流山橋
流山橋(ながれやまばし)は、千葉県流山市流山八丁目と埼玉県三郷市早稲田一丁目の間に架かる江戸川の橋。
概要
埼玉県道・千葉県道29号草加流山線及び埼玉県道・千葉県道52号越谷流山線の一部を構成している。朝夕と非常に交通量が多くひどい渋滞になる。交通量の多いわりには千葉県と埼玉県にまたがる橋が少ないことと、三郷市に大規模なららぽーと新三郷などの商業施設ができたことにより、橋の利用者が増加したことが原因と思われている。また、橋の竣工から約半世紀経っており老朽化が懸念されている。
このため、都市軸道路の一部として三郷流山橋(仮称)の架橋が計画され、流山市側では橋に繋がる道路の事業化に着手している[1]。
歴史
元は当地近辺においては小船での往来が主で、1631年(寛永8年)9月22日には幕府の許可を得て、葛飾郡丹後新田[3]の経営する「丹後の渡し」が正式に設定されていた[4]。1923年(大正12年)には丹後の渡しは流山町営となったが、当地において栄えていた舟運が衰退すると架橋の必要性が対岸の北葛飾郡早稲田村と共に浮上し、早稲田村長により1933年(昭和8年)1月、非公式に東葛飾郡流山町に打診された[4]。翌日、流山町が請願書を作成し、東葛飾郡八木村、新川村、馬橋村、小金町、柏町の調印を受け、早稲田村に提出。同年2月、架橋促進期成同盟が成立(会長は流山町長)し、4月には埼玉県杉戸土木出張所による測量が開始する。そして、12月20日の千葉県議会で満場一致で架橋を議決、翌1934年(昭和9年)3月13日には埼玉県議会でも議決し、1935年(昭和10年)4月にコンクリート製で全長388m、幅員5.5m[5]の初代流山橋が架橋された[4]。
その後、20年以上初代流山橋を使用していたが、河床の低下や橋の老朽化、車両大型化への対応、江戸川の堤防改修の関係から架け替えが検討され、1960年(昭和35年)6月に「流山橋架橋促進協議会設立準備委員会」が発足。同年7月に「流山橋架橋促進協議会」(会長:流山町長 副会長:三郷村長)が設立された。そして1961年(昭和36年)1月8日に架け替えが着工され、1965年(昭和40年)2月12日に2代目流山橋が開通した[4][6] 。
隣の橋
脚注
- ^ 新流山橋だより(旧「江戸川新橋だより」)(流山市公式サイト)
- ^ 流山橋1965-2-12 - 土木学会附属土木図書館
- ^ 丹後新田を含めた下総国の江戸川右岸は寛永年間に下総国より武蔵国に編入された。
- ^ a b c d 広報ながれやま 昭和40年2月12日 第119号
- ^ 流山橋1935-12-24 - 土木学会附属土木図書館
- ^ “盛大な渡りぞめ、流山橋の完成”. 毎日新聞 (毎日新聞社): pp. 朝刊 千葉版. (1965年2月13日)
関連項目
外部リンク
座標: 北緯35度50分44.5秒 東経139度53分27.2秒 / 北緯35.845694度 東経139.890889度