山下和美

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山下 和美
生誕 (1959-08-15) 1959年8月15日(64歳)[1]
日本の旗 日本 北海道小樽市
国籍 日本
職業 漫画家
活動期間 1980年 -
ジャンル 少女漫画
青年漫画
代表作天才柳沢教授の生活
不思議な少年
受賞 第27回講談社漫画賞
(『天才柳沢教授の生活』にて)
公式サイト タマリン日記
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山下和美(やました かずみ、1959年8月15日[1] - )は、日本漫画家北海道小樽市[1]出身。女性。血液型はAB型神奈川県立希望ヶ丘高等学校卒業。横浜国立大学[1]教育学部中退(本人によると持病のためにやむなく中退したとのこと)。

漫画家・山下友美(やました ともみ)と間違えて表記・記憶されることがあるが、2人は別人である。

経歴

1980年、『週刊マーガレット』(集英社)でデビュー。当初は少女誌で活動していたが、その後青年誌である『モーニング』(講談社)に活動の場を移し人気を博す。代表作に、大学教授の父親(古瀬大六小樽商科大学教授、横浜国立大学教授、東北大学教授、南山大学教授を歴任、1917年 - 2007年石川県金沢市出身、一橋大学商学博士[2])を主人公のモデルとした『天才柳沢教授の生活』、マーク・トウェインの同名の小説から着想を得た『不思議な少年』など。2003年、『天才柳沢教授の生活』で第27回(平成15年度)講談社漫画賞一般部門を受賞。

2011年現在、『モーニング』と『モーニング・ツー』以外では、『YOU』(集英社)で『寿町美女御殿』を経て、『数寄です!』を掲載している。

逸話

  • 学生時代からロックが大好きで、学生時代はディープ・パープルレインボー、特にリッチー・ブラックモアのファンである事を音楽評論家の酒井康との対談(酒井康 著「虹色の音詞II」より)で明かしており、ライブアルバムにもなったレインボーの初来日公演(日本武道館)も見に行っている。それ以外ではジェスロ・タル矢沢永吉のファンであり、基本的にジャンルは問わないとのことだが、イアン・ギランがラップに挑戦したことだけは許せなかったという。
  • 『天才柳沢教授の生活』の柳沢家と同じく4人姉妹であり末っ子。上の姉2人も一時期漫画家として活動しており、漫画の技術は2人の姉を見て自然に身についたという。
  • オナニーマシーンのギタリストであるオノチンは山下のアシスタントでもある。
  • 週刊マーガレット時代、新連載の準備中に脳梗塞で入院。後遺症で現在も右側が見えないという[3]

作品リスト

アンソロジー

関連人物

脚注

注釈

  1. ^ PARTY!~東日本大震災チャリティー漫画本~HP
  2. ^ 計36人の作家によるアンソロジー作品。

出典

  1. ^ a b c d コミックナタリー - 山下和美のプロフィール”. 株式会社ナターシャ. 2013年3月22日閲覧。
  2. ^ ただし、『モーニング』の読者欄のフォーラムでは、古瀬大六は長崎県南高来郡安中村(現在の島原市)が本籍である、と山下本人がコメントを出している(ノート参照)。その古瀬は2007年に逝去したと、『モーニング』の欄外近況で山下がコメントした。
  3. ^ ダサくていいんだ! 【第2話】デビューはしたけれど”. Webコミックサイト モアイ. 2015年7月18日閲覧。

外部リンク