲攻撃し、占領後に拠点として用いる計画が存在した。このためには自力で海上航行し、海岸に上陸可能な車輌が必要とされた。この作戦案に基づき、1941年に特二式内火艇が設計開始された<ref>若松「海軍と戦車」125頁</ref>。 |
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特二式内火艇の設計が成功を収めたことは[[軍令部]]の作戦立案者たちを満足させ、また、より強力な装甲と兵装を備える大型の車輌が、将来の[[水陸両用作戦]]や[[特殊部隊]]を用いた作戦において有用となるだろう事が決定づけられた。特三式内火艇は1943年に開発が開始され、最初の車輌が任務に就いたのは1943年後期から1944年にかけてだった。 |
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車体前後の金属浮舟はよりいっそう流線型となり、武装も47mm砲を搭載していた。浮舟を装備した水上状態でも車体(船体)のほとんどは水面下になってしまうため、砲塔からは展望塔が大きく突きだし、機関室上部にもキノコ状の[[シュノーケル (潜水艦)|シュノーケル]]装置が取り付けられている。 |
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しかし特三式内火艇は19両が1943年から1945年にかけて生産されたのみにとどまった。海軍の主な優先順位は艦艇と航空機の製造にあり、また特別な水陸両用作戦のための確固とした計画が無く、特三式内火艇の量産は非常に低い優先順位のままとされた。 |
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潜水艦に搭載されることも考慮されていたため、主要部には耐圧構造が施されていた。 |
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== 設計 == |
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生産は19輛にとどまり、実戦には参加しなかった。 |
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特三式内火艇は、陸軍の保有する[[一式中戦車]]の車体に大きな改修を施したものであり、またこれにより、早期に出現した二式内火艇よりも相当に良好な装甲防御と火力を持っている。車体は平滑な面構成を持ち、これは前方および後方の[[フロート|浮舟]]となだらかに接続されている。前方の浮舟は艦艇の船首形状にカーブがつけられており、また戦車が上陸した際には、前後の浮舟ともに車輌内部から投棄が可能となっていた。しかし実際には、これらが敵砲火に対してわずかながら追加の防御効果を与えたことから、浮舟は普通外されないままに残された。特二式内火艇の前面装甲が12mmであるのに対し、特三式内火艇の前面装甲は50mmとかなり強化されている<ref>若松「海軍と戦車」125頁</ref>。特二式内火艇で内装式となった走行装置のコイルスプリングは、特三式内火艇では外装式となったほか、車体両側の走行装置に転輪が2個追加された。上部転輪は4組である<ref>ピーター『世界の戦車』225頁</ref><ref>福島「水陸両用車輌」111頁</ref>。 |
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特三式内火艇の主砲である[[一式四十七粍戦車砲]]は、砲身長が48口径の2250mmであり、俯仰角度は-15度から+20度だった。砲固有の射界方向は左右10度、砲口初速は810m/sで、貫通能力は射程100mにおいて55mm、射程1,000mでは30mmである。これは日本陸軍の[[九七式中戦車|新砲塔チハ車]]が装備する47mm砲と同様だった。副兵装は口径7.7mmの九七式車載重機関銃を同軸に装備し、また車体前面にも同じ兵装を装備した。浮舟を装備した水上状態でも車体(船体)のほとんどは水面下になってしまうため、砲塔からは投棄可能な展望塔が大きく突きだしていた。これは円形のキューポラを持ち、丈の延長された展望塔として設計されたもので、ハッチを水面より上に保つ。特三式内火艇はまた、独特の大型空気吸入筒を砲塔よりも後方に備えているが、これはディーゼルエンジン用の空気をより能率的に取り入れ、また排気を海水に妨げられないよう維持するためだった<ref name="honved.com">[http://www.honved.com/senshanamphib.html] Japanese Armored Vehicles of the Second World War</ref>。車輌の乗員には7名が必要とされたが、彼らの内の1名は特二式内火艇と同様、車輌に搭乗する整備兵の役割を担っていた。 |
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終戦時、横須賀第十六特別陸戦隊に20輛が配備されていた。 |
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本車は潜水艦への搭載も考慮していたため、車体は水密化され、耐圧構造が施されていた。作戦時、乗員は全て車内に収容し、砲塔と車体の間は耐圧蓋によって水密され、安全深度は100mまで確保された<ref>若松「海軍と戦車」125頁</ref><ref>福島「水陸両用車輌」111頁</ref>。特二式内火艇は潜水艦で運用するにあたり、エンジンと電装品をはずし、車内に注水する必要があった。また浮上から発進までに30分の準備時間を必要とした。しかし特三式内火艇はそのまま発進が行えた<ref>若松「海軍と戦車」125頁</ref>。 |
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== 運用記録 == |
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特三式内火艇は日本本土にのみ配備され、作戦には参加していない<ref>「日本の戦車」出版協同社</ref>。終戦時、横須賀第十六特別陸戦隊に20輛が配備されていた。 |
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本来、特型内火艇は奇襲攻撃用の車輌であり、防御用の車輌ではない。実戦参加した特二式内火艇の戦闘能力は軽戦車程度に留まり、水陸両用の本領発揮の機会も与えられなかった<ref>福島「水陸両用車輌」107頁</ref>。特三式内火艇は非常に限定的な台数のみが生産されたが、潜水艦からの発進能力を持つことから確実に有用だった。[[南太平洋]]や東南アジアの島々に孤立した守備隊のための、困難さを増した増援任務であっても、本車は収容が可能だった。 |
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== 脚注 == |
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== 参考文献 == |
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*{{cite book |
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| last = Foss |
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| first = Christopher |
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| year = 2003 |
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| title = Great Book of Tanks: The World's Most Important Tanks from World War I to the Present Day |
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| publisher = Zenith Press |
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| location = |
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| isbn = 0-7603-1475-6 |
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}} |
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*{{cite book |
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| last = Zaloga |
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| first = Steven J. |
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| year = 2007 |
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| title = Japanese Tanks 1939-45 |
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| publisher = Osprey |
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| location = |
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| isbn = 978-1-8460-3091-8 }} |
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* 福島紐人「水陸両用車輌」『特集/第二次大戦の日本軍用車両』グランドパワー11月号、デルタ出版、1996年。 |
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* 若松和樹「海軍と戦車」『歴史群像太平洋戦史シリーズ25 陸軍機甲部隊』学習研究社、2000年。ISBN 4-05-602065-5 |
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* ピーター・チェンバレン クリス・エリス『世界の戦車 1915~1945』大日本絵画、1996年。ISBN 4-499-22616-3 |
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== 外部リンク == |
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*[http://www.onwar.com/tanks/japan/data/t3kachi.htm OnWar.com] |
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*[http://www.wwiivehicles.com/japan/tanks-amphibious/type-3.asp World War II vehicles] |
|||
*[http://ww2drawings.jexiste.fr/Files/1-Vehicles/Axis/3-Japan/04-AmphibiousTanks/Type3-KaChi.htm World War II Drawings] |
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*[http://www.honved.com/senshanamphib.html Japanese Armored Vehicles of the Second World War] |
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== 関連項目 == |
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*[[DD戦車]] - 第二次世界大戦時に登場した、浮航装備を持つイギリスの戦車。 |
|||
*[[T-38 (戦車)|T-38]] - 第二次世界大戦時に登場した、ソ連の水陸両用軽戦車。 |
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{{第二次世界大戦の日本の装甲戦闘車両}} |
{{第二次世界大戦の日本の装甲戦闘車両}} |
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{{DEFAULTSORT:とく3しきうちひてい}} |
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[[Category:日本の戦車]] |
[[Category:日本の戦車]] |
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[[Category:日本海軍の艦船]] |
[[Category:日本海軍の艦船]] |
2014年5月29日 (木) 15:58時点における版
上陸する特三式内火艇。本車は潜水機能を持ち、走行装置を強化、車体前後に浮航用の浮舟を装着している。砲塔の上部に搭載されているのは投棄可能な展望塔である。砲塔後方の筒は空気吸入筒。 | |
性能諸元 | |
---|---|
全長 | 10.3m |
車体長 | m |
全幅 | 3.00m |
全高 | 3.82m |
重量 | 28.5t(含む浮舟) |
懸架方式 | コイルスプリング[1] |
速度 |
32km/h(陸上) 10km/h(水上) |
行動距離 |
320km(陸上) 140km(浮航) |
主砲 | 一式四十七粍戦車砲 |
副武装 | 九七式車載重機関銃、2挺 |
装甲 | 10~50mm |
エンジン |
統制一〇〇型 空冷V型12気筒ディーゼル 240馬力/2000rpm |
乗員 | 5~7名 |
特三式内火艇とは第二次世界大戦中に日本海軍が開発した水陸両用戦車である。1943年(昭和18年/皇紀2603年)に制式採用された(年式は皇紀による)。九五式軽戦車の部品を流用して作られた特二式内火艇に対し、特三式内火艇は日本陸軍の一式中戦車を広範囲に改修している。また、より早期に出現した特二式内火艇よりも大型かつ能力を増強した車輌となっている[2]。
経緯および開発
日本海軍では、艦隊決戦に際して太平洋の島々を奇襲攻撃し、占領後に拠点として用いる計画が存在した。このためには自力で海上航行し、海岸に上陸可能な車輌が必要とされた。この作戦案に基づき、1941年に特二式内火艇が設計開始された[3]。
特二式内火艇の設計が成功を収めたことは軍令部の作戦立案者たちを満足させ、また、より強力な装甲と兵装を備える大型の車輌が、将来の水陸両用作戦や特殊部隊を用いた作戦において有用となるだろう事が決定づけられた。特三式内火艇は1943年に開発が開始され、最初の車輌が任務に就いたのは1943年後期から1944年にかけてだった。
しかし特三式内火艇は19両が1943年から1945年にかけて生産されたのみにとどまった。海軍の主な優先順位は艦艇と航空機の製造にあり、また特別な水陸両用作戦のための確固とした計画が無く、特三式内火艇の量産は非常に低い優先順位のままとされた。
設計
特三式内火艇は、陸軍の保有する一式中戦車の車体に大きな改修を施したものであり、またこれにより、早期に出現した二式内火艇よりも相当に良好な装甲防御と火力を持っている。車体は平滑な面構成を持ち、これは前方および後方の浮舟となだらかに接続されている。前方の浮舟は艦艇の船首形状にカーブがつけられており、また戦車が上陸した際には、前後の浮舟ともに車輌内部から投棄が可能となっていた。しかし実際には、これらが敵砲火に対してわずかながら追加の防御効果を与えたことから、浮舟は普通外されないままに残された。特二式内火艇の前面装甲が12mmであるのに対し、特三式内火艇の前面装甲は50mmとかなり強化されている[4]。特二式内火艇で内装式となった走行装置のコイルスプリングは、特三式内火艇では外装式となったほか、車体両側の走行装置に転輪が2個追加された。上部転輪は4組である[5][6]。
特三式内火艇の主砲である一式四十七粍戦車砲は、砲身長が48口径の2250mmであり、俯仰角度は-15度から+20度だった。砲固有の射界方向は左右10度、砲口初速は810m/sで、貫通能力は射程100mにおいて55mm、射程1,000mでは30mmである。これは日本陸軍の新砲塔チハ車が装備する47mm砲と同様だった。副兵装は口径7.7mmの九七式車載重機関銃を同軸に装備し、また車体前面にも同じ兵装を装備した。浮舟を装備した水上状態でも車体(船体)のほとんどは水面下になってしまうため、砲塔からは投棄可能な展望塔が大きく突きだしていた。これは円形のキューポラを持ち、丈の延長された展望塔として設計されたもので、ハッチを水面より上に保つ。特三式内火艇はまた、独特の大型空気吸入筒を砲塔よりも後方に備えているが、これはディーゼルエンジン用の空気をより能率的に取り入れ、また排気を海水に妨げられないよう維持するためだった[7]。車輌の乗員には7名が必要とされたが、彼らの内の1名は特二式内火艇と同様、車輌に搭乗する整備兵の役割を担っていた。
本車は潜水艦への搭載も考慮していたため、車体は水密化され、耐圧構造が施されていた。作戦時、乗員は全て車内に収容し、砲塔と車体の間は耐圧蓋によって水密され、安全深度は100mまで確保された[8][9]。特二式内火艇は潜水艦で運用するにあたり、エンジンと電装品をはずし、車内に注水する必要があった。また浮上から発進までに30分の準備時間を必要とした。しかし特三式内火艇はそのまま発進が行えた[10]。
運用記録
特三式内火艇は日本本土にのみ配備され、作戦には参加していない[11]。終戦時、横須賀第十六特別陸戦隊に20輛が配備されていた。
本来、特型内火艇は奇襲攻撃用の車輌であり、防御用の車輌ではない。実戦参加した特二式内火艇の戦闘能力は軽戦車程度に留まり、水陸両用の本領発揮の機会も与えられなかった[12]。特三式内火艇は非常に限定的な台数のみが生産されたが、潜水艦からの発進能力を持つことから確実に有用だった。南太平洋や東南アジアの島々に孤立した守備隊のための、困難さを増した増援任務であっても、本車は収容が可能だった。
脚注
参考文献
- Foss, Christopher (2003). Great Book of Tanks: The World's Most Important Tanks from World War I to the Present Day. Zenith Press. ISBN 0-7603-1475-6
- Zaloga, Steven J. (2007). Japanese Tanks 1939-45. Osprey. ISBN 978-1-8460-3091-8
- 福島紐人「水陸両用車輌」『特集/第二次大戦の日本軍用車両』グランドパワー11月号、デルタ出版、1996年。
- 若松和樹「海軍と戦車」『歴史群像太平洋戦史シリーズ25 陸軍機甲部隊』学習研究社、2000年。ISBN 4-05-602065-5
- ピーター・チェンバレン クリス・エリス『世界の戦車 1915~1945』大日本絵画、1996年。ISBN 4-499-22616-3
外部リンク
- OnWar.com
- World War II vehicles
- World War II Drawings
- Japanese Armored Vehicles of the Second World War