絵馬

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絵馬(厳島神社)

絵馬(えま)は、神社寺院に祈願するとき、および祈願した願いが叶ってその謝礼をするときに寺社に奉納する、絵が描かれた木の板である。

個人で奉納する絵馬として、小型でなどの絵が描かれて、余白や裏面に祈願の内容や氏名などを書くものが、寺社で販売されている。大人数で奉納する絵馬は、大型で、画家に描かせるなどして奉納者が用意することもある。小型の物については五角形(家型)の物が多いが、これはかつて、板の上に屋根をつけていた名残である。

歴史

小型の絵馬を掛ける絵馬掛(岡寺
絵馬堂(気比神宮

奈良時代の『続日本紀』には、神の乗り物としての馬、神馬(しんめ、じんめ)を奉納していたことが記されている。しかし、馬は高価でなかなか献納できず、また、献納された寺社の側でも馬の世話をするのが大変である。そのため、馬を奉納できない者は次第に木や紙、土で作った馬の像で代用するようになり、平安時代から板に描いた馬の絵で代えられるようになった。

さらに、室町時代になると馬だけでなく様々な絵が描かれるようになった。初期の作として、例えばを使いとする稲荷神社では狐の絵が描かれている所もある。また他にも、三十六歌仙肖像武者絵、祈願の対象である文殊菩薩を描いた例などが知られる。

安土桃山時代になると、狩野派長谷川派海北派など著名な絵師による本格的な絵馬が持て囃され、それらを展示する絵馬堂も建てられた。絵馬堂は今日で言えば美術館のような役割を果たし、絵師たちは自分の画技を競い合い、その絵のイメージは人々の間で共有され、また新たな作品を生み出す原動力となった。

江戸時代になると、家内安全や商売繁盛といった実利的な願いをかける風習が庶民にも広まり、今日のように個人が小さな絵馬を奉納する形は、江戸時代に始まったものである。眼病予防に「め」および左右逆の「め」を書いた絵馬や、夫の浮気防止に「心」の字に鍵をかけた絵を描いた絵馬もある。和算家は、自分が解いた問題の解法を書いた算額という絵馬を奉納し、日本武術では剣術柔術などで薙刀など木刀棒術を門人の一覧に付した絵馬を奉納した。

明治時代以降、多人数で奉納する大型の絵馬について、「伊勢神宮参拝記念」「戦勝祈念」(明治時代~敗戦まで)「厄除け祈願」「子供(特に男子)の誕生を記念して」「干支」などの様々なバリエーションが生まれた。

昭和時代からは、学問の神様である天神として菅原道真を祀った天満宮(福岡県太宰府市など)に受験生が合格祈願の絵馬を奉納することが盛んになった。白蛇などの縁起物の動物や、祭りの風景など馬とは関係ない絵馬も多く作られ、神社、寺院毎の縁起物として珍重され、これは神社、寺院巡りをした際のお守りとしても持て囃されている。

2006年頃から、プライバシー保護の観点から、絵馬に書かれた願い事や住所・氏名の部分にステッカーが貼れる絵馬もある。

いろいろな絵馬

関連項目

外部リンク

  • シブサワ商店:神社、寺院向けに絵馬などを発売。一般人の購入は不可