植山信幸

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植山 信幸
生年月日 (1952-03-04) 1952年3月4日(72歳)
出身地 日本の旗 福岡県
大学 早稲田大学
ラグビーユニオンでの経歴
ポジション フルバック
アマチュア経歴
チーム 出場 (得点)
報徳学園高校
早稲田大学
()
シニア経歴
チーム 出場 (得点)
横河電機 ()
代表
チーム 出場 (得点)
 日本 20
更新日:  2015年9月
コーチ歴
チーム
早稲田大学
日本代表

植山 信幸(うえやま のぶゆき、1952年3月4日 - )は、日本の元ラグビー選手。

プロフィール[編集]

来歴[編集]

報徳学園高校を経て、早稲田大学(以下、早大)へ進学。早大時代の1973年日本代表に選出される。

同年のフランス遠征で、当時日本代表監督だった横井久から、キッカー不在となった事態を打開すべく、当時日本人選手で誰もやっていなかったインサイド・ステップ・キックの体得を求められ、横井のマンツーマン指導の効果もあり、同年秋のシーズンにはモノにできるようになった。そして同年の早慶戦で、40及び52ヤード地点からペナルティ・キック(PK)を決めたことで、その後、植山に倣ってインサイド・ステップ・キックを行う選手が増え、やがてこのキックが日本でも主流となった。

また早大時代には、第10回及び第11回大学選手権で優勝に貢献した。

その後、横河電機に入社。代表キャップも通算20を記録した。1982年、前年度まで早大監督だった大西鐡之祐の早大ラグビー部部長就任に伴い、後任として30歳で早大の監督に就任したが、同年シーズン限りで退任した。

その後は、宿沢広朗監督時代における日本代表コーチなどを歴任した。

参考文献及び出典[編集]

関連項目[編集]