佐藤嘉洋

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佐藤 嘉洋
基本情報
本名 佐藤 嘉洋(さとう よしひろ)
通称 無限スナイパー[1]
地獄の膝小僧
静かなる壊し屋
階級 ミドル級K-1
国籍 日本の旗 日本
誕生日 1981年1月25日(33歳)
出身地 日本愛知県名古屋市
身長 185cm
体重 70kg
スタイル キックボクシング
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佐藤 嘉洋(さとう よしひろ、1981年1月25日 - )は、日本キックボクサー愛知県名古屋市出身。元WKA世界ムエタイウェルター級ならびに、元WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王者。名古屋JKファクトリー所属。マネージメント先はF.O.L Sports Tokyo(エフ・オー・エルスポーツトウキョウ)。

ムエタイルールではガオラン・カウイチットシェイン・チャップマン等の実力者に勝利し、世界タイトルも2つ獲得した。また、オランダの『スーパーリーグ』で日本人キックボクサーとして初勝利を飾る等の実績を持つ。

人物[編集]

名城大学附属高等学校を経て、名城大学商学部(現:経営学部)卒業。

日常生活では眼鏡を掛けているが、車の免許を取得出来るだけの視力はあるので、試合時は当然のことながら裸眼である。

2005年頃から、オンライントレードによる株式投資を行っていたが、2006年1月のいわゆるライブドア・ショックによる株価暴落を受け、「今までの儲けが全部無くなってしまった。」とインタビューで語り話題となった[2]

実家は喫茶店郷土愛が強く、現在も愛知県に在住しており、地元にある整骨院『ぶる〜と整骨院』のオーナーも務めている。記者会見や試合後のマイクパフォーマンスでは、「、愛知県から来ました佐藤嘉洋です。」を常套句にしていて、得意技の一つである右ストレートに「愛知拳」と命名した[3]

2007年11月29日に同郷の一般人女性と入籍[4]、同年12月9日に結婚披露宴を行った[5]2010年1月9日に、第一子となる男児が誕生した[6]

かつて魔裟斗武田幸三小比類巻貴之宍戸大樹の4人を倒さなければ「日本人最強」を証明出来ない、とインタビューに答えていた[7]。中でも魔裟斗に対しては並々ならぬ執着心を見せていた。

交友関係[編集]

佐藤のファンだというサッカー選手の小野伸二とは、オランダスーパーリーグ時代に交流を深めた(煽りVTRより)。また、実家の喫茶店にJリーグ名古屋グランパスエイト楢崎正剛が来店したり、『ぶる〜と整骨院』にも、楢崎と同じグランパスに所属していた本田圭佑等のスポーツ選手やタレントが多く来店している。

インディーズ系バンドマンの友人が多く、グラビアアイドルの夏川純とはお互いの家に泊まりに来るほど仲が良いが、佐藤自身は熊田曜子のファンである。

正道会館所属のK-1選手・安廣一哉とは年賀状のやりとりをしている。

ファイトスタイル[編集]

  • ローキックパンチ主体のファイトスタイルを持ち、同じ個所を執拗に攻め続けて相手選手にダメージを蓄積させる戦法を持つ。また、手数も多く、タレント関根勤は佐藤の試合映像を分析し、「3秒に1回攻撃する男」と評している[8]リーチの長いローキックと前蹴りボディへのテンカオ(組み付かない形での膝蹴り)、そしてタイミングを合わせたパンチによって試合の流れを掴む効率の良い戦いを展開し、ダメージの蓄積により相手選手をTKOないしドクターストップに追い込む勝ち方も少なくない。
  • 以前はKOに対する拘りを持っていなかったが[9]2006年9月の試合でアルバート・クラウスに敗北後、関係者やファンからだけでは無く家族からも「ファイトスタイルを変えた方がいい」とダメ出しをされ、ヤケ酒を呷るほど腐っていたという[7]。しかし、ライバル視する魔裟斗がK-1 WORLD MAXを背負い体を張って戦う姿勢を見て、「これまでは勝てばいいと思ってやってきたが、KOも大事だなと思うようになってきた。もっと気持ちを前面に出していきたい。」と述べるなど、積極的にKOを狙う姿勢が見られる様になった[10]
  • アルバート・クラウスはアメリカ『MMAYOU』のインタビューの中で、「今までで一番苦労した対戦相手は?」と聞かれ佐藤の名前を挙げている。「(K-1 WORLD MAX)2007年のトーナメントの佐藤は普通じゃなかった。まるでマシーンと戦っている様だった。」と述べている。

来歴[編集]

格闘技を始めたきっかけは、ボクシングジムを見学する約束をしていた友人と直前に喧嘩となり、コテンパンにされたことだという。その後、自宅近くにあったキックボクシングジム『名古屋JKファクトリー』に入門し、グローブ空手選手権優勝を経て[8]1998年12月25日にプロデビュー、宮本勲と対戦し、判定勝ちを収めた。

2000年4月9日、ウェルター級転向後の初試合を發田隆治と対戦し、判定勝ち。

2000年11月26日、初めての外国人との対戦となったタノムサック・デーラッドタイ)戦で1RKO負け。プロデビュー後の連勝は7で止まった。

2001年6月17日、全日本キックボクシング連盟移籍後の初試合で千葉友浩と対戦し、1RKO勝ち。

2001年11月17日、ミラン・ステビッチユーゴスラビア)とWKA世界ムエタイウェルター級タイトルマッチを行い、4RTKO勝ち。王座奪取成功。

2002年10月17日、K-1出場権獲得試合で清水貴彦に判定勝ち。しかし、K-1には出場出来なかった。

2003年12月6日、スーパーリーグシェイン・チャップマンニュージーランド)と対戦。2R終了後、チャップマンの脛の負傷によりTKO勝ち(ドクターストップ)。スーパーリーグでの日本人初勝利となった。

2004年2月28日、ヤッシーン・ベンファッジフランス)の持つWPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王座に挑戦。5R目にダウンを2回奪い逆転判定勝ち。王座奪取成功。

2004年4月17日、チャンプアック・チョー・シープラーサート(タイ)とWPMF世界ムエタイウェルター級タイトルマッチを行い、肘打ちによる流血のため、4RTKO負け。同王座獲得失敗。

2005年2月6日、全日本キックボクシング連盟興行で山本優弥と対戦し、1Rに2回、2Rに2回、3Rに1回、4Rに1回と計6回のダウンを奪い、ジャッジ3者とも50-39という大差の判定勝ち[11]。当初は清水貴彦との対戦予定であったが変更された。佐藤は自分が思う強い選手との試合がなかなか組まれない当時の状況に不満を感じており、この試合が組まれた段階で全日本キックボクシング連盟退団を決意していた。

2日後の2月8日、全日本キックボクシング連盟および所属していた名古屋JKファクトリーを退団、人材派遣会社フルキャストグループ傘下のフルキャストスポーツ(現:イーマ)所属となった。これにより、保持していたWKAおよびWPKCのタイトルは剥奪された。ただ、後に名古屋JKファクトリーの小森次郎会長と和解し、再び同ジム所属となった。

K-1参戦後[編集]

2005年5月4日、K-1 WORLD MAX 2005 世界一決定トーナメント開幕戦で、「日本人最後の大物」という触れ込みでK-1に初参戦。ウィリアム・ディンダーオランダ)と対戦し、ローキックの連打を繰り出すなどして判定勝ち。

2005年10月5日、K-1 WORLD MAX 2005 世界王者対抗戦で、ヘビー級から階級を下げたガオグライ・ゲーンノラシン(タイ)と対戦。執拗なまでのローキック、膝蹴りの連打で判定勝利。前述の所属ジムとのトラブルにより出場が危ぶまれていた背景もあってか、勝利後、歓喜の余り号泣した。

2006年2月4日、K-1 WORLD MAX 2006 日本代表決定トーナメントで優勝。

2006年6月30日、K-1 WORLD MAX 2006 世界一決定トーナメント決勝戦に出場。準々決勝でブアカーオ・ポー.プラムック(タイ)に一か八かのパンチ勝負を挑んだのが裏目に出て2RKO負け。試合後のインタビューでは悔し涙を流し、再起を誓った。

2007年2月5日、K-1 WORLD MAX 2007 日本代表決定トーナメントに出場。1回戦、準決勝共に相手にペースを握らせず判定勝ち。決勝では昨年と同じくTATSUJIと対戦、顔面への跳び膝蹴りでKO勝ちし、2連覇。佐藤自身、K-1では初のKO勝利で優勝に花を添えた。

2007年10月3日、K-1 WORLD MAX 2007 世界一決定トーナメント決勝戦の準々決勝でアルバート・クラウス(オランダ)と再戦。後半、真っ向からの打ち合いを展開するが、判定負け。しかし、谷川貞治K-1イベントプロデューサーは「今までで一番いい試合だった。」と讃えた。

2008年2月2日、K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜小比類巻貴之と開幕戦出場を賭けて対戦予定であったが、小比類巻の靭帯損傷により欠場、代わりにブアカーオ・ポー.プラムックとのワンマッチに変更された。試合は延長まで縺れ込み、左フックでブアカーオをぐらつかせる場面もあったが、1-2の判定負け。

2008年7月7日、K-1 WORLD MAX 2008 FINAL8のトーナメント準々決勝でブアカーオ・ポー.プラムックと対戦。3Rに膝蹴りを効かせ、右ストレートでKO勝ち。3度目の正直でブアカーオ越えを果たした。

2008年10月1日、K-1 WORLD MAX 2008 FINALのトーナメント準決勝で、以前から対戦を熱望していた魔裟斗と対戦。3Rに魔裟斗からダウンを奪い追い詰めるが、当時は「優勢選手に必ず10ポイントを付ける」というルールであったにもかかわらず、優勢と判断された佐藤に9ポイントしか付かないという、ルール変更とも受け取られかねないジャッジであった為[12]、判定終了後に観客席からリング上に向かって物が投げ込まれるなどし、場内は一時騒然となった(テレビ中継時にはカットされている)。その後延長Rで形勢逆転され、判定負けを喫した。

試合数日後のインタビューでは、「KOで倒さないといけない、ということですね。息の根を止めるくらいに。」「ルールを把握していなかった自分が悪い」としながらも、採点には納得出来ないとも述べた[13]

2008年12月31日、Dynamite!!に初出場し、アルトゥール・キシェンコウクライナ)と対戦。0-2の判定負け。

2009年4月21日、K-1 WORLD MAX 2009 FINAL16のトーナメント1回戦でドラゴアルメニア)と対戦。延長R判定負けを喫し、FINAL8進出はならなかった。

2009年10月26日、K-1 WORLD MAX 2009 FINALのリザーブファイトで城戸康裕と対戦し、2Rに互いにダウンを一度ずつ奪い、右フックで2度目のダウンを奪ってKO勝ち。

2010年3月27日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜ダニロ・ザノリニと対戦し、右膝蹴りでKO勝ち。当初はジョルジオ・ペトロシアンと対戦予定であったが、ペトロシアンの右拳負傷により対戦相手が変更となった[14]

2010年5月29日、IT'S SHOWTIMEパジョンスックと対戦し、0-5の判定負けを喫した[15]

2010年7月5日、K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg World Championship Tournament FINAL16〜山本優弥と対戦し、2-0の判定勝ち。後日、ジャッジの集計ミスが発覚し、3-0の判定勝ちへの訂正が発表された[16]

2010年8月14日、Krush.9のメインイベントで名城裕司と対戦し、3-0の判定勝ちを収めた[17]。当初は山本優弥が出場予定であったが、急性虫垂炎および汎発性腹膜炎による欠場を受けての出場となった[18]

2010年11月8日、K-1 WORLD MAX 2010 FINALで準々決勝でミハウ・グロガフスキー、準決勝でドラゴをそれぞれ判定で破り、自身初の決勝進出もジョルジオ・ペトロシアンに判定負け。準優勝に終わった。

2011年1月9日、Krush初代王座決定トーナメント ~Round.2~のメインイベントで、キックボクシング世界4冠王シェムシ・ベキリと対戦し、2-1の判定で辛くも勝ちを収めた。

2011年6月25日、K-1 WORLD MAX 2011 -63kg Japan Tournament FINALで3度目の対戦となるアルバート・クラウスに2-0の判定勝ちを収めた[19]

2011年7月2日、名古屋市瑞穂区に佐藤がプロデュースする名古屋JKフィットネスがオープン[20]

2012年2月17日、Krush.16で、ファディ・メルザの保持するISKA世界ライトミドル級王座に挑戦。王者を終始圧倒し、ジャッジ3者とも50-45の判定で王座を奪取した。3本目の世界王座を獲得するとともに、世界3階級制覇を達成。リング上で、試合前に宣言していた格闘技界を盛り上げるプランとして、ジョルジオ・ペトロシアンとの防衛戦を希望した。

戦績[編集]

キックボクシング 戦績
72試合 (T)KO 判定 その他 引き分け 無効試合
52 20 32 0 0 0
20 4 16 0
勝敗 対戦相手 試合結果 イベント名 開催年月日
長島☆自演乙☆雄一郎 3R終了 判定3-0 HOOST CUP KINGS~王者たちの饗宴~ 2013年6月16日
イ・ソンヒョン 3R終了 判定144-141 GLORY 8 TOKYO 2013年5月3日
ヘンリー・オプスタル 3R終了 判定3-0 シュートボクシング協会「SHOOT BOXING 2013 act.1」 2013年2月22日
× 健太 3R終了 判定0-2 Krush.26 2013年1月26日
× サニー・ダルベック 2R KO GLORY 3 ROME
GLORY WORLD SERIES 2012 70kg Tournament FINAL 8
【準々決勝】
2012年11月3日
× シェムシ・ベキリ 3R終了 判定1-2 GLORY 1 STOCKHOLM
GLORY WORLD SERIES 2012 70kg Tournament FIRST 16
【1回戦】
2012年5月26日
ファディ・メルザ 5R終了 判定3-0 Krush.16
【ISKA世界ライトミドル級タイトルマッチ】
2012年2月17日
× アレックス・ハリス 3R終了 判定0-3 Rumble of the Kings 2011 2011年11月26日
アルバート・クラウス 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD MAX 2011 -63kg Japan Tournament FINAL
【スーパーファイト】
2011年6月25日
× アンディ・サワー 3R終了 判定0-3 SHOOT BOXING 2011 act.2 2011年4月23日
× アーメン・ペトロシアン 3R終了 判定 Fight Code: Dragon Series Round 2 2011年3月12日
シェムシ・ベキリ 3R終了 判定2-1 Krush初代王座決定トーナメント ~Round.2~
【スーパーファイト】
2011年1月9日
× ジョルジオ・ペトロシアン 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINAL
【決勝】
2010年11月8日
ドラゴ 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINAL
【準決勝】
2010年11月8日
ミハウ・グロガフスキー 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2010 -70kg World Championship Tournament FINAL
【準々決勝】
2010年11月8日
名城裕司 3R終了 判定3-0 Krush.9 2010年8月14日
山本優弥 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg World Championship Tournament FINAL16 / -63kg Japan Tournament FINAL〜
【-70kg World Championship Tournament FINAL16】
2010年7月5日
× パジョンスック・ルークプラバーツ 3R終了 判定0-5 It's Showtime 2010 Amsterdam 2010年5月29日
ダニロ・ザノリニ 2R 3:11 KO(右膝蹴り) K-1 WORLD MAX 2010 〜-70kg Japan Tournament〜
【スーパーファイト】
2010年3月27日
クレイジーテル 3R 1:30 TKO(レフェリーストップ) 大和ジム創立40周年、名古屋JKファクトリー創立20周年記念興行 2009年12月23日
城戸康裕 2R 2:23 KO(右フック) K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL
【リザーブファイト】
2009年10月26日
ユーリ・メス 延長R終了 判定2-1 K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL8
【リザーブファイト】
2009年7月13日
× ドラゴ 延長R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2009 World Championship Tournament FINAL16
【1回戦】
2009年4月21日
セルゲイ・ゴリアエフ 2R 1:18 KO(3ノックダウン:右ローキック) K-1 WORLD MAX 2009 〜日本代表決定トーナメント〜
【スーパーファイト】
2009年2月23日
× アルトゥール・キシェンコ 3R終了 判定0-2 Dynamite!! 〜勇気のチカラ2008〜 2008年12月31日
× 魔裟斗 延長R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL
【準決勝】
2008年10月1日
ブアカーオ・ポー.プラムック 3R 1:50 KO(右ストレート) K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL8
【準々決勝】
2008年7月7日
ムラット・ディレッキー 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2008 World Championship Tournament FINAL16
【1回戦】
2008年4月9日
× ブアカーオ・ポー.プラムック 延長R終了 判定1-2 K-1 WORLD MAX 2008 〜日本代表決定トーナメント〜
【スーパーファイト】
2008年2月2日
× アルバート・クラウス 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜
【準々決勝】
2007年10月3日
デニス・シュナイドミラー 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2007 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【1回戦】
2007年6月28日
× アンディ・サワー 3R終了 判定0-3 K-1 WORLD MAX 2007 〜世界最終選抜〜 2007年4月4日
TATSUJI 1R 2:25 KO(右跳び膝蹴り) K-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜
【決勝】
2007年2月5日
尾崎圭司 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜
【準決勝】
2007年2月5日
白須康仁 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2007 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2007年2月5日
× アルバート・クラウス 3R終了 判定0-2 K-1 WORLD MAX 2006 〜世界王者対抗戦〜 2006年9月4日
× ブアカーオ・ポー.プラムック 2R 0:18 KO(左フック) K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜
【準々決勝】
2006年6月30日
マイク・ザンビディス 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2006 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【1回戦】
2006年4月5日
TATSUJI 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜
【決勝】
2006年2月4日
上山龍紀 1R終了時 TKO(ドクターストップ:右膝靭帯損傷) K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜
【準決勝】
2006年2月4日
新田明臣 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2006 〜日本代表決定トーナメント〜
【1回戦】
2006年2月4日
ガオグライ・ゲーンノラシン 3R終了 判定2-0 K-1 WORLD MAX 2005 〜世界王者対抗戦〜 2005年10月12日
× ヴァージル・カラコダ 3R終了 判定0-2 K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント決勝戦〜
【スーパーファイト】
2005年7月20日
ウィリアム・ディンダー 3R終了 判定3-0 K-1 WORLD MAX 2005 〜世界一決定トーナメント開幕戦〜
【スーパーファイト】
2005年5月4日
山本優弥 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「MOVING」 2005年2月6日
イッティポーン・アカスリボーン 4R TKO(タオル投入) 不明(イタリア)
【WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級タイトルマッチ】
2004年11月27日
ディーゼルレック・ルンルアンヨン 1R 1:15 KO(ローキック) ルンピニー・スタジアム 2004年9月25日
ピーター・クルーク 3R 1:33 KO(ローキック連打) 全日本キックボクシング連盟「SUPER FIGHTER 〜MAXIMUM〜」 2004年7月24日
× チャンプアック・チョー・シープラーサート 4R TKO(ドクターストップ:カット) ルンピニー・スタジアム
【WPMF世界ムエタイスーパーウェルター級タイトルマッチ】
2004年4月17日
ヤッシーン・ベンファッジ 5R終了 判定3-0 KOMBAT FESTIVAL 2004
【WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級タイトルマッチ(肘禁止ルール)】
2004年2月28日
シェイン・チャップマン 2R終了後 TKO(ドクターストップ:脛負傷) SuperLeague Netherlands 2003 2003年12月6日
ガオラン・カウイチット 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「HURRICANE BLOW」
【WKA世界ムエタイウェルター級タイトルマッチ】
2003年8月17日
クリス・ファン・ベンローイ 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「DEAD HEAT」 2003年6月20日
イッティポーン・アカスリボーン 2R KO(左フック) PALASPORT ARCELLA 2003年4月12日
× フィクリ・ティアルティ 5R終了 判定0-3 VICTORY OR HELL
【WPKL世界ムエタイ・ウェルター級タイトルマッチ】
2002年11月24日
清水貴彦 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「Brandnew Fight」
【特別ルール(肘禁止)】
2002年10月17日
江口真吾 2R 2:33 TKO(ドクターストップ:カット) 全日本キックボクシング連盟「CRUSH」 2002年7月21日
チャルムサック・イングラムジム 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「Rising Force」 2002年4月12日
金沢久幸 5R終了 判定3-0 全日本キックボクシング連盟「VANGUARD」 2002年2月15日
ミラン・ステビッチ 4R 1:41 TKO(タオル投入) Thai Kick Box Gala Hanau August Scharttner Halle
【WKA世界ムエタイウェルター級タイトルマッチ】
2001年11月17日
ノエル・ソアレス 3R 2:22 KO(左膝蹴り) 全日本キックボクシング連盟「HOT SHOT」 2001年8月10日
千葉友浩 1R 1:38 KO 全日本キックボクシング連盟「WHO'S NEXT?」 2001年6月17日
コンテージ・シッセン 5R 2:45 KO(パンチ連打) ニュージャパンキックボクシング連盟
「CHALLENGE TO MUAI-THAI 4」
2001年3月20日
チョーンアンタイ・ギャッチャーシン 5R終了 判定3-0 ニュージャパンキックボクシング連盟
「CHALLENGE TO MUAI-THAI 2」
2001年2月12日
× タノムサック・デーラッド 1R 2:00 KO(3ノックダウン:左フック) ニュージャパンキックボクシング連盟
「Millennium Wars 10」
2000年11月26日
中村篤史 4R 1:46 KO(膝蹴り) ニュージャパンキックボクシング連盟
「Millennium Wars 8」
2000年9月24日
広川康之 5R 0:23 KO(膝蹴り連打) ニュージャパンキックボクシング連盟
「Millennium Wars 5」
2000年7月7日
發田隆治 3R終了 判定3-0 ニュージャパンキックボクシング連盟
「横浜ヤングファイト」
2000年4月9日
森本達也 3R終了 判定3-0 ニュージャパンキックボクシング連盟
「Millennium Wars 1」
2000年1月29日
加藤丈典 2R 1:39 KO ニュージャパンキックボクシング連盟 1999年8月29日
大川真人 判定 ニュージャパンキックボクシング連盟 1999年6月4日
宮本勲 判定 ニュージャパンキックボクシング連盟 1998年12月25日

獲得タイトル[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 佐藤嘉洋のニックネームは、"無限スナイパー"に決定!!”. K-1 OFFICIAL WEBSITE (2008年3月25日). 2010年1月16日閲覧。
  2. ^ “大本命・佐藤、2.4は世界一への踏み台 “日本人最後の大物”がついに真価発揮へ”. スポーツナビ. (2006年1月18日). http://sportsnavi.yahoo.co.jp/fight/k1/column/200601/at00007397.html 2010年1月16日閲覧。 
  3. ^ 佐藤嘉洋の必殺技 その名は『愛知拳』!!”. K-1 OFFICIAL WEBSITE (2006年8月28日). 2010年1月16日閲覧。
  4. ^ “K-1佐藤が結婚発表、9日名古屋で挙式”. バトルニュース (nikkansports.com). (2007年12月4日). http://www.nikkansports.com/battle/p-bt-tp0-20071204-291132.html 2010年1月16日閲覧。 
  5. ^ 結婚式を終えて”. @nifty:佐藤嘉洋公式サイト (2007年12月13日). 2010年3月2日閲覧。
  6. ^ メッセージ”. @nifty:佐藤嘉洋公式サイト (2010年1月11日). 2010年1月16日閲覧。
  7. ^ a b ヤケ酒を飲んだ佐藤嘉洋『般若心経』で悟りを啓く”. K-1 OFFICIAL WEBSITE (2007年1月24日). 2010年1月16日閲覧。
  8. ^ a b 佐藤嘉洋の決意「誰も文句を言わない勝ち方をする」”. 東海ウォーカー (2008年12月16日). 2010年1月16日閲覧。
  9. ^ 本人曰く「判定でも勝ちは勝ち」「すごい逆転KO勝ちよりも、一発ももらわない完封勝ちの方が価値が高い。」等
  10. ^ あの男の試合をみて、佐藤嘉洋が変わった!!”. K-1 OFFICIAL WEBSITE (2007年9月19日). 2010年1月16日閲覧。
  11. ^ 【全日本キック】佐藤、消化不良の判定勝利。郷野がベルト奪取 格闘技ウェブマガジンGBR 2005年2月6日
  12. ^ “魔裟斗vs佐藤嘉洋のジャッジについて角田信朗氏が説明”. kamipro.com. (2008年10月2日). http://www.kamipro.com/news/?id=1222886209 2010年1月16日閲覧。 
  13. ^ 「なんかムカつくなぁ」佐藤嘉洋が魔裟斗戦を語る”. K-1 OFFICIAL WEBSITE (2008年10月27日). 2010年1月16日閲覧。
  14. ^ 【K-1MAX】3・27衝撃!小比類巻太信が突如引退!ペトロシアンも欠場 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年3月23日
  15. ^ 5・29オランダでバダ・ハリに何が起こった!? K-1公式サイト 2010年6月1日
  16. ^ [K-1] 佐藤嘉洋×山本優弥の採点を訂正。勝敗は変わらず BoutReview 2010年7月9日
  17. ^ 【Krush】佐藤嘉洋が名城裕司に貫禄の勝利!石川直生は再起戦でも敗れる 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年8月14日
  18. ^ 【Krush】8・14山本優弥が盲腸手術で欠場、代わって佐藤嘉洋が後楽園ホール凱旋! 格闘技ウェブマガジンGBR 2010年7月22日
  19. ^ 【K-1MAX】久保が決勝で卜部を下してトーナメント優勝!佐藤はクラウスにリベンジ 格闘技ウェブマガジンGBR 2011年6月25日
  20. ^ 佐藤嘉洋の「名古屋JKフィットネス」ジムOPEN K-1 公式サイト

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

前王者
ミラン・ステヴィッチ
WKA世界ムエタイウェルター級王者

2001年11月17日 - 2005年2月8日

次王者
N/A
前王者
ヤッシーン・ベンファッジ
WPKC世界ムエタイスーパーウェルター級王者

2004年2月28日 - 2005年2月8日

次王者
N/A