石川 (藤沢市)

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日本 > 神奈川県 > 藤沢市 > 石川
石川
石川コミュニティセンター
石川コミュニティセンター
石川の位置(神奈川県内)
石川
石川
北緯35度22分37.08秒 東経139度27分9.92秒 / 北緯35.3769667度 東経139.4527556度 / 35.3769667; 139.4527556
日本
都道府県 神奈川県
市町村 藤沢市
地区 六会地区、湘南大庭地区、湘南台地区、遠藤地区[1]
面積
 • 合計 2.952 km2
人口
2015年(平成27年)2月1日現在)[2]
 • 合計 17,809人
 • 密度 6,000人/km2
等時帯 UTC+9 (JST)
郵便番号
252-0815[3]
市外局番 0466(藤沢MA)
ナンバープレート 湘南
※座標は石川コミュニティセンター 付近

石川(いしかわ)は、神奈川県藤沢市町丁大字。一丁目から六丁目までと、住居表示されない地番表示地域が混在する。郵便番号は252-0815。当地域の人口は17809人[注 1]

地理

地図外部リンク
石川の範囲 北東部に飛び地がある。
引地川(石川橋付近)
県道43号 五丁目付近から南方向

藤沢市のほぼ中央に位置する。南部の大庭より続く引地川沿いの低地と、北部の桐原町遠藤に挟まれた引地川支流と県道43号沿いの相模野台地からなる地域である。南西部は湘南ライフタウンの一部となっている。

南北に縦断する県道43号は主要地方道であり、藤沢市中心部と県央部を結んでいる事から交通量が多く、商業施設も多い。その一方、県道43号周辺以外は湘南ライフタウンや善行団地などと接することもあり区画整理された住宅地が広がる。

北部は近隣地区の大型工場・工業団地と接するため[注 2]工場や倉庫などが多く見られる。藤沢市北部の中心である湘南台に近い事もあり、施設名に湘南台の名を掲げる例が多い。

開発が進む一方で、石川丸山谷戸には野生のホタルが見られ、貴重な里山として神奈川県の里地里山保全等地域に認定されている[4]

なお、北東部の桐原町内に飛び地がある。

行政地区

藤沢市の13の行政地区の区分けでは、市内最多の4地区に分けられている[5]

  • 湘南大庭地区 - 湘南ライフタウンの一部
  • 六会地区 - 一〜四丁目、及び住所表示未実施地域の一部
  • 湘南台地区 - 住所表示未実施地域の一部
  • 遠藤地区 - 五〜六丁目、及び住所表示未実施地域の一部

含まれる地域

  • 石川一丁目 - 六丁目
  • 石川

かつて石川に含まれた地域に関しては後述。

河川

地価

  • 2014年(平成26年)7月1日の公示地価[6]
    • 163,000(円/m2) - 神奈川県藤沢市石川五丁目3番6
  • 2014年(平成26年)1月1日の公示地価[6]
    • 164,000(円/m2) - 神奈川県藤沢市石川五丁目25番35外
    • 152,000(円/m2) - 神奈川県藤沢市石川三丁目8番15外

歴史

正保年間の相模国高座郡石川村周辺(拡大)。右側が北。
新編相模国風土記稿 第3輯大住・愛甲・高座郡 正保改定図より抜粋。

北部第二土地区画整理事業によって南鍛冶山遺跡が発掘調査され、石川には旧石器時代から人々の営みがあった事が明らかになっている[7]。南鍛冶山遺跡からは縄文・古墳・奈良・平安・中近世までの遺跡・遺構が発見されている。

古くは「石河」「石志加皮」とも表記された[8]

平安から鎌倉時代にかけて南に隣接する大庭郷を中心とした荘園、大庭御厨が成立しているが、北端とされる「大牧崎」が現在のどの地域をさすかが不明なため、石川が大庭御厨に含まれていたかどうかは定かではない。

鎌倉時代御家人で、後に浄土宗開祖の法然に帰依した道弁相模国大庭御厨石川郷の出身と伝わる(ただし一説によれば彼は隣の渋谷荘を治める渋谷氏出身で、石川郷も渋谷荘であったという)。

戦国時代には石川六人衆(西山土佐、内島和泉・佐川図書・田城加賀・市川越後・伊沢伊織)と呼ばれる豪族がこの地に勢力を伸ばした[8]。南西部に位置する佐波神社は彼らによって勧請されたと伝えられる[9]。現在、彼らの名前は一部の地名や施設名に名残を残す(伊澤稲荷神社など)。

豊臣秀吉による小田原征伐の際に隣の遠藤村の寺に出された制札には「シホヤノ庄[注 3]石川之郷」との表記が見える[10]

江戸時代旗本の中根貞重が200石を与えられて以来、中根氏による知行が続いた[11]

廃藩置県後は、周辺の5村と合併し六会村となる。「六会」の由来はこのときの6村による6ヶ村組合から。

戦後は藤沢市に合併し、開発によって発展・住宅地化し、以前の田畑が広がる風景は想像しにくくなりつつある。

地名の由来

全国各地にある石を流す川、小石混じりの川周辺の地形をさす。引地川が相模野台地を削って出来た石の多い地形をさすと考えられる。

沿革

  • 正嘉1年(1257年) - 決答授手印疑問鈔在阿道弁を訪ねた先として「石河ノ里」と記される[12]
  • 13世紀後半 - 14世紀前半頃 - 道弁の紹介として「石河ノ里ハ者相模國澁屋郡石河七郞入道道遍也」と記される[13]
  • 永禄2年(1559年) - 小田原衆所領役帳に「(相模国)東郡石川」と記され、後北条氏の支配下にあった[10]
  • 天正18年(1590年) - 小田原征伐の際、隣村遠藤村の宝泉寺に出された制札に「シホヤノ庄石川之郷」と記される。
  • 天正19年(1591年5月 - 徳川家康より、中根貞重に相模国高座郡石川郷の200石が与えられる[11][10]
  • 寛永2年(1625年9月2日 - 中根貞重の子、貞次に鎌倉郡俣野郷と合わせて230石が与えられる[11]
  • 安永4年(1775年) - 引地川に船を通すことについて大庭村、稲荷村、石川村、円行村、羽鳥村および辻堂村より、差支えない旨江戸幕府へ書状を提出する。
  • 天保12年(1841年) - 新編相模国風土記稿に「高座郡大庭庄石川村」と記される。戸数120[10]
  • 1878年明治11年) - 大小区制の廃止と郡区町村編制法の制定によって亀井野・石川・西俣野・円行・今田・下土棚による6ヶ村組合が設立される[14]
  • 1889年(明治22年) - 町村制施行により六会村石川となる。
  • 1891年(明治23年) - 石川学校、亀井野学校、西俣野学校および亀井野学校円行分校を廃止して、高等六会小学校設立を出願し許可される。
  • 1942年(昭和17年) 3月10日 - 合併により藤沢市大字石川となる。
  • 1966年(昭和41年)- 石川、円行地区の一部が分離し、桐原町に[15]
  • 1969年(昭和44年) - 北部第二(一地区)土地区画整理事業[16]開始。(1994年まで)
  • 1971年(昭和46年) - 石川東部土地区画整理事業[17]開始(1983年まで)
  • 1980年(昭和55年) - 北部第二(二地区)土地区画整理事業[18]開始。
  • 1982年(昭和57年) - 北部第二(二地区)土地区画整理事業に伴い、南鍛冶山遺跡の発掘調査が行われる(1992年まで)
  • 1983年(昭和58年) - 石川東部土地区画整理事業完了。一部が天神町一 - 三丁目として分離。
  • 1987年(昭和62年) 11月8日 - 一部が善行団地として分離[19]
  • 2003年(平成15年) - 北部第二(二地区)土地区画整理事業終了。
  • 2009年(平成21年) 9月15日 - 石川丸山谷戸が神奈川県の里地里山保全等地域に認定される[4]

小字・小名など地名の変遷

地図外部リンク
今昔マップ on the webでみる石川の地図の変遷
1896〜1909年 明治39年測地の地図。六会村石川。
1917〜1924年 北西に横須賀水道が見える。小田急は開通前。
1944〜1954年 岡田屋敷地区の東に日大農学部が見える。藤沢市石川。
1965〜1968年 ライフタウン整備前。引地側に横浜水道が通る。
1975〜1978年 区画整理により桐原工業団地が登場。現・天神町付近も区画整理される。
1983〜1987年 北部の区画整理が完了
1992〜1995年 南部の区画整理が完了

新編相模国風土記稿に記録された小名

  • 権現村
    • 元・権現堂村といい、大庭村と接していたとされる。後述の熊野権現堂があるとされ、現在の字「権現庭」と思われる。
  • 一色谷戸
  • 北原
    • 道祖神の名に残る

過去の一時期のみ地図上で確認できる地名

  • 上ノ谷(かさのやと)[20]/ 上ガ谷(かさがやと)[21]
  • [22]
  • 原庭[22] - 自治会名に残る[23]
  • 向山田[24] - 東山田が一時期この名称で記されていた
  • 南原[22] - 自治会名に残る[23]
  • 宮下[24]

区画整理事業前の小字

これら[25]は丁目表示されない場所や、交差点名やバス停名などに今も残る。

  • 鍛冶山
  • 南鍛冶山
  • 下の根
  • 五反田
  • 一之坪
  • 矢端
  • 矢向
  • 中村
  • 一色下
  • 一色上
  • 近藤山
  • 大山
  • 田嶋屋敷
  • 中原
  • 中之塚
  • 轡が窪
  • 和泉原
  • 山田
  • 稲荷山
  • 中河内
  • 下河内
  • 権現庭
  • 天神山
  • 岡田屋敷
  • 東山田
  • 焼塚
  • 田嶋山
  • 丸山
  • 色子

なお、一部は善行団地、桐原町、天神町として分離している。

変遷表

産業

藤沢市北部の工業地帯周辺に位置するため住宅地・市街地と準工業地帯が混在する。地区の南部を中心に建築関連の企業が多く、特に大手建材メーカー・リフォームメーカーのショールームの集積が見られる。

石川地区の主な建材・リフォームショールーム

節内の全座標を示した地図 - OSM
節内の全座標を出力 - KML

交通

鉄道

当地を通る鉄道路線はない。

直線距離では小田急江ノ島線六会日大前駅が最寄りであるが、駅前へ直通するバスは地域内を運行していない(2015年現在)。実質的な最寄り駅は湘南台駅である。

2015年現在、相鉄いずみ野線延伸による新駅構想がある[32]

バス

神奈川中央交通のツインライナー。[湘25]南大山バス停に停車する。
  • バスによる輸送神奈川中央交通[33]
    • 藤34・39系統 藤沢駅北口行、湘南台駅西口行
    • 湘11系統 湘南台駅西口行、茅ヶ崎駅
    • 湘13系統 湘南台駅西口行
    • 湘15系統 湘南台駅西口行、文化体育館前行
    • 湘16系統 湘南台駅西口行(二番構保健医療センター発のみ)
    • 湘17系統 湘南台駅西口行、文教大学行
    • 湘20系統 湘南台駅西口行、綾瀬車庫行
    • 湘23・24・25系統 湘南台駅西口行、慶応大学行、慶応中高等部前行
    • 湘26系統 湘南台駅西口行(深夜バスのみ・経路は湘23と同一)
    • 湘28系統 湘南台駅西口行、慶応中高等部前行
    • 辻26系統 湘南台駅西口行、辻堂駅北口行

2015年3月現在、北部を中心に湘南台駅西口へと向かう多くの便が頻繁に運行されている。南大山バス停は連節バスによる急行も停車するなど、利便性が高い。また、県道43号線沿いからは藤沢駅北口へと向かう事も可能である。

前述の通り、バスを使って六会日大前駅へと向かうためには天神町内まで歩く必要がある。辻堂駅行きは1系統のみの運行であるが、南西部であれば大庭の湘南ライフタウン方面へ歩く事で、湘南ライフタウンと辻堂間を運行するバスを利用する事が可能である。

道路

神奈川県道43号標識
神奈川県道403号標識

橋梁

  • 横浜水道引地川水道橋
  • 石川橋
  • 秋本橋
  • 山田橋

施設

公共施設

  • 石川コミュニティセンター/六会市民センター石川分館[34]
  • 石川市民の家[35]
  • 北部環境事業所[36]
  • 藤沢北警察署石川交番[37]
  • 藤沢市消防防災訓練センター [38]
  • 石川児童館(ぼうけんじま)[39]
  • 藤沢市消防第13分団
  • 藤沢市石川ポンプ場[40]

教育機関

公園

地域内の公園

  • 一色公園
  • 矢端公園
  • 丸石公園
  • 山田公園
  • 鍛冶山公園
  • なかむら公園
  • 下の根第一公園
  • 下の根第二公園
  • 五反田公園
  • 駒寄公園

隣接する場所に位置する公園

  • 秋葉台公園 - 遠藤地区
  • 桐原公園 - 桐原町地区

スーパー・大型商業施設

名所・史跡

寺社

遺跡・遺構

  • 南鍛冶山遺跡[7] - 区画整理事業により遺構は見られない。ここから出土した人面墨書土器[45]市の指定文化財である。
  • 最勝寺(廃寺)[注 8]

自然

  • 石川丸山谷戸・ほたるの里[46]
  • 引地川・フジ史跡ロード - 石川地区はなかむら公園が該当[47]

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 2015年2月1現在、国勢調査を基準とした推計値による。藤沢市調べ
  2. ^ 桐原工業団地プレス工業藤沢工場、いすゞ自動車藤沢工場など。
  3. ^ 新編相模国風土記稿にはおそらく誤記であろうとの注釈がある。「蓋偶記ノ誤ナリ。」
  4. ^ 厳密には石川山田交差点を挟み、円行地区にある 藤沢ショールーム │ ショールーム │ クリナップ
  5. ^ 善行地区の中学校であるが住所は石川である。 - 学校名、校長名、所在地、TEL、FAX、学級数、児童・生徒数、交通 - 藤沢市立善行中学校
  6. ^ a b 店名は「湘南台」だが住所は石川。
  7. ^ a b 1970年頃の写真がリンク先で見られる。 - 公益財団法人藤沢市まちづくり協会 galleryライフタウン
  8. ^ 山号を高座山、院号を寿宝院と称す。神仏分離に伴い明治初期に廃寺。旧字中村に存在した 老友ふじさわ第35号昭和58年2月1日

出典

  1. ^ 13地区別・年齢別人口(2014年10月1日現在)|藤沢市
  2. ^ 藤沢市|藤沢市の人口と世帯数 町丁字別人口と世帯数(国勢調査を基準とした推計値)2015年(平成27年)2月より。2015年3月5日閲覧。
  3. ^ 神奈川県 > 藤沢市の郵便番号一覧 - 日本郵便
  4. ^ a b 里地里山保全等地域の選定及び里地里山活動協定の認定の状況
  5. ^ 13地区別・年齢別人口(2015年4月1日現在)|藤沢市
  6. ^ a b 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  7. ^ a b 藤沢市内の遺跡> 六会地区> 南鍛冶山遺跡 | みゆネットふじさわ
  8. ^ a b 藤沢市湘南台 | 湘南台アーカイヴ | 湘南台大好き
  9. ^ 藤沢市|藤沢市文化財ハイキングコース「石川・南鍛冶山コース」
  10. ^ a b c d e f 間宮士信 等編『新編相模国風土記稿』鳥跡蟹行社〈第3輯 大住・愛甲・高座郡〉、1888年。NDLJP:763969/423 
  11. ^ a b c 堀田正敦『寛政重脩諸家譜』林述斎ら、國民圖書〈第3輯〉、1923年。NDLJP:1082714/516 
  12. ^ 浄土宗全書 第10巻 26p 決答授手印疑問鈔 良忠
  13. ^ 浄土宗全書 第10巻 89P 授手印決答受決鈔 良心
  14. ^ 六会地区の紹介|藤沢市
  15. ^ 藤沢市文書館 市史編さん
  16. ^ 北部第二(一地区)土地区画整理事業|藤沢市
  17. ^ 石川東部土地区画整理事業|藤沢市
  18. ^ 北部第二(二地区)土地区画整理事業(市施行)|藤沢市
  19. ^ 1988年(昭和63年)3月8日自治省告示第33号「住居表示が実施された件」
  20. ^ 今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室) 1917〜1924年
  21. ^ 今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室) 1944〜1954年
  22. ^ a b c 今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室) 1944〜1954年
  23. ^ a b 平成27年度資源とごみの収集ブロック索引(自治会別・あ〜こ)|藤沢市
  24. ^ a b 今昔マップ on the web:時系列地形図閲覧サイト|埼玉大学教育学部 谷謙二(人文地理学研究室) 1927〜1939年
  25. ^ 老友ふじさわ第35号昭和58年2月1日
  26. ^ LIXIL | LIXIL藤沢水まわりショールーム
  27. ^ 藤沢ショールーム:ショールームのご案内 | TOTO
  28. ^ 藤沢ショールーム|ショールーム|トクラス
  29. ^ ショールーム 神奈川県一覧 | タカラスタンダード 「きれい」と暮らそう、高品位ホーロー。
  30. ^ リフォームのナカヤマ 藤沢ショールーム(藤沢市) | ショールーム情報
  31. ^ フレッシュハウス【お客様向け】|藤沢ショールーム | ショールーム一覧
  32. ^ いずみ野線A駅周辺まちづくり計画(案)
  33. ^ 営業所・路線図について | 路線バス | バス情報 | 利用者の皆さまへ | 神奈川中央交通 2015年3月19日閲覧。
  34. ^ 六会市民センター石川分館のご案内|藤沢市
  35. ^ 石川市民の家|藤沢市
  36. ^ 北部環境事業所|藤沢市
  37. ^ 藤沢北警察署管内の交番紹介
  38. ^ 消防防災訓練センター|藤沢市
  39. ^ 石川児童館(ぼうけんじま)|藤沢市
  40. ^ 大清水浄化センターの概要|藤沢市
  41. ^ 五反田保育園 本園TOP
  42. ^ 五反田保育園 分園TOP
  43. ^ 藤沢市の幼稚園 善行森の幼稚園 モンテッソーリ 自由 自然
  44. ^ a b c 歴史伝説のふるさとマップ むつあいの名所・旧跡ガイド 2015年3月8日閲覧
  45. ^ 藤沢電子博物館 みゆネットふじさわ 文字・顔の書かれた土器
  46. ^ 藤沢市 石川丸山谷戸 里地里山保全等地域
  47. ^ 引地川フジ史跡ロード・境川フジ水辺ロード案内|藤沢市

関連項目