孝公 (晋)

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孝公 姫頎
公(周制における爵位は侯)
王朝
在位期間 紀元前389年 - 紀元前357年頃(『史記六国年表では、紀元前393年 - 紀元前378年
都城 新絳
屯留
端氏
姓・諱 姫頎(姫傾)
諡号 孝公
桓公
烈公

孝公[1](こうこう、生没年不詳)は、中国戦国時代の君主。姓は姫、名は頎[2]

生涯[編集]

晋の烈公の子として生まれた。紀元前389年、烈公が死去すると、後を嗣いで孝公が晋公として即位した[3]紀元前369年成侯共侯が孝公を屯留に移した[4]紀元前359年、趙・韓・魏が晋の領土を分割し、孝公を端氏に封じた[5]。紀元前357年頃、孝公は死去し、子の静公が晋公として即位した[3]

脚注[編集]

  1. ^ 史記』晋世家および六国年表による。『史記索隠』晋世家所引『竹書紀年』は、桓公とする。
  2. ^ 『史記』晋世家による。同書六国年表や『史記索隠』晋世家所引『世本』は孝公の名を傾とする。
  3. ^ a b 『史記』晋世家
  4. ^ 『史記索隠』晋世家所引『竹書紀年』
  5. ^ 『史記』趙世家
先代
烈公
君主
前389年 - 前357年頃
次代
静公