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豆戦車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ポーランドの豆戦車、TK-3

豆戦車(まめせんしゃ)は、軽戦車よりさらに小型・軽量・軽装備な戦車タンケッテ (tankette) や豆タンクとも呼ばれる。

豆戦車は、物資や人員の運搬や牽引を主目的とした「運搬車型豆戦車」(戦闘室に天板無し、武装は車体前面に限定旋回方式で装備)と、戦闘や偵察を主目的とした「戦車型豆戦車」(戦闘室に天板や装甲フードあり。武装は、車体前面に限定旋回方式で装備の他、車両によっては旋回砲塔あり)に大別される。

概要

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イギリスのカーデン・ロイド豆戦車 (Mk.I-Mk.VI) を豆戦車の嚆矢とするのが定説である。無限軌道方式の装甲戦闘車輌のうち、重量的に3トン程度を平均として、6トン未満のものを指すことが多く、6トンを超えると軽戦車に分類されるのが、一般的である(同時期のヴィッカース 6トン戦車が境の指標となっているものと考えられる)。

豆戦車と軽戦車の境は、かなり曖昧である。4トン未満なら豆戦車、6トン以上なら軽戦車と、ほぼ考えてよいが、その間に、グレーゾーンがあり、4トン以上~6トン未満程度だと、豆戦車か軽戦車か、どちらに分類するかは微妙なところである。実際、この重量帯の車両は、豆戦車と軽戦車の中間的な性格、「豆戦車以上軽戦車未満」「豆戦車+α」な特徴を持っていることが多い。豆戦車から軽戦車への移行形態ともいえる。例えば、車体の大きさや重量は軽戦車寄りだが、乗員が2名で、武装は機関銃のみで、装甲も小銃弾にしか耐えられない厚さしかないなど、主な特徴が豆戦車と同じなど。車体の大きさや重量の他の「+α」としては、「無線機(受信機)を搭載している」「旋回砲塔(手動)を装備している」、など。実質で考えると、「やや大きく重めな豆戦車」であるとも、「武装が貧弱でやや小さく軽めな軽戦車」であるとも、両方言えるわけである。

「豆戦車とは軽戦車よりも下位の存在(カテゴリー)である」という定義(根本命題)がある以上、「豆戦車とは何か」という問いは、「軽戦車とは何か」という問いと、一体のものである。よって、軽戦車の定義や範囲が定まれば(変われば)、自ずと、豆戦車の定義や範囲も、豆戦車と軽戦車の境も、定まる(変わる)のである。

カーデン・ロイド系豆戦車に代表される、3トン級の豆戦車でなければ、つまり4トン以上なら、全て軽戦車に分類してしまうという、単純明快だが、実質を無視した形式的な、解釈・分類方法もある。

他に、開発国や採用国の自称による、解釈・分類方法もある。この場合、自称と実質が乖離していることがある。実際、豆戦車カテゴリーの車両で、自称を豆戦車と称している例は、ほぼない。

また、どんなものにも例外があるもので、極めて特殊な例として、「マチルダI歩兵戦車」(最大装甲厚65 mm、重量11.2 t)や「I号戦車F型」(最大装甲厚80 mm、重量21 t)といった、車体の構成は豆戦車なのに、装甲厚が重戦車並みで、重量が中戦車並みの、「重装甲豆戦車」とでも呼ぶべきものも存在する。

豆戦車の多くは、2名ないし1名で運用し、基本的には砲塔を持たず、武装機関銃を1ないし2挺備えただけの軽武装であり、装甲も薄く、口径7.62-7.92mmの小銃弾をかろうじて防げる程度の厚さ(数mm-十数mm)しかない。そのため、小銃用の徹甲弾、対戦車ライフル、小銃よりも強力な弾薬を用いる機関銃・機関砲による攻撃を受けると、容易に貫通・撃破される危険性がある。実態は移動機関銃トーチカにすぎず、基本的に対人・対機関銃砲陣地・対非装甲(ソフトスキン)車輌用である。なお、一部には20mm機関砲や対戦車ライフル、対戦車砲歩兵砲火炎放射器ロケットランチャー迫撃砲を搭載したものもある。

また、エンジンや駆動系に、民間の自動車の部品を流用したものもある。カーデン・ロイド系豆戦車(タンケッテ)の特徴は、自動車用のエンジンやトランスミッション、ブレーキなどを流用したことであった。曲がるときは、あらかじめ加速しておいてから、曲がる側のブレーキをかける、という簡易な仕組みであった。

戦間期軍縮時代である1920年代末から1930年代末頃にかけて数多く生産された。これらの戦車は、より大型の戦車に比べて取得・製造・維持コストが安価であったため、十分な軍備を持つだけの予算のない国家が、より後進国相手の戦争用に、また植民地治安維持用に積極的に導入し、配備された。さらには、製造が比較的容易であったため、戦車の国産化・独自開発を目指す国家にとっては、戦車の製造・開発技術の習得の手始めとしてうってつけであった。また、軽量ゆえに低出力エンジンでも高速で、燃費が良いという利点もあった。特に、道路橋梁鉄道港湾船舶デリッククレーンなどのインフラストラクチャーが整っていない地域では、移動・輸送が容易で小型軽量軽便な車輌が重宝された。

対戦車戦闘能力を持つ軍隊に相対するには生存性が低すぎ、戦車や装甲車輌や対戦車陣地を攻撃するには火力や装甲が不足していた一方、対戦車戦闘能力を持たない軍隊に相対するには十分に有効であり、イタリア軍によるC.V.33系列のエチオピア軍に対する活躍や、日本軍による九二式重装甲車九四式軽装甲車九七式軽装甲車の中国軍に対する活躍などが知られる。また、植民地や占領地における治安維持用兵器として、まずまずの評価を得た。

直接戦闘以外では、偵察や連絡任務、火砲や物資用カーゴトレーラーの牽引にも用いられた。こうした補助的任務には、一応の装甲と自衛火器を有する豆戦車は有用だった。初めから戦車の名を冠せず、装甲車牽引車などの名目で開発配備されたものも多い。

豆戦車には、偵察・連絡・輸送・警備などを任務とする補助車両としての面と、本格的戦車を代替する戦闘車両としての二面性があると考えられる。前者としては有用であったが、後者としては能力不足であったと言える。

なお、史上、最も活躍した豆戦車は、85,000輌以上が大量生産されて、連合国軍の勝利を裏で支えた、ユニバーサル・キャリアだとする説もある。

現代の豆戦車

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第二次世界大戦中に能力不足がはっきりしたため、大規模に配備している国はない。戦後の世界には「豆戦車」というカテゴリーの車両は存在しないが、実質的に「豆戦車」と呼べるものは存在する。その場合、戦後の世界の軽戦車の重量が20トン近くにまで上がっているので、10トン前後までの装輪式または装軌式装甲戦闘車両は「豆戦車」と便宜的に呼んでも差し支えないであろう。今日でも使用されている豆戦車の子孫は、軽便さを生かして空挺部隊や偵察部隊で補助的に使われている。つまりは早期展開や国外派遣歩兵直協といった限定的な任務を担っている。

スコーピオンヴィーゼルオントスASU-57が代表例。日本陸上自衛隊では2008年まで60式自走106mm無反動砲普通科歩兵直協に使用されていた。

なお、主力戦車よりも安価軽便な代替戦闘車両としては、小型・軽量でライフサイクルコストが低い装輪装甲車が配備され、かつての豆戦車に近い地位で配備されている。

武装としては、無反動砲・低反動砲・機関砲・対戦車ミサイル・個人携行式地対空ミサイル・迫撃砲グレネードランチャー(自動擲弾発射機)・重機関銃などがあり、複数を組み合わせる場合もある。

テキストロン・システムズのリップ・ソー M5 完全自律型全電動戦車。30 mm機関砲搭載。重量:7.5 t~10.5 t。2021年

こうした従来型装甲戦闘車両の流れとは別に、近年はアメリカ・ロシアなどで開発され、急速に発達しつつある、装輪/装軌式の無人ロボット兵器の存在を、新たな豆戦車として挙げることができよう。これらの無人ロボット兵器は、初期の爆発物の処理といった防御的役割から、現在では攻撃的役割を担うまでに進化している。人命の喪失および防御および乗員の搭乗スペースを考慮する必要のない無人ロボット兵器には、装甲が無い(薄い)ことは、さしたるデメリットではない。むしろ、軽量、輸送の便利さ、安価、省資源、製造の容易さ、数を揃えることができる=被害を分散できる=戦力の低下を緩やかにできる、対人用途に向いている、車体が小型のわりに武装が強力、射撃が正確、被害をかえりみずリスクの高い作戦に投入することができるなど、従来の豆戦車と同様の利点を最大限に生かすことができるメリットがある。

従来の豆戦車が戦闘車両として廃れた理由は、乗員を防護できないからである。人命を最もコストが高いものとすると、最もコストパフォーマンスの悪い兵器であり、乗員を危険に晒すわりに、(防御力が低い点では同様の対戦車自走砲と違い)それに見合う火力も無く貧弱だったからである。無人ロボット兵器(無人戦車)にはそうしたデメリットを覆す可能性がある。

一般的に、無人車両化すると、有人車両と同等の戦闘システムを搭載しても、全重量を約1/3に抑えることも可能である。つまり、それは、例えば、それまで30トン級の有人車両でないと搭載できなかった戦闘システムも、10トン級の無人車両で搭載可能となることを意味する。

例としてロシアのUGV(Unmanned Ground Vehicle、無人地上車両)「ウラン-9 (Uran-9)」を挙げる。重量:10トン(重量的には軽戦車に分類も可)。全長(砲身含):5.12m。全幅:2.53m。全高(機器含):2.5m。速度:整地 35km/h 不整地 10km/h。武装:2A72 30mm機関砲×1、PKT/PKTM 7.62mm機関銃×1、9M120 Ataka対戦車ミサイル×4、Shmel-M サーモバリックロケットランチャー×6ないし12。火力支援を目的とし、専用車両のオペレーターによって遠隔操作(3km以内)される。現在の技術では(また倫理的にも)、オペレーターの介在が必要であり、未だAIによる完全自律にまでは至っていない。

機械化歩兵としての豆戦車

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豆戦車は、その名称から「戦車の一種」として見られてしまうが、しかし戦車としてはあまりにも非力なことから、その評価を下げてしまう一因となっている。 しかし、視点を変えてみると、また違った評価をすることもできる。

すなわち、「豆戦車を機械化歩兵として捉える」という視点である。 豆戦車は歩兵そのものを機械化したものとみなすこともできるからである。

豆戦車とは、歩兵に、

  • 1. 8 mm以上のクラスの機関銃・機関砲を運用可能な火力。
  • 2. 人的資源や馬匹の省力化。わずか1~2名で1個歩兵小銃分隊並みの火力。
  • 3. 重さ10 kg以上の機関銃と数千発(重さ100 kg近く)の弾薬をわずか1~2名で携帯して長距離行軍可能な搬送力と持久力。
  • 4. おおむね8 mmクラスまでの小銃弾に耐えうる重装甲な防御力。
  • 5. 最高時速30~40 km以上(整地)で走行し、数百 kmの距離を連続かつ短時間で走破可能な機動力。
  • 6. 乗員2名の場合は分担することで複数の動作を並列に実行可能な処理能力。例えば、走りながら周辺警戒、走りながら射撃、など。

という、生身の人間には不可能もしくは著しく困難な、攻・防・走を兼ね備えた能力を同時に実現するものである。

当然、これらの能力を持った「機械化歩兵」は、そうでない生身の歩兵に対して圧倒的優位に立つ。

つまり、豆戦車という兵器を戦車寄りの視点で見るか、歩兵寄りの視点で見るかで、その評価は変わってこよう。

車種

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イギリスの旗 イギリス

フランスの旗 フランス

ナチス・ドイツの旗 ドイツ国

  • 小型トラクター(クライネトラクトーア)
  • I号戦車 -3トン級の車両として開発が始まり、ヴィッカース・アームストロング社から購入した軽トラクターを参考に、クルップ社とダイムラー・ベンツ社によって開発された。実質は2人乗りの豆戦車である。
  • ボルクヴァルト

イタリア王国の旗 イタリア王国

  • L3
  • C.V.29
  • C.V.33
  • C.V.35
  • C.V.38
  • アンサルド MIAS/MORAS - 1935年にアンサルド社が開発した一人用豆戦車(実質は機動防盾)。MIASは機関銃装備型、MORASは迫撃砲装備型。俗に人力とされるが、実際にはフレラ社製250ccガソリンエンジン(5 hp/3,000 rpm)を搭載している。6.5 mm機関銃 2挺(弾薬1000発)もしくはブリクシア45 ㎜迫撃砲(仰角72度~俯角-10度)1門(ブレダ社製M35 HE迫撃砲弾50発) 装備。装甲厚6-16 mm。最大速度 前進5 km/h、後進2.2 km/h。車体に床板は無く、背部は開放式だが背部装甲の追加も可能。試作車2両製造のみで不採用。
    • 第1次世界大戦期、いかにして機関銃と鉄条網で守られた敵の塹壕を突破するかの試行錯誤の一つとして、フランス陸軍が「ブークリエ・ルラント」(フランス語で「転がる盾」の意)という、中の人が押して動かす人力駆動の、車輪がついた一人用の防弾盾を試作している。分速40 mで進めたとされる。押すことによって前進はできたが、自力で後退はしにくいので、後ろから引っ張ってもらうためのワイヤーを付ける工夫がなされていた。1915(大正4)年に試作品の試験が行われたものの、審査員全員一致で不採用。
    • 日本陸軍も一人用の「試製銃鎧」(側面装甲が前方に展開する凝った仕組み)や「九三式転動防盾」(制式化され、制式初年度だけで、各師団や関東軍、兵学校に1~数個ずつ計114個も配備され、数年後には追加調達もされた)という類似兵器を開発しているが、これらは完全な人力である。

ベルギーの旗 ベルギー

  • T-15軽戦車 - ベルギーが、ヴィッカース・アームストロング社の輸出用戦車である、「ヴィッカース=カーデン・ロイド M1934 軽戦車」(Mk.III 軽戦車がベース)をベースに、オチキス 13.2mm重機関銃砲塔を搭載して、開発した軽戦車(実質は豆戦車)。重量3.8 t。42両が量産された。

ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦

ソビエト連邦は、1920年代に、カーデン・ロイド豆戦車の系統とは異なる、独自の豆戦車(超軽戦車)を開発していたことで知られている。しかし、巧くいかず、結局、輸入したカーデン・ロイド Mk.VI 豆戦車を参考に、T-27を開発・量産している。
  • T-17
  • T-20
  • T-21
  • T-22
  • T-23
  • T-25
  • T-27
  • T-33 - 軽量軽武装な水陸両用戦車も実質的には豆戦車と言える。
  • T-37 - 軽量軽武装な水陸両用戦車も実質的には豆戦車と言える。
  • T-38 - 軽量軽武装な水陸両用戦車も実質的には豆戦車と言える。
  • PPG
  • アントノフ A-40 - 軽量軽武装な空挺戦車も実質的には豆戦車と言える。

アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国

  • フォード3トン戦車
  • カニンガム T-1 豆戦車 - 1928年にカニンガム社で開発された豆戦車。転輪は4つしかない。エンジンは42馬力、武装は7.62 mmの機銃のみだった。テストの結果、軽戦車より優れた点も無いためにこれ以上の進展はなかった。

チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア

MU-4
  • MU-2 - 1931年にシュコダ社が開発した砲塔付き豆戦車。7.92 mm機関銃 1挺装備。装甲厚5.5 mm。最大速度48 km/h。不採用。
  • MU-4 - 1933年にシュコダ社が開発した無砲塔豆戦車。ZB26 7.92 mm 軽機関銃 2挺装備。装甲厚4 - 10 mm。最大速度40.2 km/h。競作でČKD社のvz.33豆戦車に敗れ、不採用。
    • T-32(Š-I-D) - ユーゴスラビア王国軍の要求に応えて、MU-4を基にシュコダ社によって1936年に開発された、無砲塔(固定戦闘室)型式の駆逐豆戦車。ユーゴスラビア軍での名称は「T-32」。Š-I-D - Šはシュコダ社製を表し、Iはローマ数字の1で最軽量車両カテゴリー(タンケッテ)を表し、Dは「dělový(大砲=大口径砲搭載)」を表した。「A3J 37 mm対戦車砲」を装備。装甲厚5~22 mm。製造数8輌のみ(内4輌は非武装の純訓練用)。主に訓練・偵察に使用された。武装した4輌はベオグラードの南でドイツ軍と戦って破壊され、非武装の4輌はドイツ軍に鹵獲されて「Pz. Kpfw. 732(j)」の型式名を与えられて、訓練に使用された。なお、Š-I-dは1935年に開発された試作車(プロトタイプ)で、これの改良型(量産車)がŠ-I-Dである。Š-I-dは上部支持輪が3個、転輪が4個なのに対し、Š-I-Dは上部支持輪が4個、転輪が4個+履帯のテンション調整用の転輪が1個と、車輪が追加されている。
  • MU-6 - 1931年から1932年にかけてシュコダ社が開発した砲塔付き豆戦車(突撃砲)。全長3.84 m、全幅1.87 m、全高1.93 mという小型車体に、7.92 mm vz.26 重機関銃×3と、中戦車並みのシュコダ A2 47 mm 試作戦車砲装備の旋回砲塔を搭載。重量を3トンに抑えるため、装甲厚はわずか4-5.5 mmで、防御力がほぼ皆無なため、不採用。55 hp/2,700 rpmの水冷直列6気筒ガソリンエンジンを搭載。最大速度41 km/h。航続距離150 km。乗員4名。プロトタイプ1両のみ製造。[1]
    • PUV-6 - 1933年から1934年にかけてシュコダ社が開発した対戦車・対空 豆自走砲。MU-6の派生車両。MU-6のシャーシに、7.92 mm vz.26 重機関銃×2と、全周旋回可能な、シュコダ 71口径4 cm Z-1 試作 対戦車・対空 両用砲(60発)を搭載。メーベルワーゲンのように、砲を囲む前面と側面の装甲板が倒れて、プラットフォームとなる。1934年11月7日の試験で、車体が小型軽量過ぎて、発砲時の砲身の揺動が大きく、命中率が悪かったので、不採用。全長3.82 m、全幅1.865 m、全高0.85 m、重量4.5トン。エンジンと出力はMU-6と同じ。乗員6名。プロトタイプ1両のみ製造。[2][3]
  • vz.33豆戦車 -1933年にシュコダ社のライバルであるČKD(チェーカーデー、チェコダ)社が開発し、制式採用された無砲塔豆戦車。
  • AH-IV
    • R-1 - ČKD社が開発した豆戦車。AH-IVの改良型で、1938年ルーマニアに35輌が輸出された。ルーマニアではマラクサ工場で382輌をライセンス生産する計画であったが、1輌(R-1a)しか完成しなかった。
    • Strv. m/37 - ČKD社が開発した豆戦車。AH-IVの改良型。スウェーデン向け。

大日本帝国の旗 大日本帝国

ポーランドの旗 ポーランド

参考文献

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  • 斎木伸生「二流陸軍の主力戦車「タンケッテ」おもしろメカ読本」『』2001年6月号 No.662、潮書房、pp.127-141。

関連項目

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  • 豆自動車 - 類似語。児童用の遊具を指す場合もある。遊具としての豆自動車にはターレットトラックのように駆動輪の向きをハンドルで回す電動車と、低年齢児の乗る足漕ぎの物がある。大正時代から存在する用語。