陸軍戸山学校

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陸軍戸山学校(りくぐんとやまがっこう)は、現在の東京都新宿区戸山(都立戸山公園およびその周辺)にあった日本陸軍軍学校(実施学校)である。歩兵戦技射撃銃剣術剣術など)、歩兵部隊戦術体育軍楽の教官育成と研究を行っていた。

歩兵戦技・体育の教官育成と研究については現在の自衛隊体育学校に、軍楽については陸上自衛隊中央音楽隊教育科に、それぞれ相当する機関である。

概要

1873年(明治6年)6月、旧尾張藩下屋敷跡に陸軍兵学寮戸山出張所が設置され、上下士官の訓練事務を始めた。翌年2月、戸山学校と改称した。射撃銃剣術、体操、攻守戦法、操練、諸勤務、ラッパを教授した。

1887年(明治20年)10月、監軍部に隷属した。1888年(明治21年)、馬場先門外の軍楽基本隊を隷下とし、同隊は1891年(明治24年)に戸山学校内へ移転した。

1912年(大正元年)9月1日、戦術科、射撃科、教導大隊を分離し陸軍歩兵学校を設け、戸山学校は体操科(剣術)、軍楽生徒隊を統括した。1939年(昭和14年)から射撃術の教育研究を担当。

兵科中尉少尉下士官を対象とする甲種学生には、体操、剣術、銃剣術などの訓練を行った。乙種学生は各隊のラッパ長が対象で、ラッパ譜の訓練を実施。軍楽生徒は、軍楽部を志す者から選抜し教育した。

この学校で、旧日本陸軍の射撃、銃剣術、短剣術、軍刀術(両手軍刀術片手軍刀術)などの歩兵戦技が制定された。当初はフランス陸軍から教官を招聘し、フェンシングとフランス式銃剣術を訓練していたが、後に日本式の軍刀術と銃剣術に改めた。これらは太平洋戦争後、銃剣術・短剣術は競技武道の銃剣道短剣道となり、陸上自衛隊でも訓練されている。この他、軍刀操法も研究されていたが、これは居合道流派の戸山流となって、現在は民間団体で稽古されている。

卒業生には團伊玖磨芥川也寸志等がいる。

沿革

  • 1873年(明治6年)6月 - 陸軍兵学寮戸山出張所を設置。
  • 1874年(明治7年)2月4日 - 陸軍兵学寮戸山出張所を戸山学校と改称。
  • 1887年(明治20年)10月19日 - 監軍部に隷属。
  • 1912年(大正元年)9月1日[1] - 陸軍歩兵学校が分離独立。
  • 1945年(昭和20年)9月10日 - 閉校

歴代校長

脚注

  1. ^ 『官報』第31号、大正元年9月4日。

参考文献

  • 鵜沢尚信『陸軍戸山学校略史』私家版、1969年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操・森松俊夫編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。
  • 原剛・安岡昭男編『日本陸海軍事典コンパクト版(上)』新人物往来社、2003年。

関連項目