市川左團次 (4代目)

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よだいめ いちかわ さだんじ
四代目 市川左團次
屋号 高島屋
定紋 松皮菱に鬼蔦
生年月日 (1940-11-12) 1940年11月12日(83歳)
本名 荒川欣也
襲名歴 1. 五代目市川男寅
2. 五代目市川男女蔵
3. 四代目市川左團次
三代目市川左團次
六代目市川男女蔵
公式サイト 市川左團次オフィシャルサイト

四代目 市川左團次(よだいめ いちかわ さだんじ 1940年 (昭和15) 11月12日 - )は、歌舞伎役者、日本俳優。本名は荒川 欣也(あらかわ きんや)。屋号高島屋定紋三升に左(みますに ひだり)だが、通常は替紋松皮菱に鬼蔦(まつかわびしに おにづた)を使用。歌舞伎名跡市川左團次」の当代。

三代目市川左團次の長男として東京都に生まれる。ただし自著『俺が噂の左團次だ』では母が祇園の芸妓で、自身は三代目の贔屓筋が実父と述べている。

略歴

概要

線の太いおおらかな芸風で、立役、敵役、道化役などをこなす。『御所五郎蔵』の土右衛門や『壇浦兜軍記・阿古屋琴責』の岩永、『天下茶屋』の東間、『勧進帳』の常陸坊、『助六』の意休、『』の武衡などが主な当り役である。新作歌舞伎でも『NINAGAWA十二夜』の鐘道で好演した。

テレビ時代劇でも多く出演し、NHK大河ドラマ義経』で金売り吉次、『風林火山』で上杉憲政を演じる他、『鬼平犯科帳』などに出演、テレビドラマでは2006年の『ウォーカーズ~迷子の大人たち』では余命少ない、住職を務める父親を演じた。

長男に六代目市川男女蔵、孫に七代目市川男寅がいる。

人物・逸話

  • 歌舞伎俳優の中で逸話が多い人物としても知られ、紳士録のアンケートに冗談半分で趣味は「覗き」と書いたらそのまま載せられたことがある。たとえば実際に南座の顔見世出演中は楽屋の窓からアベックのラブシーンを覗いてしまったことがあり、後にトークショーなどでこの一件を巧みな話術で披露している。2011年9月9日の関西テレビ快傑えみちゃんねる』では「SM」も趣味で、再婚(2006年)の寸前にその道具を捨てたと語っている。
  • 身長が180cmあり、歌舞伎役者の中では長躯の人物として知られている。この高い身長から、少年時代はプロ野球選手を志していたが、父・三代目左團次と親交があった小西得郎から『君には無理だ』と諭されたことがある。後に、実際には三代目左團次が小西に説得を頼んでいたと知らされている。
  • 学生時代は典型的な不良だったと自著で記しており、五代目男寅時代には十七代目中村勘三郎に恐れられたこともある。
  • 歌舞伎で演じる役は敵役、老役を主にするが、トークにおいてもいやらしく聞こえないのは自身の人柄によることも大きく、口上に登場する時も、必ず笑いを取る口上をするため、これを楽しみにするファンも多い。加えて、隔年開催される俳優祭なる歌舞伎役者のイベントでは、必ずと言っていいほど「とんでもないこと」をやるため、これ目当てで来る人も多いという。
  • 十八代目中村勘三郎の襲名披露では、『昔、端役だった頃に勘三郎の前にいた自分がオナラをしてしまった』という話で場内が爆笑となっていたが、その刹那真顔に戻り「まずは、お祝い申し上げまする次第にござりまする~」とガラリと変わるのがまた面白く、場内は割れんばかりの拍手になった。
  • 2014年2月21日のテレビ東京たけしのニッポンのミカタ!に出演して、「食事と買物には並んだことがない」が「パチンコ屋の開店の9時半に並ぶ」と語っている。

出演作品

歌舞伎

テレビドラマ

映画

バラエティ

著書

脚註

  1. ^ 左団次、旭日双光章を受章 [リンク切れ]読売新聞 2011年7月4日閲覧
  2. ^ 平成23年春の叙勲” (PDF). 内閣府 (2011年4月29日). 2015年3月15日閲覧。