自由の女神像

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パリの自由の女神像
ファイル:Statue of Liberty New York Las Vegas.jpg
ラスベガスの自由の女神像
東京の自由の女神像
ファイル:The Statue of Liberty in Momoisi-Oirase Aomori Japan.jpg
おいらせ町の自由の女神像

自由の女神像(じゆうのめがみぞう、英語:Statue of Liberty、フランス語:Statue de la Liberté)は、ローマ神話の自由の女神リベルタスをかたどった立像。

アメリカ合衆国ニューヨーク州にあるものが最も有名であるが、パリや像の作者フレデリク・バルトルディの故郷コルマールをはじめ、ポワチエサン=テティエンヌアングレームボルドーなどを含めフランス各地に点在している。

アメリカでは各地の博物館にもレプリカが収蔵されているほか、各地の広場にも自由の記念碑として女神像が建てられている。日本では東京青森県おいらせ町にレプリカが存在する。世界各地のテーマパークや遊園地にもアメリカの象徴物として自由の女神像のミニチュアが設置されているほか、商店やホテルの看板として使われている自由の女神像は枚挙に暇がない。

ニューヨークの自由の女神像

ニューヨークにある自由の女神像は、アメリカ合衆国の独立100周年を記念してフランスより贈呈され、1886年に完成した。アメリカ合衆国の自由と民主主義の象徴であるとともに、世界各地からやってくる移民にとって、新天地の象徴ともなっている。

ヨーロッパのレプリカ

フランス

パリ

フランスのパリにある自由の女神像は、フランスがアメリカに自由の女神像を送ったことの返礼として、パリに住むアメリカ人たちがフランス革命100周年を記念して贈ったものである。セーヌ川グルネル橋のたもとに位置し、高さは11.5メートル、重さは14トンと、ニューヨークにあるものより小さめである。1889年11月5日に除幕式が行われた。同じくバルトルディの設計によるもので、除幕も彼の手によって行われた。左腕に抱える銘板には、フランス革命のきっかけとなったバスティーユ牢獄襲撃が起こった1789年7月14日の日付が刻まれている。

また、パリ市内のリュクサンブール公園にも、さらに一回り小さな自由の女神像が置かれている。ニューヨークの彫像の準備作業のために作られたもので、1900年にリュクサンブール博物館に寄贈され、1906年にリュクサンブール公園内に設置された。

アメリカのレプリカ

アメリカ合衆国

ラスベガス

ラスベガスニューヨーク・ニューヨークホテルの正面には2分の1サイズのレプリカが置かれている。その他小さなものはラスベガス市内だけでも多数存在する。

アジア のレプリカ

日本

東京

東京お台場には、パリの自由の女神像が、日本におけるフランス年事業の一環として1998年4月29日から1999年5月9日まで設置されていた。この事業に関しては、1998年4月28日に点火式が行われ、フランスのジャック・シラク大統領、橋本龍太郎首相(当時)などが参加した。この事業が好評を博したため、その後、フランス政府からレプリカの制作が認められフランスのクーベルタン鋳造所にて複製されたブロンズ製のレプリカが2000年に設置された。このフランス政府公認のレプリカは「台場の女神」という別名で呼ばれることも多い(座標)。

おいらせ町

青森県上北郡おいらせ町のいちょう公園にある。1990年12月28日に完成した。ニューヨークと同緯度であることから、北緯40度40分の「4」の数字にこだわり、本家の4分の1の大きさで建立。材質はFRP(繊維強化プラスチック)製である。高さは本体11.5メートル、台座9.3メートルで合わせて20.8メートル。夜間はライトアップされる。自由の女神像は合併前の百石町(ももいし)にちなんで地元の人からは「ももちゃん」の愛称で親しまれている。制作費は竹下登内閣時代のふるさと創生資金によるもの。

函館市

北海道函館市元町の二十間坂にある水産業者マルキタ北村水産元町店が、 2010年6月6日に突然店頭に設置した像。高さ6.3mで、材質は強化プラスチック製。

元町店の一帯は、周囲に函館山ロープウェイハリストス正教会カトリック元町教会などの観光名所があり、函館市都市景観条例によって都市景観形成地域に指定されている風光明媚な地区である。そのため、景観と自由の女神像が調和していないとして、住民が撤去を要求したほか、市に地元町会などから6件の撤去や是正を求める要望書が提出された[1]。 函館市が撤去を指導し、2010年8月19日に一旦撤去されたが[2]、2011年2月28日に再び設置された。マルキタ北村水産側は、再設置について「理由やいつまで置くかは話せない」とし、コメントを拒否した [3]

関連項目

脚注・出典

  1. ^ “自由の女神:観光地に出現、景観論争に 函館”. 毎日新聞. (2010年6月20日). オリジナルの2010年6月23日時点におけるアーカイブ。. http://web.archive.org/web/20100623012022/http://mainichi.jp/select/today/news/20100620k0000e040009000c.html? 2012年1月24日閲覧。 
  2. ^ “函館の自由の女神像を撤去 突如出現から2カ月”. 47NEWS. (2010年8月19日). http://www.47news.jp/CN/201008/CN2010081901000717.html 2012年1月22日閲覧。 
  3. ^ ハコダテ150+ (2011年2月28日). “二十間坂に女神像が再び立つ。”. 2012年1月22日閲覧。

外部リンク