紀元前383年

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紀元前383年(きげんぜん383ねん)は、ローマ暦の年である。

当時は、「ポプリコラ、カピトリヌス、ルフス、フラウウス、マメルキヌス、トレボニウスが執政武官に就任した年」として知られていた(もしくは、それほど使われてはいないが、ローマ建国紀元371年)。紀年法として西暦(キリスト紀元)がヨーロッパで広く普及した中世時代初期以降、この年は紀元前383年と表記されるのが一般的となった。

他の紀年法[編集]

できごと[編集]

ギリシア[編集]

  • マケドニア王アミュンタス3世カルキディア同盟 (Chalkidian League) と一時的な連合を結んだ。ギリシアを群雄割拠のままにしておきたいスパルタは、遠征軍を北へ派遣し、マケドニアの東に位置する、カルキディケー半島(現在のハルキディキ県周辺)の諸都市の連邦国家であった、カルキディア同盟に介入した。
  • スパルタの指揮官ポイビダスは、進軍のためにボイオーティアを通りかかったところで、テーバイの内紛に乗じて軍勢とともに市内に入った。ひとたび市内に入ると、スパルタ勢はテーバイの城塞であるカドメア (Cadmea) を占拠し、反スパルタ派の市民を町から追い出した。テーバイの政権は、親スパルタ派が握り、カドメアを拠点としたスパルタ守備隊がこれを背後で支えた。テーバイの指導者だった者たちの多くが、亡命に追い込まれた。エパメイノンダスは、反スパルタ派と繋がっていたものの、追放は免れた。

中国[編集]

  • 軍を兔台で破った。

天文学[編集]

宗教[編集]

誕生[編集]

死去[編集]

脚注[編集]

注釈

出典

関連項目[編集]