コンテンツにスキップ

武田幸三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Welovekobe (会話 | 投稿記録) による 2012年1月5日 (木) 16:58個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎テレビ出演)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

武田 幸三
基本情報
本名 武田 幸三
通称 超合筋
ラストサムライ
ムエタイハンター
階級 ミドル級
スーパーウェルター級
身長 173cm
体重 70kg
国籍 日本の旗 日本
誕生日 (1972-12-27) 1972年12月27日(51歳)
出身地 東京都足立区
スタイル キックボクシング
プロキックボクシング戦績
総試合数 72
勝ち 45
KO勝ち 34
敗け 20
引き分け 7
テンプレートを表示

武田 幸三(たけだ こうぞう、男性、1972年12月27日 - )は、日本の元キックボクサー東京都足立区出身。新日本キックボクシング協会治政館ジム所属。国際総合武道教育連盟顧問。空手五段。

人物

  • 身体のことを第一に考え、よく煮込んだ鶏のささみを食べ続けるなど、食生活を徹底している。
  • 鍛え抜かれた身体(特に腹筋)から、「超合筋」の異名を持つ。
  • 不器用ながらも破壊力のある右ストレートと、右ローキックで常にKOを狙う(本人曰く、「お客さんを沸かせてナンボ」)。ローキックの威力は魔裟斗に「武田のローキックが一番効く」と言わしめるほど。
  • K-1 WORLD MAXにうまく対応できていたとは言えず、KO負けを喫することも多かった。
  • 自らの半生が綴られた『ラストサムライ 片目のチャンピオン 武田幸三』で片目がほぼ見えていない状態で闘っていることを明かしたが、後に手術で回復している。
  • 埼玉第一高等学校(現・開智高等学校)時代の先輩に漫画家古谷実がいる。漫画『行け!稲中卓球部』の登場人物「竹田」のモデルとなったと言われているが、キャラクター的に武田とはかけ離れている。二人とも同じラグビー部にいたことは事実。
  • キン肉マンのキャラクター、ウォーズマンの大ファンである。

来歴

学生時代はラグビー部に所属し、ラグビー推薦で入学した国士舘大学時代に観たK-1でのブランコ・シカティックの試合に刺激され、すぐさま大学を中退し、キックボクシングを始める。当初はK-1とその他のキックボクシング団体の違いも分からず、またヘビー級でK-1に出るつもりで、90kgまで体重を増量したという。一時本気でK-1を目指すため、正道会館に入門して新空手の大会にも出場したが、治政館ジムに出戻った。国際総合武道教育連盟平野雅龍総裁)からは空手五段の認可を受けている。

1995年3月19日、新日本キックボクシング協会のリングでデビュー。

2001年1月21日、チャラームダム・シットラットラガーン(王者:タイ)に2R2:12KO勝ちし、ラジャダムナン・スタジアムウェルター級王座を獲得。ムエタイ史上4人目となる外国人王者となった。

2001年9月16日、チャーンヴィット・ギャットトーボーウボン(4位:タイ)にTKO負け(3R終了、流血によるドクターストップ)し、王座防衛に失敗した。

2003年3月1日、K-1にデビューし、K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜に出場。決勝で魔裟斗に判定負けし、準優勝に終わった。

2004年7月11日、新日本キックボクシング協会「MAGNUM 5」でペットナークン・ソーサムルアイナムチョークと対戦。2R途中で武田が出血。偶然のバッティングとの判断で、2R終了時点で判定が行われ1-0の引き分けとなったが、ビデオ判定を行ったところ、肘打ち無しのルールであったが、肘打ちによる攻撃と判明。武田の反則勝ちへと変更された。

2005年2月23日、K-1 WORLD MAX 2005 〜日本代表決定トーナメント〜の1回戦で山本"KID"徳郁と対戦予定であったが、KIDの右腕負傷により前日に緊急参戦が決定した宮田和幸と対戦し、右ローキックでKO勝ちするものの、右脛負傷により村浜武洋との準決勝を棄権した。

2005年10月29日、新日本キックボクシング協会「小野寺力引退記念大会 NO KICK, NO LIFE 〜FINAL〜」で佐藤ルミナとスペシャルエキシビションマッチで対戦。最初はキックボクシングルールであったが、途中からオープンフィンガーグローブを着け、総合格闘技ルールに変わった。腕ひしぎ十字固めスリーパーホールドパウンドなどを繰り出した。

2008年12月31日、Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜でK-1ルール初挑戦となる川尻達也と対戦。右フック、右跳び膝蹴り、左フックで1Rに3度のダウンを奪われTKO負けを喫した。

2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINALで組まれた引退試合でアルバート・クラウスと対戦し、2R2分19秒右目の負傷によるTKO負け。この試合を最後に引退した。入場時には長渕剛がこの日のために再レコーディングした『STAY DREAM』を使用し[1]、退場時には長渕と抱き合った[2]

2010年5月16日、新日本キックボクシング協会「FINAL 武田幸三引退記念興行」が開催され、メインイベントで佐藤嘉洋と「武田幸三引退エキシビションマッチ」で対戦した[3]

2010年から、よしもとクリエイティブ・エージェンシーの俳優部門に所属して、ドラマなどにも出演している。

戦績

プロキックボクシング

キックボクシング 戦績
72 試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
45 34 7 0
20 12
勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
× アルバート・クラウス 2R 2:19 TKO(ドクターストップ:右目負傷) K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL 2009年10月26日
ライタイ・ムエタイプラザ 3R終了 判定3-0 新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 11」 2009年5月31日
リッティデート・ウォースラポン 1R 2:58 KO(3ノックダウン:ローキック) 新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 10」 2009年1月18日
× 川尻達也 1R 2:47 KO(3ノックダウン:左フック) Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 2008年12月31日
ショアン・ライト 3R終了 判定2-0 新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 8」 2008年5月25日
× ジョン・ウェイン・パー 4R 1:20 KO(左フック) 新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 7」
【WKBA世界スーパーウェルター級タイトルマッチ】
2008年1月20日
サンムック・シッパポン 2R 2:15 KO(左フック) 新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 5」 2007年5月20日
× マイク・ザンビディス 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜 2007年4月4日
崔龍(チェ・ヨン) 2R 0:55 KO(左ローキック) 新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 4」 2007年1月21日
× フェルナンド・カレロス 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜 2006年6月30日
金成植(キム・スンシク) 3R終了 判定1-1 新日本キックボクシング協会「BRAVE HEARTS 2」 2006年5月21日
× ジョームタップ・クランセーンマハーサラーカム 3R終了 判定0-3 新日本キックボクシング協会「TITANS 3rd」 2006年4月28日
コンデット・シンパークコー 3R終了 判定1-0 新日本キックボクシング協会
〜宮川道場 FINAL 2005〜
2005年12月18日
× アンディ・サワー 2R 0:31 KO(左フック) K-1 WORLD MAX 2005 〜世界王者対抗戦〜 2005年10月12日
× ジョン・ウェイン・パー 3R 2:24 KO(右フック) 新日本キックボクシング協会「TITANS 2nd」
【WKBAスーパーウェルター級王者決定戦】
2005年8月22日
フェートパヤック・サックタウィン 1R 0:33 KO(ローキック) 新日本キックボクシング協会「SLEDGE HAMMER」 2005年5月29日
宮田和幸 3R 0:39 KO(2ノックダウン:右ローキック) K-1 WORLD MAX 2005 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2005年2月23日
テーチャカリン・チューワッタナ 3R 0:02 TKO(右足緋骨骨折) 新日本キックボクシング協会
「ONWARD OPERATION II 〜進攻〜」
2005年1月16日
大江慎 2R終了 時間切れ 生ゴン1000回記念 サムライ祭り&SAEKI祭り2 2005年1月9日
× ブアカーオ・ポー.プラムック 再延長R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2004 〜世界王者対抗戦〜 2004年10月13日
× テーチャカリン・チューワッタナ 1R 2:44 TKO(左目尻のカット) 新日本キックボクシング協会
「Full Spark's 〜烈輝〜 Part 2」
2004年9月5日
ペットナークン・ソーサムルアイナムチョーク 2R終了時 反則(肘打ち) 新日本キックボクシング協会「MAGNUM 5」 2004年7月11日
チューチャイ・ポーチョーローソーン 2R 0:07 KO(右ストレート) 新日本キックボクシング協会
「Super-Hybrid 〜新鋭〜」
2004年5月30日
× 小比類巻貴之 2R 1:05 KO(右跳び膝蹴り) K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜
【準決勝】
2004年2月24日
緒形健一 1R終了時 TKO(タオル投入) K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2004年2月24日
ホセ・ダイナマイト・ガルシア 1R 0:25 KO(右ローキック) 新日本キックボクシング協会
「onward operation 〜進攻〜」
2004年1月25日
× ポール・リー 5R終了 判定0-2 新日本キックボクシング協会
「Full Sparrrk's 〜烈輝〜」
2003年9月7日
× ドゥエイン・ラドウィック 2R 0:46 KO(左フック) K-1 WORLD MAX 2003 〜世界一決定トーナメント〜
【1回戦】
2003年7月5日
ペットナークン・ソーサムルアイナムチョーク 5R終了 判定0-1 新日本キックボクシング協会 「Touch and Go 〜臨戦〜」 2003年5月18日
× 魔裟斗 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜
【決勝】
2003年3月1日
安廣一哉 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜
【準決勝】
2003年3月1日
小次郎 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2003 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2003年3月1日
チャワリット・ジョッキージム 5R終了 判定1-1 新日本キックボクシング協会「DOWN BY LOW」 2003年1月26日
ペートパヤック・ソースントン 5R終了 判定 新日本キックボクシング協会(タイ)
FIGHT TO MUAY-THAI 2002
2002年12月1日
メッケンナー・ソーキングスター 1R 1:12 KO 新日本キックボクシング協会
「Advance Attack! 〜進撃〜」
2002年9月22日
× ブーヌン・サックホームシン 3R 1:11 TKO 新日本キックボクシング協会
「BREAK A WAY! 〜開拓〜」
2002年7月27日
× サゲッダーオ・ギャットプートン 1R 0:58 KO 新日本キックボクシング協会
「LOCK ON! 〜奪還〜」
2002年5月26日
ビッグベン・ノッパラットファーム 3R 1:04 KO 新日本キックボクシング協会
「GET FORWARD! 〜前進〜」
2002年3月24日
サーイベットノーイ・ギャットシーダー 3R 0:19 KO 新日本キックボクシング協会
「STRIKE BACK! 〜逆襲〜」
2002年1月27日
ジョッキーノーイ・デービー 2R KO(ローキック) ラジャダムナン・スタジアム 2001年11月26日
× チャーンビット・ギャットトーボーウボン 3R終了時 TKO(眉間カット) 新日本キックボクシング協会「Take One」
【ラジャダムナン・スタジアム認定ウェルター級タイトルマッチ】
2001年9月16日
シッティーチョーク・ソーウポン 2R 2:26 KO(ローキック) 新日本キックボクシング協会「The Star Fleet」 2001年5月27日
ガオグライ・ゲーンノラシン 5R終了 判定3-0 新日本キックボクシング協会
「REAL CHAMPION APPEARANCE」
2001年3月31日
チャラームダム・シットラットラガーン 2R 2:12 KO(右ストレート) 新日本キックボクシング協会「THE REMATCH 〜HEAVEN or HELL」
【ラジャダムナン・スタジアム認定ウェルター級タイトルマッチ】
2001年1月21日
× チャワリット・ジョッキージム 5R終了 判定0-3 新日本キックボクシング協会「Fight to Muay-Thai 2000」 2000年12月3日
ユージン・エクレープルーン 1R 1:16 KO(右フック) 新日本キックボクシング協会「ROAD TO MUAY-THAI 2000」 2000年10月28日
ジャクシン・チューワッタナ 5R 1:43 KO(パンチ連打) 新日本キックボクシング協会「NO KICK, NO LIFE」 2000年7月29日
チャラームダム・シットラットラガーン 5R終了 判定0-0 新日本キックボクシング協会「THE TITLE」
【ラジャダムナン・スタジアム認定ウェルター級タイトルマッチ】
2000年5月5日
コンファーク・ルークメークロン 2R 1:29 KO(パンチ) 新日本キックボクシング協会「SPEED KINGS」 2000年3月26日
北沢勝 5R終了 判定3-0 新日本キックボクシング協会「DOUBLE IMPACT」
【日本ウェルター級タイトルマッチ】
2000年1月23日
ヨンサック・ガンワーンブライ 2R KO ラジャダムナン・スタジアム 1999年11月28日
ジェームス・フラー 1R 2:56 KO(パンチ) 新日本キックボクシング協会「Road to Muay-Thai 2nd」 1999年10月30日
チュンチャイ・ゲオサムリット 2R 1:53 TKO 新日本キックボクシング協会
伊原ジム主催「覇王傳」
1999年7月24日
ワンチャイ・テッドウドム 2R 1:49 KO 新日本キックボクシング協会
日・タイ決戦PART III「四天王見参!」
1999年5月5日
ダーンサイ・スイットオー 1R 1:38 KO 新日本キックボクシング協会 1999年3月13日
× アーツナロン・ボーコソー 3R終了 判定0-3 新日本キックボクシング協会 1999年1月30日
× パヤックレック・ユッタキット 3R終了 判定0-2 新日本キックボクシング協会 1998年10月31日
高杉茂男 4R 2:25 TKO 新日本キックボクシング協会 1998年9月20日
寺岡義洋 2R 2:23 KO 新日本キックボクシング協会 1998年7月25日
チェンタイノーイ・ソーゲッダリンチャイ 3R終了 判定2-0 新日本キックボクシング協会 1998年6月14日
ジョイ・ダンカン 2R KO 新日本キックボクシング協会 1998年5月5日
柳成業 1R 1:35 TKO(左フック) 新日本キックボクシング協会 1998年4月19日
フェルナンド・カレロス 3R KO 新日本キックボクシング協会 1998年1月31日
× プラウェー・チューワッタナ 3R 0:13 KO 新日本キックボクシング協会 1997年10月18日
朴俊伊 2R 2:00 KO 新日本キックボクシング協会 1997年8月2日
ジャルワット・オーエンジャイ 1R 1:50 KO 新日本キックボクシング協会 1997年6月27日
ジョー・セクストン 2R 1:17 KO 新日本キックボクシング協会 1997年3月9日
ケイゾウ松葉 3R 0:26 TKO 新日本キックボクシング協会
【日本ウェルター級王座決定戦】
1997年1月11日
寺田ヒロミ 2R終了時 KO 新日本キックボクシング協会 1996年12月1日
米田克盛 判定2-0 新日本キックボクシング協会 1996年9月21日
大平祐人 3R KO 新日本キックボクシング協会 1996年5月25日
岩間進 3R終了 判定3-0 新日本キックボクシング協会 1996年4月29日
木浪利幸 判定0-0 新日本キックボクシング協会 1995年3月31日
杉山忠夫 3R終了 判定3-0 新日本キックボクシング協会 1995年3月19日

エキシビションマッチ

勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日
佐藤嘉洋 3分1R 新日本キックボクシング協会「FINAL 武田幸三引退記念興行」
【武田幸三引退エキシビションマッチ】
2010年5月16日

獲得タイトル

タレント活動

テレビ出演

舞台

  • 劇団Hi!You本公演 第2弾「け・れ・ん・み」(2011年11月4日~6日、新宿ゴールデン街劇場)

脚注

関連項目

外部リンク

前王者
初代
初代新日本キックボクシング協会ウェルター級王者

1997年1月11日 - 不明(返上)

空位
次タイトル獲得者
米田克盛