木曾 (軽巡洋艦)

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艦歴
発注 1917年度計画
起工 1919年6月10日三菱造船長崎造船所
進水 1920年12月14日
就役 1921年5月4日
その後 1944年11月13日に戦没
除籍 1945年3月20日
性能諸元
排水量 基準:5,100トン
常備:5,500トン
全長 162.15m
全幅 14.17m
吃水 4.80m (常備)
機関 オールギアードタービン4基4軸
90,000 SHP
最大速力 36.0ノット
航続距離 5,000海里 / 14ノット時
乗員 450名
兵装 50口径14cm単装砲7門
40口径8cm高角砲2門
53cm連装魚雷発射管4基
五号機雷150個
装甲
搭載機 水上機 1機(竣工時のみ)

木曾きそ)は旧日本海軍球磨型軽巡洋艦5番艦。艦名は、東海地方を流れる木曽川に由来して命名された。

概要

活躍

1921年、竣工。竣工後はシベリア撤兵日中戦争に参加していたが、太平洋戦争開戦後は第5艦隊所属として北方作戦に従事することとなり、1942年ミッドウェー作戦に伴うアッツ島キスカ島攻略作戦や翌年のキスカ島撤退作戦へ参加した。その後は主として輸送任務に就いた。

航空機搭載

竣工時に艦橋下に格納庫と艦橋前に滑走台を設置、陸上機を収容できるようにした。そのため他の球磨型より艦橋構造物が大型化した。以降の長良型川内型も同様の理由で艦橋構造物が大型化している。しかし滑走台の実用性は乏しく後に撤去、以降陸上機は搭載されなくなった。

他の5500トン型軽巡洋艦は近代化改装時にカタパルトを設置、水上機を1機搭載したが木曾大井北上と共にカタパルトを設置せず、水上機は搭載されなかった。

雨水除去装置

木曽は1,2番煙突上部にそろばん型の雨水除去装置を設置、このため他艦と容易に識別できる。なお他の5500トン型では球磨がそろばん型のものを煙突3本全てに設置、他の艦との識別点になっている。

艦歴

1919年6月10日、起工。1920年12月14日進水1921年5月4日三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)において竣工。

シベリア出兵に参加し、続いて旅順を拠点とし関東州から青島にかけての沿岸の哨戒にあたった。

1939年4月17日、アメリカ重巡洋艦アストリアが日本の駐米大使斎藤博の遺骨を載せて横須賀に到着した際21発の礼砲を発射した。

1941年11月10日、木曾は第5艦隊の第21戦隊に編入された。真珠湾攻撃時は千島列島で活動しており、荒天による損傷のため同年末には横須賀に戻った。1941年1月から4月まで木曾は同型艦の多摩とともに北方水域で活動した。

4月、アメリカ軍によるドーリットル空襲が行われると多摩もアメリカ機動部隊追跡に派遣された。19日、木曾は爆撃を受けて損傷し漂流中であった監視艇、第二十一南進丸を発見し、乗員の救助後砲撃により処分した[1]

1942年5月アリューシャン列島攻略作戦に参加。1943年7月、キスカ撤退作戦に参加。

1944年11月13日マニラ湾に停泊中に米軍機の攻撃を受け沈没。1945年3月20日、除籍。

1955年から1956年にかけて現地にて浮揚解体。

歴代艦長

艤装員長

  1. 立野徳治郎 大佐:1921年1月15日 -

艦長

  1. 立野徳治郎 大佐:1921年5月14日 -
  2. 和田健吉 大佐:1922年5月10日 -
  3. 森電三 大佐:1922年12月1日 -
  4. 本宿直次郎 大佐:1923年10月1日 -
  5. 水野熊雄 大佐:1924年12月1日 -
  6. 佐藤英夫 中佐:1925年4月15日 -
  7. 青木国太郎 大佐:1925年7月10日 -
  8. 浜田吉次郎 大佐:1926年12月1日 -
  9. 有馬寛 大佐:1927年6月10日 -
  10. 山口清七 大佐:1927年11月15日 -
  11. 三井清三郎 大佐:1928年12月4日 -
  12. 大野功 大佐:1929年5月1日 -
  13. 荒木貞亮 大佐:1929年11月30日 -
  14. 曽我清市郎 大佐:1930年5月15日 -
  15. 大川内傳七 大佐:1931年11月14日 -
  16. 小松輝久 大佐:1932年12月1日 -
  17. 伊藤整一 大佐:1933年11月15日 -
  18. 角田覚治 大佐:1934年3月10日 -
  19. 水野準一 大佐:1934年11月15日 -
  20. 岡新 大佐:1935年11月15日 -
  21. 工藤久八 大佐:1936年11月10日 -
  22. 梶岡定道 大佐:1938年6月15日 -
  23. 田代蘇平 大佐:1938年12月15日 -
  24. 八木秀綱 大佐:1939年3月10日 -
  25. 森良造 大佐:1939年11月1日 -
  26. 木山辰雄 大佐:1940年10月15日 -
  27. 大野竹二 大佐:1941年11月10日 -
  28. 川井巌 大佐:1942年9月20日 -
  29. 沢勇夫 大佐:1943年10月4日 -
  30. 今村了之介 大佐:1944年2月7日 -

同型艦

脚注

  1. ^ 柴田武彦、原勝洋、『日米全調査 ドーリットル空襲秘録』、アリアドネ企画、2003年、ISBN 4-384-03180-7、147-149ページ

参考文献

関連項目