四谷シモン

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四谷シモン(よつや シモン、本名:小林兼光、1944年7月12日 - )は日本人形作家、俳優。人形学校「エコール・ド・シモン」主宰。弟は写真家の渡辺兼人

略歴[編集]

東京都出身[1]。少年の頃より人形制作を好み、川崎プッペに私淑する。中学卒業後、アルバイトをしながら人形制作を続ける。林俊郎、坂内俊美に師事する[2]

17歳の時、一時ぬいぐるみ人形作家水上雄次の内弟子になる。新宿のジャズ喫茶に出入りして、金子國義コシノジュンコらと出会う。歌手のニーナ・シモンが好きだったことから「シモン」の渾名が付く。ロカビリー歌手としても活動する[2]

昭和40年(1965年)、雑誌『新婦人』に掲載されていた、澁澤龍彦の紹介[3]によるハンス・ベルメール球体関節人形を見て衝撃を受け、それまでの人形制作方法を捨てる[2]

昭和42年(1967年)金子國義を通じて、澁澤龍彦、唐十郎と知り合う。同年5月、唐十郎の状況劇場の芝居「ジョン・シルバー新宿恋しや夜鳴篇」に女形として出演する。その後、渋谷東急本店開店キャンペーンのためにディスプレイ用人形を作り、それは「前衛マネキン」として雑誌に紹介される。またこの制作過程で張り子人形の技法とメイクの方法を学ぶ。同年12月、しばらく滞在するつもりでパリに行くが、あまりの寒さに、アンティーク人形やベルメールの写真集を買っただけでまもなく帰る[4]

昭和43年(1968年)3月から6月にかけて、状況劇場紅テントの芝居「由井正雪」に「的場のお銀」役で出演する。このときから「四谷シモン」の芸名を使う。昭和46年(1971年)まで状況劇場の役者として活動する。その間、昭和44年には、「新宿西口中央公園事件」(新宿西口中央公園において、無許可でテントを立て公演を行った事件)や、寺山修司天井桟敷と状況劇場の乱闘事件が起きた[4]。「新宿西口中央公園事件」の際の四谷シモンを、共演者で現場に居合わせた麿赤児は「民衆を扇動するジャンヌ・ダルクのように光って見えた」と記している[5]

昭和45年(1970年)、大阪万国博覧会の「せんい館」のために「ルネ・マグリットの男」を制作する[6]

昭和47年(1972年)2月、新宿の紀伊國屋画廊で「10人の写真家による被写体四谷シモン展」が開かれ、会場の中央にはガラスケースに入った人形「ドイツの少年」が飾られる。この作品が人形作家として本格的に活動する転換点となった[2]

昭和48年(1973年)10月、銀座の青木画廊で第1回個展を開催。タイトル「未来と過去のイヴ」は澁澤龍彦による[7]。昭和50年(1975年)「慎み深さのない人形」を発表する。

昭和53年(1978年)、人形学校「エコール・ド・シモン」開校。当初は既製のパーツを使った人形作りを教えていたが、自由創作へ方針転換する。昭和56年(1981年)2月、紀伊国屋画廊で「第1回エコール・ド・シモン展」開催。以来、展覧会はほぼ毎年恒例になっている。

昭和53年(1978年)、パリの装飾美術館で開催された『間』展に参加、禅僧の人形を展示[8]

「少女の人形」「少年の人形」「機械仕掛けの少年」「解剖学の少年」などの作品を発表。一方で昭和59年(1984年)ふたたび状況劇場の芝居に出演。昭和60年(1985年)にはNHK大河ドラマ「春の波涛」にレギュラー出演。またいくつかのドラマに出演する。演出家久世光彦のドラマの常連俳優だった。

昭和62年(1987年)、彼の精神的支柱であり、理解者であった澁澤龍彦が死去。しばらくのあいだ茫然自失となる。昭和63年(1988年)より「天使-澁澤龍彦に捧ぐ」シリーズを制作する[4]

以降、「少女の人形」「目前の愛」「ピグマリオニスム・ナルシシズム」「木枠でできた少女」などを発表する。

平成12年(2000年)から平成13年(2001年)にかけて、大分市美術館を皮切りに、全国5カ所の美術館で大規模な個展を開催[9]

平成15年(2003年)人形作品「男」が、押井守監督のアニメ映画『イノセンス』のキャラクター、キムのモデルとなる。

平成16年(2004年)、1月、パリ市立アル・サン・ピエール美術館の「人形 POUPEES」展に4点の人形を出展。同展では、展覧会全体のポスターに四谷シモンの「少女の人形」が採用される[10]。2月、東京都現代美術館の「球体関節人形展」(押井守監修)に「男」など11点の人形を出展[11]

平成19年(2007年)、森美術館で開催の「六本木クロッシング2007 未来への脈動」展に出展。

平成22年(2010年)、若い頃に影響を受けたベルメールの生誕地カトヴィツェ(ポーランド)の芸術団体アルス・カメラリスの招待を受け、同地で球体関節人形「ピグマリオニスム・ナルシシズム」等を展示[12]

平成26年 (2014年)、そごう美術館(横浜)、西宮市大谷記念美術館で、個展「SIMONDOLL 四谷シモン」開催[13]

平成28年(2016年)、2月、ロンドンの美術館テート・モダンで、細江英公が撮影した四谷シモンの写真「シモン私風景」シリーズ26点が展示される[14]。同年12月、山崎哲・作構成演出の『骨風』(原作・篠原勝之)に出演[2]

平成16年(2004年)より、主要作品を「四谷シモン人形館」(香川県坂出市、鎌田醤油内)で常設展示。

作品[編集]

  • 大阪万国博覧会のために制作した「ルネ・マグリットの男」は、巨体の不気味な老人が15体、薄暗い中に屹立していて、その間を繊維に見立てた赤いレーザービームが行き来するという作品だった。のちにこのうちの一体は状況劇場の舞台装置として使われた。
  • 初期の作品「未来と過去のイヴ」は、裸にガーターベルトと網タイツを付けた姿の人形。パーマをかけた金髪に、濃い色の口紅を付けており、一種挑発的な印象を受ける。それに続く「慎み深さのない人形」も同様に挑発的な作品。手足のない裸で、上半身と下半身が180度逆に付いている。シュルレアリスムの影響が直接的に顕れているようである。しかし以降の作品からは挑発的な印象が隠れ、その表情は永遠の相を見ているような穏やかなものになっている。
  • 「機械仕掛の少女」「機械仕掛の少年」は、エコール・ド・シモンの生徒であった荒木博志との共同作業によるもの。一部は実際に動く作品。
  • 「少女の人形」の一体は澁澤龍彦の所有となり、『少女コレクション序説』『裸婦の中の裸婦』などにより読書界でも有名な作品となった。
  • 人形制作にはナルシシズムが抜きがたいものだという発見により、「ナルシシズム」「ピグマリオニスム・ナルシシズム」を制作した。これはシモン自身を人形化した作品。

著作・参考文献[編集]

  • 『シモンのシモン』(イザラ書房、1975年 のちにライブ出版、1989年) <『四谷シモン前編』に収載>
  • 『機械仕掛の神』(イザラ書房、1978年) <『四谷シモン前編』に収載>
  • 『四谷シモン人形愛』<監修・澁澤龍彦、撮影・篠山紀信> (美術出版社、1985年)
  • 『Narcissisme』<篠山紀信撮影> (佐野画廊、1998年)
  • 『人形作家』(講談社現代新書、2002年)
  • 『病院ギャラリー ― 717days 2001‐2003』(ライブ出版、2003年)
  • 『四谷シモン前編』<創作・随想・発言集成> (学習研究社、2006年)
  • 『四谷シモン人形日記』(平凡社 コロナ・ブックス、2011年)
  • 『人形作家』(中公文庫<中央公論新社>、2017年) <講談社現代新書版『人形作家』の改訂新版>

編纂[編集]

  • 『日本の名随筆 別巻 81 人形』編 (作品社, 1997年)

参考文献[編集]

  • 『新婦人』1965年3月号 (文化実業社、1965年) <澁澤龍彦の連載記事「女の王国」を掲載、この記事は、後に澁澤の著作『幻想の画廊から』に収載>
  • 別冊『太陽』1970年2月号<特集・世界の人形> (平凡社、1970年)
  • 『四谷シモン-人形愛』展図録 (「四谷シモン展」実行委員会、2000年) <2000年~01年に行われた回顧展の図録>
  • 『htwi(ヒッティ)』NO.8 (メディアプロダクション、2001年)
  • 『Poupées』(Gallimard, Halle Saint Pierre、2004年) <2004年にパリで開催された人形展の図録>
  • 『球体関節人形展』図録 (日本テレビ放送網発行、2004年) <2004年に行われた『球体関節人形展』の図録>
  • 『Una stupita fatticita』 (Massimo Canevacci著、Costa & Nolan、2007年)
  • 『知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』テクスト10月11月号「澁澤龍彦、白洲正子特集」88-105頁 (日本放送出版協会、2007年)
  • 季刊『プリンツ21』2008年夏号 (プリンツ21、2008年)
  • 『快男児麿赤児がゆく 憂き世戯れて候ふ』 (朝日新聞出版、2011年) <状況劇場で四谷シモンと共演した麿赤児の自伝>
  • 『SIMONDOLL 四谷シモン』 (求龍堂、2014年) <2014年に行われた回顧展の図録>
  • 『Pavilionesque』創刊号30-35頁 (Centre for the Documentation of the Art of Tadeus Kantor Cricoteka、2015年) <Bruno Fernandesの記事「Yotsuya Simon the Metabolic Magician」を掲載>
  • 『Performing for Camera』 (Simon Baker & Fiontan Moran編集、Tate Publishing、2016年) <2016年にテート・モダンで開催された写真展の図録>
  • 『人形の文化史 ヨーロッパの諸相から』 (香川檀編、水声社、2016年) <香川檀の論考「予兆のなかのベルメール人形」及び香川と四谷シモンの対談を収載>
  • 『四谷シモン ベルメールへの旅』 (菅原多喜夫著、愛育出版、2017年) <2010年にポーランドで開催された展覧会と展覧会準備のための旅行の記録>
  • 『一角獣の変身 青木画廊クロニクル』 (風濤社、2017年)

写真集[編集]

  • 『シモン私風景』<細江英公撮影> (Akio Nagasawa Publishing、2012年)
  • 『Simon, The Actor』<沢渡朔撮影> (Akio Nagasawa Publishing、2016年)
  • 『SIMON, 1972』<加納典明撮影> (Akio Nagasawa Publishing、2016年)

テレビ[編集]

  • 『美と出会う』~「聖なる顔を求めて」(2002年1月、NHK)
  • 知るを楽しむ 私のこだわり人物伝』 「澁澤龍彦 眼の宇宙」 第1回(2007年11月6日、NHK教育

テレビドラマ[編集]

TBS向田邦子新春シリーズ 
  • 『女の人差し指』(1986年)
  • 『わが母の教えたまいし』(1989年)
  • 『華燭』(1992年
  • 『家族の肖像』(1993年)
  • 『いとこ同志』(1994年)
  • 『風を聴く日』(1995年)
  • 『響子』(1996年)
  • 『空の羊』(1997年)
  • 『終わりのない童話』(1998年)
  • 『小鳥のくる日』(1999年)
  • あ・うん』 (2000年)
  • 『風立ちぬ』(2001年)

映画[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『読売年鑑 2016年版』(読売新聞東京本社、2016年)p.495
  2. ^ a b c d e 『人形作家』(中公文庫)
  3. ^ 『新婦人』1965年3月号(文化実業社)
  4. ^ a b c 『人形作家』(中公文庫)
  5. ^ 『快男児麿赤児がゆく 憂き世戯れて候ふ』86頁
  6. ^ 別冊『太陽』1970年2月号46-50頁(平凡社)
  7. ^ 『一角獣の変身』(風濤社)
  8. ^ 『人形作家』(中公文庫)
  9. ^ 『四谷シモン-人形愛』展図録 (「四谷シモン展」実行委員会)
  10. ^ 『Poupées』(Gallimard, Halle Saint Pierre、2004年)
  11. ^ 『球体関節人形展』図録 (日本テレビ放送網発行、2004年)
  12. ^ 『四谷シモン ベルメールへの旅』(愛育出版)
  13. ^ 『SIMONDOLL 四谷シモン』 (求龍堂、2014年)
  14. ^ 『Performing for Camera』(Tate Publishing)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]