小林脳行

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モスビーズ

株式会社 小林脳行(こばやしのうこう)は、かつて東京都中央区日本橋本町にあった生活化学用品(台所/洗面所/トイレ用品)メーカーである。現在は経営破綻し会社は存在しないが、営業権は小林製薬が承継している。非上場会社。

来歴[編集]

主として家庭用の防虫剤モスノーモスビーズモスプリート等)、衣装収納箱(モスボックス等)、芳香剤エアーリッチ等)、洗剤バスタニックキッチンタニックサニボン・Fビニボンサニポリー等)、寝具(マジックシーツ)を中心に扱っていた。また戦前には「バガテル」というパチンコの原点ともいわれる盤ゲームを日本に紹介。その際「小林」の「林」を「りん」と読み替えて、「コリンゲーム」として発売し、それが後に「コリントゲーム」という名称で知られるようにまでなった。

第二次世界大戦前には園芸用の殺虫剤(バーミタックス)を日本の生活化学用品メーカーとして初めて発売し、戦前から1984年にかけては樟脳を主成分とした衛生用液体消臭芳香剤を発売していた(煙だし片脳油煙だしネオ片脳油→小林ネオ片脳油)。

一方では、TBS関東地方の天気予報のスポンサー(正午前のニュース時)やMBSラジオ東海ラジオRKBラジオ時報前のCMなどで有名だった。結果的に1978年の日本でのAMラジオの周波数切替時の時報スポンサーを務めたこともある。また、関西テレビフジテレビ系でかつて放送されていた西郷輝彦主演の連続ドラマ『どてらい男』の最末期のスポンサーでもあった。このほかにもテレビ朝日系の『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』や『必殺シリーズ』(ABC制作)等、提供していた番組は多数存在した。

経営不振から自主再建を断念し、1984年経営破綻。翌年の1985年大阪市にある大手医薬品メーカーの小林製薬に営業権を譲渡し、小林脳行の全商品は小林製薬から発売されるようになった。なお「小林」の名称が共通のため両者間で資本・人材関係があったかのように誤解されやすいが、実際には両者との関係は全くなかった。

かつて小林製薬の東京支社があった建物は、小林脳行の本社社屋を一度解体し、耐震性を強化して再構築した建物であるが、その後の業績拡大などにともない、小林製薬の東京オフィスを中央区八丁堀に移転するために建物だけを残して東京の営業拠点を八丁堀へ移転した。その後、東京オフィス(営業拠点)を江東区冬木10-6に再移転したため、小林脳行の本社社屋は再解体された[1][2]。さらに、東京オフィスはいちご永代ビル(江東区永代2-31-1)の7階へ移転した[3][4]。なお、江東区冬木の事業所には関連子会社のオフィスが残っている。旧本社社屋跡地にはローソンを中心とした江戸ビルが建てられている。小林脳行から引き継いだ商品そのものは生産が打ち切られているが、現在は「サニボン・F」の後継商品である「サニボン泡パワー」[5][注 1]が唯一残る。また、他社が商品販売を続けているものとしては防虫剤のモスノー、モスボックス(小林製薬で廃盤になった後仙台市にあるアイリスオーヤマが販売[注 2])がある。

同社の製品であったバスタニックのCMには当時読売ジャイアンツの選手だった西本聖高田繁らが出演した。最後に「キッチンタニックもよろしく」と言う。その他には河内桃子原ひさ子らも出演したことがあり、CMナレーションには押阪忍を起用していた。

またテレビ番組におけるスポンサードの際の読み上げは「衛生薬品の総合メーカー、小林脳行」だった。

提供番組[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ なお、「サニボン泡パワー」については、小林脳行が営業権を譲渡後に小林製薬から発売。
  2. ^ ただし、2023年9月現在、アイリスオーヤマに於いても既にモスボックスの製造・販売は終了している。また、アイリスオーヤマの公式通販サイト「アイリスプラザ」には既に「販売終了」「次回入荷はありません 」の記載がある。[6][7]

出典[編集]

関連項目[編集]