池田幸司 (歌手)

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池田 幸司
生誕 (1965-08-06) 1965年8月6日(58歳)
出身地 日本の旗 日本 岡山県
ジャンル ポップ・ミュージック
職業 歌手
シンガーソングライター
活動期間 1984年 - 1987年
レーベル キャニオンレコード
事務所 田辺エージェンシー

池田 幸司(いけだ こうじ、1965年8月6日[1][2] - )は、主に1980年代中期頃に活動していた日本の元歌手シンガーソングライター。愛称及び別名義はCOJIE(コージ)[3][1]岡山県出身[1][2]

田辺エージェンシーに所属していた[1]。所属していたレコード会社はキャニオンレコード[1]

来歴・人物

3歳から5歳まで家の仕事の都合で、長崎の母の実家で育つ[4]。小さい頃は「ポケットモンキー」とも言われたほど木登りが得意だったという[5]。5歳の時からクラシックピアノを習い始め[2](本人曰く「押し付けられて」[1])、小学6年生の時までやっていた[4]。その小学6年生の時にNHK-FMの『サウンドストリート』『軽音楽をあなたに』などを聴き始め、レオ・セイヤーの『When I Need You』を聴いて泣くなどして、それからクラシックピアノからポップスの世界へ入っていく[4]。中学入学後、13歳の時からギター弾き語りを始める[1]。クラシックピアノを辞めたのは「ビートルズがすごいと思ったから」と話していたことがある[6]かぐや姫さだまさしアリスなどのフォークソングの曲を演奏しようと、ギターを独学する[2]。少年時代は他人とは違うテクニックでの演奏を目指そうとして、毎日のようにハードロックブルースラグタイムなどの洋楽を聴きこんでいた[7][2]。そしてふと邦楽に立ち返った高校1年生の秋にアルフィーのアルバム『讃集詩』に出会って「これだ!」と思い、これがきっかけでアルフィーが自分の“理想の音楽”だとして見つけたアーティストとなった[7][2][4]

岡山県立岡山朝日高等学校に入学[3]、高校では応援団に所属していた[7]。高校入学後に自ら作曲を始める[8]。この頃はほとんどピアノで作曲していた[8]。一方でその高校生時代にニッポン放送のラジオ番組『坂崎幸之助のオールナイトニッポン』へ自分のはがきやデモテープを送り続け、まずこの番組で名が売れるようになる[1]。この番組ではアルフィーのミキサーの鈴木千春の名を借りて「岡山の千春」を名乗っていた[1][4]。そして1983年1月、地元・倉敷駅でコンサートツアー中のアルフィーのメンバーらと直接出会い、自分の音楽論や意気込みなどを直接伝える機会を得る[9]。ここで「面白い奴だ」と認められるなど[9]、このユニークさと熱意、音楽的志向の強さにアルフィーのスタッフが強く反応し、アルフィーの他のメンバーやスタッフらファミリーに紹介される[1][2]。1983年3月、坂崎幸之助から直接ラジオを通じて「上京したら番組に出してあげよう」と発せられたメッセージを受けて早速翌週に上京[4]、番組で自己PRをするなど出演させてもらえたが、そこでスタッフから“プロ修業準備期間”を与えられるような形で「これから高校卒業までの1年間で何が出来るかやってみて、それからだ」といったことを言い渡される[4]。そして岡山に帰ってさっそくビートルズの全曲のコピーを始める[4]。また一方ではピアノの特技を活かしてエルトン・ジョンのコピーや、アルフィーの曲も「誰にも負けないくらい」コピーの練習をした[8]。そして1983年8月10日に開催されたアルフィーの大阪城野外コンサートにて前座で出演し「僕が岡山の千春です!」と自己紹介、大声援の中、アルフィーの曲『ロックンロール・ナイトショー』を歌う[1][2]。そして1983年12月23日、アマチュアとしては最後となったソロコンサートを岡山ビブレホールで行い、満員約500人の観客を動員、約200が入れなかったという盛況ぶりだった[3]

高校卒業後上京、メジャーデビューに向けて「Cojie's Projectチーム」が結成される[1]1984年9月21日キャニオンレコードよりシングル『BETTY, I LOVE YOU』でメジャーデビューを果たす。このデビュー曲はビートルズの曲の『ミッシェル』、『ガール』に触発される形で製作したという[4]

その後シングル4枚、布袋寅泰らがレコーディングに参加したアルバム『BOY'S STREET←→GIRL'S AVENUE』を発表。FM愛知の番組『池田幸司のトランジスター・ムーン』が1987年9月いっぱいで終了した後、程なくして引退。

大藪春彦ハードボイルド小説や[10]片岡義男村上春樹の小説が好きで、自分でも日頃からエッセイを書き溜めていたことがあった[7]。また「三島由紀夫の生き方が好き」とも話していたことがある[11]

ディスコグラフィー

シングル

発売日 レーベル タイトル 作詞 作曲 編曲 備考
1984年9月21日 キャニオン A BETTY, I LOVE YOU 池田幸司 池田幸司 Cojie's Project オリコンチャートで残る記録は、
最高96位、登場週数2週、売上げ枚数4000枚[12]
B 君って… 池田幸司、秋元康
1985年4月 A 嘘だと言ってよステラ 池田幸司
B たった1つのLove Story 青木美恵子
1985年7月 A まかせろ!ルーシー 池田幸司
B さよならRiver side 池田幸司、青木美恵子
1986年1月21日 A ネバーランドへいこう イノ・ブランシュ 佐久間正英
B 走り出したコンバース 池田幸司 池田幸司

アルバム

BOY'S STREET←→GIRL'S AVENUE」(1985年11月21日

  1. Radioハ今夜12時ニ
    作詞・作曲:池田幸司/編曲:池田幸司、佐久間正英
  2. あいつとGood Luck
    作詞:イノ・ブランシュ/作曲:池田幸司/編曲:佐久間正英
  3. 9月のプールサイド/Princess At The Pool-side
    作詞:イノ・ブランシュ/作曲:池田幸司/編曲:佐久間正英
  4. ふたりの"J"
    作詞・作曲:池田幸司/編曲:井上鑑
  5. Gray -ボクと彼女と冬の日に-
    作詞・作曲: 池田幸司/編曲:井上鑑
  6. Stella #2~Lucy #2
    作詞・作曲・編曲:池田幸司
  7. なつかしき1985
    作詞・作曲:池田幸司/編曲:井上鑑
  8. WEST RIVER
    作詞・作曲:池田幸司/編曲:井上鑑
  9. 走り出したコンバース
    作詞・作曲・編曲:池田幸司
参加ミュージシャン

楽曲提供

出演

ラジオ

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l ラジオマガジン 1984年10月号 129 - 130頁 本人記事。
  2. ^ a b c d e f g h 明星集英社)1984年10月号 164頁「今月の新人」
  3. ^ a b c 明星 1984年12月号 162 - 163頁 本人記事。
  4. ^ a b c d e f g h i 明星 1985年1月号 130 - 131頁 本人記事。
  5. ^ 近代映画 1984年12月号 122 - 123頁 本人記事。
  6. ^ GBソニー・マガジンズ)1985年2月号 127 - 129頁 本人記事。
  7. ^ a b c d 月刊平凡 1984年11月号 本人記事。
  8. ^ a b c 近代映画 1984年11月号 95 - 97頁 本人記事。
  9. ^ a b 明星 1984年11月号 163頁 本人記事。
  10. ^ GB(ソニー・マガジンズ)1985年3月号 36 - 38頁 本人記事。
  11. ^ GB(ソニー・マガジンズ)1985年1月号 156 - 157頁 本人記事。
  12. ^ 1968 - 1997 オリコン チャート・ブック(1997年12月11日第1刷)26頁。