宗像サニックスブルース
原語表記 | 宗像サニックスブルース | ||
---|---|---|---|
クラブカラー | 紺 | ||
愛称 | ブルース[1] | ||
創設年 | 1994年 | ||
代表 | 藤井雄一郎(部長) | ||
監督 | 藤井雄一郎 | ||
所属リーグ | ジャパンラグビートップリーグ | ||
| |||
公式サイト | |||
http://rugby.sanix.jp/ |
宗像サニックスブルース(むなかたサニックスブルース、Munakata Sanix Blues)は、2015年現在トップキュウシュウAに参加する福岡県の実業団ラグビーチームである。本拠地は宗像市・グローバルアリーナ。
歴史
1994年にサニックスラグビー部として福岡県社会人Cリーグ(西日本社会人Aリーグから見ると5部相当)に加盟し、同リーグ戦に優勝。その後、飛び級という異例な形で1995年に西日本Bリーグ(2部)に加盟。1997年には同Aリーグ(1部)への加盟を果たす。1999年には西日本Aリーグで念願の初優勝を果たし、全国社会人大会に出場するが、予選リーグ(プール)戦で敗退。
その後も西日本リーグで2002年まで4連覇を達成し、九州ラグビー界の新興勢力ながらも、その実力は九州一を誇る強豪に成長する。2003年に発足した第1回ジャパンラグビートップリーグに参加し、チーム名も「福岡サニックスボムズ」とするが、関東・関西の強豪に前に屈し、2勝9敗・勝ち点14の最下位(12位)でトップリーグの2部組織の一つ・トップ九州Aリーグ(1部)に降格。2004年にトップ九州と、その後のトップチャレンジAに優勝して1年でトップリーグ復帰を果たす。
チーム名を「福岡サニックスブルース」に変更した2005年はトップリーグ史上初の全敗(11敗・勝ち点2)を記録したが、入替戦で近鉄ライナーズに勝ってトップリーグ残留を決めた。2012年は最下位(14位)となり入替戦で豊田自動織機シャトルズに敗れ、9年ぶりに再降格となった。2014年のトップチャレンジ1で1位となり1年でトップリーグ再復帰を果たすものの、同年は最下位(16位)となり3度目の再降格となったが、翌年の入替戦でNTTドコモレッドハリケーンズを下し、1年でのトップリーグ再復帰を再び果たした。
2014年4月29日、宗像市内で行われた記者会見で同日よりチーム名を福岡サニックスブルースから「宗像サニックスブルース」に変更した。
トップリーグでは2009年の7位が最高である。
獲得タイトル
- ジャパンセブンズ コンソレーション優勝(2001年)
- ジャパンセブンズ カップ準優勝(2003年)
トップリーグレギュラーシーズン戦績
- 2003-2004シーズン 2勝9敗 12位 トップキュウシュウAへ降格
- 2005-2006シーズン 0勝11敗 12位
- 2006-2007シーズン 5勝7敗1分 9位
- 2007-2008シーズン 4勝9敗 12位
- 2008-2009シーズン 3勝10敗 11位
- 2009-2010シーズン 6勝7敗 7位
- 2010-2011シーズン 5勝7敗1分 8位
- 2011-2012シーズン 4勝9敗 11位
- 2012-2013シーズン 1勝12敗 14位 トップキュウシュウAへ降格
- 2014-2015シーズン 総合順位16位(1stステージ・プールA 1勝6敗・8位、2ndステージ・プールB 1勝6敗・8位)トップキュウシュウAへ降格
- 2015-2016シーズン トップキュウシュウA1位、トップチャレンジ1第1位、入替戦でNTTドコモに勝利しトップリーグ昇格
2015年陣容
- 主将 田村衛土
|
|
在籍した選手
- 伊藤宏明(日本代表)
- 岩渕健輔(日本代表)
- 小野晃征(日本代表、現・サントリーサンゴリアス)
- オペティ・ファエアマニ(7人制日本代表、現・PSIコストカッツ)
- グレアム・バショップ(日本代表)
- ジェイミー・ジョセフ(ニュージーランド代表及び日本代表、現・ハイランダーズヘッドコーチ)、次期日本代表ヘッドコーチ
- 中村彰(現・釜石シーウェイブス)
- 原田航路(現・釜石シーウェイブス)
- ハレ・マキリ(日本代表)現サニックスFWコーチ
- ブラッド・ソーン(オーストラリア代表)
- 真羽闘力(日本代表)
- マヘ・トゥビ(現・釜石シーウェイブス)
- 吉田義人(日本代表)
- ルーベン・パーキンソン(日本代表)
脚注
- ^ 宗像サニックスブルースチーム一覧
- ^ ブルースメンバー紹介 - 公式サイト