新堤 (さいたま市)
■新堤 にいづつみ | |
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東宮下団地 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 埼玉県 |
市町村 | さいたま市見沼区 |
地域 | 大宮地区 |
人口 | |
• 合計 | 3,100人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
337-0013 |
新堤(にいづつみ)は、埼玉県さいたま市見沼区の大字。本項では同地域にかつて存在した北足立郡新堤村(にいづつみむら)についても記す。
地理
さいたま市見沼区東部に位置する。北・東で東宮下、西で東門前、南で大谷に接する。埼玉県道105号さいたま鳩ヶ谷線の南側に位置する。埼玉県道65号さいたま幸手線沿いの、さいたま市資源循環推進部 東清掃事務所付近の東宮下の中に飛地がある。かつての見沼新田を埋め立てた地に、東宮下団地がある。老朽化して改築が進むが、他にもマンション、住宅などが多い。
河川
小字
西、東、表、橋戸、菱沼
歴史
新堤村 | |
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廃止日 | 1913年4月2日 |
廃止理由 |
新設合併 大谷村、猿ヶ谷戸村、東門前村、東宮下村、膝子村、新堤村、風渡野村 → 七里村 |
現在の自治体 | さいたま市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 埼玉県 |
郡 | 北足立郡 |
総人口 |
72人 (埼玉県市町村誌、1889年) |
隣接自治体 | 東門前村、東宮下村、大谷村 |
新堤村役場 | |
所在地 | 埼玉県北足立郡猿ヶ谷戸村 |
ウィキプロジェクト |
沿革
- 幕末時点では足立郡新堤村であった。知行は旗本菅沼氏・宮崎氏の相給。
- 1868年(慶応4年)6月19日 - 武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。
- 1869年(明治2年)
- 1871年(明治4年)11月13日 - 第1次府県統合により埼玉県の管轄となる。
- 1879年(明治12年)3月 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により北足立郡の所属となる。
- 1889年(明治22年)
- 1913年(大正2年)4月2日 - 膝子村外6ヶ村組合を解消し、7村の区域をもって七里村が発足。同日新堤村廃止。七里村の大字となる。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 七里村が大宮市に編入。大宮市の大字となる。
- 2001年(平成13年)5月1日 - 浦和市・大宮市・与野市の合併によりさいたま市が発足。さいたま市の大字となる。
- 2003年(平成15年)4月1日 - 政令指定都市移行により、見沼区の大字となる。
交通
鉄道
バス
道路
地域
県営住宅
- 大宮東宮下住宅
- 通称名:県営大宮東宮下団地。北半分が当地区内にあたる
マンション
施設
- デイリーケアセイジョー大宮七里店
- セブンイレブン大宮新堤店
- Cannery Row大宮東店
- 夢庵大宮新堤店
- さいたま市資源循環推進部 東清掃事務所
- さいたま市立七里東保育園
脚注
参考文献
- 角川日本地名大辞典 11 埼玉県
- 旧高旧領取調帳データベース