竹田五郎
竹田 五郎 | |
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竹田五郎。1980年。 | |
生誕 |
1921年 日本 福岡県 |
所属組織 |
大日本帝国陸軍警察予備隊 保安隊 航空自衛隊 |
軍歴 |
1941-1945(日本陸軍) 1951-1981(空自) |
最終階級 |
陸軍大尉(日本陸軍) 統合幕僚会議議長たる空将(空自) |
除隊後 | 軍事評論家 |
竹田 五郎(たけだ ごろう、1921年(大正10年) - )は、日本の陸軍軍人、航空自衛官、軍事評論家。最終階級は陸軍では陸軍大尉、航空自衛隊では統合幕僚会議議長たる空将。
略歴
陸軍時代は当初は軽爆撃機搭乗員であり、飛行第90戦隊にて九九式双発軽爆撃機をもって日中戦争(中国戦線)に従軍[1]。太平洋戦争後期には飛行分科を戦闘に転科。戦闘機操縦者として飛行第244戦隊に配属され、三式戦闘機「飛燕」・四式戦闘機「疾風」・五式戦闘機(キ100)を愛機とし、本土防空戦に従軍し陸軍大尉で終戦を迎えた。
戦後一時期は民間に就労するが、警察予備隊創設によりこれに入隊、引き続き保安隊を経て航空自衛隊に勤務する[1]。第6航空団司令・南西航空混成団司令等の要職を歴任し、1976年(昭和51年)のベレンコ中尉亡命事件の際は北部航空方面隊司令官として対応[1]。航空総隊司令官を経た1978年(昭和53年)には第14代航空幕僚長に就任し、さらに翌1979年(昭和54年)には第12代統合幕僚会議議長となる。
1981年(昭和56年)、統幕議長在任中において、雑誌記事(月刊誌宝石3月号)にて「徴兵制を違憲とする政府統一見解」及び「防衛費GNP比1%枠」の二点に異を唱え専守防衛政策を批判した。これに対し社会党は衆議院予算委員会において竹田の懲戒免職を要求、同委員会は紛糾した[2]。大村襄治防衛庁長官が竹田を戒告処分とし、これを受けて責任を取る形で同年2月16日付で退官[3] (ちなみに2代前の栗栖弘臣も、有名な「超法規行動」発言が原因でやはり解任されている)。民間では軍事評論家となる。
保守系日刊紙『世界日報』のコラム「ビューポイント」の常連寄稿者の一人である。
略歴
- 1939年(昭和14年):福岡県中学修猷館卒業
- 1941年(昭和16年)7月:陸軍士官学校卒業(55期)
- 1944年(昭和19年):戦闘へ転科。飛行第244戦隊配属
- 1951年(昭和26年):警察予備隊入隊
- 1952年(昭和27年):保安隊航空学校入校
- 1958年(昭和33年)9月:第1航空団第1飛行隊長
- 1971年(昭和46年)2月:第6航空団司令
- 1974年(昭和49年)5月:南西航空混成団司令
- 1975年(昭和50年)7月:北部航空方面隊司令官
- 1976年(昭和51年)12月:航空総隊司令官
- 1978年(昭和53年)3月:第14代航空幕僚長
- 1979年(昭和54年)8月:第12代統合幕僚会議議長
- 1981年(昭和56年)2月:退官
栄典
- リージョン・オブ・メリット・コマンダー:1978年(昭和53年)10月19日
- リージョン・オブ・メリット・コマンダー:1980年(昭和55年)5月20日
- 勲二等瑞宝章
脚注
- ^ a b c d インタビュー 元陸軍大尉 竹田五郎、菊池征男、歴史群像 2006年6月号、学習研究社
- ^ 第094回国会 予算委員会 第2号 昭和五十六年二月二日(月曜日)
- ^ 衆議院予算委員会で、竹田五郎を懲戒免職にするように要求していた社会党の大出俊に対し、当時防衛庁官房長であった佐々淳行は以下のように応酬した。(佐々淳行『私を通りすぎた政治家たち』(文藝春秋、2014年)より、原文のまま)
私は「大出先生、学徒動員の陸軍少尉でいらっしゃいますよね。たしか高射砲隊にいらしたとうかがっていますが」と切り出した。
「そうだ。オレは帝都防衛の高射砲隊にいた」 大出氏は、何を言い出すんだと怪訝な顔をしている。 「一生懸命B29を落とそうとして戦っておられたと承知しておりますけれど」 「そうだよ。首都防衛でB29を撃ち落そうとしていたんだ」 「先生が懲戒免職にせよとおっしゃっている竹田五郎さんは、実は陸軍航空隊の大尉でございまして、四式戦の疾風に乗っておりました」 疾風は大戦後半に投入された陸軍の最新鋭戦闘機で、最優秀とも評価される高性能機である。 「竹田さんは疾風の搭乗員として、東京でB29の邀撃戦をやって一機撃墜してるんでるよ。でも自分も被弾して、三鷹あたりの桑畑に不時着して助かってるんです」 「ああ、そうか」 「大出先生、一機でも落としました?」
「いや、当たらないもんなんだよな、あれは。一機も落としていない」その後、社会党は、竹田を退職金や年金が受け取れない懲戒免職ではなく、防衛庁長官からの厳重戒告を受けた依願免職という形で決着させることを約束した。