豆戦車

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ポーランドの豆戦車、TK-3

豆戦車(まめせんしゃ)は、軽戦車よりさらに小型・軽量・軽装備な戦車タンケッテ(Tankette)や豆タンクとも呼ばれる。

概要[編集]

イギリスのカーデン・ロイド豆戦車(MkI-MkVI)を豆戦車の嚆矢とするのが定説である。無限軌道方式の装甲戦闘車輌の内で、重量的に、3トン程度を平均として、6トン未満の物のことを指すことが多く、6トンを超えると軽戦車に分類されるのが、一般的である(同時期のヴィッカース 6トン戦車が境の指標となっているものと考えられる)。5~6トン程度だと、豆戦車か、軽戦車か、どちらに分類するかは、微妙なところである。

その多くは、2名ないし1名で運用し、砲塔を持たず(例外もある)、武装機関銃を1-2挺備えただけの軽武装であり、装甲も薄く、口径7.62~7.92mmの小銃弾をかろうじて防げる程度の厚さ(数mm~十数mm)しかなく(そのため、口径7.62~20mmの対戦車ライフルや機関銃砲による敵の攻撃により、容易に貫通・撃破される危険性がある)、実態は移動機関銃トーチカにすぎず、基本的に、対人・対機関銃砲陣地・対非装甲(ソフトスキン)車輌用である。なお、一部には20mm機関砲や対戦車ライフルや対戦車砲歩兵砲火炎放射器ロケットランチャーを搭載したものもある。

戦間期軍縮時代である1920年代末から1930年代末頃にかけて数多く生産された。これらの戦車は、より大型の戦車に比べて取得・製造・維持コストが安価であったため、十分な軍備を持つだけの予算のない国家が、より後進国相手の戦争用に、また、植民地治安維持用に、積極的に導入し、配備された。また、比較的、製造が容易であったため、戦車の国産化・独自開発を目指す国家にとっては、戦車の製造・開発技術の習得の手始めとして、うってつけであった。また、軽量なので、低出力エンジンでも高速で、燃費が良いという利点もあった。特に道路橋梁鉄道港湾船舶デリッククレーンなどのインフラストラクチャーが整っていない地域では、移動・輸送が容易な、小型軽量軽便な車輌が重宝された。

対戦車戦闘能力を持つ軍隊に相対するには生存性が低すぎ、戦車や装甲車輌や対戦車陣地を攻撃するには火力や装甲が不足していた一方で、対戦車戦闘能力を持たない軍隊に相対するには十分に有効であり、イタリア軍によるC.V.33系列のエチオピア軍に対する活躍や、日本軍による九二式重装甲車九四式軽装甲車九七式軽装甲車の中国軍に対する活躍などが知られる。また、植民地や占領地における治安維持用兵器として、まずまずの評価を得た。

直接戦闘以外では、偵察や連絡任務、火砲や物資用カーゴトレーラーの牽引にも用いられた。こうした補助的任務には、一応の装甲と自衛火器を有する豆戦車は有用だった。初めから戦車の名を冠せず、装甲車牽引車などの名目で開発配備されたものも多い。

現代の豆戦車[編集]

第二次世界大戦中に能力不足がはっきりしたため、大規模に配備している国はない。今日でも使用されている豆戦車の子孫は、軽便さを生かして空挺部隊や偵察部隊で補助的に使われている。つまりは早期展開や国外派遣歩兵直協といった限定的な任務を担っている。

スコーピオンヴィーゼルが代表例。日本陸上自衛隊では2008年まで60式自走無反動砲普通科歩兵直協に使用されていた。

なお、主力戦車より安価軽便な代替車両としては、小型・軽量でライフサイクルコストが低い装輪装甲車が配備され、かつての豆戦車に近い地位で配備されている。

武装としては、無反動砲・低反動砲・機関砲・対戦車ミサイル・個人携行式地対空ミサイル・迫撃砲グレネードランチャー(自動擲弾発射機)・重機関銃、などがある。

車種[編集]

イギリスの旗 イギリス

イタリア王国の旗 イタリア王国

  • CV-29
  • CV-33
  • CV-35
  • L3

ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦

チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア

大日本帝国の旗 大日本帝国

ポーランドの旗 ポーランド


参考文献[編集]

  • 斎木伸生「二流陸軍の主力戦車「タンケッテ」おもしろメカ読本」『』2001年6月号 No.662、潮書房、pp.127-141。