日本カーバイド工業

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日本カーバイド工業株式会社
Nippon Carbide Industries Co., Inc.
種類 株式会社
市場情報
大証1部(廃止) 4064
2013年7月12日上場廃止
略称 NCI
本社所在地 日本の旗 日本
108-8466
東京都港区港南二丁目16番2号
設立 1935年10月8日
業種 化学
法人番号 6010401038624 ウィキデータを編集
事業内容 電子・機能製品事業、フィルム・シート製品事業、建材関連事業、エンジニアリング事業
代表者 代表取締役社長兼社長執行役員 杉山孝久
代表取締役 芹沢洋
資本金 74億796万6937円
発行済株式総数 879万2,529株
売上高 単体314億円、連結422億円
(2021年3月期)
営業利益 連結23億円
(2021年3月期)
純利益 連結24億円
(2021年3月期)
純資産 連結285億円
(2021年3月期)
総資産 連結639億円
(2021年3月期)
従業員数 単体476名、連結3,574名
(2021年3月末現在)
決算期 3月31日
会計監査人 有限責任監査法人トーマツ
主要株主 AGC株式会社(9.54)
デンカ株式会社(5.01%)
株式会社三菱UFJ銀行(4.07%)
主要子会社 ビニフレーム工業株式会社、株式会社三和ケミカル、株式会社北陸セラミック、ダイヤモンドエンジニアリング株式会社、恩希愛(杭州)薄膜有限公司、NIPPON CARBIDE INDUSTRIES(USA) INC.、 NIPPON CARBIDE INDUSTRIES(South Carolina) INC.、NIPPON CARBIDE INDIA PVT. LTD.、PT ALVINY INDONESIA、ELECTRO-CERAMICS(THAILAND) CO.,LTD.、THAI DECAL CO.,LTD.、NCI(VIETNAM) CO.,LTD.、NIPPON CARBIDE INDUSTRIA DO BRASIL LTDA.、NIPPON CARBIDE INDUSTRIES(NETHERLANDS) B.V.、NIPPON CARBIDE INDUSTRIES FRANCE S.A.S.、NIPPON CARBIDE INDUSTRIES ESPANA S.A.
外部リンク https://www.carbide.co.jp/
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日本カーバイド工業株式会社(にっぽんカーバイドこうぎょう)は、東京都港区に本社を置く日本化学メーカー

概要[編集]

カーバイドとは炭素と金属元素の化合物のこと。石灰岩から得られる生石灰とコークス(炭素)を高温で熱して生成する。良質な石灰岩を安定的に調達でき、また生成に必要なエネルギーを豊富な水資源による水力発電から得られる富山県魚津市で、1935年に創業。当時、カーバイドを原料とするアセチレン誘導工業は化学工業の最先端だった。

その後、化学工業の発展とともに事業内容を拡げ、現在ではコア技術であるセラミックス焼成技術、樹脂重合技術、フィルム・シート技術を軸に、機能化学品、機能樹脂、電子素材、フィルム、ステッカー、再帰反射シートなどの製造・販売を行っている。

東京都に本社、大阪市に支店、富山県魚津市滑川市に工場、京都府に製造所、富山県滑川市に研究開発センターを置く。

現在、普及している人造イクラの製法は、医薬品用カプセルを開発中に偶然発見したものである。(現在は製造していない。)

魚津工場には、2000年代まで石炭炉が存在しており、同工場のシンボル的施設で、周辺からはどこからでもよく見えたという[1]

沿革[編集]

1958年(昭和33年)当時の日本カーバイド工業株式会社魚津工場
1958年(昭和33年)当時の日本カーバイド株式会社魚津工場周辺の地図。工場内において専用線が環状になっているのが確認できる
  • 1935年10月8日 - 国産肥料株式会社(1912年に日本電気工業として創業)、東洋窒素、日本海電気の3社間での合併の仮契約がなされ、会社設立[1](資本金83万7500円)。本店を富山県下新川郡道下村(現・魚津市)本新751番地に設置。
  • 1936年1月 - 国産肥料を合弁し、2月1日に国産肥料の工場で操業開始。当時はカーバイドと石灰窒素の製造を行っていた[1]
  • 1938年 - 上記の工場を魚津工場と呼ぶようになる[1]
  • 1940年
    • 1月 - 本店を東京に移転。
    • 6月 - 私立日本カーバイド青年学校を工員倶楽部を仮校舎として開校[2][注 1]
  • 1943年10月30日 - 魚津工場の合成ゴム製造部門が陸海軍の共同管理工場となる[2]
  • 1944年
  • 1945年8月15日 - 終戦に伴い軍需会社の指定を解除。同時に青年学校も閉校[3]。後に計画していた井波工場の建設も中止となる[4]
  • 1946年10月 - GHQの指令により魚津工場の合成ゴム工場が中間賠償工場に指定されるが、同年11月に轉換操業の継続の許可を受ける[5]
  • 1948年5月 - 魚津工場が、魚津駅引込み線を以て工場を囲む環状線を完成させる[6]
  • 1949年5月 - 東京証券取引所株式上場
  • 1952年4月 - 通産省令により中間賠償工場の指定解除[5]
  • 1959年6月 - 早月(はやつき)工場が操業開始。
  • 1990年5月14日 - ふるさと創生事業を活用し、蜃気楼発生装置を開発[7]
  • 1994年 - 魚津工場の魚津駅専用鉄道を廃線[8]
  • 2000年10月 - 社会人バレーボールV1リーグ男子チーム(NCI)廃部。
  • 2016年 - 早月工場内に研究開発センター/魚津・早月工場総合事務所を竣工し(業務開始は翌年初)、栃木県佐野市神奈川県平塚市にあった研究開発拠点を集約するとともに魚津・早月工場の生産技術部門、管理部門、本社知的財産部門も同所に移転。

事業所[編集]

日本カーバイド工業引込み線跡(現在線路は撤去)にはカーバイドの原料である石灰石が多く落ちていた。

関連会社[編集]

海外の事業所・関連会社[編集]

社史[編集]

  • 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ なお、校舎は1942年3月30日に、講堂は同年4月30日に完成している。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 『図説 魚津・黒部・下新川の歴史』(2000年6月28日、郷土出版社発行)212 - 213ページ『県東部の化学工業の中心』より。
  2. ^ a b c d 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)58ページ
  3. ^ 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)58、59ページ
  4. ^ 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)294ページ
  5. ^ a b 日本カーバイド工業株式會社二十年史(1958年2月15日発行)64ページ
  6. ^ 草卓人、『富山廃線紀行』、2008年(平成20年)8月、桂書房
  7. ^ 『目で見る 魚津・黒部・下新川の100年』(1993年7月24日、郷土出版社発行)164頁。
  8. ^ 魚津市史 続巻 現代編(魚津市教育委員会 2012年(平成24年)3月31日発行)163ページ

外部リンク[編集]